227 記憶に紐付く
「そんで、アオの方は大丈夫なのか? 船以外に凶兆は?」
「まだ、ない。緊急用の他に有事を報せる魔道具を渡してある」
ノアラがテーブルにひとつの筒を出した。数種の石が表面に埋め込まれている以外、これといった装飾のない地味なもの。使い勝手第一のノアラらしい品だ。
「あ、手紙の転送具じゃん。懐かしいね。それ」
ノアラがこくりと頷く。
「商品化すれば、また一財産築けちゃうんじゃない?」
ノアラはふるっと首を横に振った。
「ダメなの?」
「魔力の補充問題が解決していない」
筒をクルクルと回して観察しながら「あー、そっか」とシルエは納得した。転送の術は負荷が大きい。石の間を巡回させて生む魔力では機能の維持が精々。使用によって消費した魔力を補充して使うとしても石は摩耗していく。こまめな保守点検が必要となる。
「あーあ…、聖都に行く時にこれ、持っていたら…」
突然、後悔の念を口にしたシルエにノアラが咄嗟に持ち上げた手をゆっくりと下げた。心情的にはわたわたといったところだろうが、ノアラを良く知る者でなければ何かを取りたいのかと勘違いする動きだ。
「…助けを求められたかな。隷属の術でそれが無理でも、少なくとも聖都への滞在が僕の本心ではないことは伝えられのに…」
(でも…)とシルエは首を緩く振る。
〝夜明けの日〟後に、手の平を返して『所蔵している古書の閲覧を許可する』と招待してきた聖都神殿への不審は強い。重要な知識は頭に入れるものという考えでいるシルエは、愛用の杖や大事な装備は全て置き、最低限の荷物で向かった。古書に集中している間に荷を漁られる方を警戒してのこと。頭に入ったものは奪われることはないし、それができると自負していた。おそらくもっと慎重に構えたとして、この魔道具を持参するという選択はしなかっただろう。
「本当に、もう…迂闊としか…」
ブツブツと自嘲するシルエは無意識に装身具を弄ぶ。今では各々が転移座標を組み込んだノアラ特製の通信具を身に着けている。
あの生死を彷徨う闘いの日々、急を要する事態も多くあれども、兄弟間で手紙の転送を利用したことはほぼない。兄弟は四人で一組であり、サラドが偵察で離れることがあっても、工夫した合図は複数ある。
この筒は長らく改良せずに放置していた物をアオに渡すために引っ張り出して来たのだろう。
「これって元は王都の宝物庫にあった古代遺物だっけ?」
「現品は借り受けて修理し、返した。これはその機能を模倣した複製」
「借り受けて、じゃなくて『直せるものならやってみろ』って煽られたんでしょ」
「魔力回路の故障で動力が不足していたのが原因の主で、片方は壊れていなかったから、難しくなかった」
「いやいや、普通は無理だから」
ノアラはいとも容易いことのように言うが、魔道具を構成する術式を分析するなど知識があっても難しい。付与術は奇蹟の力とは理を違えるため、シルエはノアラほど魔道具には明るくない。力の効率化と強化を研究するため魔術の知識も得ているシルエでも、分析がいくらかできるという程度だ。ノアラは知識量もさることながら、それらを紐付けて活かす感覚が天才的。それは疑いようがない。悔しいほどに。
その昔、災害予知の情報提供に王宮へ参上したサラドは、廊下に飾られた置物が古代遺物であることに気が付いた。
部分欠損やヒビ等の損傷があり、元の色もわからないほどに煤けて像がぼんやりしている。かなりの年代物なのは一目瞭然だ。
大きさは小ぶりの箪笥くらい。外観は全体に浮き彫りの動植物が数多配されている。内側の上部に円盤、その下に長さの違う管が並ぶ。くすんだ乳白色の円盤を柔らかな曲線を描く枝葉の装飾が囲み、その上に等間隔で扉のような意匠がある。ただの造形物とは思えない。
それとなく褒めると、案内役は王家の宝物庫にはまだたくさんの遺物があるのだと自慢してきた。
(古代遺物か。もしかしたら、そこに手掛かりが…)
サラドが想起したのは、ある古代魔術の再現に挑んでいるノアラ。並々ならぬ意欲を示し、あらゆる手を試している。あと一歩まで迫っているが、どうにも行き詰まっていた。
遺物に刻まれた古代魔術に直接の鍵はなくとも、知識が厚くなることは確か。これまでも遺跡でたまたま発掘した魔道具の破片から読み取れた術が他の問題を解決したことがある。
複数の魔道具を一度に見られる機会などそうない。サラドは王女に意図を正直に伝え、宝物を見せてもらえないかと頼んだ。王女は「必ず話を通しておく」と約束してくれた。王族といえども宝物庫には自由に出入りできない。
貴族が多く出仕する王宮に踏み入ることに尻込みしつつも、探究心が疼くノアラはサラドの誘いに頷いた。そうなるとシルエが着いていくのも必至で、二人を守るために当然ディネウもとなる。問題に向かう際は四人一緒だ。
ノアラの見立てによると、当の遺物は魔力の補充と手入れだけで動く。「何故、使わないのか」という質問に、王女から指示されて立ち合い役を担った重鎮は「遺物は王家の宝物、使うなど以ての外」と鼻で笑った。ノアラからしてみれば、使えるものを使わない、修理できるものを放置する方が謎だ。
