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217 寄付された薬

 多忙になる予感で各々がそわそわとする中、ショノアは所在なくいた。間が悪く質問を差し挟めずにいると、マルスェイが肘でそっと突いた。


「…あの、俺…私は何をすれば?」


ショノアにはこれといった役割はなく、なぜ自分の名前が挙がったのかわからない。


「貴方には見守ってほしいのです」

「み…守る?」

「ええ、お二方だけではお忙しく、見落とす(ヽヽヽ)こともあるでしょうから」


(不正な横流し、転売を見張れということだろうか?)


真意を汲み取ろうと、その夏空のような青の目をじっと見返す。代理人は柔らかく笑んでいるだけ。導師の鎮魂の儀より後、薬を狙った犯罪が頻発しているとショノアも耳にしている。

そんな無言の応酬を余所に、皆の目は薬に釘付けになっている。木箱に入った薬瓶の封は心なしか葉の端が茶色く捲れ上がってきているように見えた。使用期限は想像以上に短いのかもしれない。


「その…、薬は今後も用立ててもらえるのだろうか」


官吏がおずおずとした質問に代理人は憂い顔で首を傾げる。


「私は代理というより仲介人に近いものですから、お約束はいたしかねます。交渉の権限は任されておりませんので、勝手は許されません。

ただ、『売るつもりはない』と明言されているそうですので、次の寄付があるかどうかは、今回の対応次第と言えるのではないでしょうか」


官吏は「交渉をしたい場合は…」と出かかった言葉を呑み込んだ。柔和でありながら、追及を許さない圧のようなものを感じたためだ。


 代理人は改めて「くれぐれもお願いします」と告げ、荷を運び入れた以外は門の外に控えていた若者の方へ歩き出した。物品管理人も衛生兵も切なそうに見送っている。門を抜ける手前で「ああ、それと」と足を止めた。


「くれぐれも薬の製作者を探し出そうなどとは考えないでくださいね。()の方は大事な人を傷付けられた過去に、余所との関わりにはとても慎重です。折角、戻って(ヽヽヽ)来てくださったのに、また籠って(ヽヽヽ)しまいかねませんので」



 まず、重傷者に薬を使用することに異議はでなかった。薬の効能をその目で確認するためにも、対応に出た全ての者で救護室へ移動をしている。傍目には目的や関係性が見えない集団だろう。


 薬の運搬に際して、物品管理者はその数を正確に記録した。幾つもある木箱のうち、一箱は一般的な傷薬と抗炎症剤と痛み止めが入っており、一番下に置かれた。


 衛生兵は担当医と相談して、投薬をする順番を決めた。部下に他の部屋にいる人数と怪我の程度を急いで把握し、報告するように言い渡す。


救護室の中でも、この部屋の病床を埋めているのは魔物から直接傷を受けた者。傷口は薬の効きが悪く、皮膚も見たこともないような変色具合。治るどころか日に日にその範囲は広がっている。

膿だけではない、独特で不穏な匂いは部屋中に充満していた。その元は傷ばかりでなく、呼気からもしている。

意識も混濁しかけている者が殆どで、介助をする者たちからも諦念が感じられた。


 その酷い有り様に衛生兵以外は二の足を踏む。配られた布で鼻口を覆ってもなお、息を詰めずにはいられない。伝染する病とは違うと頭ではわかっていても、尻込みしてしまう。


 注目のひとつめ。

衛生兵は自分が安全確認を行うと名乗りあげ、封の葉を解いた。一滴を指先に垂らして舐める。ほんの少量でも、筆舌に尽くしがたい味と臭いが口中に広がった。


「まあ…、良薬口に苦しと言いますからね」


わかりやすい毒特有の匂い、痺れや呼吸異常等、直ぐに現れる不調はない。

それどころか、過労気味で常にあった頭重や肩の張りが楽になっている。しかし、不確定な症状であるので、この時はあまりの不味さに感覚が麻痺したのかと思うことにして、口には出さなかった。


 医師の許可を再度とり、患者の口に近づける。濃く香る草の渋みに、朦朧としながらも顔が背けられた。指示を受けて、介助者が患者の頭と顎を固定し、薬を流し込む。体が本能的に拒絶しているのか、一部は吐き出されてしまった。喉元に流れたその茶とも緑ともいえぬ褐色の液体に皆の顔が顰められた。


布越しでも感じるその匂いに、周囲の者は投与に逡巡する。「これは確かな薬なのか」と疑うような視線に、官吏も不安になった。


その心配はすぐに晴れた。ゴホッゴホッと噎せていた患者の苦悶が和らいでいく。傷を中心に変色していた皮膚も、打身による痣の経過と同じように紫から黄色へと引いていく。膿んでいた傷口も瘡蓋ができていた。


「な…なんという薬だ。常識が覆される。まるで奇蹟のようではないか」


 最初に驚きの声を上げたのは医師だった。

寄付された薬の使用について衛生兵から聞かされた時、己の知らぬ薬は信用ならないと難色を示した。しかし、この部屋の患者は匙を投げる状態。この薬が効こうと効くまいと、もってあと数日に見える。藁をもつかみたいのだろうと容認した。

