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235 ニナはどこに?

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 ショノアは困り顔ではにかむセアラを見て、自分が全くの見当違いをしたのだと気付いた。


「…違う、か。すまない。早計だった」

「いいえ。あの、何と表現したら良いのか…、あの場所は特別なんだと思います。あ、神域ですもの、当然ですよね」


適した言葉を探して「うーん、と」と唸るセアラを、ショノアもマルスェイも責付くことなく待つ。


「神域の湖上に現われた猛る水をお二人は覚えていらっしゃいますか? サラドさんのご兄弟に、その…抱かれて…女性に姿を変えた水です」


セアラは言いながら、恥ずかしそうに目線を膝に落とした。ほんのり頬が赤い。


「あの時、とてつもなく大きな気配と…清浄なる気を感じたんです。罰を下す…あの地を守るための手段が、あのような恐ろしい姿なんだと…。

あの気迫と清らかさを前に、私の祈りは半端だと言わざるを得ません。だって、崇める神が違う祝詞ですから」


セアラはまた言葉に詰まって、中空に目を遣る。


「あの地に相応しい祝詞を教えていただければ、まだ…。でも、私の立場でそれを唱えてもいいのか、どうかも…」と小声で独白のように呟いた後、「ふぅ」と悩まし気な吐息を漏らした。


「…サラドさんのご兄弟も同じではないかって…そんな気がします。あの地を、あの女性を穢されて、あんなに怒るんですもの。どれほど大事にしていらっしゃるか」

「その…、何か聞いたのか?」

「いいえ。本当に私が、そう、ぼんやり感じただけなんです。何の根拠もありません」

「つまりは、魔に属するものではなく神の遣いといった存在だと?」

「…そんな気がします」


セアラはあくまで単なる感覚だからと自信なさげだが、最強の傭兵が湖に並々ならぬ執着を示しているのはショノアとマルスェイも同意するところだった。


「なるほど。だとしたら、あの劇も全くの虚構でもないということか」

「劇?」


田舎育ちで流行りに疎いセアラが首を傾げる。


「何年前だったか…。ちょっとした騒ぎになるくらい評判を得た舞台『剣士と世の安寧を願い水に身を投じた乙女の悲恋』のことですよ。何度も再演されていて、今でも人気がありますね」


セアラも「そういえば聞いたことがあるような…」と記憶を探る。


その剣士のモデルが英雄の一人で、最強の傭兵であることは周知の事実だ。そして、王の招致を『既に剣を捧げた相手がいる』と断ったことも。


「最強の傭兵は水を司る地の守り人といったところか…。しかし、公ではないですよね? 我が国側で神域に出仕する者がいるなど聞いたこともありません。隣国側には霊峰を祀る社があるそうですが」


確認するようなマルスェイの視線に、ショノアとセアラも頷きを返す。


「連絡のつけようもない相手だし…。セアラの誠実な思いには応えたいが、許しを得ようにも…難しいのでは?」


セアラがしゅんと顔を俯かせる。


「そこら辺の事情は、王宮も同じでしょうからね。それに、相談したところで拗れそうです。残念ながら、英雄に対して王宮は、その、ね? いくら臣下とならなかったとはいえ…、ああ、これは余談でした」


 英雄に対して憧れ以上の想いを抱いているマルスェイは、その軋轢に納得がいかない思いをしてきたのだろう。騎士の間で傭兵に、それを統べる最強の傭兵に対しての評価がどうだったかを知るショノアは気不味さに苦笑するしかない。


「あとは神殿がどう出るか、ですが。神域での祈祷を、簡単に承諾するとは思えませんが、まあ、その辺は殿下の配下がうまいこと折衝してくれるでしょう」


指先をまごつかせて曖昧に微笑むセアラにマルスェイがひょいと肩を竦めた。


「神殿も、今までだって押し付けてきたのですから、今回もセアラの指名に否は出さないと良いのですが。これでセアラを王都に留めて、別の神官を寄越されても、我々もやり辛いですからね」


マルスェイはそう言って、意味深長にショノアに頷いて見せる。


「あの…、私もご一緒できる方が…良いです」

「そう言ってくれると、こちらとしても有り難い」


ショノアが安堵して相好を崩した。


「実際問題、セアラが王宮内に滞在を続けるのも、そろそろ無理が出てきます。寄付薬はもうないわけですし。セアラは優秀で…、言い方は悪いですが有用ですからね。神殿もいつまでも放っておかないでしょう」

「ゆ…有用ですか?」

「そうです。神殿の印象を高め信徒を増やすには『聖女』と称えられる人気者はうってつけ。別人を立てて、情報操作で似た人気を得ようとも真価が伴わなければすぐに消えますからね。『本物』が労せず手元にいるんです。そりゃあ欲するでしょう。神殿にとって、これほど使える象徴はない」

「ここらで、一旦、王都を離れた方が安全だということか。民の熱を下げるためにも、神殿が手を打つ前にも」


不安そうな顔をしたセアラにマルスェイは「まあ、そうなると兵士が抗議で示威運動でも始めかねませんけどね」と茶化す。セアラは「まさか、そんな」とブンブンと手を振って否定した。


