214 処遇
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シャラシャラと鳴る上質な衣擦れの音。この寒くて汚くて臭い場所には不釣り合いな上品さのドレスが通路を塞ぐ。表情ひとつ崩さず、背筋をピンと伸ばした威風堂々たる佇まい。
「陛下?! 陛下ともあろう御方がこのような場所に来るとは、何をお考えです?」
国の暗部を極力女王の目に入れないように努力してきた王配は強めの声で諫める。背後に慌てている様子の側近が目に入ると、いきなり激昂した。
「何故、お止めしなかった?!」
それは尤もであるため、側近たちもただ恐縮する。「王配が素直に従うには自分が行くしかない」と自ら足を運ぶ女王を止めきれなかったのは、確かに落ち度だ。
「しかも! 彼奴等が犯した件は! 街道沿いや港町ではとっくに注意喚起も見廻りも行っているというではないか! 雁首揃えて何をしていた! 地方に遅れをとり、他国に醜態を晒すなど! 私が動かずして――」
「止めよ」
静かな一言が王配の怒声を遮る。その異様さに側近たちも目を瞠った。聖都に随行した者から受けた報告だけでは「虫の居所が悪かったか」程度に思ったが「なるほど」と頷くしかない。
「お前こそ何を勘違いしている? 復権は許していない。聖都の神殿長殿より、その身を預かっていられなくなったと断りがあったため、一時的に王宮に入ることを認めただけ」
王配の眼差しは睨むような鋭さ。謀反未遂後にしおらしく自ら貴賓牢に入った面影はない。頭を垂れていないため、身長差で女王を見下ろす形になっている。
女王は目だけ動かして、牢屋番の兵士、壁際に控えるショノアとマルスェイ、それから独房を見渡した。
「ここで話すようなことではない。着いて参れ」
「父上…、いいえ、王配殿下、陛下のお言葉に従いください」
女王の後ろに控えていた第一王子が促す。いくらかでも矜持が残っているのか、歯噛みしたまま王配は黙って後に続いた。
王都に戻るなり、休む間もなく陳情書や報告書を閲した第一王子も、この事実には衝撃を受けた。領主や代官から、魔物発生が人為的なものである疑義が生じていると記載があったのだ。捜索はしているが、どこも現行犯は捕まっていない。実行犯は闇に葬られたらしいとも。
王配が怒るだけのことはある。報告書が門前で足留めされていなければ、もっと早くに対応できていれば、魔物の跳梁を防げたのでは、王都もあれほど執拗に襲撃されなかったのでは、と悔いるばかりだ。
現に、街道でも港町でも一足早く、獣型の魔物は落ち着きを見せており、市民生活に大きな被害は出ていない。
女王は至極冷静に王配を観察した。懺悔中に罰を身に受けてから痛みに耐えていたというだけあり、やつれた印象がある。目の鋭さは増した。
「今のお前はこの国に益を成さぬ」
「ど…どれだけ尽くしたと?! 幼き頃より貴女を支える為に、どれだけ…」
王都を出る際、王配は『臣下達の手前、必要とあらば迷わずこの首を撥ねてください』と言った。国の安寧を一番に考えていた王配はどこへ行ってしまったのか。
「たった一度。貴女が危機だったと言った、そのたった一度、傍に居なかったというだけで、その信は本当かどうかも知れない男に移った!」
その一度がどれだけ大事か。魔人の術に落ち、あわや王都まるごと眠ったままアンデッド軍団にされるところだったというのに。
女王は、苦い思い出に目を伏せ、重い息を吐いた。
解放されて目覚めた人々は渇きと空腹と消耗はあるが、奇しくも魔人の術により入眠したことで冬眠のような状態にあり、命の危機がある程の衰弱ではなかった。他には『悪夢を見た気がする』というのが共通項であるくらい。
それもあってか、王女は悪い夢に魘されただけと信じない臣下も多かった。三日二晩、逃げ続け、解決方法を探し続け、髪もドレスも乱れた王女を鼻で笑った。
指輪の存在を知る父王が一喝しなければ、彼女の立場は悪くなっていただろう。
父王の助けなしでは王女の言は信じるに値しないのだと、侮られたようで口惜しい気持ちもある反面、それだけまだ信を得られていないのだと反省もした。あの事件で一人では何も成せないと身に沁み、人を動かす父王を見習い、適材適所、周囲の者に広く頼ることも学んだ。
それから、助けてくれたサラドの――四人の足跡を求め、英雄と呼び称え、彼らがもたらす情報をもとに対策を講じたり、支援先を変えるようになった彼女に、夫となった王配は「貴女に仕える人々の声にも耳を傾けるように」と忠言した。
「だって、あの時は誰も私の助けにならなかった」と言い返したのは確かだ。災害の状況や予測、逼迫した民の実状が記された文を取り上げられそうになり、拗ねてのこと。生まれながらに重責を担う彼女にとって、王女という立場を抜きにして出会った四人との縁は希望の光で、失いたくなかった。
尊い身分のため、自身の一言が大きな影響力を持つことを知っている故に厳しく律してきた王女の、珍しい愚痴。その内容が英雄に関わらないことであれば、王配を狂わすこともなかったのか。
先王が即位した時、既に王国は災害続き、山や森から下りてきた魔物の足音もヒタヒタと迫っていた。国を存続させること、民を生かすことに奔走するも世はどんどん暗さを帯びていく。
