229 新しい歌
港町と同様の懸念がある街道沿いをサラドとノアラが先行して町村の調査、ディネウとシルエが魔馬ヴァンに乗って穢れを祓いながら進むことになった。
「あー…その、な。ついで、と言っちゃあ何だが…、湯治場に行ってるヤツらから湯が出たって報告がきていてな。その、サラドとノアラには湯の検分と安全性の調査をしてもらいたいんだが…」
流石にこの状況で頼むことに後ろめたさがあるのか、ディネウにしては歯切れが悪い。
「そっか。無事に湧き出たんだね。事故があってからではいけないし、もちろん、見てくるよ」
ほっと息を吐くサラドの話しぶりから、前もって見当を付けたのだと知り、シルエは思わず舌打ちした。
「ああ、助かる。二人に追いついたら、シルエには祝福を…うぐっ」
サラドと組みたいという訴えを切り捨てられて、絶賛不機嫌中だったシルエは全てを聞き終える前にディネウの脇腹に肘打ちをお見舞いした。
「祝福するかどうかは行ってから考えるよ。さ、出発!」
どのみち別行動が避けられないならば、さっさと片付けて合流するに限ると考えたシルエはディネウを杖で小突いて追い立てる。
「へいへい、オオセノママニ」
ディネウはそれを甘んじて受け入れ、ヴァンの鞍を用意しに裏口に向かった。
魔物は既に出現していた。聖都から帰途にある者が多く立ち寄ったであろう場所ほど穢れの影響が現われている。殆どの者が中継点として足を止める山林の町は特に顕著だった。街道寄りの観光が盛んな商業区、高級宿の近辺で被害がちらほらとあり、町の衛兵も自警団も広場を中心に警らを強化している。比較的安宿が並ぶ、巡礼路寄りにあたる裏側では少ない。
魔物は小さく弱い種ばかりで、船と同じく鼠が多い。傭兵との共闘で鍛えられた自警団でも十分に対処が可能で、今のところ救援の要請は出されていない。その大きさと狂暴性に怯むものの、鼠は駆除対象として慣れているのも大きかった。
自警団が魔物を討伐する姿は住民の目に留まり、信頼と期待がより高まった。しかしながら、その称賛を素直に受け取れずにいる団員もいる。傭兵へ向けられた住民の裏切りともとれる態度、それがしこりとなっていた。
これまでと違い、町村内で魔物が出現した衝撃は大きい。生活を直撃する恐怖と不安は新たな穢れを生み、それがまた魔物化の元になる。まだ範囲は小さいが、一定以上に至れば、爆発的に拡がるだろう。
「…うん。とても楽観視はできないな。近いうちに家畜が魔物化するかも」
ノアラはこくりと頷いて同意を示し、「冬で良かった」と呟いた。草木は休眠期、生物は冬眠する種も多く、そうでないものも動きは鈍る。鼠の魔物化が多く見られるのは冬眠せず、人の住む場所にも生息しているため。体が小さいものはその身に穢れが溜まるのも早いのだろう。ノアラが言うように虫などが活発な時期でないのは幸いかもしれない。大きくなくても虫の素早さと硬さ、そして数の多さは中々に苦戦を強いられる。冬眠中である種にも魔物化が及び、暴れ出さないことを祈るばかりだ。
「せめて人と人の不和を解消できたら…」
ぎゅっと眉根を寄せるサラドに、ノアラは悄然と肩を落とした。魔物を屠る術なら幾つも思いつくが、人の心に寄り添う、仲裁するなどはノアラのもっとも苦手とすること。
「…少しだけ、寄り道していい?」
サラドが特に穢れが酷いと感じ取った場所に目印を置き、シルエが情報を受信できるようにノアラが魔力を流す。それを終えて、次点へ移動しようかという時にサラドが遠慮がちに言った。ノアラは「無論」と頷く。
サラドは町中にいる精霊にも逃げるように声をかけていた。本来、人の暮らしの近くにいる事を好む精霊も、トゲトゲしい感情が支配していれば居心地が悪く、自然と離れていくもの。しかし、魔人の影響がある穢れは土塊と同様に精霊の力を奪う。力を失いつつある精霊を見つけては、サラドの体を通して精霊界に帰る手助けをした。
街道付近は魔物が増えた段階で逃げるように伝えているので残っている精霊は少ない。精霊がいることによって得ていた恩恵は徐々に失せていくもので、急激に水が涸れる、不毛の地になる、生活がたちいかなくなる心配はない。
精霊が穢される実害を避けるには、人の豊かさに多少の陰が落ちても致し方がない。
家々が並ぶ通りから離れて人目につきにくい場所に移動したサラドはノアラに音の術での補助を頼んだ。すぅと息を整え、歌い出すかと思いきや、ノアラを振り返ってもじもじとする。
「下手でも…、音を外しても笑わないでくれると嬉しいんだけど」
「? サラドが嫌であれば」
ノアラは耳を塞ぐ身振りをして「聞かない」と意思表示する。音楽の上手下手も、情緒もノアラには良くわからない。
「嫌っていうより、まだ歌いこなせなくて。恥ずかしいだけなんだけどね」
「わかった。それで集中できない方が問題だ。効果を高めて範囲を広げる術に加え、僕の耳に入らないようにする」
