209 噴火ではない炎
遠目に見る島影は、大雑把にいえば、どっしりとした三角形。今はそれが、吐き出される噴煙によって、安定感のない歪な輪郭を描いている。その不気味な形は「近寄るな」と警告を発するかのよう。
火山島に近付き過ぎる前に、シルエは改めて個々に防御と耐性上昇の術をかけた。自ずと気が引き締まる。
「うう~、この辺からもう磁場酔いが…。うぇ」
「いつものことながら難儀だな」
嘔吐きながらシルエは腰鞄をガサゴソと探り、丸薬を口に含んだ。「ノアラも口開けて」と声をかけ、一粒放り込む。ノアラの唇が一瞬キュッとすぼまった。
「あー、飲み込んじゃダメ。舐めて溶かしてね」
注意事項にノアラが涙目でこくりと頷いた。頬の筋肉がヒクヒクと動く。
「何だ? それ?」
「んー、磁場とか魔力酔い用に、馴染ますというか、麻痺させるというか、要は気休め? ディネウも舐める?」
「いいよ、俺はなんともねぇし。それよか、何か、あっちい気がする」
ディネウが「…っぶしっ」と腰に響きそうなくしゃみをした。海風に晒され続けて冷えているはずの体が急に火照り、じわりと汗ばむ。
火と熱波から身を守るには肌の露出は避けるべきだが、体に巻いていた毛皮を少しだけ開けさせた。シルエの防御術下にあるため、実際に暑いのか、別の要因なのか、判別がつきにくい。
シルエは悪戯っ子のようにニヤリと笑み、ディネウの口に丸薬を押しつけた。
「まぁ、そう言わずに、ひとつどーぞ」
「だから、いらねぇって。ッ! うわっ、酸っぺぇ!」
ディネウは丸薬の酸味に目をしばたたかせた。手の甲を口に当てて顔を背ける。その肩はふるふると小さく震えていた。
「あー、吐き出さないでよ? ほら、暑いのも少し和らいだでしょ?」
地の力が凄まじく強い場所では魔力が乱れて目眩や頭痛が引き起こされる。その点、体内魔力が乏しいディネウはその力にあてられていることにも鈍感だ。
魔術耐性がシルエやノアラに比べると低いディネウは、魔術攻撃を受けた際のダメージは大きいし、補助術の上昇値はイマイチ。その分、二人より高い体力や生命力で補う。
過去、シルエは自身の術の効き目に納得がいかず、魔力の流れだけでも鍛練するようにディネウを散々責付いた。しかし、莫大な魔力を秘め、才にも長けたシルエやノアラと比較する方が間違っていて…。
この度の噴火が自然現象ではなく、火の精霊によって引き起こされたものなら、より土地の力は狂っているのだろう。その傾向が顕著に現れている。
舟から桟橋に上がろうとするシルエとノアラの足は覚束なく、危うく海に落ちそうになった。ディネウは縄を結ぶ手の感覚に違和感があるのか拳を握ったり開いたりを繰り返して確認をした。
「サラドもお前らみたいだったら、精霊と交流どころじゃないんだろうな」
魔力で体調を崩す程に強い気が満ちているということは即ち、精霊もたくさんいるということだ。
「ちょ…、ちょっとだけ待って…」
数歩進んだところでシルエが蹲った。「うう~、早くサラドを探したいのに…」と焦りをみせるが立ち上がれないらしい。ノアラは真っ直ぐ立っているようでいて、重心がユラユラと揺れている。
「不調のまま行くのは危険だ。問題なく動けるまで、二人はここに居てくれ。近くの様子だけ見てくる」
膝頭に顔を埋めたシルエはその姿勢のまま手をヒラヒラと振った。板を渡した桟橋は音が響きやすく、ディネウのドスドスとした足音に「煩い、頭が痛い」とぼやく。
人が去った島はうら寂しい。
波が打つ度に、桟橋と擦れてギイギイ、ガタゴトと小さな舟が悲鳴をあげる。その音が宿舎の建ち並ぶ場所まで聞こえてきた。
慌てて避難したのか、それとも定住ではないので盗られるものもないからか、扉や鎧戸が開け放しの家もあった。
採掘場へ延びる踏み均された道の途中には火砕岩や溶岩を積んで半円状の空間を作った退避壕が数箇所ある。その位置を見るに、採掘は危険の少ない中低所に限られているようだ。海岸沿い、居住区の近くには植生もあるが、山の中腹から上は一面黒々とした岩地。見晴らしが良く、身を隠すものもないため、動く者がいれば目に付くだろう。
「怪しい人物どころか、小動物もいそうにないな」
鳥の声すらしない。山が上げるズズズズ…ゴゴゴ…という重低音がやたら腹に響く。
「頼むぜ。このまま鎮まってくれ…」
ディネウは祈るような気持ちで空を見上げた。
あれから山に目立った変化はない。ディネウの希望的観測かもしれないが、噴煙の勢いもやや収まってきた。
