248 強悪囚人
円形の建物は分厚く頑丈そうな石造り。床一面に施された魔術陣、きらめく鉱物を内包した石柱が中央に立つ。そこから放射状に並ぶ、棺に似た八基の箱。
半数は崩壊した壁の下敷きになっており、残りのうち二基も一部破損し、中身は正体不明の塊に成り果てている。あとの二基は損壊が少なめ。
ひとつは発見時から空き箱で、魔人が入っていたと推測される。
そしてその隣の箱には、人と判る形を唯一保ってミイラ化した小さな子供が納められていたはず。
「あれー?」
その姿がない。
生きて、そこにいるはずもないが、ついぐるりと周囲を見渡す。
少し離れた場所に小さくて丸い木の実が転がっていた。重々しく、分厚く、暗い色の壁に囲まれた中で、その鮮やかな色に惹きつけられる。
サラドが花の代わりに手向けた実のついた小枝は、捨てられ、踏み潰した跡があったので、その際に零れ落ちたものだろう。
今、箱の上には花一輪なく、すべて地面に落ちて枯れ果てており、皮肉にも色彩を残しているのはその赤のみ。
「自分で言っといてなんだけど、出しちゃって大丈夫だったのかな?」
「‥‥」
他に際立った異変はなく、前回との違いもこの箱に関してだけと思われた。
蓋はきっちりと閉じられているが、動かす際に触れたであろう箇所の汚れが擦れて落ちている。
「ま、いいや。ディネウ、そっち持って。蓋、開けてみよう」
「あ? 大丈夫なのか? 開けた途端、ボンッとか、ないか? サラドを待った方が」
「んー。多分、平気。だよね? ノアラも点検したでしょ」
ノアラは少し逡巡したが、やがて頷いた。
シルエとディネウの二人がかりで、ズズズ…と、少しずつ蓋をずらす。
「重…」
シルエがそう漏らした時、突然、弾かれたようにディネウが蓋から手を放してサッと身構えた。
指を挟みそうになったシルエが批難がましい目を向ける。
「もう! なに?」
空気が揺らぐ。薬品か、瓦斯か、黴か、臭気が漏れ出た。
直後、ブォンッと耳鳴りのような音がし、警告を発するようにけたたましい音が響き、赤い光が点滅する。
床の魔術陣と箱の接地面や、石柱と繋ぐ管を注視していたノアラも反射的に体を起こして、拳を握り締め肘を引く。
「うっわ。うるさ」
シルエだけはどこか呑気な仕草で耳を塞いでいる。
他の事態が続いて起こる様子はない。
周囲の視認を終えたノアラは光と音の発生源に注意を移した。
「…ん? ねぇ、ディネウ、この蓋、立てる形で開けられる?」
「おう。やってみる。ちょっと待て」
警戒はしつつも、剣の柄に当てていた手をディネウは解いた。
「じゃあ、お願いね。ノアラも、見て」
こっちこっちと手招き、横に半歩ずれて場所を空ける。
ディネウが重厚な蓋を抱きかかえるようにして慎重に立てていく。斜めの状態からシルエとノアラはその内側に釘付けになった。
「やっば!」
「何だ? どうした?」
蓋を体全体で支えるディネウが首だけを出す。彼の目にも蓋の内側が何やら光っているのだけは見えた。
箱に使われた透明な石材を版面にして、淡く光る文字が浮かび上がっている。びっしりと文字で埋め尽くされた蓋の内側は、全体が光って見えた。
その内容は罪状。
禁忌の術の封印解除及び使用、その術の改造、精霊狩り、詐欺による第三者への術の使用、洗脳、教唆、殺人、死体遺棄、諸々。
文字は弱々しく二度ほど明滅し、消えかかった。警報音と赤い光も薄れゆく。僅かに残っていた動力が切れたらしい。程なくして、しん…と静まった。
「ああっ、まだ最後まで読めてないのにっ」
ノアラが紙を出して下端から上に向けてペンをシャカシャカと勢いよく動かしていく。
「僕は下から記憶した。上から順に覚えている内容を言ってくれ」
「さすが! 古語だから確かかはわかんないけど…。『この者を目覚めさせてはならぬ』と」
刮目せよとばかりに大きめの文字で、且つ光り方が違うその一行はノアラも目にしていた。こくりと頷き、先を促す。
「形式として、おそらく冒頭は名前だよね。えっと、綴字は――」
シルエが目を細め、こめかみをトントンと指先で軽く叩いた。そうしてつらつらと口から出る不穏な語の羅列にディネウは眉間の皺を深くしていく。
「…なぁ、この蓋は戻してもいいか?」
二人はそれぞれ口と手を止めることなく、箱の内部に視線を走らせる。底に残る窪みは、箱の大きさに対して明らかに小さい。敷かれた綿を染める茶色いシミは、そこに寝ていた体の組織に起こった変質の証。
ノアラはこくりと頷き、シルエは手首の曲げ伸ばしを数回繰り返して是認を返す。
ディネウは蓋を落とさないようにゆっくりと戻し、完全には閉ざさずに、少しだけずらして置いた。