「えっ? そんな調整もできるようになったの?」
「音を攻撃に使う場合に味方も巻き込むのを防ぐ必要がある。離れた場所にいる複数人を細かく指定するのはまだできないが、近くにいれば」
「あー、なるほど。流石はノアラだなぁ。じゃあ、お願い。…実は精霊たちに聞かれるのも恥ずかしいんだけどね。反応が率直だし」
サラドは八重歯をチラッと覗かせて、照れ笑いを浮かべた。
ノアラが発動した魔術陣の中に収まる位置に立ち、サラドは歌う。生命力を高め、元気にさせる効果がある歌。その対象は大地も動植物も、もちろん人もだ。
山場の高音で首を絞められたような声になり、表情が歪む。拙い歌では効果が小さい。
約束通りサラドの歌声は遮断されてノアラの耳には届かない。しかし、魔力を含むが魔術とはまた異なる、言い表すなら波動といったものを肌に感じる。サラドの歌はいつも心地よいのにと首を傾げつつ、このことをシルエが知ったらまた八つ当たりをされそうだな、とノアラはぼんやり思った。
歌い終えたサラドは中空に向けた目をソワソワと揺らして、はにかんでいる。「も…もっと練習するよ」と声に出したがノアラに対してではない。歌に惹かれて集まってきた精霊に歌唱の出来を冷やかされているらしい。
木漏れ日がサラドを照らし、光がチカチカと瞬く。彼の周囲だけで不自然に風が吹き、髪が揺れる。サラドは赤くなった顔を両手で覆って「もう、勘弁して」と絞り出すように言った。
湯治場では屈強そうな男たちが自前のマグカップを手に列をなしていた。
岩間からチョロチョロと流れ出る湯をカップに溜めるのには少々時間がかかる。この湯を朝晩二杯飲むことで体から悪いものを排出する、または怪我の治りが早まると伝えられている。湯は舌をシュワシュワと刺激する気泡が入っているのが特徴で、少しばかり癖のある香りがして、美味しいとは言い難い風味。
名目上は怪我の療養中である傭兵たちだが、すこぶる元気そうだ。順番を待つ間の談笑は賑やかで、ど突き合ってガハハと笑う。手にしているのが体を癒やすための湯ではなく、酒にしか見えない。
この湯治場の謂われは、聖都の始祖が道中でこの湯で口を潤したところ、たちどころに疲れが癒えて、残りの道を一気に進めたというもの。それが本当であればかなり歴史の古いものだ。
しかし、傭兵たちが押しかけるまで閑散とした静養地であった。こんなに喧しいことは過去にない。
湯治には長期滞在が必要になるが、それが可能な裕福な者は、この環境に耐えられないだろう。山中にあって、宿も食も質素であり、至れり尽くせりのもてなしは期待できない。貴族は敬遠するし、重症であればここまで来ることも叶わない。貴族がお忍びで宿泊するのに遜色ない宿を建てる計画は何度も立ち消えた。利用者が未知数のため投資もしにくい。
そのため利用者は、どんな治療法であれ縋りたい者か、あやかろうと巡礼中に立ち寄る信仰に厚い者くらいに留まっている。
歌という行動を追加し、それも数箇所に及んだため、サラドとノアラが湯治場に到着するのは予定より時間を要した。湯の調査に着手した頃にディネウとシルエが合流したが、こちらは予定よりも大分早い。
「ほら、ご褒美だ」
ディネウの手から黍糖の欠片をもらったヴァンは鞍を着けたまま「もう我慢できない」という勢いで走り去る。ビュンと突風が梢を揺らした。
「あーあ、そんな贅沢を覚えさせて。悪知恵をつけちゃうかもよ?」
思い切り走りたいヴァンに、ディネウからの指示はずっと『常歩』だった。落ち着きがなくなり、ちょいちょいディネウの様子を窺っては足運びが少しずつ速くなることもしばしばで、その度に黍糖を一欠片与えて宥めていた。
「俺らにしてみれば、麦一粒もらうようなもんだろ? 逆に良くこれで我慢してくれるよ」
「糖はご馳走。あげ過ぎは」
ノアラが黍糖を入れた巾着袋に視点を据え置いているのを感じて、ディネウも「わかってる」と手をヒラヒラと振った。
「街道自体の穢れは町中ほどじゃなかったよ。馬車の渋滞があったのかなって所はまあまあ溜まっていたけど。人と人との接触でより活発化するのかも」
「…そっか。内でも外でもだと負担も不安も大きいだろうから、町中の守りに重きをおけるのは良い…のかな」
「ん? なんかサラド、声が嗄れているね? どうかした?」
シルエの指摘にサラドが「んんっ」っと喉を鳴らした。ノアラが一歩、シルエと距離を取る。
「なんでもないよ。出せない音域に挑戦したから喉が疲労しただけで…」
「出せない音域?」
オウム返しに質問するシルエにノアラが「結果が出た」と割り込んだ。湯が含む成分名と割合を詳細に並べ立てる。そのひとつひとつにサラドは相槌を打つ。
聞いてもサッパリわからない用語の羅列に、傭兵たちと湯治場の管理人は期待の顔で噛み砕いた解説を待った。
ブックマーク ありがとうございます
(´︶` )