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258 休めるうちに

 シルエが「それから」と言葉を切って、手招きする。


「テオ、入っておいでー」


二階に通じる通路で、テオが顔を覗かせていた。話しかけても大丈夫か窺いながら、おずおずと近付いてくる。


いくら気を抜ける家の中であっても、テオがいるのを当然と認識していても、テオがじっと息を潜めるのがうまいとしても、彼らが人の気配に気付けないなんてあり得ない。それだけ神経が擦り切れている証左だ。


ばつが悪そうにディネウが「ぐ…」と声を詰まらせる。


「ごめん。起こしちゃったね」


サラドが熱を測ろうとテオの額に手を伸して、躊躇した。染みついた汚れは落ち切れておらず、傷も多い。

動きが一瞬鈍ったことでテオの表情が陰る。サラドは安心させるように微笑んで、少しでもましな甲をあてた。


「うん。平熱だね。だるいとか苦しいとか、ない?」


テオはふにゃりと頬を緩め、首を横に振った。


 一過性の発熱後から、ずっと四人はバタバタとしていて、家に居ることがなかった。不穏な雰囲気や緊張感に敏いテオは、何かとても大変な事態になっていることを察して、寂しさを我慢した。

長らく檻の中に閉じ込められていたため、世間の常識はまだ身に付いていないけれど、四人が普通ではないことを薄々感付いている。それでも不安になるのは止められなかった。


「…もう、行かない?」


ひしっとサラドにしがみつく。聞きながら、そうではないとわかっている。

四人とも武器を外していないし、外套も脱いでいない。


「ごめんね。まだ…はっきり言えない」


サラドはテオを縦抱きにして、その背中をポンポンと優しくあやす。荷物を降ろしていないのでおんぶはできない。テオはサラドの首筋にぐりぐりと顔をこすりつけた。安堵したら、眠気が戻ってきたらしい。


「ほら、ディネウも意地張んないで、行って」

「…何かあれば、すぐ来る」


「扉一枚で繋がってるんだから、ご心配なく~」とシルエはヒラヒラと手を振った。


「じゃあ、僕も休ませてもらおっと」


 その場でゴロンと横になったシルエにサラドが慌てる。


「ダメだよ。せめてあっちの長椅子で」

「えー? 僕は大丈夫だよ。野宿を思えばなんてことないでしょ。それに、ベッドとか長椅子なんかで寝たら、どんなに大きな音が耳元でしても目覚めない自信がある」


ノアラもとうとうペタリと尻をついて座った。背は壁に預けているが、ズルリと崩れるのも時間の問題に見える。


「ダメだって。体が冷えちゃう。ちょっと待ってて」


サラドはテオをベッドに運んだ帰りに、厚地の毛皮を抱えてきた。床に敷くと、早速というようにシルエがその上に寝転ぶ。ノアラも疲れに抗えずに、四つん這いで続いた。


「少し薪を足して火を強めておこう」


 ランタンからピョンと出た小さな火が薪を燃やす火に混じる。左右に揺れて、何か言いたげにポンッと小さな小さな火の玉を上げた。


「ありがとう。ごめんね。怒らないで。君の力が足りなかったからじゃなくて、その…」


サラドが口籠る。先程、シルエの癒やしを受けたので傷はもうないと示すように、左腕に右手を添えた。

パチッと薪がはぜて、火の粉が散る。

ふわりと足に温風があたった。暖気が床を伝い、部屋を回っていく。


「…ありがとう。すごいね。暖かいよ」


居間を照らす赤い火は自慢気に大きく揺らめいた。


「ほらー、サラドも早く。いつまで休めるか、わかんないんだし」

「うん」


 二人に軽めの毛布を掛けて、サラドも横になる。


「あはっ。なんか、こういうのもいいねぇ」


シルエは頭の下に手を置いて仰向けになり、立てた膝に片足をのせた。

ノアラは横向き寝で、ぐったりと動かない。杖も隣に寝かせて、抱き抱えている。ぼそぼそと「負荷をかけた訓練…、魔力量補助の効果を反転すれば…」と呟くのが聞こえる。


「え? 本気にしたの? なんか、ヤバイこと考えてない? おススメはしないんだけどなぁ」


お喋りをする余裕がないだけか、思案に耽っているのか、ノアラの返事はない。束の間の休息を邪魔しないため、それきりシルエも黙った。



 地の片側から陽の光が強い力を放ち、まだ深い紺色の空を染め変えていく。夜と朝が交代する一日の始まりは清い気が満ちる時刻。神殿では朝の勤めが行われる。

シルエはうっすらと目を開けたが、もう祈る義務はない身ゆえ、再び目を閉じた。


(とりあえず、危険な時間帯は過ぎた…かな)


急襲が暗いうちだと、初動や避難が遅れ、どうしても被害が出やすい。この急に明るくなる時刻は瘴気や魔物の活動も一時的に鈍る。だからといって、気は抜けないけれども。

シルエは「ふぅー」と長く息を吐き出した。

すっかり癖になっている体内の魔力循環を意識し、自身の状態を把握する。


(回復は…四、五割ってところかな。見栄張ったけど、同じ状況が続いたらキツイな…)


