239 搾取する仕組み
遺跡の調査に関してはノアラに一日の長があるのは認めるが、どうにも釈然としない。
「うーん。自然発生の魔力はまだわかるよ? でも、住人…人の魔力をも、と考えるのは早計じゃない?」
「それは…」
ノアラは眉をギュッと寄せて、開きかけた口を閉じ、ゆっくりと目を伏せた。この顔も子供の頃に何度となく見たもの。「何故、わからないのだろう?」という疑問、それと、補足する言葉を必死で考えている時の表情。
シルエは胸のモヤモヤがより増すのを感じた。
「混じりにくい別の魔力でも同じ結果になるの?」
ノアラは想定される結果が得られても、確証に至るまで検証を重ねる慎重さを持つ。常なら、サラドが放った魔力がサラドに戻ったという事象だけで『魔力を吸い上げている』という結論には至らないはずだ。
「とりあえず、ちょっと、僕とノアラで試してみようよ」
「…そうだな」
「まずは、ノアラが流してみて」
「わかった」
サラドが立つ逆側、一列に並んだ岩の端にノアラが向かう。シルエも深呼吸をして構えをとった。意図的に他人の魔力を体に取り込むのは危険も伴う。
「この記名紋の権限を一時的にシルエに移譲させて」
「ふんふん。乗っ取ればいいんだね」
サラドの助言に従い、シルエは慎重に魔力を記名紋に流す。ぼんやりとだが、その名に付随する肩書が伝わってくる。『偉大』や『豪儀』など、讃える言葉の数々にかなりの有力者であったことが窺える。『道』にある魔力を拝借しようとする者を思い止まらせる効果もあるのか、『恐れろ』といった忠告も。
「あっ、と、その前に」
シルエはノアラに「待った」の合図を出した。サラドの魔力、淡紅色の靄はもうほとんど見えないくらいに薄い。引き寄せられたらしく、湯気も混じりだしている。手指の先で気が揺らめいたが、微量でもシルエに流れ込んでいるのを示すのか、否か。判断に悩む。
人の魔力には癖や差異があり、容易には馴染まない。
急激な魔力枯渇に陥った際に、緊急処置として、サラドに魔力を注いでもらった経験がシルエもノアラもある。それ自体が繊細な技術であるうえに、拒否反応が起こらないように調節までしてくれたお陰で、嘔気や魔力酔いどころか、違和感さえないくらいだった。
折角の、直接取り込める機会にも、サラドの性質は自然が発する魔力に近いのか、湯気に邪魔されたのか、その気を感じられず、シルエは「むむ」と顔を顰めた。
諦めて、長く息を吐き出し、サッと手を挙げてノアラに合図を送る。
「いいよー」
ノアラがぎこちなく頷き返す。ノアラの元で転移術の際と同じ、薄紫色の光が尾を引いて縦に筋を作った。岩の上に大きな変化は見えず、頼れるのは感覚のみ。サラドの幻術による視覚化は検証の邪魔になるといけないのでかけていない。
瞬時でシルエの額に玉の汗が浮かび、一歩退いて手をブルブルと振る。それを見て、ノアラもパッと諸手を挙げて魔力を止め、早足で戻って来る。
「どうだ?」
「あー…、気持ち悪い…ね」
シルエの言葉にノアラは心なしかちょっと傷付いた表情をしている。
「あっ、ノアラが気持ち悪いんじゃないよ? 僕の魔力と相性が悪いってだけ。多分」
「やっぱり奇蹟と魔術の併用が難しいのって、こういう所なのかなぁ」とブツブツと呟きながら、シルエは歩き出した。
「じゃ、交代してやってみよっか」
口調こそ軽いが、シルエの表情は真剣そのもの。加減を誤れば魔力をごっそりと失うので、気は抜けない。
自然魔力は底なしの器みたいなもの。ちっぽけな人の魔力など、あっという間に流れ落ちてしまう。
魔物が酷く暴れたせいで地力が著しく削がれた場所に魔力を流す行為を、サラドは「借りた力の一部をお礼の意味で返す」のだと言っていた。「返せるのはほんのちょっぴりだけど」と朗らかに笑いながら。
それに倣って、二人も覚えた。終末期、次から次と湧く魔物や災害の連続に、そう度々はできる余裕もなかったけれど、魔力操作の練習と大地や精霊との繋がりの強化にもなり、魔力量を増やす結果となっている。
「いくよー?」
サラドの傍らで、ノアラはやや緊張の面持ちだ。
視界が白く輝く。
ノアラの指先でパチリと光が弾けた。光から逃げるように腕を高々と挙げたノアラはしばし固まり、ゆっくりともう片手で覆い隠した。
「あー、やっぱダメだった?」
「…痛い」
感じ方はそれぞれだが、シルエとノアラではすんなり受け取れないらしい。その反発があるからこそ、流れてきていることの証明になる。
「この紋だけでは起こらない反応、魔力の吸収術の隠蔽は確実。…本当に、古代魔術の粋は桁違い」
手を擦りつつ、ノアラが「はぁ」と嘆息する。
サラドは肯定もしていないが、反論も意見もない様子だ。
「ふーん。古代の、偉大な魔術師ともなれば他人の魔力も造作なく我がものとして使えるのか…。搾取した魔力を一旦どこかに溜めて変換する仕組みが別にあるのか…。魔道具か、貯蔵の器になるものか…」
思案に耽るシルエが曲げた人差し指の第二関節でコツコツと額を軽く叩く。気持ち悪さが胸のモヤモヤを強め、腑に落ちない。
(僕は何を見落としてる?)
