236 道標
脱字の修正をしました
「くっそ。ディネウめ。『報告会』だなんて、絶対嘘だ。まんまと逃げて」
シルエは何度目かの舌打ちをした。書き終えた紙を少々乱暴に引き抜いて一番下に送る。
ずらりと並べられた岩。そこに印が刻まれていないか、ノアラ主導でシルエとテオは手分けして調べている。
長年雨風に晒されて判別が付きにくくなった岩の表面を、手持ちのランタンで角度を変えて照らしては熱心に観察し、楽しそう書き写すテオに対し、シルエは文句たらたらだった。だが、その手が止まることない。カリカリとペンが紙を引っ掻く音の速いこと。
どんなに具に観察しても、大半は何の痕もない。岩の情報だけの記載が続く。
何かを刻んだ痕を見つけ、「おっ」と喜んだのも束の間、比較的近年の墓碑であったと判明して、がっかりすることも。
そんな中、明らかに古代産の、複数の紋と文字が刻まれている大物に当たれば心が浮き立つのも事実。
シルエは己の相反する心情にまた舌打ちし、楽しんでいるのを絶対に悟られまいと意地になっていた。
因みにテオにはそんな大物の二重調査を任せている。
新しく掘り当てた湯の成分を調べた日、近くに放置されていた石材が古代の遺物だと判明すると、それを使うことにノアラは難色を示した。その意図を汲んだ傭兵たちは愚痴のひとつも言わず、あっさりと諦めて、資材調達の相談を始めた。そこに待ったを掛けたのはシルエだ。
「ここに、お誂え向きの岩がこんなにあるのに、ばっかじゃないの。不要になっている石を流用するのは当たり前。橋桁や道祖神、辻にある標なんかもそうじゃん。元の場所から離されているなんて珍しくもないでしょ」
詰め寄られたノアラはタジタジで、傭兵たちも水を打ったようになった。
「まーあ? その石が使われることを望んでいるか、勝手に動かされて冗談じゃないと思っているかは知らないけど?」
シルエの視線にサラドが「そうだね」と朗らかに笑う。
「ここが観光地として発展すれば、いずれどかされちゃうよ? 使った方がいいでしょ?」
渋々頷いたノアラのために、ディネウが岩を運び出して並べるよう命じた。どうせ移動させることに変わりない。一箇所に集め直すだけのこと。計画的に使用するのにも必要な作業だ。
シルエは心中で「余計なことを」と毒づいたが、ノアラが満足するまで検めさせた方がゆくゆくは面倒がないと身に沁みているディネウの指示は早かった。
目ぼしい岩の運搬が終了したと連絡を受けて、今回はテオも含めて五人で訪問をした当初、シルエの機嫌はどちらかといえば良かった。「ま、ノアラに付き合って、こういう息抜きもたまにはいいでしょ」と楽しむ余裕も見せていた。
到着後、わりとすぐに「報告と相談したいことが」と耳打ちされたディネウが「悪い」と口にしつつ、まるで悪びれもせずに去った。
ディネウは眉間に深く皺を刻んで岩と睨めっこするばかりで、紙面にはぐにゃぐにゃとした線だけが書かれていた。ディネウがこういった作業を苦手とするのは知っている。「逃げた」とは思いつつ、気の毒だと思う心もあり、シルエはどうでも良いと軽く手を振って応えていた。
シルエの機嫌が急降下した原因はサラドの離脱だ。
二つの岩をじっと見比べて思案するノアラにサラドが何か話しかけている姿は視界の隅で捉えていた。「何か気になることを見つけたの?」と呼び止める隙もなく、サラドが消えた。ノアラが転移させたのだろう。また一言もなく置いていかれて拗ねた。
途端に「他に優先するべき事柄があるのに」という気持ちが頭をもたげる。八つ当たりの感情は、ディネウに向かった。
それぞれの角から始めて受け持つ範囲を大幅に超え、ディネウの担当分も終えたシルエは未調査の確認をしようと一旦顔を上げた。
黙々と着実に進めるノアラと、とにかく早く終わせようと鬼気迫る勢いで目と手を動かしていたシルエ。いつの間にかテオを挟む形で三人の距離は近付いている。
改めて全景を見渡すと、壮観の一言に尽きた。岩石は性質、色味、大きさなどで分類されて並べられている。その仕事振りをシルエは素直に評価した。
場所の確保に林を切り拓き、視界の開けた湯治場の奥地。起伏に富む道もある程度均したようだ。滾々と湧き出す湯を、近くの川に導く仮の水路はもう掘られていたので、地面は湿っているが足を取られるほど泥濘んでいない。温い湯気が辺りを柔らかく包み、心なしか喉の調子がいい。
(よく訓練されている。傭兵たちもやけに従順だし、前にも同じようなことがあったのかな)
傭兵たちは作業員用の仮宿を建てようと、更に木を倒し、整地に取り掛かっている。地を固めるのに丸太を落とすドンという音と掛け声を兼ねた陽気な歌声が響いていた。早さを優先して、建てるのは安普請だが、その後、観光向けのきちんとした宿に建て替える予定のため、基礎は手を抜かない。
この付近に定住を決めていた元傭兵の指揮で着々と進む。
「ノアラ、あと残り…んー、僕こっち見るよ?」
ノアラは目だけを上げて「頼む」と短く答えた。
すっかり没入していたテオは自身の遅さに気付き、顔色を悪くする。
「こんなの単に経験の差。苦なくこの作業ができるだけで『才能あり』だからね」
ポンポンとシルエに肩を叩かれ、ノアラにこくりと頷かれ、テオは頬をほんのり上気させた。気恥ずかしさを隠すようにぎゅむっと口を引き結んで、描きかけの図を完成させようとせっせと手を動かす。
