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242 導く灯火

◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 王都に渦巻く異様な気配に怯え、厩舎に逃げ込んだはずのニナは、気付けば暗闇の中にいた。


いつの間にか寝落ちして、真夜中に覚醒したというわけではない。藻掻くように手を動かしても何にも触れない。五感を研ぎ澄ませば、乾いた藁の匂いに、馬の息遣いが微かにする。

ここは、前にも逃げ込んだ(ヽヽヽヽヽ)空間だ。


 それに気付いた時は、優しく、柔らかに包んでくれる闇に安堵すら覚えていた。

しかし、移住地奥の林中にある洞窟内で休んでいた時と同様に、影が忍び寄り、気を緩められなくなった。


出口を探して逃げるよりも、身を縮めてやり過ごすことを選んだのは、ここにいる方がまだ安全だと直感したからだ。

ただ、その選択が正しいと判断する材料は何もない。


以降、影が吐く呪わしい言葉や、何かを求めて伸ばされた手の気配が掠めることが幾度となくあり、常に気を張り詰めている。

影に集中しているせいか、匂いや温度など『外』の情報が一切なくなり、ニナは世界から孤立したと感じざるを得なくなった。


(大丈夫、大丈夫だ。標的が現われるまで、ただ只管に、明かりもない場所で潜伏するのは得意だろう? 大丈夫、上手く隠れられている)


ニナは膝を抱えてじっと息を殺し、己に言い聞かせた。

何時までこうしていればいいのかわからない状況に、ともすると挫けそうになる。


何度目かの「大丈夫」を心中で繰り返した時、ザワザワと体を這い登る怖気でまたも影の接近を感知した。


「ソウダ。憎メ。呪エ。モット、モットダ。マダ足リナイ」


苛立った声はだんだんと大きく、悲鳴のような高音になり、ニナの横を通り過ぎると途端に低く小さくなった。

残響が消え去ってから、ニナは極力抑えていた息を静かに吐いた。


(大丈夫。影は闇に紛れるけれど、完全には融合しない。闇は…わたしの友だちで…守ってくれている…から…)


 それが見えたのは突然だった。赤い光が目を刺激し、たまらず細める。ちょっと嗄れた低音の、落ち着かせるような穏やかな声が「ニナ」と呼んだ。


「遅くなってごめん。良く耐えたね」


 ニナはそろそろと顔を上げた。

白い髪に夕焼けのような色の目。腰に提げたランタンで揺れる炎。その赤い光が照らしているのとは違い、全身が極々淡く発光しているかのように浮かぶ。まるで視力ではない力で捉えているかのようだ。


