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245 道連れ

 ニナとショノアが戻る少し前に、王子一行の到着の連絡を受け取っていた。今夜は近隣で宿泊し、早朝に此方に向けて発つという。

王子の身の安全を考慮して、祈りの奉納は日の高い時間内で。水の神の機嫌を損ねないように湖の滞在時間は短く。夕刻には宿のある町に戻る予定。


間に合った事にショノアは安堵した。王子を待たせた状態で、今日の作業をするなど想像しただけで胃が痛い。


「はぁー、我々は今夜も野宿ですね」


 ずっと待ちぼうけだったマルスェイが誰よりも疲れたとでも言うように長い息を吐き出した。

マルスェイには、どんどん魔力の扱いに長けていくセアラを見ているしかない時間は酷だっただろう。

少しでもニナとショノアの負担を減らそうと必死だったセアラは、マルスェイの表情にも心情にも気を配る余裕はなかった。


「それで、ですね。儀式の進行はセアラにお任せするそうですよ。殿下はその立合いというか、セアラの後方にて目礼するので『よしなに』だそうです。もとは殿下の参拝に即して祈祷を依頼された形だったはずですが…ねぇ」


「おかしいですね?」とマルスェイが肩を竦める。セアラはその重圧を思い出したのか、きゅっと下唇を噛んだ。


「それならば、こちらである程度の流れを作っておいた方がいいのか? 始まりと終わりがはっきりしていないと締まらないだろうし、セアラもやりにくいだろう?」

「祈祷の前後に『水』の神への挨拶はしていただくようにお伝えしました。側近や文官たちが雁首揃えて、口上の準備もしていないなんて、まさか、考えられません。彼らの頑張りと殿下の見せ場を奪うだなんて、許されませんからね」


意地の悪い笑顔を浮かべたマルスェイは、鋭利な印象も相まって迫力がある。セアラの顔色が若干悪く見えるのは、その時の遣り取りを思い出したからか。


「あの…すみませんが…明日の祈祷のために潔斎をしたいのですが、今晩はこれで失礼しても?」


セアラが遠慮がちに切り出すと、ショノアとマルスェイの返答が重なった。


「無論だ。夜警もこちらに任せて、ゆっくり休んでくれ」

「こちらに着くのは昼寄りの朝じゃないですかね。出迎えまでにも時間はあると思いますよ」


 セアラは眉を八の字にして微笑みだけで返事とした。ぺこりと頭を下げて、立ち上がった時には、既に隣にいたはずのニナが居ない。

ニナは盥の準備をし、水を運び、危険があればすぐに向かえるくらいの距離に布を張って目隠しを作っている。

あまりにテキパキとしていて、ショノアとマルスェイは何ひとつ手伝えない状態。まごついた視線を向けると、当然のように見張りとして立つニナが首を横に振った。


「ニナ、ありがとう」


沐浴に臨むセアラがお礼を言って布の内側に身を滑り込ませる。

布一枚を隔てた向こうから聞こえる水音と人が動く気配に、ショノアとマルスェイは背を向けて座り直した。


「寒空の下で禊とは。想像しただけで震えてくる」


マルスェイの独言に、ショノアは赤い頬を隠すように顔を俯かせて「ああ」と曖昧に同意を示す。意識してしまえば余計に気不味いのに、とマルスェイは苦笑した。


態とらしく「よいせっと」と気の抜ける掛け声でマルスェイは立ち上がった。火熾し鍋で焼いた炭を馬車内の火鉢に運ぶ。防寒対策として、馬車の内側には目のしっかり詰まった毛織物を貼った。馬車の外観に似合わず、女性も好みそうな上品な柄の織物は、ちょっとだけ贅沢な品であった。それでも隙間風の全ては防ぎきれず、火鉢を置いても寒さが身に沁みる。沐浴後など尚更だろう。


炭の赤く色付いた面を合わせて「早く暖まれ」と願を掛ける。火箸で擦れて散った赤はすぐに色を失った。灰の中で照る火の色に和んだのか、マルスェイは鼻歌交じりに寝袋用に温石を焼く。


