265 大事な役目
セアラ、マルスェイ、ニナのそれぞれが誘導されるのをショノアは所在なく見ていた。
(言い出しっぺの俺が一番の用無し、か…)
空は虹色の光彩を放つ薄布で覆われたような状態。大きすぎて信じ難いが防御壁と思われる。光度は朧月のような柔らかさで、辺りを照らせるほど強くはない。しかしその明色は闇の恐怖を知った心に安堵感を与えてくれる。
そして、地には淡く光を放つ文字や記号と思われる文様が、これまた広い範囲に広がっている。全体的な印象や細部の形はマルスェイが書いていたものと似ているが、全くの別物にも見えた。
光と一言でいっても、こちらは鋼鉄に反射したような硬質さを感じさせ、藍や紫に近い落ち着いた色は暗に沈む。溶け合うと表現する方が適しているかもしれない。
(これが魔術陣というものなのか。この規模のものが?)
この防御壁と魔術陣の外側で、まるで打楽器を演奏しているかのように律動的な剣戟の音がする。向学のためにもその凄技を観察したいのは山々だが、闇は着々と視界を侵食していく。音も次第に聞き取りづらくなっている。
離れた三箇所でパパッと光が瞬き、急いで目を走らせる。セアラは柔らかくも絡むように、ニナは激しくバチッと、マルスェイは波紋が広がるが如く。それぞれに違いがあった。どれも一瞬のこと。
三人の位置関係から、もう一箇所で正方形を成すのではないかと推測し、そろりと足を向けてみる。ショノアにその指示がなかったらどうしようかと思いながらも。
セアラの真向かいにあたる所、魔術陣を構成する一部分の円形内には落葉の模様が浮かんでいた。赤子の手のような形や扇形などの葉がヒラリヒラリと舞う。どういう原理かさっぱりわからないが、魔術に対する認識が覆るほどの風雅さ。
「きれいなものだな」
勝手なこともできないので、それを眺めて声が掛かるのを待つ。
その間にも、セアラが唱える祈りの声が微かに聞こえてきたり、閃光が放たれたり、ニナの足元から大きな魔術陣の色が塗り替えられたりと様々な変化が起こっていた。
ますます自分にできることなどあるのかと懐疑的になり、知らず剣の柄に手を伸ばし、その触感で頭を冷やす。
ショノアは魔力に不案内。剣の腕だって、随行してきた第一王子の護衛や近衛兵の方が上。実戦経験もほぼないに等しい。
(いや。弱気になってどうする? 焦りは禁物だ)
大きく頭を振って、消極的な考えを払う。
セアラに倣って騎士の標語を諳んじることを思いつき、剣を抜いて式典時のように眼前で垂直に構える。
(なるほど。少し心が落ち着いた)
セアラとニナを各場所に残し、治癒士と魔術師は中央へ移動していく。ポソリとも話し声は聞こえないが、なにやら相談をしているらしい。
次こそ自分の番という当てが外れて、自然と眉間には皺が寄り、口から長息が吐き出た。
膨らむ一方の不安を打ち消そうと、ぎゅっと瞬きをする。開いた目に、二重丈のマントを纏い、真っ直ぐな杖を携えた治癒士がゆったりとした足取りで近付いて来るのが映った。
「察しが良く、先回りでき、且つ、先走らない。それは褒めておくよ」
泰然とした声を聞き、ショノアは喜び勇んだ。
「よろしくお願いします!」
「では、その中に立って」
剣を下ろし、一歩踏み出す。足が円内に触れると、吹き上げる風に落葉がさらわれたようにクルクルと模様が動く。旋風の中心から深い穴に落ちていく錯覚に陥る。その加速感は、模様が大木の根の先を追っていく様に変じたからだ。密に張り巡らされた根はやがて細く疎らになり、光は収束して消えた。
足は問題なく持ち上げられるが、地に吸い付く不可思議な感触がある。ショノアはソワソワと二度三度足踏みをしてみた。
「よし。認証完了。舞台は整った」
四箇所で共鳴が起き、ウワンと音ともいわないくらい小さな振動が届いた。シルエが満足そうに頷く。
「それで、次に自分は何をすべきでしょうか」
「この場所に立ち、耐えること」
その指示は確かに聞いていたもの。そこに重要な意味があるのだとは察せられるが――。
高揚しかけた気持ちが急に冷え、ショノアはぎこちなく首を巡らせた。今、三人は各々静かに佇んでいるだけにも見えるが、何かはしているはず。
「えっと、俺は特にすることがない…ということでしょうか」
ショノアにできることはただ立っているだけなのか。剣の柄を握る手がジワッと汗ばむ。
(いや、ここに居る役目をもらえたことだって栄誉だ。だけど…)
命令に従うばかりで、その意図や得る結果に思い至らなかった点を反省したばかり。自分の行動に責任を持ち、成せることも考えるにも理解は大事だ、と。
フルッと小さく首を振ったショノアは、顔を上げて真っ直ぐシルエを見詰める。
「お恥ずかしながら、理解が及ばないことばかりでして。『マジン』についても知識がありません。引き留めるには…、その、相見えるにあたり、心構えや注意事項などがあればご教授いただけませんか」
ショノアは礼儀正しく深々と頭を下げた。
「…確かに、君には知る権利がある。黙って協力させるのは道理にもとるか。それでは、どこかのお歴々と同類になるものな。説明といっても、見聞きしていたものと重複するかもしれないが」
後々王宮に報告を上げるのはショノアだろうことを念頭に、シルエは伝える情報を選別していく。尚且つ程よくぼかす。馬鹿正直に全てを詳らかに教えてやる必要はない。
