254 雨雲をつくるモノ
王都、聖都、港町、三方面に分かれる辻の脇でチカチカと光が閃く。反射する水溜まりもないのに、陽光の悪戯かと不思議に思う者も、巻き上がった土埃に刹那落ちた影を目に留める者もいない。
ピチュピチュと囀っていた小鳥が一斉に鳴き止み、飛び去った。
「静か、だな」
ディネウの低い声が静寂を破る。
視界を遮るものがない場所のため、不可視の術をかけてから転移したが、そこには人っ子ひとりいなかった。
「妙だ」
「朝の、この時間帯に荷馬車の一台すら通ってないなんて、珍しいね」
シルエは薄曇りの空をぐるりと見渡して、王都の方角で視線を止めた。その上空は黒雲が垂れ込め、外観は白く煙って見える。
「んー? あれ…って雨雲かなぁ?」
額に手で庇を作り、目を眇める。わざわざ邪なる気配を探知しなくても、肌にザワリとした嫌な気を感じる。距離があるので不確かだが、あれは港町や街道で人からこぼれ落ちていたものと同類。
「雨は降ってるな。あそこだけ。あれは…やっぱり、そう、なのか?」
ディネウは匂いを嗅ぐようにスンと鼻を鳴らし、くしゃみをした。
「そうだね。人為的な力が加えられた…ナニか、だろうね。何日くらい、降り続いているんだっけ?」
「さぁ…、そこまで詳しくは聞いてねぇな」
「…随分と、誇大化してる。ちっ。内に内にという結界の力がまぁだ残っているせいかなぁ」
感覚を研ぎ澄ますため、薄目になったシルエが疎ましげにブツブツと呟く。
「…。ノアラ、ちょっくら転移してくれ。あ、お前も一緒に来てくれ」
ディネウが親指で王都を指す。タンタンタン…と律動を刻んでいる足はその苛立ちを如実に表している。ディネウの本音は早く終わらせて湖畔の監視に戻りたい。
「あ、ちょっと待って」
シルエの制止にノアラは心得ていると頷く。
「アンデッド問題は今のところ落ち着いてるし、んー…、やっぱり精神干渉かな」
迷ったのは一寸。腰鞄から革袋を出し、口を開いて中身に魔力を流す。
「魔力量は…こんなもんかな? じゃあ、これ、お願い」
こくりと頷いてノアラが袋を受け取った。中身は二枚貝。見た限り、貝殻自体に陣を刻んだり、術を安定させるための鉱物を嵌めたりはしていない。
合わせて閉じられた貝の内側がシルエの魔力でポワリと光っているが、徐々に馴染んで収まる。
「なんだ? こりゃ? 練り香か?」
袋を覗き込んだディネウは鼻に皺を寄せた。サラドも軟膏の容器として二枚貝を使用するが、薬というよりも神殿で炊かれている香に近い匂いがする。
「魔道具…、魔薬といった方がいいかな? …の、試作品。今回は水に溶けて浸透する形にした使い切り。さぁて、うまくいくかな」
あくまで一時的に改善させる散布薬に過ぎない。
思いつきで、下地は朝の小時間で用意した。単純な作りにしたのは態とで、いずれは他者でも製作できる秘訣を確立させる目標があるためだ。
灯台の町で実験した水音に浄化の力をのせる(おまけに清めの術付き)という魔道具はノアラとの共作で、シルエの魔力を込める方法の模索と、とにかく魔人に対抗することに躍起になった結果、かなり奇貸となってしまった。ノアラが高めた魔道具技術の粋で、自然魔力が巡回する複雑な構造を持ち、一定条件下にあれば摩耗、破損しない限りは恒久的に稼働し続ける。
当然、ノアラにしか作れない。使われた素材の一部がノアラの魔力を凝縮したものという、これまた希少品。
耐久性の検証にもなるため、今は放置しているが、魔人の件が片付けば撤去する。
安全は知らず享受するのではなく、人の意識や働きがあるべきだというのがシルエの持論だ。誰か一人の存在が、または優れた道具がなくなったことで崩壊する安全など、危険としか言い様がない。
街道を行き来する傭兵に鈴を渡したのもその考えの基。一つの鈴に持たせられる力なんてとても小さい。数を用意するのだって手間だ。非効率に思えたとしても、警らと合わせることに意味がある。もしも今後、街道の安全強化をするとしても、鈴との連動や人の介入を要するのが望ましい。
シルエは心中でため息を吐いた。譲れない信念。だが、本当は将来を考慮するよりも、魔人が何をするかわからない今は最大限力を揮うべきだと反論する自分もいるのだ。
「問題ない」
ほんの少しぼんやりとしてしまったシルエは、まるで己の迷いに対するかのようなノアラのひと声にハッと我に返る。袋の全ての貝から光が消えたのを確認し終えたノアラが口の紐をキュッと縛ったところだった。
