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213 英雄への憧れと、疑いと

 マルスェイは池の水に視線を戻した。掻き回した際に立った波が静かに、波紋の間隔を広げながら奥へ奥へと離れていく。


「今朝、辞表を出したよ」


突拍子もなくマルスェイが告げる。何の感慨もない平坦な声に反して、細波が去った暗い水面に映るマルスェイの顔色は青白い。

ショノアは驚いたが、心のどこかで「ああ、やはり」と納得もしていた。


「…受理されたのか」


マルスェイは緩く首を振る。


「まだ、保留されている」

「辞めて、どうする気だ?」

「モンアント領にかえ…あ、私はもうあの家の者ではないのだから『帰る』はおかしいのか…。そうだな、西の国境を守る地を訪ねたい、と言うべきか。あの風土に触れていれば、もしくは…、いや、事はそう簡単じゃない…」


ショノア相手にというよりも独白に近い調子で、マルスェイの言は歯切れ悪く、声にも力が無い。

武の名家モンアントの出で、若くして従騎士になりながらも、その全てを捨てて、魔術師を目指したという異色の経歴を持つマルスェイ。父から騎士になるよう勧められ、そうせざるを得なかったショノアにしてみれば、単なる我儘に見える。騎士団と魔術師団の軋轢も相まって、『随一の若さで入団を果たし、事実上の団長』だと噂の男に悪感情すら抱いた。その貪欲さが、領地を守る力を切に求めてのことと知るまでは。


「魔力を失い、魔術に関与できない者など、在籍する資格がないのは明白だ。せめて、この事実を知られて、辞職を勧告される前に自ら身を引きたい…」


ショノアが知る限り、マルスェイが辞表を出すのは二度目。前回は魔術師ながら、奇蹟の力を求めたいとの理由で、彼自身が望んだこと。今回は事情が違う。


「今は魔術を使えないとしても…、二度と使えないかどうかは、まだわからないんだろう? それに、これまでに蓄えた知識だってある。らしくないぞ、マルスェイ?」


馬車の中でも、マルスェイはせっせと書き付けをしていたし、今も膝の上には書類束がある。簡易の表紙がつけられていて、その記録を大事に扱っているのがわかる。本気で宮廷魔術師を辞したいとは到底思えない。


「…ショノアは真面目で誠実なうえに優しいのだな。しかし、その気遣いは時に残酷でもあるぞ? 剣を握れなくなった者にそれでも『騎士として問題ない』と言えるか?」


ショノアは返答に詰まった。魔物との戦いで負傷し、去っていった同僚が思い出される。あの、絶望した顔。

その憂慮が顔に出ていたのか、マルスェイが口端を歪めて、フッと笑う。


「聞いたか、ショノア? 魔物三体と戦った者がいたそうだぞ? まるで王都から引き離すように辻で、だ。

その直後には林に潜んでいた魔物の一掃だ。しかも、遺骸の処理まで済んでいたという。大勢の傭兵がいた様子もなく、無論、王都の騎士や兵士の功労ではない。

…また、林の奥から骸骨の行進もあったそうだ。聖都と同日らしい。いずれの時も、輝かしい光が確認されている」

「それは…、本当か?」

「ああ、まだ耳にしていなかったか。リーダー殿は私とは違って責務が多いものな。昨日も複数のお偉方にお目にかかって、さぞ気疲れしたんだろう」


ショノアは僅かに体を強張らせた。嫌味っぽく聞こえる言い回しをしていることに、マルスェイは全くの無自覚でいる。


「…そんな偉業をやってのける人物…、心当たりしかない。一体どれだけの死地を超えれば、あの域に達することができるのだろう」


 日々の地道な積み重ねなくして、筋力や技能が身に付かないことは知っている筈なのに、何故か、英雄は端から天才で押しも押されもせぬ人物だという思い込みがあった。その天才の目に留まれば、才を引き出してもらえるのではないかという期待も、自分はそれが許されて当然だという驕りも。


モンアントの窮地に颯爽と現われた英雄。魔術師と治癒士はマルスェイよりも少ししか年上でないように見えた。まだ十代の半ば、成人しているかいないか。剣士とあと一人だって兄と同じくらい。英雄の逸話がある時期を思い返せば、体も成長しきっていない年頃から戦いに身を投じていたことになる。

マルスェイは深い深い溜め息を吐いた。


「ああ…、そうだな」


ショノアもただ同意を示す。

ずっと王都という安全な場所にいたショノアには、英雄譚はどこか絵空事であった。崇高な英雄たちの活躍も、こうであってほしいという人々の希望の形。各地に散らばる逸話が同じ人物のもののはずがない。〝夜明けの日〟の美しい情景も、その前の何日も続くぶ厚い雨雲も猛る風も、気象条件が重なっただけのこと。そう、ぼんやり感じていたのだ。


