237 サラドの魔力
「で、魔人やら穢れやら魔物やら傭兵休業やら問題てんこ盛りの今、これを調べた意味、当然あるんでしょ?」
呆れ半分で「ふー」と鼻息を吐いて、シルエが問う。ノアラは神妙に頷いた。
「サラド、頼めるか?」
「うん。やってみるね」
ノアラの要望に、サラドは魔術とも奇蹟とも違う文言の詠唱を紡いだ。鼻から吸った息を口から細く長く吐き切る。
並べられた岩の上、膝よりは高く、それほど目線を下げなくてもすむ位置に煙とも靄ともつかない塊が出現した。靄は数箇所に分かれて浮かんでいる。一見、大きさも形も位置も規則性はなく、雲にも似ている。雷を孕むもくもくと発達した雲ではなく、秋空の薄く広がる雲に。
雲と違うのはその色味。
「朝靄みたいな薄紅色だね」
「残照の淡桃色のよう」
シルエとノアラはそれぞれ違う表現で感想を口にした。
極めて小声だが、ノアラが「ほぉ…」と感嘆の声を漏らす。珍しさにシルエはチラッとノアラの顔を窺った。いつも真一文字かへの字に近い口が半開きになっている。紫色の目がキラキラとして見えるのは眼球が細かく揺れているためか。
額づくように岩を見ていたテオがびっくりして立ち上がった。突如として出現し、払っても漂う淡紅色の靄に目が釘付けになる。
「大丈夫だよ」とサラドが手を振れば、テオはキョロキョロと見廻してから、また岩と紙面に目を落とした。
サラドの腰に提げたランタンの中でうずうずと揺れていた小さな火が、我慢できないといった様子で飛び出した。靄がやたらと固まっている箇所に突っ込むとギュンギュンと回り、勢い余ったのか、放り出されて飛び地に着地する。急に動きを止めた様は、人の感情を当てはめればぽかんとしているというところか。「おいで」とサラドが呼べば、小さな火は戻って来たが、ランタンには入ろうとせず、ソワソワとしている。
「その火、大きさは変わってないけど、なんか随分と元気になったね」
「うん。傍目にもそう感じられるのは嬉しいな」
朗らかに笑むサラドの指先に火は落ち着きのない動きでまとわりつく。
火の精霊が興奮するのも、ノアラが陶然とするのも、「わからなくもない」と感じながらもシルエは「けど」と首を捻った。この靄から発せられている『気』は、高揚よりも安息を感じる。湯元から感じる熱とは違う、でも、どこか似ている温かさ。シルエは眠気を催して目を擦った。
「…で。これ、なに?」
「えっと、オレの魔力を流して、幻術で可視化…してみたけど、どう?」
「上手くいってる?」と不安そうなサラドの視線に、ノアラは高速で何度も頷き返す。
「これがサラドの魔力!」
垂れてきた瞼がカッと開く。思わず上げたシルエの歓声は高音で、キンと耳に響いた。実年齢より若く見られがちであることを厭い、他人が居る場所では声音に気を付けているのだが、抑えきれない。「わー」「この色と気が!」「すごーい」「ずっと見ていたい」という心の声がダダ漏れになる。
靄に手を入れてもその魔力に触れられるわけではないが、ふわふわと手を揺らす。
「なんか、恥ずかしいな」とサラドは腕で顔を隠した。
「…で、サラドの魔力が素晴らしいのはわかってるけど。これ、何を検証しているの?」
一頻り騒いだシルエは真顔をノアラに向けた。
こくりとひとつ頷きを返し、ノアラは傭兵に声を掛けて、自身が調べた範囲から指定した岩を幾つか抜き出させた。どれも、ノアラが『道標』とした文様のある岩だ。
岩を直線状に並べると、その上で靄は帯状に連なる。抜いた方でも、靄が所々不規則に固まって見えたのが、点と点を結んでいると判りやすくなっていた。
岩に振っていた番号と調書の記録を再確認したノアラは満足そうに頷いた。
「この世界にある地の力、精霊の力は濃い場所とそうでない場所がある」
「そうだね。確かに魔力溜りって感じの場所、あるもんね。遺跡って大概その傾向が強いし」
「そして、その力が、道、あるいは川のように帯になっているところがある。巡礼路は良い例」
目を凝らして見れば、靄はゆったりとうねり、常に流動している。放った魔力は空や地に吸収されるはずが、溶け込む速度が緩まり、岩の上に留まっているかに見えている。
互いが引き合い、離れた箇所に薄い筋を伸ばしているが、距離によって繋がる前に拡散してしまっているようだ。
試しに直線に並べた岩から端をひとつ、遠くに離して置いてみると帯は途切れて、ポツンと靄が浮かぶ。
帯の境界、影響範囲、魔力が繋がるかどうか。想定以上の検証結果にノアラは一人納得したように頷いた。
「んー? この文様で道を繋いでいるってこと?」
「この印が『道』を定めるのではなく、道を作るほどの魔力が認められたことを示す道標」
「なるほど?」
ノアラは「あくまで仮説だ」と強調してから続けた。
「強大な魔術師が生きていた古代は、強弱や大小の差はあれども、こういった魔力帯が縦横無尽に張り巡らされていたと考えられる。
数多ある中から、魔術師は居住を構えるのに相性の良い魔力がより濃い土地を選んだ。庇護する集落があるなら、最適な『道』を探して魔力帯上に配す。
