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233 雨とマルスェイ

 雨音が大きくなったことでショノアは回廊まで戻っていることに気付いた。騎士の任務時とはまた違う緊張感から解放され、思い出したように呼吸をする。


 その後も王子から王宮で働く使用人や城下の様子におかしな気配はないか、何か気付いた点はないかと尋ねられた。しかし、寄付薬を託された二名の補助のほかは、セアラに付き添っていたショノアが見聞きしたことは少なく、王子を満足させるだけの情報は持ち合わせていない。


ショノアが捨て身の覚悟で渡した移住地に関する文書に感心した王子は、これまでの報告書も取り寄せて目を通したのだという。「的確で細かな視点は陛下も高く評価している。今後も励むように」という言葉を賜った。


報告書に纏めたのはショノアだが、些細でも裏付けに値するだけの情報を広く集められていたのはニナがいてこそ。そして、今回もその目と耳を王子が求めていたことを知る。


(ニナは…、そういや、王都を離れると言っていたような。本来ならば休暇中だし…、もう戻っているだろうか。情報収集を頼めば出発前に少しは…)


 王子の側近か候補かはわからないが、執務室にいる他の者から向けられる好意的でない視線を全身に浴びながらショノアは退室した。それがいまだ体に纏わりついているかのような不快感に体を大きく震わす。一気に押し寄せてくる精神的な疲労に、文官の大変さを痛感した。



 救護室がある棟が見えてきた時、窓辺でヒソヒソと話す使用人を見掛けた。ああいった自然と漏れる会話にこそ重要な情報が隠れているのかもしれないと思い、聞き耳を立ててみる。「もうずっと」だの「怪しい」だの、断片しか聞き取れない。そっとその視線を追えば、外で雨に打たれているマルスェイがいた。


円を描くようにうろうろと歩き回ったり、両腕を挙げて手の平で雨を受けたり、ブツブツ呟いたり。奇行に見えても仕方がない。

グラッと重心が揺れたかと思えば、ペタリと尻をついて動かなくなった。


「マルスェイ、しっかりしろ」


駆け寄って肩を掴む。顔を上げはしたがマルスェイから返事はない。唇は青く、カタカタと震え、白い息だけが広がった。厚い外套はびっしょりと濡れそぼり重たそう。顎や髪の毛先から断続的にポタポタと雫が落ちている。

ショノアは引き摺るようにして庇の下に入った。


救護室には湯を沸かす設備がある。ただでさえ忙しい職員の手を煩わせるが、使用許可を取り、マルスェイを押し込んだ。


「いやぁ、ショノア、済まない。さっきは凍えて声が出なかった」


 くしゃみの合間にマルスェイはさして悪びれずに言った。「ブシッ、ブシュッ」と繰り返すくしゃみは、動物の鳴き声のようになっている。手にしたカップから薬湯が零れ、体に巻いた毛布もずり落ちかけた。


「この雨は…冷たいな。体の芯まで…いや…心まで冷やすみたいだ」

「冬だからな。あまり無茶はしないでくれ。一体何をしていたんだ?」


ショノアは小さく嘆息した。マルスェイの突飛さには慣れてきたつもりでいたが、まだまだ予測不能だ。


これでいて、従騎士時代のマルスェイは模擬戦では負け知らず、その強さは戦局を見極める冷静さだと、鋭利な印象の面立ちと相まって評判だった。憧れ半分、やっかみ半分で「やはり、武門の出は優秀さが違う」と噂されていた。その頃のショノアはまだ見習いで、体もできあがっておらず、従騎士に上がれるかどうかもわからなかった。下働きのような日々につい、「ずるいな」という感情が浮かんだこともある。しかし、彼の行動理念を知った今では、魔術師になる道を認めてもらうためにも最短で剣を修めようと努力していたのではないかと考えられた。


「雨を…、『水』を感じたくて」


マルスェイは急にしんみりとして顔を伏せた。薬湯で温められた息がはぁと吐き出される。


「なぁ、ショノア、ずっと前に、山火事の現場に遭遇したことがあっただろう? 私が貴殿らに合流して、王都へサラド殿を連れて帰る途中だ」

「ああ、あったな」

「急な降雨で大事に至らなくて済んだと。恥ずかしながら私は気絶してしまい、記憶がない。その時の雨は普通(ヽヽ)だったか? サラド殿の様子で覚えていることはないか? 何か、何でも、ちょっとした違和感など、些細なことでもいいんだ」

