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230 新しい湯

 掘り当てた湯は三箇所にのぼる。

その内のひとつは既存の湯と水源が同じ。第一の目的がこの湯であるため、報告はここから始める。


 この湯治場の起源である泉は、近年めっきり水量が減っている。昔は湯気の立ち昇る水が小川を成し、林中を流れる川に合流していた。それが今では岩間からチョロチョロと流れ出るだけ。「このままでは、涸れてしまうのでは」と心配の声があるのも尤もな状態だ。しかし、信仰対象でもあるので、手出しをせず自然のままにするのが良しとされている。


 魔物との戦闘で負った怪我を薬で治癒した傭兵を保養させるため、ディネウは湯治場に受け入れを掛け合い、騒がしくなることを予め詫びていた。その際に地主から「いつ湯治宿を閉じることになるやら。もっと発展すると見込んでいたのですがね…。せめて記録にあるような賑わいが戻れば」と愚痴兼相談を受けた。要はこの湯を少々大袈裟に宣伝してほしいということだろう。


あくまでディネウの勘でしかないが、地中の湯は豊富にある気がする。一旦話を持ち帰り、サラドとノアラにも協力を求めると、だいたい同意見だった。

そのことを伝え、伝承の泉を補う湯を掘ってはどうかと提案すると、地主は前向きで、滞在費の免除の他に成功報酬も考慮する意向を示した。


傭兵たちはのんびり過ごすことに三日となく飽きていた。元々、負傷を顧みない戦い方をするような若者だ。薬で怪我が癒えているのに、機能回復程度の軽い鍛錬しか許されず、すっかり暇を持て余している。そこに穴掘りの話が持ち掛けられ、俄然やる気を漲らせた。


休養宣言で更に人数も増えた。引退して近隣に居を構えている元傭兵も加わったことで作業は順調に進捗する。元傭兵にはかつて土木作業にも従事した者がおり、指示も統率も円滑だった。

泊室が足りずに雑魚寝状態でも、文句はおろか、愉快そうにしている。宿に戻るのが面倒からと作業場近くに野営を始めたりと、気ままだ。


「治るか治らないか」という病と向き合う者や、敬虔な信徒ばかりで、やや陰気だった湯治場が一気に賑やかになった。静かに過ごしたい者にはさぞ迷惑だろうと思いきや、彼らが泥だらけになって笑い合い、時に年甲斐もなくふざける姿は活力と希望を抱かせる一面もあったらしい。


 一箇所は確実に湧く場所を探っていたため、憂慮すべきは元の泉を阻害しないかだ。それも念頭に置いてはいたが、掘り進めるうちに指定した範囲を外れて傷付けることも考え得る。サラドはチョロチョロと小気味良い音を立てて流れ出る湯に変化がないことを確認して安堵した。


「ここは、伝承の泉と一緒。飲むのに問題はない。言い伝えでは、病を癒やし、怪我の回復を早めるのでしたっけ?」


「そうです」と湯治場の管理人が肯定する。『大地が与えてくれる薬』はぼんやりと『あらゆることに良い』とされている。『神の許した湯』ということで真偽を追及しないのが暗黙の了解だ。


ノアラが分析した詳細を頭の中で反芻したサラドは「うん、そうだね」と一人納得する。続く言葉を待つ誰かがゴクリと息を飲んだ。


「確かに胃腸の虚弱とか、便秘とか、内臓に良いです。適量は大事だから、朝晩に一杯ずつというのも理に適っています。細かい症状を言うと――」


実際に効能があると明かされ、管理人は『神の許し』を詳らかにしてよいものかと一瞬戸惑いの表情を浮かべ、すぐに切り替えた。サラドの説明を記録しようと慌てる管理人の横でノアラがサラサラと書き留めていく。こくりと頷かれ、管理人はペコペコと頭を下げた。


「…だけど、体の内に病が潜んでいるなら、やっぱり確かな診察をしてもらって、その人と症状に合った湯の利用が望ましくて…。本当は湯治場(ここ)に医師がいて、相談に乗ってくれるのが一番なんですが」


治療目的で安易に湯を飲むことにサラドは難色を示した。ただただ心配そうな顔をしている。


確かに、長期を見据えて一日二杯を摂取し続けることで不調を少しずつ改善させていく効果はあるだろう。しかし、病の進行が上回っていれば、手遅れになることも、最悪の結末だってあり得る。


湯が含有する成分は薬というよりも生体に不可欠な栄養素が主。体内では合成されないので食物から摂取するしかなく、生活環境や偏食で著しく不足すると様々な不調を引き起こす。

普通の水にも一部は含まれているが、その種類と量が豊富なのだ。


但し、過剰に摂取するのも良くない。また、投薬治療中であれば薬物の効果を減弱させてしまう成分もある。


「…湯治場で医師を雇うのは難しいかと。中にはお抱えの医師を伴っていらっしゃる方もおりますが…」


医師は特権階級の家と契約していることが多く、専属となることもある。紹介なくしては診てもらうことも叶わない。

この地で開院する医師がいるのであれば良いが、雇うとなれば賃金も大きく負担になる。現状、そんな余裕はこの湯治場にはない。


「それに、貴賤貧富を問わずに診察してくださるお医者様に心当たりなど…」


管理人と傭兵たちの視線がサラドに集中した。


「ん? オレは薬師の弟子でしかないよ。医師ほどの知見も技術もありません」


慌てて手を振って否定するサラドにシルエが呆れた。


「マーサから直接『もう教えることは何もない』とお墨付きをもらう機会はなかったかもしれないけど、まだ『弟子』を名乗っているの? まあ、それはおいとくとして。兄さんがここに常駐なんて有り得ないけどね?」


