259 行進を追うモノ、止める者
記号の誤記を修正しました
内容変更はありません
「シルエ、起きて」
優しく揺すられてシルエはしょぼしょぼする目を擦った。寝が足りず、頭は薄ぼんやりとしている。
「ん~…。あ、ヤバ。本気で二度寝した」
どれくらい時間が経ったのか、体感は数分のような短さでもあるし、却って怠さをもたらす長さでもある。
「ノアラも、起きて」
体には触れないようにしているのと、声が柔らかいのもあってノアラはなかなか目覚めない。相変わらず丸めた背中と横寝の姿勢で微動だにしない。
「ねー、サラド、もしかして何かした?」
「うん?」
「だって、横にはなったけど、意識は保ててたのに。ノアラだって、こんなに深くは眠ってなかったはずだよ。少なくとも夜明けまでは」
サラドがふいっと視線を逸らした。
「…えっと、よく休めた?」
「あ、ごまかした」
やっと上半身を起こしたノアラは、うつらうつらと前後に小さく揺れている。覚醒してくると、首の後ろに手をあてて左右に倒し、凝りを解した。
「ま、いいや。救援信号、なかったんだね」
「そうだね。この静けさが怖いくらい」
「精霊は? 大丈夫そう?」
「うん。ここまで届くくらいの悲鳴は聞こえない」
サラドは眉尻を下げている。被害がなくなったわけではないと確信している言い草だ。
「ごちそうさま」
元気な声にサラドの悲愴感が和らぐ。テオは空になった食器と匙を置いて、足をブラブラさせている。今食はたっぷり食べられたようだ。
良い匂いに誘われて、シルエはのそりと立ち上がった。卓の上に置かれた鍋の蓋を開けてみると、惣菜の残りを素に、パンを加えてトロトロに煮込まれた粥だった。
「おいしそう。僕も、もらおっかな」
「食べてほしいけど…、多分、そろそろ…」
「ん? なに?」
シルエが浅鉢を手にした時、ガンガンガンガンと湖畔の小屋と繋がる扉がけたたましく叩かれた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
湖畔までの道程に目印として置いた石があと二つと迫った地点で、ニナがふと足を止めた。
それまでの足取りがかなり速かったため、後続の様子を気に掛けつつ、ニナの背中を見失わないようにするが精一杯のショノアはほっと息を漏らす。
速足なのはニナが気を配らず、己の歩調を緩めなかったからではない。
おそらくひとりであればもっと速い。ニナは前方の安全確認、一行が通るには狭い箇所の枝を払う、且つ王宮の者に自身の姿を見せない距離を保つということをやってのけながら、配分は適当であり、皆もギリギリ着いて来られている。
王子一行の合流が昼近い時間になったため、流暢にしていては明るいうちに戻れなくなる。この時季の日は短く、暮れ出したらあっという間に暗くなってしまう。
使用人や荷物を載せた馬車など、大半は昨晩宿泊した町に残して来ており、尊い身の第一王子を野営させるわけにはいかないと急かされてのこと。
そこから先は草を踏み固めただけの道なき道。少しでも円滑に進むため、少数精鋭で向かう方が良いとの提案も、安全確保の観点から調整は難航し、更に時間を無駄にした。
結局、侍従や文官、近衛兵を含めてなかなかの人数に昇った。
『神にご挨拶に伺うのだから謙虚であるべき』だと自らの足で歩く第一王子の周囲は護衛ががっちりと囲んでいる。侍従や文官、その後ろに輿が続く。
大きな箱型の輿は、貴人や体力のない者を乗せる物と同じ位の大きさがある。四人掛かりで低い位置に構えて慎重に運んでおり、急拵えの道を通るには狭苦しそうだ。
小ぶりの酒樽や穀物の入った麻袋なども載せているので輿は供物と考えるのが順当だが、それならば神から良く見えるように高く担ぐものだという先入観があるショノアは違和感を覚えた。
箱には美しい紗の織物が被せられているので、確かではないけれども、馬車から下ろした際に、側板の一部分が格子になっているように見えた。そこから中身が生きた家畜と察すれば、極力揺らさないように気を付けもするかと、あまり深くは考えなかった。
祈祷を担当するセアラは輿の後に続き、マルスェイは彼女を補佐する位置にいる。もしも、遅れる者や、道を外れる者が出ても、セアラの魔力でぼんやり光らせた石をマルスェイが見逃すことはないので、正してくれる寸法だ。
セアラは朝からずっと緊張しっぱなしだった。だが、ショノアがいくら首を伸ばしたところで、今は姿も見えない。早く終わらせてしまいたい、そんな気持ちが胸に広がっていく。
最後尾は護衛兵が守っている。いや、見張っているが、正しいか。
雨雲が差し掛かったせいで薄暗くなった林に、淡く光る石が点々と道を示す。
幻想的な光景を目にした王子は満足そうにショノアを労った。
ショノア自身の働きは殆どない。道を切り拓いたニナ、最短距離を定めるため魔力で補助したセアラ、保存していた石を提供したマルスェイ、その功労について伝えようとするも、侍従に勝手な発言をしないよう咎められ、無駄口は慎み先を急ぐように促された。
途中、じめっとした気配をすぐ背後に感じて、王子は「急ぐぞ」と鼓舞した。
それもそのはず。どんよりとした灰色の雲は一行にピタリと付いて来ており、列の後尾にいる者には既に小雨が降り注いでいる。
