222 休業のススメ
急増した魔物との戦いは心身に負担を強いたはずだ。
血の気が多くても、腕に自信があっても、実際に戦闘を経験して、抜けた者はいる。ディネウは労いこそすれ、責めることも馬鹿にすることもない。引き留めもしない。
魔物との戦いで『強さ』を発揮できるかどうかは、単純な腕っぷしの強さではない。向き不向きは必ずある。怖さはそれと相対した者にしかわからない。
ディネウが直に目を掛けている人数は限られていても、共闘や、助け合うことで培った人脈は広い。ディネウが信頼する誰かに師事している者、またその下に、と続く繋がりがある。
休業の意向は人伝で広まり、一旦、武器を置く決意をした者はそれなりの数に上った。
「なるほど。なんか、この町ってこんなだったっけかなぁ、とは思ったんだよね」
「魔物の討伐に傭兵の力が借りられねぇかって兵士が来たりもしたからな。余計な揉め事を起こさないためにも、出歩くのを減らしている」
「へー、あの気位の塊みたいな王都の? そこまで切羽詰まってたんだ」
ディネウがヒョイと肩を竦めた。
「多分、ありゃ、一般兵だな。上司に訴えても聞いてもらえねぇから、直談判に来たってところか。あまりに無視を続けりゃ『同じ王都の民が苦しんでいるのに』と詰られ、仮に王都前の魔物を倒したとして、勝手をしたと責められるのもこっちだろ?」
「ああ…、まあ、想像つくね。自分たちでは歯が立たないという印象を与えないように、こっちに非があるように見せる。下っ端の兵士が暴走しただけで、上の指示ではないって、ね」
おそらく、下級の兵士が持ち場を離れて港町へ発った事実を知っても、止めずに放置した。あわよくば、傭兵を連れて来るのを期待して。
「この町の有力者んとこにも掛け合ったようだ。傭兵を貸してくれってよ。『ここだって、王都に荷が運べなくて商売あがったりだろ』とかなんとか言って」
「それは、また、形振り構わずなことで」
シルエは苦笑して、手慰みに箱の中の鈴を突付いて転がした。シャランという清かな音が静かな店内に響く。
「じゃあ、今いるのは任務中のコくらいなの?」
「そればっかじゃねぇけどな。酒場には入り浸らないように言ってある。ここに傭兵がいるって知られているから。強盗に入ろうとした輩もいたし」
「へぇ、命知らずがいたものだね」
シルエがチラッとマスターを見上げると、ニコリと微笑まれた。
「んー、じゃあ、この鈴の製作も止めてもらう? 職人さんに次の石を届けてあるけど」
「いいや、それは続けても良いんじゃないか? 持つヤツが増えれば、符牒の省略もできそうだし。それに、小さな努力が大事なんだろ?」
「まあ、そうだけど、さ」
シルエが不機嫌そうに頬杖をつく。ハッとして、ディネウが慌てた声を出した。
「あ、一度回収して、残るヤツに配り直した方がいいか?」
「いいよ、今更、でしょ」
魔物が出没した範囲を少しでも浄化するために開発した鈴は、労力も費用もシルエとノアラの持ち出し。それをまるで傭兵の私物かのような扱いをしてしまった。鈴を持つ者が浄化をしたい地域にいなければ意味がないのに、それも失念して送り出している。ディネウは透かさず「すまん」と謝った。
「…自警団に志願したコは離反してないの?」
「今んトコ、あんま聞かねぇな。あいつ等は地元を守る意志で入団しているし。辞めたいっつったら『臆病者』だとかって周囲の風当たりが強いのは、自警団の方かもな」
街道を港町へ向けて進む列がまばらになってくると、聖都寄りから次第に傭兵の姿は見なくなった。宿場町に雇われた者も一部期日の延長を望まれたが、他は満了している。
警らが自警団ばかりになると、急に地域の住民も不安に駆られた。「自警団だけで勝ち目があるのか?」と囁き合う。
今再び、魔物が襲撃してきたとしたら、これまでのように被害を最小に抑えられるのか。その不安は本人たちの方が身に染みて感じている。
町村や地域毎にある自警団は、立ち上げたのが引退してそこに定住した元傭兵の所も多い。そのため、傭兵と損得だけではない協力関係ができあがっていた。
それが当たり前になりすぎていたのかもしれない。
自警団の若者が強くなっていく自己を実感していた矢先に、指南役を買って出てくれた傭兵が去ってしまった。
「傭兵はどこへ行った?」「もう守ってくれないのか?」という住民の不満に対する彼らの愚痴は、隠さず口から零れた。「誰のせいか」と。
傭兵に『薬』が提供されたのは命懸けて戦うからなのに。それを「独り占めするな」と「困窮する者に渡せ」と外野で囃し立てたのは、誰か。
住民はただ口を噤んだ。
地域で新たに傭兵を雇おうにも、今まで通りに警らをしてくれないかと話し合いを持ちかけようにも、架け橋となっていた元傭兵は、魔物の襲撃で負った怪我の療養目的で村を空けている。その不在による影響は、自警団同士の連携にも及んでいた。それぞれ自地域に誇りがあり、好敵手でもあるために牽制しあってしまうのだ。