「何の歌だ? 聞いたことがあるような、ないような」

「え? ああ、すみません。無意識でした。『水の神に捧げる祈り』ですね」


マルスェイは声に出してショノアに聞かせた。


「馬車の中でセアラが繰り返していた『あれ』か」


そう言われてみれば、と思いつつショノアは首を傾げる。

セアラはとにかく淡々と音を紡いでいたのに対し、マルスェイは旋律というには単調だが、節をつけている。その調子は小川のせせらぎに似ているな、とぼんやり思った。


「隣で聞いていたら覚えてしまいましてね。湖に着いたら、私も祈らせていただければ…。あっ、もちろん、セアラの邪魔はしませんよ? こっそり、心の中で、にしますから」


ショノアは「そうしてくれ」と頷いた。魔術のことはわからないが、マルスェイが『水』に許されることをショノアも願って止まない。


 セアラは王都を発つ日から、潔斎として口にするものにも気をつけていた。今夜からは食事そのものを抜くと聞き、潔白さに感心する反面、体力が持つのか心配にもなる。

なんとなく気が引けて、ショノアたちも簡単に携行食で済ませた。それを知ったらセアラがより気を遣うだろうけれども。


「さて、明日は何事もなく済みますかね」

「やめろ。不吉な言い方をするな」


マルスェイの言い草に、ショノアは本気で嫌そうに顔を歪めた。



 野営が続くと、どうしても充分な睡眠がとれず、疲労は蓄積されていくものだ。


己に課した早朝鍛錬を怠らないよう、ショノアは冷えた空気を吸って気合を入れた。朝のお勤めをするセアラを視界の端に、黙々と剣を振る。足がやけに重く感じて、全力疾走は思うような瞬発力が出せない。


 ショノアは昨晩の夜番を免除されている。ニナが前半の警備をすると申し出てのことだ。ショノアと同じくらい、いや、それ以上に歩き回ったはずのニナの負担が大き過ぎると断ったが、結局、押し切られた。その代わり、道の先導以外に王子一行への対応は一切しないからと。


それを受けてマルスェイも「待っていただけの身なので、後半の担当は私が妥当でしょうね」という流れになった。そして夜明けを迎えたマルスェイは「どうせ殿下方一行が到着するまでまだ時間がありますから」と、再び寝袋に包まっている。


馬がいないところを見ると、ニナが水飲みに連れて行っているのだろう。眠っているのかどうか不明な程、ニナの朝も早い。宿では同室に泊まることにしているセアラに聞いてみたことがあるが、彼女も「私も心配なんです」と曖昧に首を傾げていた。


 朝の祈りを終えたセアラは馬を牽いて戻って来たニナと林に消えて行った。ショノアは呼び止めようか迷ったが、セアラがこちらを振り返って「心配ない」というように軽く頭を下げたので、鍛錬項目を続けた。


 セアラは林中の泉に案内してもらい、沐浴をしたらしい。絶えず新しい水が湧く泉は『生まれ変わる』という意味を持ち、身を清めるのに適している。セアラはほっとしたような、自信をつけたような潔い顔をしていた。

どこまでも真面目で清廉なセアラに脱帽する思いと、申し訳無さをショノアは感じている。

どうか、今日の祈祷が納得のいくものになるようにと願う。


 セアラは「ニナは道の確認に行ったんですって」とショノアにばらした。

馬の傍にいるニナは作業の手を一瞬止め、睨むような目を向ける。可愛らしく肩を丸めて「ごめんね」と謝るセアラは声に出さずに口の動きだけで「でも」と伝えた。ニナはプイッと顔を背けて馬と向き合う。セアラの一方通行にも見えるが、少なくとも二人の仲は悪くない。


『某かの力が介在して、道が変わっているかもしれない』ことを危惧してのことだと。確実に湖畔に通じること、道程が変わり、距離が延びていないか体感で確かめるために石を辿ったのだと。

「協力を求めてくれれば良かったのに」とセアラは残念そうに話す。


確かに、昨日は行けたからといって今日も着けるとは限らない。散々に迷い、方向感覚の狂いだけとは思えない現象を体感したにも関わらず、ショノアはそんな考えに及ばなかった。

ショノアはニナの洞察力に重ねて感謝した。その声が聞こえていないはずはないのに、ニナは無言無表情でいる。セアラはニナの働きが正しく評価されて嬉しそうだった。



 マルスェイの予想通り、王子一行が到着したのは朝というよりも昼に近い時間だった。複数の馬車と騎馬の護衛がつくる隊列が近付くのを見て、自然と眉間に力が入る。ショノアとマルスェイは思わず顔を見合わせた。ニナが「ちっ」と小さく舌打ちし、セアラは胸の前で手を組む。


「おお? 雨が止んだか?」


馬車から降りた第一王子は空を見上げ、泥濘みでない足元に機嫌の良い声を出した。


「王都の外もずっと雨だったからな。参拝前だが、心が通じ、招かれているようで喜ばしい」


ショノアは「こちらの旅路はほぼ晴天でしたが」という言葉を呑み込んだ。

王子一行の背後には、黒々しい雨雲が渦を巻いているのが見える。心なしか空気が重くなって息苦しい。禍々しいそれを連れて来たようだとはとても言えない。



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