252 ノアラの回想 避けられなかった戦闘
「まぁ? 魔人が古代でいう『魔力なし』だとしても、歳の取り方が僕らと同じとは限らないけどね。
ただ、ここ十年、目立った行動は起こしてないってことはさ、力の回復と怪我の療養に専念していた…ので違いないかも。冬眠みたいな? 方法とかでさ」
仮死状態で保つ技術があるのだから、体温と脈を下げて生命活動を抑える研究もしたに違いない。
体の代謝をないものとするまではいかなくとも、理論上、寿命を引き延ばすことは可能。
目覚めと休眠の期間を適期的に設けることで、本人の肉体的にもだが、家族の精神的負担も小さくて済む。
「どっかで眠っていたにしろ、潜伏していたにしろ、見た目は人と変わらねぇし、中年から初老の男なんて、いくらでも紛れられるか。隠れたければ、堕ちた都に戻れたなら、ある意味、安心だったんだろうがな」
ディネウがぼんやりと天井を仰いだ。
「そうだよね。棺が正常に機能するなら歳も取らなくて済むし。『心酔』してやまないコの隣にいられるし」
「心酔ねぇ…。魔術師ってのは、魔力がすげぇってだけで尊敬するもんなのか? 歳の離れたガキの言いなりって、まともな関係じゃねぇよな。子供がおかしなことをしてたら、そこは年の功で、ダメだって止めなきゃだろ?」
探るような目を向けられて、シルエは肩をすくめ、ノアラはゆっくりと首を傾げた。
ディネウはガシガシと頭を掻いて「俺はいくら強くても、暴力にしか使おうとしない者に弟子入りなんかしたくねぇけどな。何されるか、何をさせられるか、わかんねぇし」と呟く。
「んー…、生まれは同じくらいだったんじゃない? 年々、成長の差が開いていった。見た目に差はあっても、歳の差があるって感覚じゃないとか? 魔力が少なくて展望がない身をそのコが案じてくれてると感じて…、そこら辺が有力説な気がするけど」
「ああ…、そうか…。考えなかった」
数々の実験台になっても老いは止められず、友人とはどんどん差が開く。
ディネウはふと、水の精のようなエテールナを抱きとめた感触を思い出すように手を彷徨わせた。彼女の姿は出会った時のまま。だからといって想いに変わりはない。
「仮に魔人から話を聞けたとして。当事者は全く違う認識であることも往々にしてあるし。指示されるがまま実行するんだから、判断力は失っていただろうねぇ。…多分、今も」
ディネウが「きちんととどめを刺していれば」と悔やむ。
「でも、当時から死体の処理はしてたよね?」
シルエの疑問にノアラが頷く。その目が左右に揺れる。組んだ手にぎゅっと力が入った。
「埋葬した。覚えている」
ノアラは懺悔するように目を伏せて組んだ手に顔をのせた。
襲われたとはいえ、人を殺めた。忘れるに忘れられない。
それは、まだ、旅立ちから幾月も経っていない頃のこと――
◆ ◇ ◆
港町で魔物群の討伐隊に参加した後、四人は王都を目指した。
その名の通り、国王陛下がおわす政の中心都市。あらゆるものがそこに集う。結界に守られた安全な町というのも有名で、一度は訪れておきたいと思っていた。
「行っても無駄足になるぞ」
道を引き返して来る馬車にそう忠告された。
何でも、門が閉ざされて入れなかったのだという。大声で呼ぼうと、扉を叩こうと、返答がない、と。
ギリギリまで粘ったが、夜に道を駆ける、まして野営など避けたいがため、やむなく港町へ帰る決断をしたそうだ。
「まったく、護衛まで雇ったのに、商売上がったりだよ。これだから王都様は」と愚痴がこぼされる。
魔物被害が頻発する昨今、王都ではままあることらしい。
魔物の群による危機は去ったが、まだ報告が通っていないのか、安全の確認を待っているのか。
住人を守るためであれば、致し方がないとはいえ、請われて馳せ参じた商人としては納得がいかない。
諦めて、山林の町方面へ進むことにした者もいるとの話だった。
不穏な話に四人は先を急いだ。
そそり立つ牆壁に思わず「わー」と声が漏れた。堅固な門は、確かに閉じている。見張りや見回り兵の姿はない。中の様子はおろか、生活音なども全く聞こえてこない異常さ。
