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205 災厄と忌み子

 シルエは吹き荒ぶ風を見上げ、手元ではベルトに通した紐を弛ませて鈴を転がす。サラドの歌を聴かせた石でボロンと鳴る鈴の音は鎮静効果もあるのか、積年の怒りを爆発させることなく頭を冴えさせる。


(ねぇ、もし聞いていたら…。サラドを苦しめたヤツらをどうしてやるのがいいと思う?)


いるかどうかわからない精霊に心の中で話し掛けてみる。

まるで相槌のような間合いで風の向きが変わり、乾いた土が勢い良く舞う。バチバチと体を打つ砂粒に「わっ」と悲鳴が上がった。


(今のはただの風か…、それとも精霊の悪戯か…)


 目と口を閉じ、風が止むまで耐え忍んでいた村長が薄目を開けて様子を窺うと、風も砂もものともせず悠然と微笑むシルエが映った。一瞬、ギュッと心臓を握られたような痛みが襲う。

風の音も止み、暫しの沈黙のあと、村長が「ジルは…」と声を絞り出した。


「お前たちの養父ジルは確かにこの村を救った恩人で、薬師のマーサ共々多大な貢献をしてくれた。その養子であるお前たち二人も、腕っぷしが強かったディネウも、村に残ってほしいと願うくらいの逸材だった」

「…もう一人、忘れていないか?」


村にいた頃のシルエがサラドにべったりだったのは現村長も覚えている。サラドを邪険にすれば、怒るのは本人ではなくシルエだったのも。


「…忘れてはいない。あれはいない(ヽヽヽ)者だから、だ」

「へぇ…。申し訳ないが、お互いに誤解のないよう詳しく説明してくれ」


シルエは返答を静かに待っている。その眼差しには不正や嘘、誤魔化しを許さない圧がある。自然と頭を垂れそうになり、村長はハッとして曲げかけた腰を慌てて伸ばした。律儀に答える義務はないと口を結んでも、その意に反して喉がゴキュと音をたてる。


「…王都から兵が来て、咎人を探していた。〝夜明けの日〟後のことだ。聞かれた特徴を持つお尋ね者は…私達の村の一員ではなかった。長旅から帰郷した(ジル)が独断で匿い、育てた子供がいたとしても、私達とは関わり合いがない」


 王配は部下からもたらされたサラドの死の報告を鵜呑みにはせず、方方へ捜査員を放った。出身の村も当然ながらその範囲に入る。

前村長は村人の前で断言した。『そんな男は村には(ヽヽヽ)いない』と。

殆どの村人は村長の意向に追随した。特殊部隊員の尋問に屈して答えたとしても、十年前まで村の外れや森にその特徴を持つ子供がいたという事実だけだ。それ以降の目撃情報は出てこない。実際に旅立ってからのサラドがジルとマーサに会うことはあっても、村人とは接していなかった。

暫く監視がついたが、見張られていることなど痛くも痒くもないという風で、ジルは普段通りに過ごした。何日張り込もうと、赤髪の男が接触してくることはなく、兵士は引き揚げて行った。