「…すまないが、俺には魔術のことはわからない」

「そう…だよ…な」


申し訳なさそうにしつつも、深く記憶を探ることもせずに返答したショノアに、マルスェイは項垂れた。気落ちを誤魔化すようにちびちびと薬湯を口にする。


「風邪をひかないように気を付けてくれ。近々出発することになった」

「はは…。結局、貴殿とセアラには休暇なんてないも同然だな。私の進退は保留のままになるのか…」

「マルスェイ、まだそんなことを…。いや、そうだよな」


ショノアはゆるく首を振って己の言葉を遮った。安易な慰めなど、と思ったところで「そういえば」と思い直す。


「だが、良い機会かもしれないぞ」

「良い…機会?」


訝しがるマルスェイにショノアは神域の湖に参拝される王子殿下の随行を命ぜられた件を説明した。


「殿下は『水の司るところ』だから、と」


マルスェイは「ああ」と納得した。魔力を取り戻したいと切望する彼を気遣ってくれたショノアに礼を述べたが、その表情は明るくない。


「日取りはもう決まっているのか?」

「いいや、まだだ。殿下が直接参拝されるのだから、それなりに調整が必要だろう。今頃、文官たちが苦心しているに違いない」


 王族が正式に神域へ参拝するなど滅多なことではない。それこそ、国難に際してくらいなもの。他国との兼ね合いで古の信仰を排すこともないが、神殿に配慮して公に崇めることもない。

今回は民への訴えかけに利用するのが主な目的で、大々的に発表されるのだろう。


「神域…か。無事に着けるのか」


 マルスェイの言いたいことを察し、ショノアも苦笑した。互いに羞恥で顔を逸らす。

あの時、ショノアとマルスェイは魔物の術下にあった。湖に直面したのは、自らの判断で体を動かすことができず、セアラとニナを攻撃しようと追いかけての結果だった。治癒士の口振りでは、湖畔までの道程を迷わされていることにニナだけが気付いていたらしい。その場所からすんなり帰ることができたのは最強の傭兵が誘導してくれたからだが、彼の怒りは凄まじく、湖畔どころか、周囲の林に入ることすら許さないという態度だった。


次もまた湖に辿り着けるとは限らない。正直言えば、王子の命令には困っている。だがショノアは否と言える立場ではない。

どちらともなしにため息が漏れた。


「水の神に許しを乞い、雨が止むようにと願う…か」


 理性ではこの雨が災害の一歩手前まで来ていることを理解している。けれど、雨が忌とされることにマルスェイの胸が何故か痛んだ。


「祈祷をするセアラは重責かもしれないな。まぁ…、ここらで一度王都を離れるのはいいかもしれない。なんせセアラに対する兵士の熱狂は…、少し怖いくらいになってきている。王族の依頼であれば、彼らも納得するしかないだろう。それに、」


 祈りの言葉を唱えるセアラはその真摯な姿だけでも魅力的だ。その上、セアラは祈りを求める者の手を取る。ふわりと両手で挟むよう握るのだ。自ずと顔も間近となり、祈りの清らかな声が耳を撫でれば、吐息までかかりそうになる。

それで、虜となるなという方が難しい。

兵士の無骨な手に対してセアラの手はあまりに小さい。祈りを終えてもガッチリと掴み、放してもらえないこともしばしばだった。「貴女は私が守ります」と言い出す者までいる。


 元来、真面目なセアラは投薬前の負傷者を目にした時もその酷たらしい傷から目を背けることはせず、時折、本を確認しては観察に努めた。また、魔物に負わされた傷について熱心に聞き取りをしている。


祈りのためにその本を側卓に置いたところ、何気なく医師が手に取った。医師はそのまま食い入るように見続け、終いには「写本を作らせてくれ」と要求し、当惑するセアラの手に戻そうとしなかった。


セアラの「返してください」という声が切羽詰まったものになる。ショノアは同じ室内にいたが、衛生兵と一緒にいて対応に遅れた。その本がサラドから授けられ、セアラがどんなに大切にしているのかを知っている。慌てて駆け寄ろうとする頃には、マルスェイが取りなしていた。

医師から渋々返却された本をしっかと胸に抱いたセアラは涙目になっていた。すっかりセアラに心酔していた兵士はそのいじらしい姿を目にして、医師を批難した。


「奇蹟で傷を癒やす神官にはもったいない本ではないか。医師こそがその知識を正しく用いることができるのに。神に仕える身が独占とは欲深いな!」と不機嫌を露わにした医師は出て行ってしまった。

室内の雰囲気は険悪なものとなり、批判の言葉をぶつけられたセアラは本を抱く腕にぎゅっと力を込めて、俯いた。


 医師は知識と技術による治療に誇りを持っている。『奇蹟よる治癒』は素晴らしい力だが、そこに傷や病の知見はなく、神の恩恵で『なかったことにする』ものだという偏見があった。努力だけでは身につかない力への嫉妬も否めない。

セアラへの態度は完全なる八つ当たりで大人気ないことは当人が一番判っている。それでも、声を荒らげずにはいられなかった。


 そこに遣いの者がショノアを呼びに来たのは丁度良かった。気持ちが沈静するまで、セアラには強制的に休憩を取らせることにした。祈りを望んで順番待ちをしている兵士は不満そうだが、投薬を受けた彼らより余程顔色が悪く、喉は掠れ、立ち上がる際にふらついたと指摘すれば、了解が得られた。


兵士に追いかけられないようにとセアラを送っていったマルスェイがその後、雨に濡れているとは考えもしなかったが。


(今にしてみれば、医師があんなにムキになるなんて違和感がある。薬瓶の犯人捜しだって…。皆、疲れが溜まっているせいだろうか。良い連帯感が生まれていると思っていたのに)


綻び出した関係にショノアは嘆息するしかなかった。



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(*’▽’*)

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