「あんた…、何で」

「呼んでくれただろう?」

「呼んでなんか…ない」


『助けて』と口にしかけたことを思い出し、ニナは恥ずかしさにプイッと顔を背けた。視界の隅に感じる小さな炎の明かりと光に因らずに見える人影。あとは真っ暗闇。

影の気配以外、感じ取ることがなくなっていたのに、微風が髪を揺らした。ふわりふわりと頭を撫でているかのように。


「ニナは努力家だな。こんなに闇と仲良しになれている」


サラドがへにゃとした笑顔で周囲をぐるりと見渡した。


「何としてでも『見つからない』って意志が強くて、闇も絶対に隠し通すって頑張ってるから、正直、見つけるのに苦労したよ」


ほっと息を漏らし「無事で良かった」と微笑むサラドを目にして、緊張の糸がフツと切れる。


「…アンタが? 苦労しただって?」

「うん。でもニナが闇を信頼している意思を示したから、精霊も協力してくれた」

「わた…し…、上手く、できた、のか? 何度も、影が…」

「大丈夫。一度もニナに接触できなかっただろう? とても、上手だよ」


『良くできました』と労うようにサラドがニナの肩を優しくポンポンと叩く。体の距離が近付いて、土埃と薬品のような微かな匂いが鼻をくすぐった。

それを皮切りに、再び藁の匂いや馬の体温や揺れる尾を感じ取れるようになった。薄い膜の向こう側に、生きるべき世界がある。


「わたし、どうしたら…。暗い場所に行けば、影に遭遇しそうになる」

「ずっと気が抜けなかったから、疲れているだろう? 今は少し休んだ方がいい」


サラドはマントの前を合わせ、ランタンの光を遮った。その場で胡座をかいて、ニナに頭を預けるように促す。


「やめろ。眠らないのなんか、慣れてる。こんな時に…ねむ…る…なんて…」


ニナは反発して突っぱねようとしたが、とろんと目蓋が重くなり、体は傾く。


「大丈夫。眠っても、怖くないよ。闇も、オレも傍にいるから」


サラドの膝に頭が着いた時、ニナは抗うことを諦めた。優しく肩を擦る感触と、自分自身からではなくかけられる『大丈夫』の言葉が心地よい。


「ごめんね。ニナ――」


眠りに落ちる直前にニナは、申し訳無さそうに呟くサラドの声を聞いた気がした。



 サラドが術を使うまでもなく、精神が擦り切れる直前だったニナは気絶するように眠った。無防備な寝顔はどこか痛々しい。

まだ親を頼り、時には甘えても何らおかしくはない年齢だと痛感する。

旅の途中、ニナは夜番を交代しても決して警戒を解くことはなかった。その徹底ぶりから、特殊部隊でどんな訓練をしていたのかは想像がつく。それができなければ死が待っているだけのニナと、自ら望んで修練したサラドとは過酷さが違う。


ニナはもとより勤勉な性格なのか、課題があれば身に付くまで訓練を怠らないよう躾けられていたからか、魔力の巡りについてはもう熟練の域に達しかけている。


(すごいな。若さかな。成長が著しい)


サラドは素直に感嘆した。

詠唱や陣なしで、無意識に発動させていた身を守る(すべ)も強化されている。これならば、耐え得るだろうと判断し、ニナを守る闇の精霊に「お願い」と協力を請う。


もう一度「ごめん」と断りを入れて、疚しさを脇に置いた。ニナに異変がないか注視しながら、肩に置いた手を通して魔力を探る。

眠っているため少々ゆっくりの、トクントクンと血が巡る音に呼吸を合わせていく。

魔人との繋がりを断つためにシルエが解呪した際、敢えて残した細い根っこを目指して深く深く意識を潜らせる。やがて『力をよこせ』と強請る声が引っ掛かった。


(よし! 掴んだ)


影の目的を知るために、共感を馴染ませる。自分のものではない、相容れない魔力が流れ込み、嘔気と心臓の痛みが襲い来るのにサラドは耐えた。



『目覚めよ。昏き想いを抱き眠るモノよ。我が声に応えて蘇れ』


しつこく繰り返される語りかけに、時を超えた深い地の底で蠢く気配。


『力が足りない。もう時間が余りない。このままでは復活が間に合わなくなる』


ヒリヒリとした焦燥感。


『おかしい。間違えているのか。(あるじ)が教えてくれた手順は完璧なはずだ。…それとも、やはり私では力不足なのか』


狂おしいほどの口惜しさ。


『忌々しい』と吐き捨てる声と共にぼんやりと人形が浮かぶ。いくつかモヤモヤと形を成しては消える中に、誰であるか判別できる像がひとつ。再現は良くないが、奇蹟の光を纏う姿は間違いはなくシルエだ。


『あんな半端な魔力持ちに邪魔をされるなんて』


激情に、パンッと人形が洗濯の泡のように爆ぜ、虹色の光が四散する。



「…痛っ! しまった…」


 サラドは苦しげに顔を顰めた。シルエが爆散する様相に気を取られ、意識が離れる。

膝が揺れたせいか、ニナが「んんっ」と小さく身動ぐ。すぐに静かな寝息に戻ったことからも、彼女の精神に悪影響はなさそうで安堵した。魔力に干渉して記憶や意識を探る方法は、潜られる側、潜る側、両者共に危険を伴う。


(はぁ、…失敗した。もうちょっと核心に迫れれば良かったんだけど)


小柄なニナの負担を思い、サラドはこれ以上の詮索を諦めた。


「ごめんな、ニナ。もうちょっと、おやすみ」


 サラドはニナの髪を指で梳き、労う。眠ったまま、ニナはその手を一度は払い除けた。体に染み込んだ反射なのか、力は入っていない。

起きる様子はないので、サラドはまたゆっくりと頭を撫でた。今度は手をどけられることはなく、ニナの表情が少しばかり緩む。

サラドの癖っ毛はまとまりが悪いが、ニナの赤茶色の髪は腰があってツンツンと跳ねている。女性に対して不躾かなと思いつつ、サラドはその手触りを慈しんだ。

すぅすぅと寝息が落ち着けば、サラドが乱した魔力も調っていく。


「本当に上手だよ。よく頑張ったね」


サラドの囁きが聞こえたのか、ニナの口角が僅かに上がった。



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