隠密行動はサラドも得意とするため、そんな失態を冒すはずもない。


シルエが斜め後ろに視線を遣るとノアラが気まずそうに目を逸らした。「知ってたんだ…」という呟きが漏れ聞こえ、ノアラは思わず手放しかけたマントをぎゅっと摘まんだ。


「あれは生きていてはいけない忌み子だ。ジルが拾った当初に受け入れることはできぬと告げてある。最初から、認められていない」

「…そうか。安心したよ」


予想外に明るい声が返ってきて、てっきり憤慨するものと想像していた村長は拍子抜けして、顔を上げた。

しかし、村長を見るシルエの目は射貫くようで、春の新緑のような色とは似つかない冷えたもの。ニッと口角を上げた笑顔は慈愛とは真反対。

ゾワリと寒気がし、周囲の温度が下がったような錯覚を覚える。


「あ…」

「言質は取ったぞ。この村と彼は一切の関係がないと断定したな? ならばこれまでも、この先も、村に何が起きようとも無関係だ。そうだろう?」


凍てつくような目から逃れたくて視線を彷徨わせると、また機嫌の良さそうな声がした。シルエの表情も与える印象も、元に戻っている。


「いや…、あれは災厄を呼び込む…」


名を口にすれば存在を認めたことになるとでも恐れているのか、村長は『あれ』などと呼ぶ。シルエの方も大事な兄の名を聞かせるのも惜しいと口にしない。

話の見えない若者が事情を聞き出そうとする声がぼそぼそと聞こえる。


「災厄? それは神託のことか? それがそもそも間違いだとは疑わないのか?」

「なんと罰当たりな!」

「罰当たり? あの馬鹿げた解釈のせいで何人の赤子が犠牲になったと? その命を奪って災害が減ったか? むしろ魔物は増えなかったか? 〝夜明けの日〟を迎えたのはそれから二十五年以上後のことだぞ。神殿ですら過ちを認め、慰霊をしたぞ」


 〝夜明けの日〟を跨いだ数年間、神殿は失墜した威光の回復と信者の離反を防ぐことに躍起になる。事を収めようと、聖都の神殿長が責任を負う形でその地位を退いた。事実上の処分である。

神の御言葉自体を間違いとはできない。神降ろしで得た託宣が非人道的なものであったのは、人の心の弱さが招いた不幸であったとした。不安に押し負け、結果を急ぎすぎたせいで正しく手順を踏まなかったためと。

その失策を逆手にとり、そんな弱い心をも神は導き救ってくれるのだと教えを広める。高位の神官であっても過ちは犯すものだとし、それが人の(さが)であり、一生が修行の場だとした。先行き不安で貧しい暮らしの中、神託のお触れがなくても口減らしをされた子はごまんといて、一緒に罪を背負いましょうと寄り添う姿勢を示す。保身に走る上層部は転んでもただでは起きない。


 ジルに訊ねても詳しく教えて貰えなかった、サラドが村の人から『忌み子』や『災厄の申し子』と呼ばれる理由。偶々聖都の書架で、神降ろしの顚末が赤裸々に綴られた覚書を見つけた時、シルエは頭に血が上りすぎて吐き気を覚えた。

その内容は神殿の恥部であり、とても表には出せない裏事情で、当時の神官複数名によりそれぞれの視点で書かれていた。今となっては非常に良い資料だ。その文章に懺悔の心が滲んでいるのがせめてもの救いである。その悔いと戒めが都合の悪い事実を闇に葬ろうとする権力に抗い、その目を盗み、残すように働いたのだろう。


「でも…、忌み子が呪ったから、村は衰退の一途を…」


 村長はもしょもしょと小声で反論する。村の様々な問題も収穫高の伸び悩みも、忌み子がいたせいにすることで、村民の不満を逸していたので簡単に認めるわけにもいかない。


「ほう? 呪い、か。呪われるほど恨まれる心当たりが?」

「それ…は…」

「この世界全体を蝕む力を持つと恐れられた『災厄』が、随分と悠長なことだな。こんなに時間をかけて、こんな狭い地域に、こんなつまらない嫌がらせで済ますと?」


(村の荒廃がサラドのせいだなんて、二度と言わせないために、きっちり因果を思い知らせないと)


 サラドはただ精霊と交流していただけで、村への恩恵を願ったりはしていない。捧げ物を風に乗せるのも単純に感謝の祈りと精霊が楽しむ姿が嬉しいからしていた事。それでも、下位の精霊が集まり留まることで痩せた大地に与える影響はそこそこ大きかった。

話相手のサラドがいないとわかれば精霊は素通りしていくし、やがて訪れることもなくなる。精霊が無自覚に与えていた恩恵はゆるやかに解かれていく。だがそれは他と条件が同じになるだけで問題はないはずだ。良い状態に慣れきった者には衰退と感じ、他村と比較してここは特別と優越感に浸っていた者の喪失感は大きいらしい。


