206 叱責
「何故? 人死が出てもおかしくなかった」
ノアラはなおも詰問する。
「だから何? どんな末路を辿ろうと関係なくない? 選択したのは、彼だ」
「関係…ない?」
人との接触を嫌がり間隔を空けたがるノアラの常にない反応に驚きはしたが、シルエの声は至って平坦で、素でわからないといった様子。
互いにぽかんとした顔で見つめ合う。数拍の後、ノアラはその近さにハッとなって、そっと一歩下がった。マントの裾は掴んだままだ。
「逆に聞くけど、ノアラはあの兵士にちゃんと説明した? それもせずに拘束したなら、ただ襲撃されて強奪されて国外に拐われたと勘違いしてるよ、多分」
ノアラの目がほんの僅かに泳ぐ。図星らしい。
シルエは「やっぱり」と思いながら「ふー」と鼻から息を出した。
『忌み子』『災厄』という言葉を用いなければ、シルエだってそこまで性急に進めはしなかった。偽聖女らと同じように、因果を見せつけ、呪詛が仕込まれた硬貨型の土塊の残りは回収するつもりでいたのだ。だが、すぐに思い直したのは、そうしたところで、この男は理解も反省もしないだろうと判じたからだ。性根は昔と少しも変わっていないと。
今も「自分は何も悪いことはしていない」と切れ切れの息使いで言い募る男を横目で見てから、シルエはもう一度、ノアラとしっかり目を合わせた。
ノアラがこれほど長く無表情に戻らずにいるのは珍しい。半口を開けたまま、目は小さく揺れている。瞳孔が開いているため、紫色の目はより鮮やかに見えた。三度、「何故」と小声で呟く。その声があまりに傷付いていたため、シルエも仕方がなく吐露した。
「兄さんが帰る郷里を失うんじゃあ…って、一応心配はしたよ? でも、兄さんは村の一員とは認められないって言うし。それをノアラは知っていたんでしょ? …ってことは、兄さんも。なら、気持ちの折り合いはついているだろうし」
シルエが如何に愛着などの感情に淡泊だとしても、兄弟、ことサラドがそうではないことは想像がつく。
「まあ、でも、もし村がひとつ消えたとなれば兄さんは悲しむだろうね。だけど、それがどこであれ、災禍があった所に兄さんは心を砕くから。同じでしょ」
ノアラは唖然とした。シルエの言葉には迷いがない。本気でこの村がどうなろうと気にならないというのが伝わる。
「ここはジルとマーサが生まれた地で、眠る地で」
「それはね、僕もちょっと気になった。墓、移動しちゃおうよ。こう、ゴソッと。ノアラなら、できるでしょ? で、もっとまともな墓碑を」
あっけらかんと言うシルエに、ノアラは「二人の墓は、」と言い止し、むぐ、と口を閉じた。ひとつ深呼吸する。
「シルエだって、ここで育った」
「んー。僕は思い入れなんかないし。この村にいたことがあるなってくらい? 港町とか、聖都とあまり変わらないかな」
「…聖都と同じ括りなのか…」
相当衝撃らしく、ノアラはまた思考停止に陥りかける。
「だって…さぁ…」
含みを持たせたシルエの視線を追い、ノアラは改めて半焼した家屋と、乾ききってひび割れ腐った土が浮く畑に目を馳せた。そこにはかつてジルの家があった。
養子のうち誰も村に残らず、ジルとマーサの後を継がなかったのだから、この土地が別の人に宛てがわれ、ひとつとして思い出が失くなっていたとしても、文句を言うのはお門違いだ。
ノアラは何かを言いかけて、喉を詰まらせ、結局、言葉にはしなかった。自身の気持ちに蓋をしようとして遠くを見遣る。歪めた表情は癇癪を起こす直前の子供のようで、今にもワッと泣き出しそうに見えた。
(ふぅん…。ノアラにとってはかけがえのない場所になっていたのか)
規模は違えども、ノアラの屋敷はこの村で過ごした家に似せた箇所がいくつも見られる。裏庭に作った畑。寝小屋を用意し、放し飼いにされた山鳥。なんだかんだで皆が集まる居間。
はじめて心穏やかに生活した記憶をなぞるように。
「あ、えーと、安心して? 万が一の事態になっても、懐かしの、森や山に危害は及ばないはずだから」
「それは…、『聖域』と言っていたのと関わりが?」
「そうそう。やっぱり、最高位の力って半端ないね」
シルエが杖の先端でくるくると天を指し、上機嫌でにこっと笑む。ノアラは曖昧に頷いた。
「それに、僕が直接手を下したわけでもなし。謂わば自滅」
会話の全てまでは聞き取れなくても、不穏な語句は不思議と耳に届く。村人は「壊滅ってどういうことだ?」「自滅って何だ」とざわめいた。
村長は地に伏せたままの男とシルエを交互に見ている。「こいつを差し出した方が賢明か」と考えを巡らせているのが透けて見える。
「違…う…。あいつが…」
男は弱々しくも精一杯シルエを睨み「犯人はあいつだ」とでも言いたげに震える指を出す。
「お前の行動がどんな結果を招くか考えもしなかったのだろう? 自分がした事をまだ認められないか?」
「違…う、清める…から、と」
「まだ言うか」とシルエが半ば呆れて嘆息する。
「夫は…騙されたのよ! そうだわ! だって、大金が入る手筈が整ったから、と…。それを元手に町に出稼ぎに行くって。そんな時に」
「そんな時に、火が出て家が燃えた?」