ニナが誘き寄せるのは『魔人』であることは伝えても、なぜそれが可能かまでは伝えない。
彼ら四人がここに立つことで魔術陣の要になることは伝えても、その仔細は伝えない。
もちろん、ノアラの時間術については言わずもがな。そんな稀有な術があることを知られれば、脅威と取られるか、してもいない嫌疑をかけられるか、はたまた懐柔しようと躍起になるか。良いことはひとつもない。
(どれくらい調子付いているかにもよるけど『守護者』が絶たれたと気付いたら、魔人はすぐにこの場を放棄するだろうな。今までだって、追い詰められる前に逃げに転じていた。形勢逆転の策がまだあるとしても命を失くしてはどうにもならないから。それを一番恐れているハズ。
できれば『守護者』から力の流入が途切れた瞬間に、こうズバッとやっちゃうのが理想的なんだけど…。
ノアラの術を以てしても、どれくらい繋ぎ止められるか。僕らの誰かが戻るまで持つかどうか。…危ういな。
あの媒介にされていたコは口八丁で気を引くなんて芸当はできそうにないし。魂の器にはさっき血統の良い王子サマに目を付けていたし、闇の精霊に好かれているってコがいる以上はなぁ…。他の三人にも興味を示すかは…うーん、あまり期待しない方がいいか)
シルエは説明で口を動かす短い間にも、頭では長考を巡らせていた。
此度こそ、魔人を確実に仕留めたい。だが実害の大きい『守護者』を後回しにもできない。その板挟みにある。
シルエは目を眇めた。
陣の要となった四名――王宮が『魔王』の噂を調査させるために集めた若者たち。構成は能力ばかりか、髪色や目の色といった容姿を指定したという。
剣を持つショノアは青い目に、暗い中だと黒にも見える髪色。旅生活で手入れをする余裕をなくした毛先は傷み、黒と間違うはずもない茶色。
(ホント、呆れる)
その人選が女王を慮った側近の勘違いと独断であったことなどシルエは知らない。けれど、事情がどうあれ不快に思うことは同じ。
(でも、そっちがその気になら、まあ…)
シルエがコツコツと杖の先端で額を軽く突付き、思案したのはほんの短い間だった。
目の前の青年に目を戻す。
真剣な眼差し、質問は最後にまとめるつもりなのか時折小さく動く唇、適度に相槌を打つ姿勢にショノアの真面目さが表れている。
(もうちょっと、こう、このコたちの活躍でっていうのを目立せたいと思ってたし)
この状況から生還できたら、ショノアらの功労が一目瞭然なら、次代の英雄として王宮が認めると予想できる。
もともと王国騎士のショノアと宮廷魔術師のマルスェイ、それから王族の覚え目出度い聖女なら、堂々と担ぎ上げられる。本人たちが何と言おうと情報操作もしやすい。
この一連の騒動で疲弊した民の娯楽にも、人心掌握にも丁度良く、諸手を挙げて喜ぶだろう。
(サラドは反対するかもだけど、いっか。言質はとってあるし。僕たちの平穏な生活のためにも)
理想像の押しつけに過度な期待、勝手な落胆。彼らが晒されるだろう近い未来に少しの罪悪感はある。けれど貴族出身であれば幼い頃からその特有な社会で上手く立ち回る術を身に付けているだろうし、周囲の支援もあるに違いない。
(『聖女』なんて大層な呼び名を得たコにしても、僕らみたいに、田舎者だ、孤児だって扱いはされないでしょ。うん)
シルエがそう纏めて、一人で納得したところで丁度ショノアが「あの…」と控えめに口を挟んだ。
「先程は下手に攻撃をしない方が良いと仰っていましたが、国難に対し王国の騎士として何もせずにいていいものかと。この身を賭す覚悟はあります」
(ほら、やっぱり本人も功績を望んでる。問題なしっ)
頭ではそう確信し、ショノアの申し出を歓迎しながらも、シルエの口は流れるように皮肉を発する。
「王国の騎士…ね。殊勝な心掛けだな。国のために騎士として犬死にを望むとは」
ショノアは背がヒヤリと寒くなった。
辛辣な言葉とは裏腹に、絶妙に口角を上げた慈悲深い笑顔。
『最強の傭兵』と同様に『治癒士』も王宮に好意的でない。王都の火事の際も、貧民街跡地を魔物が襲撃した際も、その態度は明白だったのに。
態々王国の騎士だと強調するような言い方をしたのは失敗だと内省する。
その裡で『騎士である自分』が切り離せない誇りになっている己が心にショノアは気付いた。望んでなった騎士の道ではなかったけれど、騎士であることを自ら否定したくない。その自尊心を貫きたい。
「そもそも『魔人』とは魔術攻撃をしてくる人型の魔物を指す総称。今回もその正体や本質がわからないため便宜的にそう呼んでいただけだ。もし、相手が魔物という括りではなく、種族が違うだけの人だとしても躊躇わずに屠れるか?」
「それであれば、捕縛して然るべき裁きを――」
言い止し、ショノアは顔色を悪くする。
これまでも散々翻弄し、あんな魔物を従える相手に現実的ではない。
無力化して捕らえることができるなら、とっくにしていたはず。偽聖女や、呪詛を用いて魔物を発生させようとした被疑者が道に置き去りにされていたように。
「立派だな。では、高潔な騎士たる君が国のためにその役目を担うと良い」
シルエが「フッ」と笑った。
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