再び、三人ともが集中して、賑々しい傭兵たちの声も耳に入らなくなった時、ザッと突風が吹いた。立ち籠めていた湯気が流される。
「お待たせ」
ひらりと身を躍らせてサラドがノアラの横に立った。蹄の音が遠くに聞こえ、離れた山で梢がザワザワと鳴る。
「ノアラの推測通りだったよ」
サラドから紙束を受け取ったノアラがこくりと頷いた。情報を簡潔に、且つ過不足なく書かれた調書は急いだとは思えない仕上がり。ぺらりぺらりと捲る手は段々と速くなる。無表情に見えて、その実、興奮しているのは兄弟には丸わかりだった。
「なに~? どこ行ってたの?」
書き終えた紙をピッと引き抜いて、シルエも岩を跨いでサラドに近寄った。
「巡礼路、主に修行道にある祈りの台を調べて来たんだ」
「えっ? この短時間で?」
「うん、まあ、目的の場所はわかっているから。それに、ヴァンに乗せてもらったし」
サラドが照れたように笑う。
「それで、なんだけど。文様は目に触れない箇所に刻まれていることが多かった。態とというよりも、長い年月を経て、地中に埋まったり、植物に覆われたりした結果かな。そのお陰で残ったともいえるかも。祈りの台だけでなくて、幾つかの大岩にもあった」
ノアラがざっと目を通し終えた調書を一枚目に戻したところで、サラドが内容の一箇所を指差す。殆どが失われて文様とも判別し難い図。
何も言わずとも、ノアラは心得たように次頁を捲る。そこにもやはり大部分が欠けている文様がある。次にも、その次にも。良く似た特徴を目印にそれらを繋ぎ合わせると全容が見えてくる。
完全形と推測される図をノアラがサラサラと書き起こす。
「んー? それに良く似た文様、何回か書いたな」
シルエ自身が書いた紙を捲る。ノアラはじっと紙面を見つめたまま頷いた。
「以前から…、辻の標でも遺跡の外周でも見かけてはいたが、その確たる意味を解読できずにいた。術の発動を示す痕跡がなく、だが魔力の反応がない訳ではない。
単独で刻まれていることもあるが、高い確率で他の紋が併記されている。最も多いのが守護の紋。こちらは術が刻まれている。間違いない。…守護された『道』を示すのであれば、隠すより見せた方が効果的か。
あと、組み合わせとして守護に加えて並ぶ紋。こちらは種々様々だが、個人を表すものと推定する。隠れ里で教わった紋の、属性と名を重ねる特徴が一致。個人宅か、集落の代表者の記名のようなものか。所有が入っている場合は、人目に触れない地中の礎であることが殆どだ。守護も強く結界に近い。
…共通点はあるものの、これという決定打に欠き、他の紋を繋ぐ、補助的なものかと推測していたが」
ノアラは術のこととなれば饒舌になる。解説というより独り言に近く、ぶつぶつと考察を述べた。
「ふんふん、それで?」
相槌を打ったシルエに続きを促され、ノアラはハッと顔を上げた。
「岩の上で湯気が不自然な動きをした気がしたので、サラドに『道』を調べてもらってきた」
「湯気が、不自然?」
「ほんの一瞬だ。文様を調べるのに魔力視を使った時に」
「…ノアラさぁ。ほぼ結論出しているんでしょ? それ?」
「まだ、確証がない」
「慎重なのはいいけどぉ。少しくらい教えておいてくれても良くない? コレ、要る?」
シルエは自身が書き写した紙束をペシリと打った。
「要る! とても重要だ。これだけ組み合わせの違う例が揃うなんて、ない」
珍しく強めの語気で言い切ったノアラは、遠慮がちにシルエが書いた調書に手を伸ばした。
「その…余計な前情報があると、思い込みで見間違えたり、見落としたり…する…から。それに、本当に推測の域を出ず…」
「で、この文様は何だと思うの?」
明言を避けたがるノアラはもごっと口を歪ませた。
「…道標、だと」
「は? 特に何かの力はないってこと?」
「いや…違う。力のある…『道』を示す」
「んん~?」
「まあまあ」と二人を宥めたサラドはノアラの書いた文様を岩に刻まれた『それ』と並べて見比べた。
「完全な形を保っている文様は今回見つけられなかったけれど、地との繋がりはあって、全くの無関係でもないと思う」
修行道を含む巡礼路に点在する祈りの台はこれといって決まった形はない。間の距離もまちまちだ。
信者が、自然岩を運んで設置したものと思われていたが、この古道を辿って聖都に着いた逸話よりも古い時代からある、意味ありげな箇所を中継点の道標兼祈りの場にしたと仮定し直す。
「ふぅん。随分前だけど、あの時もノアラは古道に何かしら力の流れを感じていたもんね」
「人々の祈りの積み重ねだろうって、その時は納得したんだよね。確かに『念』に近い感触が濃いし」
サラドが目に見えぬものを示すように、中空でクルクルと腕を振る。重い『念』ほど停滞しやすい。しかし、祈った人が次点へ移動すれば、そこに流れも起こる。
「この印も『念』を地に繋ぐ一因かと」
「じゃあ、始祖となる神官はその『気』に敏かったということか。良いように伝説にしたのかと思ったけど、本当に『導かれた』としか表現できない感覚だったのかも」
斜め上空に目を向け、神殿に残された始祖の教典を思い出すシルエは複雑そうな顔をした。
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