238 最強立地
ノアラが『堕ちた都』を中心に精霊を祀る神殿、川、森、山谷などの地形、主要都市の配置図をサラサラと記す。鳥の目を持つかの如く、地図は相変わらず正確だ。
「堕ちた都は四つの神域との角度が理想的。源泉が近いことからも水の影響が強いことは確か」と説明しながら、『水』の神殿が沈む北の湖から川の主流に沿って魔力帯を表す二本の線を引く。
「こちらもおそらく、間違いないと思う」
同じように『風』の神殿が堕ちた東の崖山から季節を変える風が吹く筋を書き込む。
続いて、地下に『土』の神殿を抱く西の大森林にペンを向けると、考え込むように手を止めた。
「…地脈に因るか、それとも山か。確信が持てない。仮にこう…しとく」と呟きながら、森の端と山の峰がかかる円を書く。
最後に南の火山島でトントンとペン先が迷う。
「ここに湯源があることと…北の霊峰も遥か昔の噴火によって今の姿になったことを踏まえて…火山帯は…」
点線で細長い楕円が書き込まれた。
確かに『堕ちた都』はその全てに入る。
「なにこれ、最強じゃん」
「これら自然魔力の恩恵があってこその繁栄。あれだけ大きな都、古代人といえども人の魔力だけでは賄い切れないだろう。そして――」
「魔人はここで眠っていた…」と言いながら、小さな丸を堕ちた都に接して付け足す。
「大地や精霊から奪い、穢れで歪めた力。その集約に、魔力の『道』を使っている…と、推測する」
「んん? 待って。この『道標』の文様は術的な役割はないんじゃないの?」
「さっきの話はそういう意味合いだったよね?」とシルエが疑問を呈せば、ノアラはこくりと頷いた。
「この文様を隠れ蓑にして術が刻まれているものがある。巧妙に。だが、それなりに魔術の知識と技術があり、注目点さえ押えていれば、判る…という矛盾も」
「ん? 体面として、隠さなきゃいけないってこと?」
ノアラはこくりと頷いて、紙をペラペラと捲った。その事例に当てはまる紋と紋の間で指先を往復させる。
「ふんふん。記名の紋が二つ、守護術の紋、そして道標の四つの関係ね」
シルエも似た例を調査しており、その頁を表に出した。実際の岩の位置も目だけを動かして確認しておく。互いの内容を比較して、どちらともなく「うむ」と相槌を打つ。
「この記名紋が統治側、で、守護紋をもう片方の記名紋、庇護する側へと道標が繋ぐ。でも、これでは一方向に力を与えているだけに見えるな。逆もってなると…この配置では不完全な気がする」
シルエが目を細めると、「そう、そうなんだ」とノアラの顔が一瞬パッと明るくなった。切磋琢磨していた子供の頃に、時々見せた表情だ。
奇蹟と魔術という相違点の知識が互いに深まるまで、もどかしい思いをすることは多かった。
擬音が多く曖昧で感覚的なシルエの言葉は、理詰めのノアラに通じない。疑問や思ったことをポンポンと口にするシルエに対し、ノアラは熟考型のうえに喋るのが不得手。頭に描いている事象をどの言葉を用いれば適切に伝わるか考え過ぎる余り、返答に時間がかかる。
シルエは「何が手懸かりになるかわかんないし、定かではないことも、もっと議論するべき」と愚痴をこぼし、その苛立ちを感じたノアラは余計に言葉を詰まらせた。
険悪になりかけたところ「なんでそんなに焦っているの?」とサラドに指摘され、二人は顔を見合わせた。早く『使える術』をたくさん身に付けて、役に立たなければと焦燥に駆られていたのは否めない。こうしている間にも、出現する魔物はどんどん難敵になっていく。
「多分ね、そのうちに二人が主戦力になる。それまではオレたちが補うから」と眉尻を下げるサラドは、年齢的にも体格的にも成長途中の二人を戦わせることに本当は心を痛めていた。
サラドを交えて話し合い、「疑問が生じても、なるべく話の腰を折らずに聞くこと」と決めた際、シルエは不服の表情を取り繕えなかった。二人の約束事というよりも、主にシルエに向けてであることは明らか。
むくれるシルエにサラドはこっそりと「ノアラはね。喋り終えると、こちらの反応を確認するように小さく頷くか瞬きをするから、それを待ってみて」という追加情報も伝えた。ノアラの喋る間を推し量ることを覚え、シルエは無駄に苛々することがなくなった。
ノアラの方も「シルエはノアラの話を先回りして疑問点を挙げることがあるでしょ? 詳細は後にしてみるといいかも。思案中に額や頬骨をトントンする癖があるから…シルエがその仕草をしたら、質問がくると思って」と知らされて、話す順序を工夫したり、構えることができるようになった。
ただ、シルエが待っているのを如実に感じるため、早口で一気に話すのが癖となったのだが。
「道標とは別にも、こことここの隙間か、もしくは守護紋に一部が重なる形で術が隠されていると推測したんだが」
「えっ! 嘘! だって守護以外は感じなかったよ」
