262 共闘に向けて
『守護者』なる存在は四体いて、そのうちの一体が、ここ、水の神殿が沈む湖の目前に配されている。そこから察するに、あとの三体は風、火、土の神殿近くだろう。
名前の通りの意義で、神殿の守り手ならば水には水属性を置くのが定石。
ところが、目の前に出現したモノは水と相克関係にある土属性だ。
ということは、影の言うように、精霊が牙を剥くという事態に陥った際を想定して、盾にするために置かれたのか。
(古代の魔術師は魔力を溜める器として、疑似精霊を作った? その本質は豊富な自然魔力のはず。
でも、これはそんなに純粋なモノじゃない。
歪めた力がその質に影響しているのか。
魔人が死霊術の使い手であるからなのか。
それとも、深い眠り――封印されていたとすると、そもそも作った時点で想定したのとは異なるモノに変質していたのか…。
この世界をあっさり捨てて別時空に移り住むくらいだ。古代の終末期は思った以上に均衡が崩れていて、自然魔力が乏しくなっていたのかも)
そこまで考えを整理して、シルエはノアラにチラと視線を遣った。こくりと頷きが返される。
「ディネウ、ソレの相手、お願い。時間稼いどいて」
「あ?」
影に気付かれないようにコソッと囁いた直後、シルエが少々強めの光を放った。
噛み殺したような呻き声がしたが、その光に大した攻撃性がないと知るや、不敵な笑い声が復活する。
影の気を逸らせられればそれで良い。退散されては困る。
続け様に目眩まし程度の光を数発。その間にじりじりと移動する。
案の定、アンデッド化した『守護者』が光に見せる反応は羽虫くらいのもの。剣を持ってうろちょろするディネウの方が鬱陶しい虫らしく、専らそちらを払おうとしている。
迫った尾を弾き返そうとして、うっかり斬り落としたディネウが「しまった」という顔をしたが、落ちた尾は直ぐに元通りにくっついた。ただのアンデッドとは違い、再生能力があり、しかも早い。
(四体同時でないと倒せないっていうのもハッタリかと思ったが、本当かもな)
ディネウは手加減などやめて、攻撃してくる爪や尾を遠慮なく片っ端から斬った。斬る傍から元に戻ったとしても理解しているディネウの心は冷静だが、「くそっ」や「ちくしょう」などの悪態は口癖で出る。
それを見せつけられている兵士たちはたまったものではない。絶望感は否応なしに増していく。
影は打撃を与えられていない様を愉しげに笑っている。ディネウの大立ち回りはうまく影の気を引けていた。
「…わたしは囮になれるだろう? わたしがここにいると知れば接触してくるだろうから」
シルエとノアラがサラドの近くまで来た時、ニナがそう提案しているところだった。
「でも…」
「サラド、そのコだって当事者だ。協力してもらおう? 魔人は守護者を自分が甦らせたと思って有頂天になってる。四体同時に倒すことなど不可能だと疑わず勝ち誇っている。今が好機だよ。というより、後がない」
ニナを危険に曝すことにサラドは躊躇して言い淀む。そこに割って入ったシルエが一気にたたみかけた。ニナもぐっと顎を引く。
「ニナ、いいの?」
「もちろん。覚悟はできている。わたしも自分自身で決着をつけたいんだ」
そういうニナの手はやはり少し震えている。
「魔人の話が本当なら、被害が出る前に急がないと。作戦は――」
視界の端で麻痺状態にあるショノアが「うっ、うあ、あ…」と藻掻き、必死に訴えている。「うるさいなぁ」とでも言わんばかりにシルエが杖の先端でショノアをチョイと突いた。
麻痺が解除されたショノアは体に込めていた力の反動でガクリと地に伏し、肩で息をする。まだ、ジビジビとした違和感が抜けない。
「何か言いたいことでも?」
「あっ、あのっ。げほっ。俺にも手伝わせてくださいっ」
シルエの冷たいあしらいにもめげず、ショノアは掠れる声を精一杯張った。
真っ先に「要らない」と答えたのはニナだ。
「これはわたしの問題。関係ない」
一刀両断されたショノアは「ニナは仲間だ。関係なくは…ない」と少し悲しそうに声を小さくした。
「この状況を招いた責任の一端は俺にもあります」
「…この、道の件も王族からの命令だから逆らえるはずもない」
一人でいたいニナは断り文句を考えるが、その前にシルエが「んー、まあ…」と口にした。
「注意を引く人数は多い方が散漫になるだろうから、やってもらおうか。あとの二人にも」
シルエが「ねぇ?」と同意を求めた時には、仕事の早いノアラによって一行の後尾にいたセアラとマルスェイの二人が運ばれるようにして移動して来た。
セアラは祈るような姿勢で、マルスェイは体を縮めて目だけは忙しく動かしている。
杖で軽く触れられたセアラは肺の中にある空気を全て吐き出すようにほうっと息をした。