「満遍なくは難しいかもしれないが、雨水の流れに乗るように配置する」
「うん。お願い。ただ、王都には協力者がいないから、細かい観察ができないのが残念なんだよね」
「行って来る」
わかったようなわからないような顔をしていたディネウの手をノアラが掴むや否や、薄紫色の転移陣が縦に走る。
「いってらっしゃーい」
もう姿が見えない二人に向けて、シルエがヒラヒラと手を振った。
「あの、オレたちは? 裏手の林へ行ってみる?」
「ううん。二人に任せて待っていよう」
サラドと居残りとなったシルエは、先程の躊躇など忘れてニコニコしている。出発前に「サラドは王都に入らないでしょ? ま、サラドを王都に近付かせる気もないけど。で、サラドが行かないんなら、僕も行かないから」とディネウを睨んでおいた甲斐があった。
「せめてもう少し近くに」
サラドにも雨雲を作り上げているおおよその性質が感じ取れており、気が気でない様子。
「だーめ」
すげないシルエに「でも、」と言いかけてサラドは黙った。
杖を垂直に立て、握る左手に右手を添えた姿勢は集中している証拠だ。探索の術が波紋のように、かなりの範囲まで広がっていく。それを浄化の光が追いかける。
小声で「ありがとう」と言われ、シルエは顎を引く程度に頷いた。
サラドも耳を澄まし、心の中で精霊に呼びかける。
応えたのは僅か。気ままに移動する風の精霊たちがサラドと挨拶を交わしたあと、シルエの浄化の光にキャッキャとはしゃぐ。精霊がクルクルと戯れることで舞い散る光の中、ほわほわの猫っ毛も風になびいてシルエの姿がより神秘的に浮き上がった。
(みんなはどこへ行くところ?)
季節の風向きとは違い、ふらふらとしていた風の精霊たちに問えば、互いを見て戸惑っている。
――あっちもこっちもダメ
――気持ち悪い
――ここも、イヤ 早く行こう
サラドにも「ここから去ろう」と急かす。
(ごめんね。オレは仲間を待っているところだから、今は動けないんだ)
――そう
――しょうがないわ
――じゃあ、またね
風の精霊たちは素っ気なく聞こえる返事をした。
浄化の光を浴びたからか軽やかに、キラキラを取り零しながら高く高く飛び上がる。
小さな旋風は時にひとつになり、また分かれたりしつつ、王都でも、聖都でも、港町でもない方向に吹き抜けて行った。
(王都は雨だけど、別の所では雪が降らなくて困っていると聞いたけど…)
謎の土塊の散布による魔物の発生と土地の穢れ、加えてサラドが説得したこともあって、精霊の多くは逃げたが、その後も犠牲になっているのではないかと途端に不安になった。
助けを呼ぶ声は聞こえないけれど、王都の雨も水の精霊が関係しているのではないかと憂う。
やきもきしているとディネウとノアラが戻って来た。
「おかえり」
薄紫色の光に気付いたシルエが右手を杖から放し、目をぱちりと開く。
「どうだった?」
「なんか、じめっと…嫌な感じだな」
「住民に被害は?」
「不景気そうではあるな。細かい事を言えば幾らでもあるだろうが、たちの悪い病だとか、地盤の崩落だとかはなさそうだったが」
「雨の方は警戒するほどでもないってこと?」
「冠水や浸水した箇所は複数あるが、まあ想定内」
「王都も設計はノアラがしたんでしょ? 僕はノアラみたいに治水のことはよくわかんないけどさ。灯台の町とか港町を見る限り、手入れや清掃をちゃんとしていれば、問題ないはずだもんね?」
ノアラがこくりと頷く。嵐のような勢いはなく、排水能力を著しく越える量でもない。
「ってことは、大量の人死を出す災害じゃなくて、やはり、精神的な疲弊を狙っているのか…」
シルエは「ふむ」と考え込む。
「その雨に濡れることで心身に異常が現われたりとかは?」
「短期的にはなさそうだぞ。外で作業している者も愚痴は漏らしていたが。言動が荒い程度。概ね港町で見たのと変わらん」
「…じわじわと蝕んでるってこともあり得るか」
魔人は死霊術を得意としている。
過去の一件は王都民を眠ったまま衰弱死させ、丸ごと死霊化させる計画だったと、ひとり起きていた王女から聞いた。
今回もそれに近い状況を狙っていると懸念したが、どうもそうではないようだ。
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