魔術師や治癒士の活躍は人智を越えすぎており、存在そのものが誇張としか思えなかった。『あと一人』については考えたこともない。

『最強の傭兵』が英雄の剣士だという噂を騎士団では『傭兵』という一点で唾棄した。騎士になるために地方から出て来た者や、魔物と実際に戦った経験のある指南役とは温度差があるものの、その噂を真として扱うことを許さない雰囲気があったのは確かだ。


ただ、『最強の傭兵』に数々の戦功があるのは事実で、尊敬に値する圧倒的な剣技だとも聞いている。『剣匠』という二つ名もあり、民からの人気も高い。

臣下として重用するという陛下からの誉れ高い招致を断ったということで、王宮内での評価は無礼者。しかしその理由が「既にこの剣を捧げた人がいる。二君に仕えることはない」であり、その話が城下に広まると、騎士よりも騎士らしいと更に評判が上がったらしい。


実際の『最強の傭兵』は不遜で乱暴者、「どこが騎士らしいのか」と憤慨した。頭から否定し、奇妙な一致にも英雄と彼らを結びつける思考は持ち合わせていなかった。

もし、あの偏見をぶつけなければ、サラドとの関係も違っていたのかと内省したところで、遅い。


英雄は善と望を集約した架空の存在などではなく、普通に生きる同じ人間なのだと今更に気が付く。

英雄譚に夢を見られない現実主義と、周囲の意見に呑まれて偏固だった己にショノアは思わず苦笑した。


「…それで、私に何か用が?」

「あ、ああ。その…、あの湖畔で捕えた者に、魔物に操られた時の感覚を聞きたくて。マルスェイも一緒に聞いて、違いがないか確認してほしい」

「ショノア…、貴殿は私を愧死させたいのか」

「俺だって同じだ。だが、正しく認識しなければ対策のしようもない」

「それは…そうだが…」


 マルスェイはまたパチャパチャと水面を揺らす。根負けして「仕方ない」と立ち上がるまでショノアはじっと待ち続けた。



 じめじめとした牢屋に響く怒号。ショノアは二の足を踏んだ。

先の見えない通路の奥から「知らない」と泣き叫ぶ声がこだましている。かなり追い詰めれていそうな悲鳴。


もしも、疑いをかけられることがあったとしても、貴族家出身の二人は査問や裁判といった手順を踏まれて罪が確定する。それまでの身柄拘束だって、それなりの場所。嫌疑をかけられた貴族の警護をした際に見たのは、屈辱的ではあるだろうが、間違いなく部屋だった。

そことは格段に下がる場所があるだろうことは知っていたが、暗く不衛生な環境が俄には信じられない。


「…セアラにはとても見せられないな」

「まさか、サラドやニナが入れられたのも、ここなのか…」


ぞっとして、瞬間的に総毛立つ。マルスェイは手巾を出して鼻口を押えている。


 一番手前の独房にいる偽聖女は奥の隅で縮こまり、カタカタと震えている。ショノアが引き渡すまで目立った傷はなかったはずが、顔は腫れ、服も汚れだらけ。偽騎士と偽魔術師も似たような状態。一晩で何が行われたのか、とても話などできる精神状態ではなさそうだった。

彼らは呪詛など知らず、自身に罪があるとしても、詐欺で飲食や宿の提供を受けたくらいだと思っている。深い考えもなく、大それた悪事を働く意気地などない。


「この体たらくは何だ! 無能どもめ!」


 何一つまともに聞き出せていないことで兵士が詰られている。蹴飛ばされたバケツが石壁に当たり、派手な音を立てて転がる。怒りをぶちまけて、物にあたっているのは王配だった。

その剣幕に、牢屋の中にいる者はすっかり怯えきっている。部下に向けられたのがあれならば、罪人として捕らえられた平民に容赦などするわけがない。


 王配の手足となる特殊部隊は謀反未遂に加担したとして解体された。

命令を遂行する人形を作る如く、裏切りや逃亡ができないように徹底した訓練と洗脳を施された隊員たち。生き残れた者の能力は軒並み高いが、従順である分、自我をもって行動するのは得意ではない。想定される挙動の法則を教え込み、それに沿って動けるよう模擬訓練を繰り返す。必要なのは的確な指示と命令。

自ら王配に添うよう思慮し、部下を動かせる実力もあり、且つ、その忠義に疑いがない精鋭はほんの一握り。


その信が最も厚い王配の懐刀、特殊部隊を総括していた隊長は骸骨の報告を受けて以来、所在が不明。王都不在中の報告を検めようにも、何一つ思い通りにならず、王配は苛々を募らせた。


「一体、何をしていた! 正門の有様は何だ! お前等は王都を潰す気か!」


出発時よりもまともになったとショノアが安堵した、辻よりこちらの惨状は王配には受け入れ難いものだった。それも怒りを増長させている。


「これは、何の騒ぎだ?」


 静かでもずっしりと重い、場を支配するような声が響く。ショノアとマルスェイはそこに現れた人物に驚き、狭い通路の壁際に精一杯下がり、臣下の礼を執った。



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