「抜ければ貶されて肩身が狭くなる? でも、在籍していれば自分たちを守るために命を捨てる覚悟で戦えと? 自警団は存続の危機かもよ」
シルエはもともと国の命綱ともいえる街道の安全を自助努力任せで済ますことに疑問を呈している。魔物の急激な変化に翻弄された今回は何もしないという選択はなかった。だがもし、人が対策を練れるくらいのゆるやかな変化であり、サラドが何も言わなければ、これほど手を貸すことをシルエは良しとしないかもしれない。
「おっちゃんたちの努力が実ってきて、折角、良い感じになってきたっつうのに…」
傭兵への依頼内容が絡んだ問題であれば仲裁もできるが、地域の住民同士となるとディネウも口出しはし難い。「こればっかはなぁ…」と後頭を掻いて、そのまま頭を抱え込むように俯いた。マスターも憂い顔でいる。
「宿場町の…巡礼路近くに湯治場があったろ? あの辺で休んでいる傭兵もいるから、いざとなれば、駆け付けるだろうが…」
「あはは、皆で慰安旅行中なんだ? なに~? 心配して離れないつもりのコを湯治に行かせたんだ?」
一時休業には理解を示しても、現状を放って遠く離れることを躊躇う者は多い。他国に行った者だって、魔物の憂慮と風評による煩わしさを天秤に掛けて、散々悩んでいた。
街道沿いの中でも魔物の多かった地域を担当していた小隊長が残る意志を示せば、他の者も次々に追随した。生まれ育った地や、交流を持った人々の暮らしを守るべく、批難を甘んじて受け入れることにしたのだ。その心意気を無視はできない。
湯治場へは、住民の元傭兵がディネウに相談と提案を持ちかけ、その逃げ場を作った形だ。少なからず怪我をしたという事実はある。他村の元傭兵にも声を掛けたことで、数日後には占拠するくらいの人数に膨れてしまった。
「…新しく湯を掘り当てる気で行った者もいるぜ」
ディネウは抱えた頭を弱々しくカシカシと掻く。
「ああ、もっと観光資源として発展させたい、とかなんとか、やってたね」
「傭兵の頭は子分思いだねぇ」とからかうシルエにディネウは「やめろ」と歯を剥いた。
ニマニマとしたシルエの視線から逃れるようにディネウは水を所望し、一気に飲み干した。鈴を数個掴み取り、残りが入った箱をマスターに預ける。
「これを、前と同じで頼むって、伝えといてくれ」
「かしこまりました」
船と共に人の出入りも多く、普段からやや物騒な雰囲気のある下町はより荒れて見えた。常なら傭兵が闊歩している範囲にも、渡航者をカモにしようとする輩が集まってきているようだ。ディネウが通るとササッと路地に逃げ込む影がちらつく。
港は賑やか――というより暴言を吐く客のガナリ声で煩かった。最早慣れてしまったのか船員は適当にあしらっている。
そんな人々の様子にも注意を払いつつ、シルエは調査をしていく。傍目には、杖をつき、俯き加減でとぼとぼと歩いているだけに見える。
桟橋につけた廻船に乗り込む人の列に見知った顔を見つけ、ディネウが「よっ」と声を掛けた。まだ若手の二人組が「アニキ!」と声を弾ませる。
「出国を決めたんだな」
「あの…、請け負った護衛は港町と聖都との往復だったんですが、お国までに延びまして」
傭兵はもじもじと居心地悪そうに答えた。
短気や苛立ちはない依頼主だが、すっかり不安に取り憑かれてしまっている。それで、ゴーストや逃げ惑う人々の混乱時にもしっかり対応した二人に、引き続き家路まで守ってもらいたいと望んだ。報酬の上乗せも奮発されている。
「なんだ? 湿気た顔すんな。胸を張れ。ついでにあちらの国に暫く居てみる気になったら、此処を頼るといい。それから――」
護岸近くをゆっくり歩くシルエに目を遣ると、顔も上げずにしっしと追い払うような動きで手が振り返された。
「これも持って行くといい」
差し出された物に傭兵はパッと顔を輝かせた。
「いいんスか? やった! 実は羨ましかったんスよ。この…」
手から手へ渡された鈴がシャランと鳴る。
聖都への護衛任務に就く者に鈴が渡された際、数が足りなくて二人はあぶれてしまっていた。
この鈴がただの代物ではないことは説明を聞いていたので知っている。つまり、二人の行く先にも何か懸念があるからこそ授けられるのだと理解して、神妙な顔つきで頷く。
いそいそと革紐を剣帯に通し、なくさないようにしっかり編み込む。
「ずるいぞ」と相棒が肩を掴んできても「一日交代な。今日はおれの番」と勝手に決め、指先で鈴を弄る。シャランシャランという音色に満面の笑みを浮かべた。その手元に妬ましい視線を注ぎ、相棒は「約束だぞ」と渋々手を引く。
そんな掛け合いをディネウは微笑ましく見守った。
「気ィ付けて行って来い」
ディネウにポンと肩を叩かれて「ハイッ!」と声を揃えて威勢良く返答する。王国を離れることに後ろ髪を引かれていた二人だが、これで腹が据わった。
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