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231 精霊と祝福と

 もうもうとした湯気、ゆらゆらと揺れる水面、そこで見え隠れする気配がある。湧き出る湯の放つ力が気になるようで、小さな水の精霊が様子を窺っていた。

サラドはゆっくり湯元に近付く。蒸気は熱いくらいで、うかうかしていたら火傷するだろう。


(こんにちは)


にこっと微笑めば、水の精霊がぴちょん、と顔を出した。


――入ってみていい?

(もちろん)


湯にとぷりと浸り、サラドの前に飛び出してきた水の精霊はその身からパチンパチンと気泡を爆ぜらせて、クルクルと遊ぶ。


――楽しい 心地良い ここにいたい ヒトのものだけどいい?

(確かに掘ったのは彼らだけど、水も大地も誰のものでもないし、それに、きっとみんなも喜ぶよ)


脇出湯と共鳴した水の精霊がキラキラと光り、水飛沫を上げた。力を取り込んだ水の精霊はひと回り大きくなっている。サラドの顔周りで水の精霊はクルンクルンと身をくねらせ、頬にピチョッと触れると湯に潜っていく。


(良かったね。オレも嬉しいよ)


突然、勢い良く噴き上げた湯に傭兵たちは歓声を上げた。



「なんだ? なんだ?」

「すげぇ! この水量なら結構大きな施設を作ってもいけるんじゃないか?」


パチパチと気泡を弾けさせ、歓びの声を上げる水の精霊に興味をそそられたのか風の精霊も集まってくる。湯気が風に流され、温かさを皆の元へ運んだ。

水飛沫と蒸気に木漏れ日が反射して、サラドの周囲がキラキラと輝く。


「あー、精霊が居着いてくれたみたいだね」

「そうだな。で、祝福もしてくれるとアイツも…ぐっ」


サラドを眩しそうに見たシルエは小声で独言した。便乗して、頼んでいた件を持ち出したディネウの脇腹をすかさず突く。


「やるけどっ。あくまでサラドと精霊のためだからね! 勘違いしないでよ!」


シルエがクルリと杖を回転させた。紡がれる言祝ぎ。その様に気付いたサラドがシルエに笑顔を向ける。

不承不承で祝福に臨み、「ここの管理者も地主もがめつそうだな」とか「傭兵たちは体良く薄給で働かされただけでは」などの雑念が過っていたシルエだが、サラドが嬉しそうにしているのでどうでもいいかと思えた。精神が凪ぐと、祝詞に力が集中する。淡い光が穏やかな波のように地に広がっていく。湯泉というより、水脈も含んだ一帯が祝福に包まれた。

再び「わぁ」と傭兵たちの歓声が上がり、管理人は目を丸くしている。


 祝福を受け、地の精霊が岩間からひょこっと顔を出した。


(ここは騒がしくなってしまうかも。…イヤ…かな?)


サラドの問いかけに地の精霊は少し前――人にとっては遠い昔に想いを馳せるようにじわっと動く。しばらくして、コロンと転がった。


――構わない 人の笑い声、懐かしい

(ありがとう。よろしくね)


手を差し出すと握手を交わすように地の精霊がコロコロと左右に回る。


(あっ、でも…、みんなも、変な気配を感じたらすぐに逃げてね。何かあったら呼んで) 


サラドが周囲をゆっくりと見回す。神妙な顔で右肩に手を添えると、そこに居合わせた精霊たちはしっかと頷きを返した。


(良かった…)



 ノアラがせっせと図面を書き起こしている間、早くも必要な資材を集めようと傭兵が散って行く。手押し車がガラガラと音を立ててシルエの横を通り過ぎた。


「みんな元気だなぁ。怪我の経過は大丈夫なの?」

「重傷だったヤツはちゃんと宿で休ませている。無茶をしないようにキツく言ってあるから」

「そ」


シルエが素っ気なく返すと、沈黙が落ちる。ポリポリと頭を掻いて迷いをみせていたディネウがこそりと囁いた。


「なあ、シルエ、この湯に薬効があるなら、お前の作る薬にも使えたりしないか? 例えば、あの『ちょっと元気になる水』の原料にできたり――いでっ」


杖で向こう脛を叩かれたディネウが呻く。シルエとしては、石突で足の甲を打たなかっただけまだ手心を加えている。


「何? やっぱりエテールナさんの湧き水は使わせたくなくて、湯を掘らせたの? あー、ヤダヤダ。そんな狭量な男、嫌われるよ」

「そんなことは…な、お前が汲む分には仕方がねぇけどよ…なんだ、その…」

「ちっさ。図体はでかいけど、心がちっさ」

「うるせ」


ディネウがプイッと顔を背けたところで、シルエは大仰に溜め息を吐いた。


「はぁ…。真面目な話、もし、この新しい湯泉の効能と、傭兵が持っていた『特別な薬』を結びつけて考えるように仕向けたいなら、ちょっと慎重になった方がいい。聖都とも無縁ではいられないかもしれないからね」

「お、おう…。だが、神殿は湯治場(ここ)も、宿場町も、巡礼路も自ら管理しようとはしていなかったろ? むしろそこで何が起きても神殿とは無関係で責任はないって態度じゃないか?」


決まり悪そうにディネウが反論する。シルエの片眉がピクと跳ねた。


「今までは聖都の中にいさえすれば、そこに守られて安全だったもの。褒められたもんじゃないけど、一部の神官はそこにいるだけで、うまいことやって贅沢できていたんだよ。

売りであり威光でもあった結界だけど、一番強固なはずの本神殿礼拝堂にまでゴーストが侵入した。まずいって感じてなきゃ頭悪すぎでしょ?