「では、いつ出発することになってもいいように備えておいてくれ」


ショノアが話を切り上げようとした時、マルスェイが思い出したように小さいくしゃみをした。


「あ。私、旅の荷物を神殿に置きっぱなしで、」

「それは私が取りに行くとしましょう」


マルスェイは「ずびっ」と洟を啜った勢いでセアラの言葉に被せた。


「もし、荷物を引き渡していただけなくとも、新しく買い揃えれば良いだけです。何か、思い入れのある品があれば粘りますが」


セアラは少し考えて、ふるふると首を振った。無くして困る物、大事な物は持ち歩くことにしている。


「なんにせよ、セアラは神殿に顔を出さないまま出発した方がいいです。何か吹き込んでくる可能性もありますから」


マルスェイが言うほど自分が重要な存在だとはセアラは信じられない。せいぜい面倒臭いことをさせるのに丁度良いと考えられているくらいだろうと。


「いいのか、マルスェイ。神殿は魔術師を異端者扱いするのだろう?」

「今更だよ。私のことよりも気をつけるべきは、セアラが私に毒されて、信仰に反する行いをしていると誹られないこと」


魔術が絡むと言動がおかしくなるが、マルスェイは基本的に交渉事がうまく、頼りになる。


「あの、ニナも一緒ですよね? 私、王都に着いてからニナに会えてなくて」


ニナの不在をセアラは不安視した。話の内容からしても同席していて良いはず。


「すまない。俺もどこにいるのかわからないんだ」


ニナのことはショノアも心配していた。どこで過ごしているのか。きちんと体を休めているのか。

前回の王都滞在時、ニナは厩に身を寄せていた。所属も不明で、居場所を失くしてのこと。待遇が改善されているとは考え難い。


「責任をもって探し出し、準備をするように伝えるから、二人は疲れをしっかりとっておいてくれ」


特にマルスェイにはすぐに宿舎へ帰って休むように厳命して、その場は解散した。



 ショノアはその足で厩を訪ねた。連日の雨のせいか馬たちは不機嫌そうで、馬丁もピリピリしている。

手近にいた者にニナの特徴を伝えて所在を聞いたが、「見たような、別人のような」というはっきりしない反応だった。


 見目の良い馬が多く揃えられている中で、いかにも重量級の馬は異質で目を引く。

馬房の中で、おっとりとしてあまり動かずにいた馬はショノアに気付くと、鼻先を伸してスンスンと匂いを嗅いだ。手土産の果物を与え終え、「もう、ない」と示すように空の手を見せれば、馬は首を下げ、後ろ脚を一本曲げて浮かす姿勢に戻った。口が緩み、もぐもぐと動いている。

くつろいだ様子に安心して、ショノアは馬房の奥へ目を移した。壁際の一角が陰になっている。どれだけ隅に目を凝らしても、探している姿はない。当然だ。普通、そこに人がいるはずもない。


代わりに目に付いたのは、尾や脚に跳ねた泥。まるで灰色の斑模様が増したかのよう。

小柄なニナでは大きな馬の体を隅々までブラシがけするのは大層苦だろうが、毛並みはいつだって美しかった。その点も、ニナが帰ってきていない証左だろう。


馬丁も世話はしてくれているのだろうが、漏れがあるのか、追いつかないくらいに放牧場を堪能しているのか。

泥が跳ねて目に入るのを嫌う、神経質な馬もいる中、この馬は体躯同様におおらかなようだ。その気質は整備された道ばかりでない地方に向かうことを念頭にしている彼らには好ましい。


「なぁ、お前の主人は何処へ行ったんだ?」


答えなど返ってくるはずもないが馬に問いかけてみる。耳が一瞬ショノアの方を向いたが、すぐにそっぽを向かれた。

厩以外に、ニナが行きそうな場所がひとつとして思い浮かばず、ショノアは小さく嘆息した。

これまで共にいながら、ニナについて知っていることの何と少ないことか。はっきり言えるのは、他人と馴れ合うことを厭い、単独行動を好むこと。


 灯りを手に見廻りをする馬丁がショノアの背後を通り過ぎた。自身が落とす影が足元にニュッと現れる。不意に、一層濃い闇からショノアを押し返すような拒絶を感じ取り、不安が心を占めていく。

そろそろ戸締まりをしたいが、騎士相手に遠慮している馬丁の気配とは違う、ぎゅうと胸が押し潰されるような不快感の正体が掴みきれない。


「…仕方ない。また明日の早朝に来てみよう」


どうにもならない不安を追い出すように、態と「人目を避けて暗くなってから戻るつもりかもしれない」と声に出した。灯りもない闇の中であればニナの方が騎士より余程動ける技術を持つ。

「きっと大丈夫だ」と心に言い聞かせた。



 厩を出ようとした際に、気になる用語が耳に入った。ヒソヒソと交わされる、とても小さな声なのに「終末の再来か」「王都内だけでいえば状況はもっと悪い」という会話の一部がしっかりと。

少し離れた場所で、こちらに背を向けた二人の厩番は片付けの手を完全に止めて頭を突き合わせていた。もう少し詳しく聞きたいと体を向けた時に、ショノアに気付いた彼らは慌てて頭を下げて散ってしまった。


「あ、」


 魔物の発生に続く異常気象。年配者にしてみればまだ十年。記憶はさびれておらず、嫌でも当時を想起し、結びつけてしまうのだろう。


王子から使用人の様子について質問されていなければ、その会話も気に留めなかったかもしれない。

宿舎の自室に帰るまで、より耳に神経を尖らせてみれば、他にも不満、不安の数々が聞こえてきた。


それらは見過ごせないくらいに渦巻いている。



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