246 堕ちた都の調査
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堕ちた都を再訪中のシルエとノアラは都の内側から防御壁ないし結界の調査をしている。一度、難解な罠、もとい厳重な入門審査を通過したとはいえ、外側から術に触れようとすれば排除の対象になる危険があるからだ。
シルエが施されている術を、ノアラは礎となる魔石や魔術陣、紋の跡がないかを探っている。
壁の残骸や礎の周辺でぐるぐるしている二人を、ディネウは外側の定位置から見守っていた。人を寄せ付けない遺跡とはいえ警戒は怠らない。また、内側からでは見落とすかもしれない反応がないかを点検する係でもある。一箇所に留まっているのは不用意に罠を発動させないようにだ。
湯源の近辺で見付かった石材に続き、連日で古代遺物の調査。しかも、大遺跡。出発時、尻込みしたディネウはつい「俺ァ、役立たねぇかもよ」と予防線を張った。それに対して、シルエが素っ気なく「ああ、安心して。そっちは期待してないから」とパタパタと手を振って見せた。サラドは、ましてノアラはしない返し。ムカッとするものの、懐かしく、少し愉快でもある。
「万が一、罠があったり、何かの封印が解けちゃったりしたら、盾になってもらうつもりだから。大丈夫、ディネウはちゃんと役立つよ」
「あ?」
ニヤリとしたシルエの笑顔は苛立たしいが、警備兵のような役割なら文句もない。ディネウにはノアラが望む基準での手伝いは難しく、免除されるなら甘んじて受け入れる。
「うーん。これ、何層あるんだろ。しかもひとつひとつがぶ厚いったら。こっち側からだと限界があるなぁ…。そっちはどう?」
シルエの呼び掛けに、地表の土を刷毛で払っていたノアラが首をもたげて横に振って見せた。
「そっか。ノアラでも何も見つけられないんじゃ、本腰を入れないとどうにもならないね。こりゃ、分析に何年もかかる代物だよ」
シルエが「はあぁ~」と息を吐き、お手上げだという仕草をして、どっかと腰掛けた。
「さっすがは遥か高みにいた古代魔術師の術式。これっぽっちも覗かせる隙がないんだもん」
聖都の結界を解析し、尚且つ手を加えることに成功した経験をもってしても、全く歯が立たない。
聖都には『祈りの文言』という手懸かりがあった。防御壁の維持を担っていたのも、奇蹟の使い手である神官の祈り。不自然のない形式で伝えられていたのは上手い方法だと感心したものだった。
示唆があっても分解、解読は一朝一夕で成せるものではない。聖都からの脱出が目標にあったからこそ、隷属下という不利な状態でも踏ん張ることができた。
まだ、開始して数刻とはいえ、堕ちた都は取っ掛かりさえ見つけられず、格段に複雑だという事実ばかりが浮き彫りになる。
ノアラは集中を欠くことなく、這うように少しずつ体を移動させては地道な作業を繰り返している。
「あーあ、サラドは今頃、どこにいるのかなぁ。書き置き、まだ見てないのかなぁ」
昨晩、サラドは帰らなかった。そのこともあって、シルエはやややる気を失っている。
「サラドが何日も留守にするなんて普通だろ。というより、ここ数年はノアラや俺ん所に時々顔出すといった感じだったぜ。俺とは主に仕事関連だの、情報共有だの、でな。こんなにベッタリ一緒にいるのは久方ぶりだぞ?」
「えー、そうなの? サラドは自分で『ノアラの居候』だって言っていたからさ。なんだかんだで、生活の面倒を見ているのかと思ってた」
「ノアラはな、ろくに食いもせずに研究に没頭するから。会うとげっそり痩せていたりで、まぁ、ほっとけねぇんだろ」
ノアラが決まり悪そうに肩を揺らす。
「サラドの部屋はある。調薬室も、薬草園も。居候ではない。それに…僕も、鳥に餌を与えているし、畑も…見てるし」
「鳥って。あの山鳥、ほぼ放し飼いじゃん。小屋を自由に出入りしてるし、勝手に何か啄んでるし。それに飼料置き場だって、いつの間にか補充されているんでしょ? 食料庫もさ」
ノアラが「うっ」と言葉を詰まらせた。日課は無意識で熟しているが、一日という単位を無視することがあるのは否めない。研究室を兼ねた自室や地下の演習室に籠もると何時間、何日が経過しているかは忘れがちだ。食糧などの在庫に無頓着といわれればその通りで、補充した記憶が殆ど無く、たとえ不足しても転移術が使えるノアラはさほど困らない。
「いっつも好みの保存食を揃えてもらえてるなんて、この贅沢者め」
「コラ、ノアラに当たるな。保存食なんて、干し肉だの、乾物だの、兵糧団子だのが主だろ」
ノアラが慌てて首肯する。これほど種類や彩りが豊かになったのは最近のことだ、と。
「ノアラ、前にさ、干した茸をそのまま齧って具合悪くなったこともあったよな? あれ、なんか違うことに使うやつだろ?」