語尾に従い低められたシルエの声に、本能的に寒気が走る。その酷薄な目は「図々しくサラドを望むな」と如実に語っている。管理人は堪らず顔を俯かせた。指先をまごまごと動かし「すみません」と小声で口籠る。その謝罪にシルエはふんっと鼻を鳴らした。


「すぐには無理でも…、要望は出しておきます」

「この地名がもっと売れて、うんとお客が押し寄せたら、便乗しに来る医者もいるかもね。ま、それがまとも(ヽヽヽ)な医師かどうかは別として」


シルエが冷ややかに言い放った。

市井には公には認められていない自称医師もいる。その腕と倫理感は当たり外れが大きい。診察代だってピンキリ。それでも、頼らざるを得ない。損得抜きに一般市民を診てくれる医師は少ないからだ。また、そういった志のある医師が地元の患者を捨ててまで招きに応じる筈もない。


「…そう、だよね。『快癒』とか、『必ず治る』とか、多大な期待を抱かせるような文句は掲げず、無理な飲泉を避けるよう注意をお願いします」


サラドは小さく嘆息した。藁にも縋る想いでこの地を訪ねる人に『診察もなしに湯を飲むのは止めろ』とは言えない。


「過去、運良く病を退けられた者は、その症状がこの湯と相性が良く、ここで規則正しい生活をすることになり、しっかりと療養したことこそが大きかったのではないだろうか、と愚考します」


サラドの言葉を書き留めたノアラは波線を引くことで注意事項を強調した。

その紙を渡された管理人はサラドではなくシルエの反応を気にしながら「はい、確かに」と頷く。



 あとの二箇所はやや山に入った場所、伝承の泉と今ある宿とは程良い距離にある。その手前まで道が延び、野営にもってこいの切り拓かれた地があった。この湯治場が賑わいを見せていた昔、小さな宿や、世話人の住居が並び、集落として機能していた名残らしい。


湧いた湯泉よりけりで、次なる計画へと移行する予定でいる。

放置されていた故に芽吹いた若木が伸びているが、一部建物の土台も残っていて、少し手を加えるだけで開発が可能だ。全員でないにしろ、引き続き傭兵にも仕事があるだろう。


 白い水が噴き出し、もうもうと湯気が立つ場所を指し、傭兵たちは褒めてもらいたそうに「どうです?」とディネウに笑顔を向けた。

伝承の泉と同一の湯泉は神経を使う必要もあったが、こちらはあくまでもついで。自分たちで掘り当てた湯に傭兵たちの気も緩んでいる。

ノアラは成分を口上するのをやめ、書き出したものをサラドに見せた。


「こっちは…、成分の構成が向こうとは少し違うね。これが強すぎるから…、飲むのには適さない」


ノアラもこくりと頷く。傭兵たちの顔ががっかりと陰る。


「でも、皮膚に良いから、足を洗ったり、荒れや湿疹痕が気になるところを優しく拭うと良いかも。あー、もちろん化膿しているような傷があるところに使ってはダメ。荒い過ぎるのも、ゴシゴシ強く擦るのも良くないから、うん…、診断してからの方がいいんだけど…」


結局は先程と同じ話になってしまうため、サラドは控えめに注意を促す。


「肌荒れやニキビ痕なんかに効くってことッスね。じゃあ、美人の湯?」

「美人?! …そういうのは語弊があるというか、そういう効能はないというか」

「美人がダメなら美肌?」

「うん、そういうことじゃなくて…」


サラドが苦笑するが、傭兵たちはわいわいと盛り上がっている。


「最後の、こっちは温度が高いね。飲むのは…うん、お勧めしない。でも、水路の上をすのこ敷きにして、蒸気を浴びて体を温めるといいかも。体をじんわり温めて汗を流すと、体内の悪い物が排出される助けになるし」

「温まるだけでいいなんて良いッスね。飲むより楽なんじゃ? 蒸気が逃げないように小屋を建てて、ゆっくりできる方が良いッスね! これは人を呼べそうな予感」

「あ、小屋の通気には気をつけて。あまり長く温まるのは体に負担がかかるから、時間は適度に、水分補給もして…。体力が落ちている人は無理しちゃダメだし、心臓が弱っている場合も良くないから、やっぱり診断を…」

「間違って飲んだり、無茶をしないように監視する人が必要ってことッスね」

「うん、まあ、そうだね。相談員みたいな人がいるといいかも」


ノアラはサラドの意見を参考に三箇所それぞれに必要な工事を考え、図面に起こし出した。

飲泉はできないが資源として活用法があると知り、傭兵たちの喜びもひとしお。自由に「ああしたら」「こうしたら」と意見を出し合う。それもノアラはきちんと書き取っていく。


「あの…、できましたら地主様を交えた報告にも立ち合っていただけると」


傭兵たちの勢いに負け気味の管理人が焦りを見せる。地主は掘ることは認めたが好きにして良いとは言っていない。


「あー…、おい、お前、今までのちゃんと聞いていたよな? 俺たちは用が立て込んでいるから代わりを頼む」 

「了解ッス!」


ディネウから指名された傭兵が元気良く返答した。



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