「――持って生まれた魔力の増幅を可能にする技術の治験と詐称し、魔力変質の実験台にされた被害者は以下の…えーっと、ここの名前は多すぎて覚えきれなかった」
ノアラがこくりと頷く。彼もこの部分は名前以外の情報に注意して流したようだ。
「…その先は、もう記載した範囲。これで全部…か」
書き取った紙を渡され、シルエも記憶に抜けがないか文面を精査する。
(これだけ次から次に…。封印を解く魔力も、禁術を扱うだけの才能も、地頭の良さもあったんだろうな。それらの術を駆使するだけじゃ飽き足らず、強化を図って改造…か)
「なぁ、ここに入っていたのって子供だったよな? ミイラ化していたから多少縮んでいたにしても…。それにしたって、あんな子供が凶悪犯?」
ディネウが苦虫を噛み潰したような顔で、信じられないと緩く首を振る。
「んー、むしろ、子供だから興味本位で…、倫理感もないままに手を出した…とか? ただ被験者や贄の確保などは人を使って、だね。まぁ、体は子供だから、体力や膂力が必要な事柄は人に任せた、とも考えられるけど」
記載内容からすると、この子供が主犯で、計画全般の頭脳。共犯者、実行役の年齢は定かではないが、なぜ子供の指示に従ったのか疑問が浮かぶ。
(大人顔負けの才と魔力があったとして、都を統べる能力者の魔術師を前にしたら、かわいらしいもののはず。こうまで被害件数が上った理由は?)
子供の悪戯で済ませられるうちに対処しなかったのか。
隠す者や庇う者、大きな後ろ盾の存在があるのか。
違和感が拭えない。
だから勘繰ってしまう。
『死者の蘇生に挑み、神の怒りに触れた』という罪や、『世界間の秩序を乱し、混乱を招いた』という罪。
他にも内容をぼやかした箇所が散見される。
その研究、実験が生む成果に思惑があり、態と放置されたのでは、と。
(もしも、生まれ持った資質という格差を覆す方法を、死の理を超越する力を、世界間の渡りを自在にする構築を、このコが導き出していたとしたら…)
最終的に、彼らは罪人として処された。生きたまま棺に固く縛り付けられ、この施設ごと隔離されている。
その後、災害級の歪みを前に統治者は都を、この世界を捨てる決意をし、住民と共に世界を渡った。罪人はここに残して。
「…ま、この内容が事実か、冤罪かは確かめようがないけどね」
確認終了の合図かのように紙の端をペシリと打つ。
シルエは空き箱に目を移した。手を掛けたり、動かした様子は見られない。
「こっちも開けてみよう」
設置していた単純な罠を外し、ディネウに同じく持ち上げて立ててもらう。しかし、こちらはうんともすんとも言わなかった。
「発見した時、既に開いていたもんな。そん時は光っていたか?」
「蓋を閉じた時にちょっとだけ反応があったんだけどね。その時も文字は透けてなかったよ」
ノアラは中央の石柱を調べに戻り、箱と繋ぐ管を眺め、しばし思案に耽った。荷物をガサゴソあさり、応急で繕う。
「…シルエ、箱の中に魔力を流してみてくれるか?」
「ん? いいけど…」
底面に触れかけてシルエは手を引っ込めた。ミイラがあった方と違って、べちゃっとしたシミはないが、なんとなく忌避感がある。
「うーん…。ここに魔人がいたんだよね。なんか…ばっちいな」
ノアラにじっと見つめられ、「わかったよ。やるよ」と諦めて指先を着けた。
呼吸を整えて、体を巡る魔力に意識を集中する。この収監施設を制圧する魔術に乱されているため、簡単ではない。
トクントクンと自身の心音のみが聞こえるようになるまで、ノアラもディネウも沈黙して待ってくれている。
そうして暫くの後、石柱の鉱物と箱がぼやっと光り、シュンシュンと静かな音と微振動が起きた。
「わ!」
「!」
それもほんの数秒のこと。
パリッと破裂音がして、管の修理箇所を押さえていたノアラが手を退けた。被うように両手を重ねているので、そこそこの痛みがあったらしい。
冷気が白く烟って失せ、光も音も振動も止まる。
「やはり、駄目か…」
気落ちするノアラを見て、ディネウは蓋をそろそろと戻した。
「でも、罪状、読めたよ。えっと、ね――」
名前からはじまり、『所属』――『出生地』と名詞らしき語、『移転』と別の名詞、数点の資料項目が続く。
行を空けて、『共謀』と先程の子供の名前と思しき単語。
『哀れな被験者にして実行犯。最大の罪は『親友、恩人』と誤った認識に心酔し、過ちに目を瞑ったこと』
シルエが口を閉じてしばらく経っても、ノアラはペンを構えたまま、次の言葉を待っている。
「…終わりか?」
二人がじっと動かないので、思わずディネウが口を挟んだ。
「うん」
「それだけ?」