「裏門があるはずだ」というディネウに従い、壁沿いに歩く。
藪が増えて見通しが悪くなった頃、魔術による奇襲を受けた。
サラドとディネウは素早く反応して直撃を免れていた。痛みに耐えて見えぬ敵の気配を追う。対して、シルエとノアラが受けた痛手は大きい。
ノアラが知っているどの魔術にも属さない攻撃。魔力を引き抜こうと絡みつく感触は体を麻痺させ、堪らず膝を突く。シルエの悪態に近い祈りの文言は呻き声となり、途切れた。それでも、術に対する抵抗がほんの少し上昇している。
動けない所に次の術をくらったら…、恐怖に思考が鈍り、ノアラは痺れた手に力を入れて杖を強く握るしかなかった。
サラドであれば戦闘自体を回避できたかもしれない。しかし、ノアラとシルエの二人が無事に逃走できるだけの隙を作るのは難しかった。
サラドは囮となって、敵をディネウの前に出す方を選んだ。それを目線と動きで察したディネウが、剣を構えて二人を庇える位置につく。
やがて、もやもやした影が出現した。現れては消え、また現れる。うろうろと翻弄する動き。時折、片言で人の言葉を話す。「ヨコセ」「ウバウ」「スクナイ」等々。
今思えば、あれは古代語の発音のせいだったのか。
漸く、痺れが治まる。ほどなくしてシルエの防御が身を包んだ。詠唱を紡ぎ、サラドの示した方角に攻撃術を放つ。見越したかのように影は薄れ、すぐまた別の場所に現れる。その頃のノアラはまだ戦闘に不慣れで、術の発動も遅かった。手応えのなさに焦りばかりが募る。
しかし、サラドは着実に追い詰めており、機を逃さずディネウが斬りかかった。消える前の影に剣先が届いた。
呆気なく、断末魔を上げて影は失せ、人ひとり分ずれた場所でバタリと何かが倒れた。
魔術に似た攻撃をしてくる魔物か獣だと思っていたが、血を流して横たわるのは人。術者の正体を見たノアラは動転した。
斬ったディネウは多少顔を歪ませたが、平然としている。両親について転々としていた頃の記憶もしっかりあるディネウは人同士の荒事にも抵抗がない。むしろ弱さを見せることの危うさが身に染みている。
攻撃は止み、静かになったが、まだ藪の中にうろつく影が見える。残党が潜んでいないかディネウとシルエが見回りに向かった間に、穴を掘り、サラドが弔いの祈りを捧げた。
一歩間違えば、そこに寝そべるのはノアラの方だったかもしれない。
怖いのに目を逸らせず、サラドの背後からじっと見詰め続けた。
心拍が煩く、耳鳴りが酷くて、すぐ近くなのにサラドの声はどこか遠くから聞こえるように錯覚する。
足許がぐらついて、サラドの服を掴んで支えにした。
脂汗が引き、呼吸が落ち着くまで、サラドはそっとしておいてくれた。
うろついていた影はどれも残像のように消え、敵らしき者は他に見つからなかったとディネウとシルエから聞き、ノアラはほっとした。今すぐまた戦う自信がない。
元来小心者で、命の遣り取りをすることに覚悟ができていない面が露呈した。
奴隷だった時に染み付いた痛みや死に対する諦念が心のどこかにぼんやりとあり続けていたが、良くも悪くも、死ぬことに強い恐怖を覚えた一件でもある。
◇ ◆ ◇
多少の記憶違いはあるかもしれないが、事実に相違ない。
ノアラが人知れず葛藤しているのに対し、「その後に入った王都がオモシロイ事になっていたから、そっちの印象が強すぎたせいかなぁ。記憶にないや」とシルエはカラリとしたもの。
「じゃあ、なにか。俺たちが去った後で土中から脱したってことか? 想像すると怖えな」
藻掻き出た姿もだが、生き埋めにしたという事実が、とディネウは二の腕を摩って身震いした。
「そこんところは、魔術で何か対策したんでしょ。死んだふりでやり過ごそうとしたのに埋められるなんて、驚いただろうねー」
重い話と場の雰囲気をものともせず、シルエはカラカラと笑う。
背を向けて竈の火を見ているサラドがずっと沈痛な顔をしていることには気付いていない。