「僕も『ある』と疑っただけ。明確な検知はできていない。分析も解読も…難しい」
その紋を再度調べるため、シルエは岩々をピョンと跨いで駆け寄った。ノアラも後に続く。
「何も見えない。けど、ほんの、ほんのちょーっと、術の痕跡っぽいものが、うっすら? あるといえば、ある? いや、でも守護の残滓って可能性も否定できないし…。うーん」
岩の表面を舐めるように見直したシルエは「守護紋も偽装ってことはないよね?」と疑いだした。目と指先に神経を集中させて、慎重に溝を辿る。
試しに防護の術をかけてみると、魔力を絡め取る、そんな不快感が指に走った。蜘蛛の糸が肌に触れて、ムズムズするが、除けようにも視認できない。そんな微かな感触。
これは、シルエの魔力を守護紋が外敵と見做したからなのか、それとも、隠された術の発動に足る力を求める反応なのか。
何か見落としているような、忘れている事項があるような気がして、シルエは「うーん」と唸り、その要因を探ろうと目を伏せた。
「シルエ、見てくれ」
「ん?」
ノアラが振り返ってひとつ頷くと、サラドは一列に並べた岩の片端に移動し、ほぼ消えかけていた靄に新たな魔力を追加した。くっきりと見えるようになった淡紅色の帯に「フッ」と勢いよく息を吹きかければ、細波が立ち、ゆっくりと流れていく。
魔力を感知して、飛び出そうとする小さな火を、サラドは手の平で押し留めた。左右に揺れる姿は頻りに首を捻っているように見える。
一度動き出した靄は淀むことなく流れ続け、端まで到達するとそこで渦を巻いた。飛沫のように上がった一部は大地と空に溶け込んでいく。その様を確認したノアラがサラドと目を合わせて、こくりと頷く。
「ふん」
ノアラがこの発見について説明するのは初めてのはずなのに、サラドは彼の求めに的確に返す。ひとり理解が追いついていないようで、シルエは胸がモヤッとするのを感じた。
サラドはもともとノアラの少ない言葉や表れにくい感情をうまく汲む。ノアラもサラドを信頼し、他の人に見せるような遠慮もしない。その間柄を良く知っているとはいえ、このツーカーの仲は九年の空白をまざまざと見せ付けられているかのようで、気に障った。
(いやいやいや。別にノアラに嫉妬して、とか、焦ってとかじゃないし)
口をついて出そうになる嫌味をぐっと呑み込み、努めて靄の動きに注視する。
「『道標』を置く理由は守護の力を届け易く、危険や問題に対処し易く。…それは、おそらく建前。魔力帯が持つ自然の流れ、その向きを、『道標』に隠した術の干渉により、変えることができる」
ノアラが再度、目で合図を送ると、サラドは手招くような仕草をした。魔力は遡ってサラドの手の中へ返っていく。
「統治側の都市で多大な魔力が必要な際に、集落から魔力をこうして吸い上げていた…と。もしくは常態的にか」
サラドの魔力で疑似的に魔力帯を再現したのは、隠し印があると仮定したから。それも、魔力の回収術ではないかと、ノアラは踏んでいた。
それを裏付ける結果に口角をほんの僅かに上げたが、すぐに眉間の皺を深くする。
古代人の寿命が魔力量に応じて違っていた点からも、体内魔力は生命力と密接な関係がある。体調にも影響し、枯渇するほど一気に消耗すれば、命も危ぶむ。それはノアラも身を以て体験済み。
魔術が衰退し、魔力持ちといえる者の方が少なくなった現代では、魔力酔いの症状は謎の体調不良扱いだ。魔力の濃い土地という認識も、自身が魔力持ちであることも知らないまま、急に具合が悪くなり、その場を離れれば治ってしまうのだから無理もない。
体の成長に見合わない魔力保有量による拒絶反応についても原因不明の奇病だと思われている。
古代の都市と町村の関係性――力ある魔術師が、保有魔力量の少ない者が住む集落を庇護していたと仮説を見直したばかりなのに、その裏に供給源たる理由があるとすればやるせない。
それは果たして余剰分だけで済んでいたのか。
『魔力なし』と断じられて追いやられた者であっても、現代の一般人に比べたら魔力は多かったと推測するが、生命を削られることはなかったのか。
サラドも手の平を確認するようにして、顔を俯かせた。薄く開いた口から、小さなため息が漏れる。
その隙を突いて、サラドの指をすり抜けた小さな火が靄に突っ込んだ。靄の流れが大きく乱れる。
「ごめん」
サラドが手を振り、ノアラは首を横に振って答えた。
先程は無秩序に並べられた岩の上で滞留する靄を火の精霊が搔き回しただけに見えたが、今はその身に魔力を取り込んでいるのが良く見える。
呼び戻された火の精霊は、今度は満足そうにサラドの指に頭を擦り付けていた。
これはこれで、ノアラには興味深い反応だったのか、小さな火と、荒れた靄の流れが元に戻っていく様を凝視している。
「…ふーん。でも、サラドの魔力がサラドに馴染むのは当然だから…。魔力を吸引していると結論付けるのは早いんじゃない?」