セアラもマルスェイも雨を防ぐマントとフードを羽織っているが、時間が経つにつれ、寒さに体が震えてきていた。
遅れを取らないように誰もが黙々と歩く中、足下の悪さと強行に息を切らしたり、足をもつれさせたりする者が散見され出した。
ニナが足を止めたのはそんな頃だった。
あと残すところ少しの距離、整列をし直し、万全の状態で湖畔に着くようにとの配慮か、とショノアは良いように受け取ったのだが。
「止まれ」
ニナと距離を詰めたショノアがその視線の先にあるものに気付いたのと、静かだがドスの利いた制止の声が響いたのはほぼ同時だった。
ショノアは思わず足を止める。体躯の良い人影はそこから進み出てくることなく、表情はおろか顔も識別できない。だが、誰であるのか、すぐにわかった。
脳裏に去来したのは、神域での祈祷は最強の傭兵が許さないのではないかとセアラが懸念していたこと。セアラの直感では最強の傭兵も湖の守り人であろうとのこと。
「あの、我々は祈りの奉納に参りました。お通し願えませんか」
ショノアの声に張りはなく、情けなくも震えてしまった。沈黙が痛い。許可は下りず、返答すらない。
「…ハァ、何事か? フゥ…、なぜ進まない?」
続く者たちも順々に足を止め、間が詰まって互いにぶつかりそうになり、俄にざわめく。
侍従が切れ切れの声で咎めるが、ショノアは何と答えたら良いものか考えあぐねた。
「ここに何をしに来た?」
再び、用向きを問い質す声が響く。落ち着き払った、良く通る低い声。
ショノアはやはり自分の声が届かなかったのだと俯いた。
「内容によっては排除する」
誰であろうと通さないという威圧感に兵たちは遅まきながらサッと身構えた。しかし、刃向かうのは無謀な相手だと本能が訴えてくる。
「何者だ? 殿下の御前であるぞ。控えよ! 殿下の行く道を塞ぐとは不届き者め!」
役割の違いによる鈍感さなのか、兵に守られている故の虚勢か、侍従が叫んだ。急に止まったことで声はうわずっており、締りはなかったけれども。
「そこはもう王国固有の領土内ではない。ここが、どういう場所か理解しているのであれば、敬意を払うべきはそちらだろう?」
「貴様! 不敬であるぞ! 今すぐ道を空けろ。邪魔だてするな」
話が通じないと呆れられたのか、数拍の間を空けて「悪意をもって穢れを持ち込もうとする輩を通すこと、罷りならん」と通告された。
意外にも、侍従の横柄な態度に怒りを表す様子はなく、あくまで平坦な口調である。
ショノアが知る最強の傭兵は、いつも自分たち――王宮関係者に不信と怒気を滲ませていた。反面、避難した民に見せていたのは情の厚さ。そのどちらにしても非常に人間味に溢れていた。
今、聞こえてくる声は薄情とか非情とはまた違う冷たさで、人の感情を持たない、一線を画す存在のような印象を受ける。
その重々しさに、ここはもう神の意思が尊重される場所なのだと再認識する。ブルリと体が震えた。
「何を言っているのかわからん。水の神を奉るために、王国を代表して第一王子殿下が御足労くださったのだぞ。正しく参拝の手続きも踏んで来ておる。止められる道理はない」
侍従は尚も正当性を説こうとするが、こちらの立場が上と信じて、相手を侮る心が透けて見える。第一王子の威光を誇示したいのかもしれないが、間違っていると言わざるを得ない。
「正しく? 何に対しての正しさだ? 来訪を認めたのは誰だ? 参拝だと主張する本人か?」
「何を…」
「お前たちが、ここに来た真の目的は何だ、と問うている」
行進は止まったまま、一行にしてみれば不毛な問答が続く。王子は王族に相応しい柔和な笑みを湛え、黙って成り行きを見守っている。指示も急かされることもないため、侍従は却って焦りを募らせた。
体の前に立てられた大剣の存在感は凄まじく、強者の風格があるとはいえ、相手はたった一人。兵の人数もそれなりにいるのであるから、強行突破だってできそうなもの。
「お前、話をつけて来い。これ以上、殿下をお待たせするな」
コソリと囁かれた言葉に、心の中で思い切り「えっ」と声を上げる。侍従は先導する役目のショノアに苛立ちをぶつけてきた。立場上、ショノアは諾々と従うしかない。ごくっと息を呑んで、一歩、一歩と近付く。
想定通り、黒い毛皮を羽織った、見目よりも機動力を重視した軽装鎧の男がいる。
「我々は祈りの奉納に参りました。お通し願います」
ショノアはほぼ同じ言葉を口にする。
一行を直と見据える深い青の目がスッと細められた。ショノアのことは眼球の動きで一瞥しただけ。
(あ、違う)とショノアは気付いた。一度目も聞こえていなかったのではなく、無視されたのだ、と。
「そんなモノを連れておいて、参拝などと、信じると思うのか」
ディネウの視線を追うと輿に注がれている。
「…そんなもの…とは」
ショノアの戸惑いはそのまま口から漏れ出た。供物が気に入らない、もしくは生物が禁忌なのか。
振り返ったショノアの目に、侍従が口の動きで「はやくしろ」と伝えてくる様が映った。
ブックマーク いいね
ありがとうございます!
ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