それが、どうだろう。怪我が修復していく経過を、まるで時を早めたかのように見せつけられた。


 確認と称して医師は空き瓶の口に指を入れて、縁に残った液をペロリと舐めた。一瞬、不味さに悶絶したが、連日の治療による疲労と腰痛がスッと引いたのを実感する。


「…これは、本当に凄い」


医師と衛生兵は無言で顔を見合わせた。この体が軽くなった感覚は勘違いかと。そうでなければ、本当にとんでもない品ということになる。


 特徴的な苦味や香りから、材料の幾つかは特定できたが、そのどれもが多くの薬に使われている基本的なもの。この驚異的な効能をもたらす材料については、二人の経験を以てしても不明だった。


 薬が詐欺紛いのものでないことは皆の目で確認された。

官吏はトリックに騙されて偽りの証言をしていなかったことに安堵しつつ、きちんと話を聞かなかったために一服を無駄にした事実に青くなる。

上司も慌てふためく官吏の報告を半信半疑で聞いていたが、これは、驚愕に言葉を失っても当然だと納得した。


 官警は受け取った書類を精査するために救護室を早足で出ていった。


 尋常ではない傷の治りに、ショノアは確信した。薬の製作者は治癒士。

最強の傭兵の態度から、サラドに仇なした王宮へ並でない怒りがあるのは察するに余りある。サラドの弟だという治癒士も、同じに違いない。自身が赴いて治癒することは認められないが、最大限の譲歩で薬を寄付してくれたのだろう。


そして、きっと試されてもいる。犯罪に手を染めても、のうのうとしている貴族がいることを。それらの者に手を下すことがないであろうこの王宮の体質を。


だから、何らこの件で役に立ちそうにもないショノアが呼ばれた。『確と見よ』と。『伝えろ』と。そう理解したショノアは身を引き締めた。



「大部分を吐き出してもこの回復。一人に一瓶の分量でなくても大丈夫なのでは?」


 医師の意見に、次の患者には極少量ずつが与えられ、その経過が観察された。

まるで実験のようだが、どの量で確かな効果を得られるかがわかれば、節約してより多くの怪我人に薬を届けられる。


 その横で最初の患者は衣類を剥がされ、濡らした布で清拭されている。胸元を汚した薬とべっとりとかいていた汗を拭われ、その表情から険はすっかり抜けた。

痛みに苦しんで自身の爪で胸につけていた無数の掻き傷が、その薬を拭った下で消えたどころか、肌つやが見違えるほど良くなっていることは見落とされた。


代理人は薬を傷にかけていたし、用法の説明で内服、または『外用可』と確かに伝えていた。しかし、専門家のすることだからと、質す者はない。確かに、得体の知れない症状が併発していた重傷者には外皮からよりも内服の方が浸透が速く、効果も多方面に渡るだろう。理にはかなっているが、患者たちは苦くて不味い薬の洗礼を受けることになった。



 たくさん摂取しても、傷が完治するわけではなかったことから、患者一人に対して匙で一杯ずつを与えることに決まった。必要な量が確定すると、物品管理者は急いで必要数を割り出しにかかる。封を開けた分は無駄を出さないようにキッチリと管理された。


この部屋から痛みの呻き声は消え去った。介助者が患者や病床を清めようと、忙しそうにクルクルと動き回る。


「こんな…こんな時こそ、あの素晴らしい『清めの術』が使えれば…」


じっと己の手を見てマルスェイがこぼした独言は、口を覆う厚手の布の下で、モゴモゴとくぐもり、誰の耳にも拾われなかった。


 暗く、鬱々としていた部屋は照明さえもが明るく変わったように見える。

その頃には薬の匂いにも慣れだしていた。衛生兵と医師の様子に他の者も興味半分、怖さ半分で空き瓶を見る。指先を濡らす程度、それくらいなら、と試してみたくなっていた。管理者はすでに実行済。疲労感が抜け、今なら多少の無理もききそうだと張り切る。

官吏と上司は互いをチラチラと見遣った。


「あの、もしも薬に多少でも余裕が出るようでしたら」


 遠慮がちに言い出したショノアに注がれる目は鋭い。この薬の価値は計り知れない。皆が皆を監視している状態だ。ゴキュと唾を飲み込み、それでもショノアは続きを口にした。


「怪我のために騎士を辞した者にも機会をもらえないだろうか。もちろん…間に合えば、の話だが」


その要望に衛生兵が「なんだ」と相好を崩す。


「連絡がつく者には、そうしよう」

「有り難うございます!」

「団舎の管理人に指示をするように伝える。領地に帰ることにして、既に王都を発った者は、心苦しいが、難しいだろうが…」


ショノアは深々と頭を下げた。宿舎を引き渡していても、道の安全が確保されていなかったため、王都内に滞在している者の方が多いはずだ。薬の有効期日内に間に合うことを祈るしかない。


「あと、もうひとつ、お願いといいますか…」


 ショノアはこの薬の件に神殿からセアラを呼べないかと相談した。



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