内部を見ることも王女の許可を得ている。ノアラは分解して部品毎に埃や汚れを丁寧に払いだした。サラドとシルエも手伝い、ディネウは腕組みして周囲に睨みを利かす。
王女から「大事な客人」だと念を押されていたが、重鎮は四人に対し嫌悪の表情を隠さず、ハラハラとその手元を窺っていた。
円盤は磨けば明るく光を照り返し、再度組み立てられた遺物は、見違えるように綺麗になった。煤で黒ずんでいたため重厚感があるように見えていたが、彫られた動植物の表情は実に愛嬌に富んでおり、温かみがある。
長らく動かしていなかったことで、起動時に軋むような音がしたが、歯車が噛み合う規則的な音と微振動が滑らかに続く。
遺物は時計だった。古代の時間分割法がわかる貴重な資料になり得る。円盤には時刻を示す部品があると推測されるが、残念ながら失われていた。但し、それがなくとも動く。円盤に使われている乳白色の素材に刻まれているのは、陽の光を取り込んで動力に変換するという重要な術式だった。起動時に必要な魔力さえ注げば、あとは光を充分に当てれば力が蓄えられて、必要な箇所に供給される。
扉の奥にはそれぞれ種類の異なる鳥がいて、時報に合わせて囀る仕掛け。翼をパタパタとはためかすもの、尾羽根をピコピコ上下させるもの、嘴をパクパク動かすものと趣向が凝らしてある。
時報の他にも、鞴が管を鳴らし、太鼓や鐘を叩いて音楽を奏でる機能も備えている。下方にある扇型の台を小動物の人形がクルクルと周りながら半周し、最後尾が裏側へ姿を消すのに伴い、曲も終わり。こちらは何度も繰り返すには円盤で作られる動力だけでは足りないようだが、人力でも横にある穴に付属のハンドルを挿して回すことでも再生可能。
幸いにも、ハンドルは蓋の内側に、鳥も人形も内部にあったため保存されていた。
「可愛いね」
サラドの率直な感想にノアラは満足げに頷いた。
可憐な遺物は実用よりも装飾や慰めの目的か、おもちゃの位置づけと思われる。仕掛けが主で、術式は動力のみに使われていた。
音が鳴り止んでも呆気にとられていた重鎮は、慌てて「陛下と王女殿下に報せよ」と部下に指示を飛ばした。
その日、軽快でありながらどこか切ない旋律は堅牢な王城内を何度も彩った。王女は回る人形をほんのりと頬を染めて愛で、サラドにも笑みを向けて礼を述べた。
他にも、動かなくても魔道具があれば見せてほしいと頼んだ時に言われたのが『直せるものならやってみろ』である。うまくいけばノアラの手によって宝が至宝に化けるかもしれない期待があるものの、平民に王国の宝物に触れさせることは屈辱であり、四人を丁重に扱うことはなかった。
宝物庫に納められているのは金銭的に高価な物であるとか、装飾に優れた物、単に古い物も多い。嫌味や監視の目を気に留めず、ノアラはめぼしい魔道具の分析に集中した。術式を繙くのも不可能なほど故障の度合いが大きい物や、重要な部品が欠けている物の中、少し弄っただけで動いたのが一対の書類筒だった。
そこに刻まれた術式は大いに役立つもので、ほぼ壊れていないことにノアラは興奮した。無表情で他人には伝わらないけれど。
説明よりも、実際に動かしてみせようと、対の筒の間で試し書きの文を転送させる。重鎮は再び顎が外れるのでは、というくらいに唖然とした。「あの時の顔!」とシルエは思い出し笑いに腹の皮を捩る。
「ホントは何の道具かもわかってなかった癖に『よく使い道がわかったな、なかなかやるではないか』なんて、動揺を隠せたつもりなのかな。で、結局、本物はまた大事にしまわれちゃったから、サラドが王女サマに色々と報告するためにって、複製を作っちゃたんだっけ?」
通常、文の配達は日数がかかる。魔物の跋扈で届かないことも多いため、確実に報せるためには直接出向くのが手っ取り早い。だが、度々王都へ行くのではサラドの負担が大きく、四人の活動を逼迫もする。
多くの人民を救うには国に動いてもらうのが一番で、実際にこれまでも取り返しの付かない事態を避けることができた。王女との縁も必然だったと思えるくらいに、連携が取れてきている。
しかし、この関係を快く受け入れている者ばかりではない。王宮の人間の態度にサラドを行かせたくないとシルエもディネウもノアラも思っていたのだ。
魔道具の複製が可能という、特出した能力を明かすことにもなるが、サラドが登城する回数を極力減らせるのであれば、それに越したことはない。
「あの後、何組か筒を押し付けられたよね? ここにそんな金かけるくらいなら…って、趣味悪い、ゴテゴテしいヤツ」
ノアラがこくりと頷く。
「あの時は断れなくてごめん。『遠方地や国境警備と連絡を緊密にできれば』と頼まれて。確かにオレが伝えるより陳情書や報告が直接届いた方がいいだろうって思っちゃって」
「問題ない。練習にもなったし、魔道具を見せてもらった礼の代わりだと認識している」
サラドが申し訳なさそうに眉尻を下げた。ノアラは首を横に振る。だが、手紙の転送具が彼らの知る砦や防衛地に配備されたとは終ぞ聞かなかった。