もしも島の形さえ変える大噴火が起これば、大陸、こと港町の生活が脅かされる。漁場だって荒れる。飲み水が駄目になる。噴煙で陽の光が遮られる日が幾日も続けば、気温も下がる。降灰は重く、家屋を潰すこともあるし、処分に困る。魚介類や海藻の天日干しはもちろん、洗濯物だって干せない。眼病や肺を患う者も多発するだろう。
「サラドも見当たらねぇし…。…こっち側ではなさそうだな」
主な被害は港から見えない側だと判じ、ディネウは踵を返した。桟橋の端、島に上陸したばかりの所で待つシルエとノアラの姿が目に入る。覇気は足りないが、立っていられるまで回復したようだ。
「調子はどうだ?」
「あー…、うん。何とか。すっごい勢いで魔力が巡るから、流れを合わせるのに時間がかかった。うあ…また耳鳴りが…」
シルエが鼻をつまんで口に空気を溜め込む。憐れなものを見る目をしたディネウを、頬を膨らませた顔で恨めしそうに睨んだ。
「ノアラも平気か?」
ノアラがこくりと頷く。心なしかいつもより眉間の皺が深い。
「この先では何も見かけなかった。裏側に回ってみよう。まさか自分たちが暮らす場所や、仲間のいる近くでは怪しいことはできないだろうからな」
「…普通はね。そうだよね」
シルエが苦笑して肩を竦めると、ノアラがちょっと困ったように頷いた。
縄で張った申し訳程度の柵を越え、海沿いに進む。その頃には、シルエとノアラの具合も大分ましになっていた。
「あ、鉱石みっけ。種類なんだろう?」
波にさらわれている拳大の石をシルエが拾い上げた。含有物があり、一部分がキラリと光を照り返す。
工員の中には、決められた範囲外でこっそり土産を探す者もいるらしいが、共同生活のため人目を忍ぶのは難しい。限られた自由時間に価値ある物を見つけられるのは稀だし、島から出る際に荷物検査をされたら没収される。
平地なのは港の近くだけで海食崖が続く。内陸に向けて、なだらかな傾斜を斜めに登って行けば草も生えぬ裸地が広がった。枯れた川のような黒々しい筋は過去の溶岩流の跡か。
先の噴火は既にある鉢状の火口ではなく、そこよりも低い位置で起きた爆発らしい。白っぽい湯気のような煙がモクモクと昇っていて、地表を破った幾つもの噴石がその脅威を主張している。
「火山ガスが充満している。防御は効いているハズだけど、念のために深く息を吸わないように」
杖をクルリと回して状態異常無効の術を重ねがけするシルエに、ディネウとノアラが神妙に頷き返す。
防御陣が白く光ったと同時、灼熱の赤が視界を染めた。爆発があった場所よりも上、煙の向こうで、頂上から噴き上がる火が見えた。
「噴火?!」
しかし、それは噴火とは明らかに違う。爆音もなく、噴煙もない。むしろ、怖いくらいに静か。
「何だ、ありゃ…」
滞空した炎が羽ばたくような動きで上空を覆う重い煙を吹き飛ばす。
炎が象る姿は、背に大きな一対の羽、長い首に角のある頭部、体に対して短めの四肢、太い尾が意思を示す如く揺れて――
「ドラゴン!」
ディネウが反射的に大剣を抜き放つ。常より重く感じるうえ、手の平にもじっとり汗を掻いている。柄を握る手に余分な力が入った。
「殺気は感じねぇ! だが、何だ、この気は…。重くて、濃い。怒り…?」
「やばっ、消される…」
気に押された防御壁が霞み、シルエも杖を突き出して対抗する。足腰を踏ん張り、両腕を伸ばしたノアラが、ギュッと右手を握り込むと、三人を囲むように分厚い氷の壁が出現した。
「くそっ、あれはどっちだ? 魔に堕ちた精霊か、それとも――」
「まだ、わかんない!」
山の頂上付近にいても存在感のある巨大さ。炎のドラゴンはゆっくりと山の周囲を旋回しながら下ってくる。体の芯は赤々と、広げられた羽の先に向けて橙、黄、白にゆらめく。
氷の壁はみるみる溶けていき、ドラゴンの形が滲んで歪む。その時にはもう変わりはじめていたのか、それとも山の死角に入った間か、次に見えた時には大きな鳥を象っていた。翼からハラハラと落ちる羽根が優しく地表に舞い降りる。白く輝く炎はまるで雪のようだ。
「あれは、見たことあるぞ。サラドが連れているヤツか?」
三者とも目を細めて、炎の出方を窺う。単純に炎は眩しくて、凝視するのは辛い。攻撃してくるか否か、気は抜けない。
「浄化…の炎ではあると、思う。けど、『排除』しようとする気配がヒシヒシとして…。サラドとは、ちょっと違う気がする」
翼を体に引き付け、山肌スレスレまで滑翔してきた火鳥は降り立つ際に山犬へと変貌し、その勢いのまま駆け回る。
そしてとうとう、三人の前でピタリと足を止めた。
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