247 なんで黙ってるかな
カチリ、と金具が撥ねる音がした。取手を押すと抵抗なく扉が開く。ディネウは知らず止めていた息を吐いた。
一度、サラドが解錠をしており、自動的に罠が復活しないことは確認済みだが、この瞬間は緊張するもの。何事もなく開いた扉に安堵し、片足で閉じないように押さえる。
「ちょっと先に行くよー」
シルエとノアラはその横を通り抜けて、外に踏み出た。
「おい、これはどうすんだ?」
見えなくなった二人の姿を探すようにディネウは扉の外と足元を交互に見る。シルエの指示で伐採した太めの枝を引き摺っているために、すぐ追いかけることもできない。
「あー、ちょっとそのまま待ってて!」
下から声が上がってくる。
円形の建物を囲う堀に二人は迷わず下りていた。ノアラは時間が惜しいとでもいうように、ちょこまかと動いている。
ドスンと枝を置いた後方で扉がパタリと閉じた。これで、もう都側には戻れないのだから不思議なものだ。
ディネウは枝に腰掛け、手持ち無沙汰に周囲に生えている枯れ草をブチリと抜いた。カラカラに乾いた実を指先で潰す。ザラザラとした黒い小さな粒状の種がポロポロとこぼれる。綿毛のついた種子を持つ草を手で払えば、ふわふわと飛んで堀に落ちていく。
「ディネウ、その枝を渡してみて!」
水の涸れた堀の底面や建物寄りの土壁を調べながら一周回って来たシルエが叫ぶ。
ディネウは慎重に枝を押し出した。枝の先が掘の半分を過ぎた辺りでやけに重く感じ、もう少しで向こう側に到達するという時に、下から突き上げるような力を受けた。
「うおっ、何だ?」
枝の先端は弧を描いてゴロリと転がり、こちら側へと返される。なんとか支えようと力を込めれば、手元で枝が折れ曲がった。
「ふーん、こっちもダメ…と。しょうがない。ディネウも来て」
衝撃で痺れる手を振っているディネウに、堀の底からシルエがこいこいと手招きをする。飛び下りると乾いた土がパラパラと落ちて来た。
「んじゃ、ディネウ、僕のこと押し上げて。ノアラも、もう行くよー」
ノアラはこくりと頷くと、様々な機材を片付ける。急いで堀の壁と底、それぞれの土を少量採取した。
「よっ、と」
前と同じように、指を組んだ手に足を掛けて上へ放り投げてもらう。ディネウはどっしりと安定感があり、力もあるので危なげなく二人は建物がある側へ上がれた。
けれど、飛ぶ側と息の合わせ方がサラドの方が絶妙で、軽い力で済むな、とシルエはしみじみと感じ入る。
ノアラも着地してから次の行動に移るのに、ひと呼吸の間があった。
崩壊した壁に引っ掛けた鉤縄が外れないか、ノアラは念入りに確認している。縄の先をディネウに投げようとしたところをシルエが止めた。
「?」
「多分、そろそろ…」
縄を受け取ろうと手を上に向けているディネウの様子にシルエは目を凝らす。
「おい、どうしたんだ? …ん?」
土がサラサラと細かな粒子となり、足が沈み行く。
「なんだ、こりゃ?」
ピョンと跳ねて逃れて、振り返って見ると、何事もなかったかのように砂の動きはない。
「あー、なるほど。やっぱり長居はさせない…と」
「やっぱりって何だよ! 早く縄をよこせ!」
ディネウの重みにギシギシと縄が悲鳴を上げる。土壁に足を当てようとしても、表面が脆く滑るので力が入り難く、殆ど腕の力だけで登る。
あとひと息、というところで壁に引っ掛けていた鉤爪がポロリと外れた。同時に土壁と接触していた縄がボソボソに解れていく。
「ッ!」
「うわっ!」
咄嗟にディネウの手を掴んだシルエは、もろとも落ちそうになるのを必死に踏ん張る。
「お、重…、ぐえっ」
ノアラがシルエの外套を掴んだのと、縄を放したディネウの片手がなんとか頂上に届いたので難は免れた。
「おっも。ディネウってば重すぎ。無駄に筋肉つけすぎなんじゃないの」
「お前が足りねぇんだろ。まだガリガリだし。筋力つけろ」
シルエが「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「ノアラも服を引っ張るとか止めて。せめて体を支えてよー。首、締まるかと思った」
「すまない」
ノアラは素直に謝った。鉤縄を回収し、不自然に欠けた爪と千切れかけた縄部分を見易いようにシルエの脇に置くと、堀の縁を調べに歩き出す。
「で、さっきのは何なんだ、一体?」
「んー。ここさ、魔術だけじゃなくて、物理的にも干渉できないように対策されてるっぽいから。それを確かめてた」
鉄製の鉤爪を手に取って、くるくると回して観察し、シルエは「これは、また何とも」と苦笑した。
「それならそうと、言っといてくれ」
「だって、先入観があると構えちゃうでしょ?」
シルエは悪気なくケラケラと笑う。
「サラドと来た初回はわりと簡単に越えちゃったじゃない? ま、土壁に触れずとも、僕らの身体能力だけで行けたワケで。底にいた時間なんて少しだった。だから気付かなかったんだけど。前にノアラと二人で来た時は、ちょーっとだけ手こずっちゃって」
組立て式の台、つるはし、楔などの準備もしたし、楽勝のはずだった。しかし、いざ上に手が届くか、という段で急に土が砂状になり、道具は役に立たず、足場もぐらつく。