「守護…結界…吸収…魔力供給…統治者…」引っかかる単語を口に出してみたことで、頭が整理され、違和感の正体が見えてくる。
「えっ、あれ? 待って。これって。まさか…。王都の結界と水鉢の魔道具! 精霊や周囲の生命から力を吸い上げて、牆壁に注いでいた、アレ! あの術式と同じようなものってこと? あれが、この紋に隠して刻まれてるの? これっぽっちの線で? 媒介もなしに?!」
「信じられない…」と呻くシルエに、ノアラはこくりと頷いた。
「強力な術者に依存せずとも保てるように改変したものか、または持てる技術で模倣した結果か」
「聖都の古代より続く神殿の結界も、神官達が受け継ぐ方法で力を注ぎ、不完全ながらも維持していたけど…。解析して見えたのは、地、精霊、住まう人の力を源とした大元だった。開祖の時代は知識や技能を持ち合わせていた可能性が出てくるな。ちっ、もっと教典を漁っておくんだった」
「ま、早い段階で書庫の利用は規制されちゃってたけど」とシルエが肩を竦める。
「この術って、岩の表面を削ったくらいじゃどうにかならないよね? 何か新たな術を刻んで無効化するか…。まずは解析が…、うーん」
「道標と守護と設置した者を示す記名紋までなら使用しても問題ないと思う。あちこちにも存在しているだろうしね。湯源も自然の魔力が豊富だろうから」
時折、風に流されて濃くなる湯気に視線を向けて、サラドがにこっと微笑めば、木漏れ日が水蒸気にキラリと反射する。湯を流す水路もそのうち魔力帯となるのかもしれない。
「それなら、殆どは使えるね。置いておくだけで悪さをする訳じゃなければ、大物は一旦保留で、後々考えればいっか」
サラドの言を受けて、ノアラが岩に付した番号とともに、使用に関する注意と指示をササッと記入する。
「案外、昔ここに石材を放置した人も、なんかヤバイってのを感じたのかなぁ?」
あくまで軽口にしているシルエだが、またトントンと額を突いた。
「で、魔人は精霊を祀る地を穢した力を、『道』にのせて集めている…って見解でいいんだよね?」
ノアラがこくりと頷く。
「魔人が古代の『道』を覚えていれば、自然の魔力帯を利用して、力を導きやすいはずだ」
支流となり得そうな箇所として、地図上の、もう使われていない古道や、流れを変えた川の跡や谷をノアラが指でなぞって示す。
その近辺にバツ印を書き加えた。火事の半鐘でアンデッド騒ぎが起きた町村だ。
それにはシルエもサラドも渋面になった。
「でも、魔力帯って自然界にあるもので、人の意に添う『道』には作り変えられないでしょ? 魔人に『道』を使わせない、阻止する手立ては…ある、かなぁ…。魔力帯を人為的に途絶えさせることはできるとしても、それは最終手段だよね」
魔力帯の源は大いなる自然物や、精霊の好む場所。シルエは困ったように眉根を下げているサラドに気遣わしげな目を向けた。
「…そうだ。良い方法が浮かばない」
ノアラは「ぐ、」と喉を詰まらせた。
手詰まり感が色濃くなった心情を表すかのように、陽が陰る。
足元の影にじっと目を落としていたサラドが「うん、」と小さな声を漏らした。
「…ごめん。急用ができた。ちょっと行って来る」
「えっ、急用って何? ちょ、サラド――」
シルエが手を伸ばすよりも早く、指笛の音に呼ばれたヴァンによって、サラドは突風と共に消えていた。
「あー、もう、またぁ」