212 一路、王都へ
記憶を振り返るにも、ショノアには理解の及ばない事項もある。
突如として立った火柱や地からせり上がった巨大な化け物、あれらは魔術なのか、魔物の範疇なのか。
自然とマルスェイが抱く書類束に注意が向く。こと細かく記述しているかもしれないな、と思うも、心の中で首を振った。
(マルスェイのことだ、雷や光の槍、魔物の洗脳からの解呪などに重きを置いていそうだ。期待はしない方が良い。魔術の長い話を聞くのはもう少し、順序立てて整理してからでも…。そうだ、魔物、といえば――)
魔物に精神を乗っ取られた件は忘れてしまいたい汚点だ。忸怩たる思いと、その先にあったかもしれない結末に、今更ながらに震える。
(あのままいたら、セアラを…、仲間を手にかけていたかもしれない。あの魔物はこの者達の血を啜って姿を変えていた。きっとこの身も命も捧げさせられていたに違いない…)
光の槍が降って来た時は、攻撃を受けたかと勘違いした。身が竦み、痺れで動かない体でも、耳目は周囲の情報を集める。目は洗脳してきた魔物を必死に探し、絶命していることを知ると「仇を取らねば」と手足に命令した。動こうとすれば、痛みを伴った痺れが走る。
その一方で、いまだに靄がかった頭の、芯の部分が急速に冷える感覚。束縛してもらえて良かったと思うことが人生に於いてあるとは考えもしなかった。
生還できたからには、この経験を、こういった攻撃手段を持つ魔物の存在を知らしめ、その対策を練らねばならない。
(魔物の歌声を聞いた途端に視界が…、どうだったか…)
不快な感触は覚えている。だが詳細は霞の向こうだ。
見る間に姿を『人』に近付けていった魔物。最終的にどの様な姿形、能力になるはずだったのか。想像すると薄ら寒い。
(この二人も操られていた。参考になる供述を得られるように、身柄を引き渡す際に伝えておくべきか)
無意識にも偽騎士と偽魔術師をきつく睨んでいたようで、どちらかから「ひっ」と小さな悲鳴が漏れた。
(王配殿下の謀反未遂も魔物に操られてだというし…。いや、それ以前も…、そうだ、聖都で迷子の捜索をした時、あの時だって…)
脅威は前からあったのだ、とショノアは歯噛みした。
〝夜明けの日〟から十年、この期間は束の間の休息でしかなかったのか。騎士になってこちら、実戦経験がないくらいには平和だったはず。
何か、予兆はあったのか?
魔物との戦いは、人の宿命なのか?
ガラガラガラと鳴る車輪の音に合わせ、答えの出せない思考にショノアは耽っていく…。
王子が乗っているのとは別の馬車で、侍従や文官たちは頭を悩ませていた。
第一王子の身の安全を確保するために、王都へは帰らず、視察へと誘導する使命がある。それは女王陛下の願いでもあり、命令でもあった。
魔物被害がまだ出ていない西の地域を、視察という名の避難先にと目星を付けていた。各方面に使者を遣り、調整を図ってある。できていないのは王子の説得のみだった。
だが、南西の『灯台の町』でアンデッドが徘徊したという速報が届いた。西の地域も最早安全とは言えない。計画の変更は余儀なくされる。派閥や力関係に配慮した訪問先の再検討に、移動ルートの割り出し、簡単ではない。
それに、果たして王国内に安全地帯などあるのかどうか。
当の王子は世継ぎを生かしたいという女王の意向を知らず、王都へ帰って補佐をするのが優先と考えている。移住地に、山間部、神域に立ち寄ることにしたものの、あくまで『帰途のついで』である。
神域で捕らえられた不届き者の存在は、その後押しとなり、「一路、王都へ、急げ」と檄を飛ばした。
そこに、また同罪だという者が突き出されたのだから、尚更その意志は固く、覆らない。
侍従は陛下から叱責を受ける覚悟をし、なにがなんでも王子を王都から離すことは諦めた。
もしも、本当に捕らえられた者が魔物発生の一因で、同じような存在がたくさんいたのだとしたら。
王都に魔物が集中したのも作為があってのことだとしたら。
一刻も猶予がない、と。
魔物が王都の門前を襲っていたことで滞っていたが、各地から被害状況と救済を求める陳情書が山と押し寄せている。今頃、王宮ではその処理でてんやわんやだろう。
もう一点、気掛かりなことがある。
王配の変貌だ。苛々や不機嫌を隠そうともせず、常に険のある顔つきで、周りを威圧している。
『常に笑みを湛え、随所への気遣いに満ちた振る舞いをする王配殿下』という仮面を何処かに落っことしてきたかのようだ。
聖都の神殿長に取った態度も、導師の鎮魂の儀で彼の存在を疑い、悪し様に言った言葉も、国の代表としてあるまじき失態で、全くお手本にならない。
これでは、王子が外交の手管を習うどころではない。
王宮に務め、陛下に近い職を得ていれば、『完璧な王配』に裏の顔があることは知っている。何せ、あの特殊部隊の主人なのだから。あらゆる手を尽くして、こちらの有利に情勢を操る人物――それが、文官たちが評するところの王配だ。優しさだけでは政は動かせない。
王配は魔物に操られた罪を雪ぐ禊、憑き物落とし、養生という名目で聖都に預けられていた。
しかし、その懺悔室に籠もっていた折に体の痺れを訴えた。
副神殿長とその信に厚い者たちが、世の罪を肩代わりし、奇病という罰を受けている事は伝え聞いている。
その症状の一致。王配も『神より罰を受けた』と見做され、謀反未遂の罰は保留されることになった。
その副神殿長も王配も、礼拝堂に押し寄せたゴーストに取り囲まれていた。とても異様な光景。礼拝堂を浄化した光で、罰から解放されたというが、それが意味するところは…。
「事の発端は…」と言いかけた文官が言葉を飲み込んだ。その先に続くのが『女王襲撃事件』だと思っていても、誰も口にはできない。
結界で守られている王都の内で起きた死者のアンデッド化と火事。王都に襲いかかる魔物は牆壁に阻まれ、外から入ることはかなわずにいる。ということは、手招きした存在がいる…?