直系の後継者が王女ひとりとなってしまったが、王は政務を優先させた。血筋だけでいえば、継承権がある者は他にもいる。王女の配偶者も縁戚者であり、継承権を持つ身だ。
〝夜明けの日〟を迎えた後、気が緩んだのか壮健であった身に小さな病が忍び寄った。王の座は肉体的にも精神的にも激務である。国の安定を第一に、自分や娘が十分にできなかった分も、孫に然るべき教育の機会を与えていた。一代飛ばしての譲位も念頭に入れて。
しかし、苦労に苦労を重ねた父王を労うため、また、王国の未来は明るいと誇示するためにも、各地に残る禍の傷痕が治まりだした頃合いで、女王の即位式を行った。幸い、王配も側近たちも優秀だ。
女王の役目は国の再興と民を富ませること。
目の前の男もそれらの事情を理解し、同じ志でいると思っていたのだが…。
「…余が悪かったのだな」
沈痛な声音の呟きに王配は主張が認められたと思い、パッと顔を綻ばせる。
「あの『影』に操られておきながら、いまだ疑い、助けられたことに感謝もできぬとは…」
王の仮面が剥げ、その表情は苦しげに歪む。風向きが違うと感じた王配は訝しがった。
「余は良き臣に恵まれたと思っておった。どうやら頼りすぎたようだ。もっと強く在らねばならなかったのだな。お前は余が臣下以外からの進言を重用する愚物で、王の器になかったと、己であれば国をもっとよくできた、そう言いたいのであろう?」
挑発するような女王の言葉。
「ちが…違う! 私の忠誠はっ」
慌てて言い繕うとするが、女王は聞く耳をもたず、側近たちに向き直る。
「お前たちもだ。余は飾りにしておくには丁度良かった、か?」
急に振られた側近たちも顔を蒼白にし、何かを言いかけて口を閉じる、を繰り返す。
女王は浮かべた寂しげな笑みを消すと、王の顔に戻して有無を言わせぬ圧で命令する。
「準備ができ次第、北東の直轄地にある離宮に行け」
「あ、あの地は…。それは、私を幽閉する、ということですか?」
直轄地なのは領主を置いても収入が見込めぬ荒れ放題の土地だから。そこに離宮とは名ばかりの、箱のような建物がポツンと残っている。
「お前たちも。仕事を引き継ぐように。今後、親類縁者を含め、子を推薦で出仕させることは認めぬ。試験を受けて官吏に就くことはよしとする。至急、取り組め」
女王の言葉に側近たちがわなわなと震え出す。王子が女王に差し出した書類は「拾え」とでもいうように、側近たちの足元にパサッと投げられた。視線を下げて確認すれば、女王が即位してからの数年分、改竄されていた報告書の比較資料だった。側近の縁戚、派閥の者に救済用の予算が上乗せされた記録、支援を厚くせよと命じた地域の予算が現状通り、ないし削減されている記録。税収の不審な点など。どれも可愛い額で、見落とされてきただけはあるが、明確な裏切りの証拠である。
「それと、聖都の神殿長殿より、兵士や使用人の見習いとして引き取った子供について問い合わせたいことがある、と。要請があったら誠心誠意、真実を答えるように」
威厳を損なわないように、あくまでも落ち着きを払い、女王は背を向けて歩き出す。
「安心しろ。譲位後の地盤が整えば、余も行く」
「え…」
自嘲めいた笑みと小さな呟きは王配に届いたかどうか。
女王の退室後も、王配と側近はその場に立ち尽くしていた。その時、彼らの首後ろ辺りから暗い靄がうっすらと立ち昇っているのに、誰も気付かなかった。
◇ ◆ ◇
結局、魔物の洗脳中について何も聞き出せないまま、ショノアとマルスェイは牢屋を後にした。偽騎士も偽魔術師も声を掛けただけで取り乱し、意味不明な叫び声を上げた。目すら合わせられない。
「その…残念だったな。あの様子では記憶も怪しくなっている可能性が高い」
再訪したところで、参考になる供述を得るのは難しいだろうとマルスェイが示唆した。ショノアは「そうだな…」と返したきり、思考に耽っている。
洗脳下どのような変化が心身に及ぶのか、調査の重要性はマルスェイも承知しているし、術の研究者としても興味深くはある。けれども、同時に体験者として己の恥が残るのは避けたい。大成した後ならば失敗談として笑えるかもしれないし、教訓として残すことも受け入れられるかもしれないが、今の精神状態では無理だった。
ショノアが自身の経験を認めた文書に追記するだけで許してほしい。それが精一杯だ。むしろショノアの調書は冷静に分析されていて、それだけでも十分良い資料だといえる。マルスェイのあやふやな記憶など蛇足だ。そうに違いない。
マルスェイの頭の中は葛藤で煩かった。
「あの、王配殿下が仰っていた事…、彼らと同罪の者がいるだろうと、既に注意喚起がされていたというのは本当だろうか」
「まあ、嘘をつくとしたら、怒らせないように誤魔化す方だろうからな。本当なんだろう」
「…そんな重大な懸案を漏らすとは、俺たちは何のために視察に行っていたのか」
「この度、私たちは移住地にかかりきりになっていた。無理もない。ショノアが責任を感じることはないぞ」
マルスェイの慰めにも、ショノアは心ここにあらずといった態で生返事をした。
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