その中継点に『道標』を刻んだ岩を置いて。
生まれつき魔力量の少ない者にとっても『この道は安全』であることを示すための道標。
それだけではなく、利権者、統治側の力が及ぶ範囲を明示する。また、術を刻んだ印ともなる。
一見、住むのに適していないと思われる場所も、そういった観点で選ばれたのだろう。無駄な迂回路に見える道も魔力帯に合わせたものだとすれば合点がいく」
「なんでこんな不便そうな土地に遺跡がっていうのも、理由があったってことか。単に物好きって訳じゃないんだね」
終末といわれた時分に、災害の元となる魔物を追って偶然見つけた古代遺跡は、崖の途中や滝壺の近くなどとんでもない場所にあった。それらを思い浮かべてシルエは「こんな所に住むなんて正気じゃないと思ってたけど」と苦笑いをする。
「『源』を確保、占有するために結界を敷いたことで、魔力を生む地は守られて、永い月日を超えて遺ったのかもしれない」
「ある意味、そこに住む魔術師と共生? 互助関係になったってことか。魔力的にも相性が良いんだし?」
ノアラはこくりと頷いた。今はノアラが主と認められた古代魔術師の屋敷も『土』の力が非常に強い場所に建つ。地下にある『土』の神殿への道程上にあり、恩恵は得られ、且つ強過ぎる力に狂わされることのないギリギリの範囲といえるだろう。
「でもさ、ノアラの家もだけど、遺跡って道もない所に、急にドーンってのが多くない?」
「確かに孤高の魔術師は道標を必要としなかったかもしれない。…あの隠れ里に遺された手記、移住までに辿った土地の記録が疑問だった。予め候補地を挙げてあり、有力順に訪ねた結果なのか、魔力を探り探りだったせいなのか」
「ははぁ。確かに変な道順だなとは思ったけど。山越えして平地に着いたかと思えば、方角を変えてまた山に入ったりとかさ。地図のない地を彷徨えば、そうなるのかな~、無駄が多いな~としか思わなかったよ」
「古代とは地形や川の流れも変わっているだろうから。今となってはおかしく感じる部分もあるかもね」
サラドの指摘に「あ、そっか」とシルエは納得した。
古代人は〝歪み〟が襲いかかるのを察知して都を捨て、世界を渡っていったと考えられる。今なお強固な結界に守られている『堕ちた都』の荒廃ぶりを見れば、その時に地形さえもが変わっていたとしても何ら不思議ではない。
「と、なると。今もある魔力帯は相当な強さ故か、運が良かったってことかな」
謂わばこの世界は力ある魔術師たちに捨てられた。何世代も経て、漸く人口が増えた頃には、魔術の知識は忘れ去られた後。町の維持、ひいては世界を保持する力の存在は、人の記憶にも記録にもない。
開拓等で人為的に、または天災に見舞われて、山や森や泉は姿を変えた。魔力源を失った土地は災害を誘発しやすいという悪循環に入る。
この世に留まる精霊の数は減り、均衡が崩れて力は薄まり、途切れた点と点が遠くなり、帯はやがて消失した。
すっかり疲弊した地が回復するには、気の遠くなる時間を要する。
巡礼路は微力でも人々の祈りが魔力の代わりとなっている稀有な例だろう。
「水、風、火、土の神域は『源』と考えるのが自然だろう。その影響力は計り知れない。崇め奉っていた当時とは比較にならないくらい弱いだろうが、祭壇が壊れた後も帯は存在しているのではないか」
「あー、うん。ありそう。残念ながら、どんどん弱くなってると言わざるを得ないけどね」
「神殿の布教も一因で」とシルエがひょいと肩を竦めた。
古き神とされる精霊信仰を捨てさせる、それは己の首を締める行為だというのに。
盲信的な者ほど『唯一の神』しか認めず、それでいて奇蹟は望む。その力の根源を知ろうともせず。
サラドがいなければ、シルエもノアラも精霊の恩恵を知ることはなく、ここまで能力を上げることは叶わなかっただろう。
サラドが精霊の声を聞かなければ、祭壇はあのまま朽ち果てたかもしれない。
サラドが最高位精霊に友と認められなければ、人との共存を諦めて、下位精霊もろとも挙って引き揚げたに違いない。
そうなっては、地力が著しく衰える。なんとか〝歪み〟を乗り越えられたとしても、十年そこらの月日では回復することなど不可能だ。
サラド自身は己の功労などとは露とも思っていない。兄がどんなに尽力したか、どれだけ素晴らしいか知らしめたくても、その身を案じればできないのが歯痒い。
(仮令、神の側面という、一段低い扱いだとしても、水や火や風や土を敬う心があれば、まだ望みは繋がるのに。
内側から少しでも意識改革ができればと思ったけど、力及ばず…だったなぁ。利権しか頭にない者は言わずもがな。良くも悪くも信じる心ってのは…厄介だ)
明るい緑色のはずの目を暗く陰らすシルエを気にしつつ「それで、」とノアラは真新しい紙を取り出してペンを走らせる。
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(*´꒳`*)