分が悪いと思ったのか妻が声を張る。シルエが静かな声で言葉を引き継ぐ。
「ええ! そう! 私たちは被害者よ!」
「その火はどこから?」
「火が吹いたのは夫が手にした金貨…」
特に火傷の酷かった腕は拳が硬直している。火に巻かれた感触が残っているのかもしれない。
暴発する直前に頭上で水が破裂したが、季節柄、乾燥していた建屋への火の回りは早く、水を被った後もくすぶり続けていたくらいだ。あのまま火の粉が風に飛ばされていたら火の手は村中に広がり、あわや大惨事になっていただろう。
「貴重な供述だ。発火は家の中だな? その時、何が起きたか見ていたのは妻君の他にもいるか? ああ、そうそう。彼と同じ事をした者は口封じされた模様で、証言がなくてね。助かるよ」
悲劇の登場人物よろしく悲嘆に暮れていた妻は痛みに呻く夫からサッと距離を取った。
「…うん。彼女は今、かなり動転しているようだし、王都まで同行願おうか。夫君が心配で、離れたくはないだろう? その頃には落ち着いて話せるだろうし。是非とも協力を」
「…し、知らない!」
差し出したシルエの手がパシリと振り払われた。妻は首を回せられるだけ顔を逸らし、夫を視界から排し、シルエの目からも逃れようとしている。
「私は関係ない! 何も知らない!」
「そ…んな。何を言って…」
耳を塞ぎ、激しく首を横に振って、ずり、ずりと後退していく妻に男の顔は絶望に染まっていく。彼らの子供たちはオロオロと両親や村長、村人たちに目を移す。子供とはいっても、シルエが村を出た年頃と同じか、もう少し上か。何も解らないという年齢でもない。
「では、村長、彼らを連れて行くことに異論はもうないかな?」
逃げようとする妻の肩に手を置いて制止した村長に、シルエは笑顔で問う。
「ま、ま、待ってくれ。村は…どうなるんだ? その、魔物がどう、とか」
「ああ、忘れていた。ノアラの魔力、水路に使っていた術も含めて回収しておいた方がいいよ」
「しかし、そんなことをしては…」
「その魔力を糧にした魔物を生みたくないのなら、ね」
諭すようなシルエの柔らかな声音にノアラはぐ、と言葉を詰らせた。
「掘削と維持に力を注いだ結果なんだろうけど。今なら…問題なく元に戻せる、でしょ」
「あの頃はまだまだ未熟だった…」
「そりゃあね。お互いに」とシルエが相槌を打つ。旅立つまではこの村で見知ったことが全てで、学びも経験も足りず、得られる結果に対してシルエもノアラも多くの魔力を使うことが多分にあった。
今では最小の魔力で望む威力を出すことも、ひと手間かかるが己の魔力の痕跡を残さない工夫も可能になっている。
二十年以上経ても、溜め池と水路にはその時ノアラが使った魔力の残滓が感じ取れるくらいある。だからこそ、穢れの影響が早急に出て、水や土が腐りかかっているのだと察せられた。
「水路を直せって、言われただろう? 彼らの望みだよ。不満もあったようだし、必要なら現在の区画に合わせて改めて作るさ。長年見てきたのだから、構造がわからない、覚えていない、なんてことはない筈。手ずからは尊ぶ、違う?」
無償で与えることが、必ずしも良いことにならないのは、経験から得た教訓だ。
「ノアラ、壊すんじゃないよ。戻すんだ」
終末の世の不安定な時期、溜め池と水路は村を支えた基盤施設であったことは確かだろう。
その設備を真似させてほしいと他村から見学に、それどころか他領の代官までもが来ることがあったという。
他所に受け継がれているので、それほど憂うこともないと、シルエはノアラに促す。
「わかっ…た」
ノアラは苦しそうに眉間に皺を寄せ、暫し瞑目した。
ズズズ…と小さな地響きが這う。詠唱するとか、腕を上げるとか、特に目立つ動作も伴わず完了したようだ。
「お疲れ」
シルエの労いに、ゆっくりと目蓋を上げたノアラはこくりと頷いた。やや顰め面だが、いつもの無表情に近い。
ビュウと風が抜け、乾き切って見えた畑から腐臭が漂う。半焼した家でまたチロチロと踊る火が見えた。慌ただしく人々が消火活動を再開する。
「火が! それに今の揺れは何だ? 何をしたんだ? この村に仇なすのか」
二人の会話と地響きの関係に不吉な予感を覚えた村長が顔を青くする。
「人聞きの悪い。穢れの影響が出るのを少しでも遅くするため術を止めただけだ」
「術…だと」
再び吹き返した火は小さく、すぐに気付いたため、間もなく消し止められた。ほう、と安堵の声が上がる。
「この火消しの初動に誰か間に合ったか? 急激に燃え上がった火を消し止める水がどこから発生したのか、不自然だとは思わないのか?」
シルエが態とらしくヒョイと肩を竦めて、斜め後ろを振り返ると、村人たちの視線もそこに集中する。ノアラはそっと半歩横にずれて、シルエの背後に隠れた。
ここに村人が集まっている一番の理由は消火のため。列を作って水桶を繋いでいたところ、そのまま野次馬になったのだ。
人々が駆け付けた時にはもう粗方の火は消えていて、酷い火傷を負った夫と妻、子供たちが家の前でびしょ濡れになっていた。
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