「食べられないことは、ない」
ノアラの眉間の皺がきゅっと深まった。干し果物を食べ尽くしたので口にしたが、不味かったらしい。ディネウがカラカラと笑う。
「村を出てからは料理なんて時間も余裕もなくて、食いもんもなくて、その辺の草を食ったり、獲った肉を焼いただけとかが多かったもんな。そういうのに慣れてるから何だって食えるし。お前だって、人のこと言えねぇだろ。食えなきゃ、食わないでも平気、違うか?」
失敗談も、その後どんな会話をしたのかを想像すると羨ましいだけだが、シルエは口を尖らせただけで、これ以上の反論は止めておいた。
確かに、シルエは長らく、体を維持できる最低限の摂取で済ませていた。それで構わないと感じるようになってしまった、というべきか。
兄と再会後に食事の喜びを、その時間が幸福だと再認識した。同時に、兄と関わらない食事ならば、わりとどうでも良いことも。
今日は数ある保存食を各自が適当に持って来ている。だが、ノアラもシルエも手をつける様子はなく、水も飲んでいない。
因みに、何が起きるかわからないので留守番となったテオにも選ばせた。彼は散々迷い、前に食べて美味しかった食品にした。数食分入っている瓶だが、封を開けることが許されて、ちょっと嬉しそうだった。
「まあ、美味いに越したことはねぇけどな」とディネウは締めくくった。
頬杖をついて「はぁ~あ」とため息を吐いたシルエは、調査を再開することなく遠くを眺めた。高台にある巨大建造物に嫌でも目が止まる。
「王都の水鉢に相当するものって堕ちた都にもあるのかな。あるとしたら、統治者の住居、城か…、もしくはあの神殿の集合体みたいな所? だとしたら、崇める対象から奪った力をそこに集めているとか笑える」
くくっと笑ってシルエは更に視線を動かす。牆壁外に付け足された建物がある北側の奥へと。
「…ねぇ、魔人はさ、あの残された子供のミイラを大事に想っているのは確かだよね。もう、いっそ、彼? 彼女? を出してみちゃわない? そうすれば――」
「あれ、本当に死んでいるって確証あるのか? 蓋を開けたら生気が蘇るとか、絶対にないっていえねぇだろ。下手なことして、魔人の本体ともども逃げられ、さらに形振り構わない術でも使われたら、目も当てられねぇぞ」
「あの設備が壊れているとしても、迂闊すぎる。それに眠っている者を無理に起こすのは良くない」
シルエが全てを言い切らないうちに、ディネウとノアラの両者から不同意の言葉が発せられる。
「ちぇ、ダメか。二人とも慎重だもんなぁ。あの子の体がなくなっていたら、追って来ると思うんだけど。それくらいに強硬手段に出ないと、このままイタチごっこの気がするのに」
「死者を囮に使うなど、サラドが許さない…と、思う」
「そうだぞ。んなことしてみろ、嫌われるぞ。だいたいサラドが一緒だったら、そんなこと言い出さねぇくせに」
「ちょとは怒るかもしれないけど、サラドが僕を嫌うことなんかありませーん」
「だから、その自信はなんなんだ…ったく」
呆れるディネウにシルエは「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「ま、それはやり過ぎだとして。魔人がいたと仮定した空の棺に張った罠が起動した様子はないけど、もう一回あそこを観に行きたい。怨嗟の振動も、その後、この辺りで感知してないんだよね?」
ノアラがこくりと頷く。
「だが、打ち消されている可能性はある。相手は古代の知識持ちだ」
「だよね。それを確認しときたい」
「じゃあ、行ってみるか」
いい加減、足も痺れてきていたディネウがぐぐっと伸びをする。目前の石を跨いでしまえば、二人の居る場所はすぐだが、ぐるりと牆壁跡と思しき縁を歩く。小石が多く草は伸びていないため、誤って逸れて隠された罠を踏む心配は少ない。アーチ状通路の一部が残っている箇所に到達すると、手順通りに抜けて二人の元に行く。
ディネウが近付くのを刻限として、ノアラも立ち上がって外套についた土を払った。まだ調査に未練がありそうだが、収監施設も気になるらしい。
「一度、都を出る扱いになるのは面倒だよな。やり残したことはないか?」
北の端、『権限』を持つ者でなければ、出ると戻れない制限付きの扉跡を前にして、ディネウが二人を振り返る。この向こうは、都の結界から隔離された『牢獄』。
「いいよー。やり残しというか、今すぐできることが少ないからね」
シルエが「ね?」とノアラに問えば、彼もこくりと頷いた。ノアラは「次はもっと入念な準備をして臨む」と静かに意気込んでいる。一体いくつ研究対象を抱え込めば気が済むのかと思うも、指摘するのも野暮というもの。