悪魔の手もあって、まず内側でゴーストが発生して場がそうなっちゃってたし、魔人の仕業もあるし、因縁の人物が内にいたせいで引き寄せられたってのもあるけど。そんな事情、関係なく聖域に疑問を持つのが普通じゃない? なんか、『救いを求めるゴーストが祈りに導かれて集まり、神殿はそれを受け入れた』んだってことに、一生懸命しようとしてるみたいだけど。人の口に戸は立てられないからねぇ。

これから神殿長がどう改革していくかは未知数だけどさ。信心なんかなくて、ただ身の置き場として神官になったような、保身を真っ先に考えるような人たちだって大勢いるんだよ。

評判が上がれば、即ち、神殿の利になる、金になると知られる。どんな圧力をかけてくるかわかったもんじゃない。山林の町から宿場町までの一帯、聖都ありきの観光収入が大きいって、よぉーく知っているからね。ただ、そこに手出しするまでもなかった、安全な結界の外にわざわざ出たくなかったってだけ。自分たちが守られていればいいって考えの人が、上層部ほど多いんだもん。

だから、湯治場を観光地として整備するのに傭兵たちが尽力したところで、収益が上がりだしたら、上納を求められるか、追い出されるか。

しかも、もともと神殿由縁のものだったって事を大々的に喧伝するだろうね。その伝承で人を集めていたのも事実だから厄介だよ。

湯は神殿の崇める神の許し、それを使った薬が傭兵に与えられていた。何にも知らない人から見たら、どう映る?『傭兵は神殿と癒着あり』そんな勘繰り、嫌でしょ?」


淀みなく喋り続けたシルエがやっと息を継ぐ。つられてディネウも嘆息した。


「そんなにか…」

「ま、すぐにどうこうとはならないだろうけど。後々まで見越して、それくらい疑っておいた方がいいよってコト」

「くそ…面倒くせぇ」


ディネウがバリバリと頭を掻き、げんなりと項垂れた。



「これ、石碑にするのに良さげじゃないッスか? 趣があるっつうか」


ギシギシと悲鳴を上げる手押し車で運ばれて来た岩が管理人とディネウに指し示される。新しい湯の整備ができ次第、伝承の湯には碑を建て、取水は特別な場合のみ許すことにしたいという意向だった。荷台にやっと載るくらいに岩は大きく、一辺が弧を描く形で厚みはそこそこ。表面を覆う枯れた苔が一部分剥がされて覗くのは重厚な暗緑色。渋いながらも磨けば輝きそうだ。広い片面が平らなので確かに由来を彫るのに適している。


「この岩…人の手が加わっているね。ここ、切り出す際の痕だよ。それに、ここに何か刻まれている」


サラドの指摘した箇所にノアラがじっと目を凝らす。うっすらとしか残っていない痕は見逃されてもおかしくない。かなり年代の古いものであるのは確かだ。


「この岩をどこで?」

「あ、えっと。この少し奥です」

「案内してくれ」

「えっ、あっ、ハイ。こっち、です」


姿を見せている時でもディネウやサラドを挟み、必ず距離を空けているノアラが直接質問してきたことに驚き、応える傭兵の声が裏返った。指し示された方角に案内よりも先にずんずん歩いて行く。


 林の中、草や木が少ない一画は地面がゴツゴツとしている。先程の岩を抜いた箇所はぼっこりと窪み、剥き出しの土が見えていた。他にも使い勝手の良さそうな岩を傭兵たちが物色している。

ノアラは流れるように調査を始め、サラドも手の平をペタとつけて目を閉じる。ゆっくりと瞬きをしたサラドがノアラを見遣り、小さく首を振る。


「ここにある岩は石材として元あった場所から移動されたみたい。ここが遺跡とは考えにくいな。それから更に年月が経ち過ぎていて…、記憶が遠くて。地形が変わったのか…どこの山だろう…。これだけ大きな岩だし、比較的近くではあるかもしれないけど」


ノアラもこくりと頷いた。


「この直下の地中にも人為的な空間の反応はない」

「ふぅーん、そりゃあ、残念だね」


ノアラが慎重に苔を取り除いているのに対し、シルエはペッペッと適当に手で払っている。ノアラは思わず眉間に皺を寄せた。


「うーん、だいぶ風化しちゃってるけど守護の文様かな? でもバラバラにして運び出されるくらいだから、機能を失ったのは早い段階じゃない? 強固でもなかったのかもね」

「距離からして庇護していたのは聖都の元と考えるのが妥当か」


 収監施設の捜索から見えてきた事実と、魔術師の隠れ里に保管された手記から、シルエとノアラは古代の定説――大きな力を持つ魔術師は社会を形成せずにいたと考えられていた説について考えを改めていた。実際には力ある魔術師の庇護を受けた都市ないし集落が近くに点在していたのではないか、保有魔力量に応じて住み分けさせていたのではないかというものだ。

潜在の魔力量が劣る者を魔力なしと蔑み、奴隷のように扱っていた偏屈な者も確かにいたのだろう。一人隔絶された場所で生きていた魔術師の住居ほど遺跡となりやすく、その記録も遺った故ではないか、と。


「これが礎石だったとすると規模はそれほどでもなさそう? なにか遺されていたら良かったのにね」


ノアラがこくりと頷いた。



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