「ジルが彼を保護してから大きな災害が村を襲ったか? それどころか、他の村では収穫が絶望視された年ですら、実りが減少した程度ではなかったか?」


シルエは村長から人垣を作る村民へと視線を流した。ゆっくりと諭すように。


「もし、僕が『災厄』だったら、あんな扱いや暴言をぶつけられたら悲しくて、その場で無意識に力を放ってしまい、小さな村ひとつくらい滅ぼしてしまったのではないかな」


再び、村長を見据える。


「でも、僕の兄は揉め事や争い事が嫌いでね。仕返しなんて考えもしない人なんだ。そんなお人好しが『災厄』なら、世界はきっと平和なままだったろうねぇ…」


「そういえば」や「でも…」などの声が囁かれる。長年信じてきた事柄に疑念が生じて困惑が広がっていく。村の全員が積極的にサラドを疎外したわけではない。その肩書きに少々の恐れは感じながらも、狩りの腕前や薬師の弟子としての実力を認めてくれる者もいた。ジルと一緒に魔物を退治しに行ってくれる者だっていた。同調し結束していたのが瓦解していくのを感じ、村長が焦りで顔色を悪くしている。

いい気味だとシルエは心の中でほくそ笑んだ。


 村の、特にお偉方がサラドを忌み嫌い、その本質を見ようとしなかったのは、ある意味、僥倖だった。サラドの使い道(ヽヽヽ)を幼いうちに見出していたら、どうなっていたか。村で管理するといってジルから引き離し、心を奪い虐げ、命令を聞く存在に仕立てた可能性も否定できない。保護されたばかりの頃のノアラが命令や許可なしでは動けなかったように。シルエが隷属の術で縛られたように。

そうなったサラドに精霊が力を貸してくれたかは定かではないが、ろくでもない人生になったに違いない。少なくともサラドは嫌味や無視、時に暴力を振るわれても、その特異な能力を搾取はされていなかった。

そこのところはジルもマーサも上手く躱していたのだろう。飄々と笑うジルの顔が目に浮かび、シルエは内心で苦笑した。まだ十歳だった当時のシルエにはジルの考えなど理解できず、反発もしたけれど、今ならあれが守る手段だったとわかる。


「で、でも…あの爺さんが住んでいたここは幾ら耕しても、何を植えてもパッとしない。薬師の婆さんが生きていた頃は薬草が茂っていたっていうのに! こんなのおかしい! この土地を渡したくなくて変な術を使ったか呪ったとしか思えないもの! 死人にはもう必要ないでしょうに。しかも主人はこんな…、家だって燃えて、どうやって冬を越せっていうの!」


 すっかり黙ってしまった村長に代わり、夫が治癒をかけてもらい一命を取り留めたというのに、礼すら口にしていない妻が泣き喚く。


「自業自得だろう」

「酷い!」

「この男は山に穢れを撒こうとしていた。だが、山に入る根性がなく、それを村に撒いた。土や水を腐らす呪詛だ。その目で見ただろう? 呪詛が実を結べばいずれ魔物を生むだろう。本人にその自覚がなくとも、国を揺るがす災害を招く手足となったことは、まごうことなき事実。それでも罪状には足りないか?」


 何度も声を掛けようとしながらも、話に割り込めずにいたノアラの手はシルエの気を引くためマントの裾を掴んだままでいた。それがとうとうグイと強く引っ張られる。


「シルエは彼があの土塊を持っていることを知っていた?」

「ああ、山でうろついていたところを見つけたからね」

「…知っていて、そのまま村に帰した?」


ノアラの怜悧な目が見開かれ、信じられないと訴える。


「…こいつに…村で撒けば…と言われ…た」


倒れた男は弁明の機会と思ったのか、必死に声を出す。気道も火傷を負っていたのだろう。治癒はできているはずだが、心が追い付かず、ひと息毎に苦しそうにしている。


「僕はコレが清めると信じるのなら確かめてはどうか、と提案しただけ。忠告に耳も貸さず、横取りなどと濡れ衣を着せようとしたのはどちらか。それで、手にした金貨はどうなった?」

「…う…」

「何故! 一歩遅ければ、村が壊滅していてもおかしくなかった!」


滅多に聞かないノアラの怒声。それと、鼻の頭が着きそうなくらいに詰められた距離にシルエは一瞬、面食らった。



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