救援信号が鳴り出してから、実に久々のまとまった休憩。少ない時間でも効率よく体を休ませる技は身に付いている。それでも、若い頃と同等にはいかない。


 ノアラの寝姿勢は倒れ込むようにして横になった時から変わっていない。丸まった背中、杖に触れた手、何ひとつ。もしや体が硬直しているのかと心配になるが、息遣いは落ち着いていた。


 その時、サラドは庭に出ていて、『穢れに苦しむすべて』を想い、未だ練習中の歌をそっと歌っていた。

体を酷使したせいで喉は嗄れ、高音域どころかほとんど声が出ない。その調子はずれをからかいながらも風の精霊がサラドの周りを舞い、共鳴してその想いをのせていく。


窓の鎧戸を閉めた家の中にその歌声は届かず、シルエは再び聞き逃したことを知らない。



 同じ頃、ディネウはようやく白み出すかという空の下、湧き水に向かって歩いていた。

高めた集中力は途切れさせたくないが、ディネウとて生身の人間、休息なく動き続けるのは不可能。視界が暗いうちは小屋の中で過ごした。

体は休めつつ、物音に細心の注意を払う。そうしていると、どうしても気になる方角がある。ピリピリと肌をざわめかせる嫌な気配が近付いてきているような悪い予感。

しかし、ぼんやりとでしかなく、王都から来訪という前情報による思い込みかもれない。疲れや昂ぶった気が起こす痙攣を錯覚しているだけかもしれない。大事を見誤らないように、己を戒めた。


 湖畔にいることで幾分か冷静になったが、気の立った状態で湧き水に対したくないため、息を整える。

心の中で「おはよう」と挨拶し、片膝をつく。

胸に手を添えて「命を抱き育む水の導きがありますよう」と唱え、水面を覗き込む。

まだ仄暗い水面に映る自身の顔としばし見つめ合ってから、清い水をひと掬い、口に含んだ。生き返るような心地に決意を新たにする。


(絶対に…絶対に、好き勝手にさせてなるものか)


 確かに、この湖は水気が漲っている。

古代に水を奉る神殿が作られたのもそれ故だろう。感謝と尊敬を示し、またその恩恵を希う最高の場所として、人が望んで設けた。精霊が求めたわけではない。


 十数年前に魔物と汚泥で溢れていた湖の中を進んで神殿に辿り着いた際、水の最高位精霊は冷ややかに『この神殿にも湖にも拘りはない』と語った。

水は流れ、移ろい、その形を留めないのだと。


最高位精霊ともなれば、望めば何処にだって力の一端を現せる。但し、影響力が大き過ぎることを弁えている故に、安易に人の世に関与はしないし、それだけの力を受け得る場も選ぶというだけ。


忘れ去られて久しい水の神殿の神気は微々たるものだった。隣国が信仰する『水を宿し生む霊峰』の一帯にこの湖も含まれていることと、水の精霊に捧げられたエテールナが辛うじて繋ぎ止めていたに過ぎない。


そして、水の最高位精霊が顕現し、再び湖が活力を取り戻したのもエテールナの想いと頑張り、サラドの語り掛けがあってこそ。


その後も水の最高位精霊が湖を気に留めるかどうかはその心次第。

しかし、エテールナは違う。彼女の体はこの湖に沈められ、水に仕える御霊となってもここに縛られている。


だから、ディネウはなんとしてでも、この地を守りたい。

ディネウにしてみれば、敬う心を持たず利用したいだけの自分本位な参詣など、冒涜なのだ。


 朝霧の煙る湖畔は静謐として、何の問題もないように見える。

外気よりも水の方が温いので湖の中で休んでいる脚の長い渡り鳥も静かなもの。


薄紫とも薄桃ともいえる色に染まった雲が細く流れている。少しの雨を含んだ雲だが、灰色の雨雲とは違う。まだ湖畔はそれ(ヽヽ)に侵されていない。


一度、小屋に戻り、ノアラの屋敷に通じる転移装置の扉に耳をあてる。向こうから漏れ聞こえてくる音はない。魔力の回復が必要な三人を起こさないようにそっと離れる。


門兵の如く構え、些細な異変にもすぐ反応できるように気を研ぎ澄ませば、微かな馬の蹄音と突風が吹く気配がした。直後、肌を切るような風が身を打ち、ディネウの目前で魔馬ヴァンがピタと急停止した。背には既に鞍が装着されている。


「何だ、お前。アイツに行って来いとでも言われたのか」


ヴァンはヒンと短く嘶き、ディネウに鼻息をかけた。それを返事と受け取って、ディネウは「そうか」と納得した。


いつまた救援要請があるかもしれないことを思うと、湖の対岸までは見廻れないと思っていたが、ヴァンの脚であれば戻るのも一瞬だ。

ヴァンの首筋をポンポンと叩き、ヒラリと跨る。


「じゃあ、ちょっくら散歩(ヽヽ)に付き合ってくれ」


手綱を握って、常歩の合図を出す。思い切り駆けたいヴァンは不服そうだったが、指示通りポクポクと歩く。

そのうちに空は明るくなり、薄日を受けて湖面がキラキラと輝きだした。



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