「なんて、なんて美しい魔術」
口がきけるようになって早速、マルスェイが我慢できないという風に声を震わせた。こんな状況なのにノアラを見上げる目がキラキラしている。
「すまない。二人とも。その…」
己の一存でセアラとマルスェイを巻き込んだとショノアは自責した。身の安全を第一に考えてほしい気持ちと、協力してくれると信じたい気持ちがせめぎ合う。
セアラの眉は八の字に下がり、きゅっと口を結んで説明を待っていた。詳しいことはわからなくても、とてつもない非常事態であることは雰囲気で伝わる。
「そのコがこの元凶、魔人をおびき寄せるから、君たちの役割はここの維持、それから魔人の気を少しでも引き留めてもらいたい」
決定事項の如く話すシルエに、二人が難色を示すことも嫌がる素振りを見せることも一切なかった。
「もちろんです! ニナにだけ危険な目に遭わせられないわ」
セアラは勢い込んでこくんと頷く。胸前で拳をぎゅっと握り締めている。
「私も力は惜しみません。ですが、私が…役に立てるでしょうか」
元は従騎士、武門の家出身のマルスェイもキリリと表情を引き締める。だが、魔力を失っているため口から出た言葉は消極的だった。セアラも自身の実力に自信はないため、マルスェイの言葉にこくこくと何度も頷いている。
「相手の手の内も強さもわからない。下手に攻撃する必要はない。ただ、決められた場所に立ち、耐えること」
指示はとても簡単だが、その口調は重々しい。気安い雰囲気を消し去ったシルエはまるで別人格。
「念の為言っておく。これに参加することによって今後、君たちがどんな扱いを受けるかわからない。望まない立場になる覚悟はしておいた方がいい。もしも、そうなったとしても、文句は言わない。いいね?」
王子や王宮勤めの者を尻目にシルエが意思確認をする。
ショノア、セアラ、マルスェイはそれぞれ強く肯の返事をした。
「よし。同意は得たよ」
シルエがサラドとノアラにそれぞれ目配せをする。足元には新たな魔術陣が描き終えてあった。大きな陣を消さない形で重なっているため、文様はより複雑に見える。
「時間がないから、説明は教えながらだ。手を取るよ。良いか?」
シルエがまるでエスコートのように誘導する。セアラはどぎまぎと隣の人物を見上げた。
上背はあまり高くなく、痩躯ながらも堂々として揺るがず、威厳に満ちている。王都の火事の際にすぐ傍で見た、申し分ない実力を有す治癒士。
指定された場所には人ひとり分くらいの円に蔓性の木と垂れ下がる花序の模様がある。その中に立つと、蔦が伸びてセアラを支えるように包み、ふわりと淡く光って消えた。
「あれを維持してもらう」
シルエが杖で指し示す中空には、半球形の防御壁が外敵には警告を、内には安全を報せるかのように光っている。
「えっ、で…できるでしょうか…」
「やらなければ、ここにいる者たち皆が死傷するだけだ」
責任の重大さにごきゅっと喉が鳴る。セアラは未だ防御壁の奇蹟を起こせたことがない。その祈りに応える力を感じたこともない。
「魔力を意識できれば良い。防御を願う祈りの言葉は暗唱できるか?」
「はい」
「よし。君のやりやすい形で構わない。引っ張ってやる」
セアラは迷わず両膝を突いて祈りの姿勢をとり、手を組んだ。これが一番しっくりくる。
天を仰げば、空一面を覆っていると見紛う防御壁が、地に浮かぶ魔術陣のぼんやりとした僅かな光を受けて、虹色の輝きを見せていた。真、奇蹟のような光景。
その規模に圧倒されながらセアラは祈りの言葉を紡ぐ。おかしな所で息がつかえ、文言が繋がらない。焦れば焦るほど、息継ぎの間合いが狭まる。
――大丈夫。彼に任せて、真摯に祈れば、それで大丈夫だよ。
不意にサラドの声が頭を過った。それから俄に思い出されたのは、初めて防御壁を見た時のこと。サラドが張ってくれた防御壁の規模はうんと小さく、手を伸した距離にある淡い膜のように見えるものは白く光る細かい文言で構成されていた。
セアラは他の神官が防御壁の奇蹟を起こせるのか、実際はどの様なものなのかを知らない。ただ、防御を願う祈りの文言は長く、危険に際して瞬時に出せるようなものではないことは痛感した。
あの高みに達するにはどれほどの修行を要するのか。あの安堵を与えるのはどれほどの慈愛に満ちた心なのか。
『セアラの祈りはちゃんと、あたたかいから』サラドからもらった言葉を胸に抱く。肩に入った余計な力が抜け、気持ちが和らいだ。
(私には…、私にできる限りことを)
セアラは自分自身に言い聞かせるように、一度深呼吸をした。乱れがちだった節が調い、滑らかに祈りの言葉が出てくる。あとは無心で唱えた。
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