「僕らは魔力だけが頼りの運動音痴じゃないからね。それくらいじゃ、落ちなかったけど。今回のコレは、のんびりし過ぎたせいか。もしくはディネウが重いか」
「おい」
この場所で術の発動が阻害されたり、魔力の循環が乱されたりするのは元から感じていたが、それだけじゃないと踏んだ。だが、二人は魔力の影響を受けているために感覚が掴みにくい。それでディネであればどうなのか、確認をしたのだと説明する。
「で、どんな感じだった? 橋になるものを渡そうとした時と、足元の感触と。詳しく」
ぐしゃりと髪を掻き上げ、嫌そうに顔を顰めつつ、ディネウは律儀に質問に答えた。
「ふんふん。すぐに排除せず、あともうちょっとって所で落とす…のは共通だね。絶望的に手も足も出ない訳じゃなく、足掻いたところで希望を断つ。立ち止まれば、土中に呑み込む。ははっ、良くできてるね」
シルエが乾いた笑い声を上げた。
「幅と深さもギリギリを計算してあるし。ここの設計した人、弄ぶのが上手い。ホントいい性格してる」
「ここまでしておいて、絶対に通さないワケでもねぇんだな」
「だって、ここの管理人は通らなきゃでしょ。向こう側からだけ渡せる橋とか術が用意されていたのかもだけどね。何かあった場合に備えて、登録された人員の他にも対策を知っている人は必要だし。方法はいくつかあるはず」
軽く一周して戻って来たノアラがシルエと目を合わせ、首を横に振った。
「ま、そう簡単に見つかるワケないよねー。堀の土か、その地下か、はたまた建物か、ここ全体か。どこにどんな術が刻まれているんだか」
ノアラが悔しそうに頷く。
「それにしても、水が涸れちゃっているのは残念だな。何らかの魔術的な水だった可能性が高いから、それも見てみたかったよ」
「底で水を垂らしてみたが、特に反応はなかった」
「元から空掘ってことはないのか。なんつうか…水が張られていた気がしねぇんだよな」
「それって、ディネウの勘?」
「まあ、確かに感覚的なもんかもしれねぇが…」
ポリポリと二の腕を掻いて、ディネウはしばし考え込む。
「…長年晒されて土が劣化しただけじゃなくて、崩れやすさも、蟻地獄みてぇなさっきのアレも、罠っつうか、魔術に因るってことなんだろ?」
ディネウに問われて、ノアラが首肯する。
「脱獄を防ぐためなら、空堀で…その土の術で十分事足りてる。まあ…、水が張ってあれば、あの方法では越えられねぇから、断言はできねぇけど。
どっちかってぇと、雨が降っても水が溜まらない気がするんだよな。堀の中は草一本生えてねぇ。種は飛んで来てるはずなのに、育むことがない。
それって…なんだ、その…。例の、魔力を集めるだとか、生命力を奪うだとか言っていたのと関係あるんだろ?」
「え?」
「は?」
二人の反応に、ディネウは俄かに焦る。
「あ? 違うのか? 堕ちた都の周囲…牆壁の跡だっつう所も、草が少ないだろ?」
「え、何? ちょっと、もう少し詳しく」
「あっ…と。何だ、その――」
ノアラの手伝いでディネウもそれなりの数、遺跡を見てきている。
乾いた砂に埋もれていた例もあるが、多くは草木に覆われていた。石垣の僅かな隙間で草が芽吹き、蔦が伸び絡み、木の根に岩が持ち上げられ、形を保っていないことが殆ど。
ひと目では遺跡とわからない荒廃ぶり。
ディネウが気になったのは、ここに生えているのが一年草ばかりだという点。
どこででも良く見かける種類で、根を深く張らなくても伸び、乾燥にも強く、繁殖力がある。例えば、岩の上に風で運ばれた土が堆積したような場所でも成長する。
だが、丈も茎の太さも他で見かけるのよりもひょろりと弱い。都の牆壁付近でも、木は若木までも成長せず枯れてしまっていた。
この辺りは降雨量が足りない訳でもなく、地下水だって豊富。草木は充分に育つはずだ。都が打ち棄てられてからの年月を考えれば、無秩序になっていて然るべき。なのに都の内部も大樹に成長している木は少ない。どこか行儀が良く、まるで手入れをされなくなった庭のような印象を受ける。
建物の残骸や土台だってそのままで、経っていても数十年にしか見えない、とその考察を語った。
「それに小動物はまあまあいるみてぇだが、捕食側…人の暮らしにも脅威となるデカイ獣の気配が感じられねぇんだよな。もしかしたらねぐらにいるのかもしれねぇけど」
「ええー。気付いたことがあるなら早く言ってよ。調べている間、腕組んで仁王立ちしてただけじゃん。なんで黙ってるかな」
「‥‥」
「いや…、お前らにしてみりゃ当然のことなのかと。それにスゲェ魔術師が治めていたなら、アリなのかって。だって、やたら状態の良い遺跡もあるだろ? ノアラの屋敷とか」
言い訳がましい口調で捲し立てた後、ディネウはふと「なんで責められてるんだ?」と疑問になった。
ノアラが再び堀の縁に近付き、手の平を地表にペタリと着けた。じっと呼吸を整え、感覚を研ぎ澄ます。
「僅かだが、魔力が抜かれ…る?」
「ええっ」
同じようにしてみてシルエは「ううーん」と唸った。手をパンパンと叩いて土を払うのと一緒に、ちょっとした不快感を払拭する。
「…とりあえず、建物内も調べよっか」