(…まさか、謀反の件は、魔物に操られていたというのは嘘? もしくは魔物がまだ憑いているとしたら…)
その疑惑も口にしようものなら、下手をすれば首が飛ぶ。
馬車の中で膝を突き合わせた臣下たちは、互いと目が合っても、黙って顔を伏せた。
道中、自警団の努力もあってか、危機的な場に遭遇することはなかった。警らをする自警団や傭兵の姿は度々見かける。それ自体は以前と変わりないが、数が多く、動きもキビキビして、洗練されていた。
街道をひたすら進み、そこから王都と港町へ分かれる辻まで来ると、急に馬車の揺れが酷くなった。大きく掘り返された跡が幾つもあり、石畳が剥がれたり浮いたりしているためだ。魔物との戦いがあったことを雄弁に語っている。
ここを曲がれば王都は目前、安全が約束された輝かしい都の筈なのに、騎馬の護衛たちが緊張で張り詰める。
出発した時、生々しい戦いの痕がそのままだった王都の正門前は、荒れてはいるものの、汚れが濯がれていた。兵士の悲壮感も薄れている。高くそびえる牆壁の門を潜り抜けると、ショノアは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
翌朝、目覚めたショノアは、昨晩どうやって宿舎の自室に戻り、いつ眠ったのか覚えていなかった。罪人の引き継ぎに、帰還の報告にと慌ただしく各所を巡る必要があり、セアラやニナ、マルスェイと挨拶を交わせたのかも曖昧だった。
任を終えて帰還した彼らには召致があるまでの間、休日が与えられている。それでも、のんびり過ごす状況ではないと、ショノアは怠い体を起こした。
久しぶりに騎士服に袖を通したショノアは「落ち着かないな」と感じた。この制服を纏えることは、自慢だった筈なのに。
(あの時は、任務の成功による叙勲が念頭にあって、『まともな人員がいない』などと、仲間となる者の人選に不満を抱いたな。高潔な騎士とはほど遠い。俺にはこの革鎧の方が似合いなのかもしれない)
避難民の窮状を見過ごせず、王子を待ち構えて直訴するという大胆な手段を取るなど、その頃のショノアからは想像もつかないだろう。
祈祷の依頼を受けたセアラを送り届けるという名目で移住地に向けて発ったのが随分前のことに感じてしまう。また逆に、『魔王』の噂を調査するという特別な任務を受けたのがつい最近にも思える。事実、まだ半年ほど前でしかない。
魔物の洗脳について、できれば偽騎士と偽魔術師に直接質問をしてみたいと考えたショノアはマルスェイにも立ち合ってもらおうと、宮廷魔術師の団舎に向かった。
疲れでまだ眠っているかと思われたマルスェイは部屋におらず、行き先を尋ねても、研究室のある団舎以外に彼が好んで行く場所の心当たりがある者はいなかった。
諦めて、拘置所へ方向転換すると、その近くにある寂れた庭の人口池の縁に座るマルスェイを見つけた。宮廷魔術師のローブではなく、これまでと同じ旅装の彼は不審人物に見えてしまう。しかも、俯いてぶつぶつと独言し、苔むして底の見えない濁った水に何度も手を浸している。その指先は真っ赤だ。おそらく冷えて感覚もなくなっているだろう。
「マルスェイ、こんなところで何をしているんだ?」
「ショノアか…」
顔を上げたマルスェイは、パシャリと水面を叩くようにして飛沫を上げ、出した手に滴る水をぼんやりと眺める。
「手を拭いたらどうだ? しもやけになるぞ」
「少しでも『水』を感じたくてね…」
自嘲気味に愛想笑いをするマルスェイの顔色は暗かった。
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