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204 古の神事で結ぶ縁

「待て」


 制止をかける声にシルエの片眉がピクと跳ね上がる。進み出た人物を「村長」と呼ぶ声がする。


「そんな怪我人に無体なことをしようとは。それなりの理由があるのか」


世襲して代替わりをした現村長は、当時その遣いをしていたので覚えている。表向きには中立を、人目がないところでは、ジルの養子たちを邪魔者扱いしていた。年を重ね、前村長と似た姿になり、今度は背後にシルエやノアラと同年代の男を従えている。よくやっかんで来たその息子だ。順当に次代として遣いをしているようだ。


「なんて酷いことを! こんな目に遭った上に…。慈悲の心もないの! 夫が何をしたっていうの! 家も燃えて…、これでは冬を越せない」


 まだ荒く息を継ぐ男に寄り添った女がボロボロと落涙し、シルエを詰る。再生したばかりで薄桃色をした皮膚に触れるのは躊躇われるのか、男の体を支えるか否かで手が右往左往していた。


「何をしたか、だって? この惨状を招いたのは他ならぬ彼だろう? それに、神域の山を穢そうとしていた」

「神域の山…?」

「ハッ! もしや、それすらも忘れたのか。山の禁忌は子供騙しだとでも? それで巫の末裔を名乗るか。聞いて呆れる。聖域の庇護下から外されたのもさもありなんだな」

「余所者の拾われ子が知ったようなことを! この村は神事を受け継ぎ執り行っている」


嘲りを隠そうとしないシルエに村長は怒りを顕にした。


「神事? まさかと思うが、春の花大祭のことか? それとも夏の灯火流しか? または秋の収穫祭か? それらは全て、神殿が広めた祭事。この村独自の神事ではない。古来、この地域で祀っていたのは何だ?」


 スッと伸ばされた背筋、泰然とした構え、微笑んでいるが感情を窺わせない表情、抑揚を抑えた低い声音。

威厳に満ちた態を効果的にとるシルエに圧倒されて、じり、と後退し人垣が崩れる。


「何って…風の神だろう」


村長はたじろぎつつ、「馬鹿にするな」と言い足した。村長に同意を示す者もあれば、先程目にした奇蹟の光にシルエがそれなりの権威を持っているのではと勘繰り、戸惑う者もいるようだ。


「その風を祀る神事はどんなものだ? いつ、誰が、執り行っていると? 言えぬのは秘伝の斎行だからか?」

「それは…」


言葉を濁す村長に、シルエはゆっくりと目を伏せ、首をゆるく横に振った。


「風は『人のことは人に任せた』と。『人との繋がりは要らぬ』と申された。この村に関心はないそうだぞ? 崇めるどころか、山から吹き下ろす風を迷惑がって憚らないのでは当然だな。使命から解放されて良かったではないか。そうそう、この先、無遠慮に神域である山に踏み入れるのは本当の意味(ヽヽヽヽヽ)で禁忌となる。気を付けられよ」


 風の神は古くからある土着信仰で、万の神の一柱。対して、神殿が崇めるのは唯一の神。神殿は布教のとりかかりとして、万の神は唯一の神の側面に過ぎないと説き、村祭りなどを神殿式の祭事に統一するよう励行した。土着の神を真っ向から否定しないと見せかけて、その実、許容しない。

奇蹟の力はその唯一の神から許された力であり、神官の修行を経れば必ず授かるものでもない。高度な治癒と浄化などかなりの地位にいる神官でも難しい。神官の地位を示す衣服を纏わず、星の杖を所持していなくても、奇蹟の光を使う所を目にすれば、その職にあることを疑わない。

故に、古き神を忘れていることを責めるようなシルエの口調は、神官の態度としてはちぐはぐで、周囲の者を困惑させた。


「何故、神官が風の神の言葉を代弁するんだ?」

「僕が神官? 冗談じゃない。違う。一度として神殿に籍を置いたつもりはない」


シルエの声が不機嫌そうにいっそう低くなり、わずかに素が覗く。

人垣から「神官じゃない?」「ではあれは奇蹟の光とは違うのか?」と疑問の声が起こった。シルエは二十年余り村に(ヽヽ)帰っていない。若者や子供はシルエのことを知らないため、周囲の者に聞く声も混じっている。

「なんだ…。神官が在任するのかと、期待したのに。また他村から一目置かれるようになるし」と明け透けな呟きまで聞こえてきた。


(本当に、冗談じゃない…。ジルも浮かばれないな)


大仰に「はぁ」と嘆息を吐けば、村人たちが顔色を悪くした。


「そろそろ、理解したらどうだ? 終末の世において、周辺では次々に廃村となってもこの村が存続できたのには理由があると。村を守る影の立役者は誰なのか。翳りが出始めたのは誰がいなくなってから? 決定的になったのは誰を喪ってから? 無い頭では難しいか?」


 村人たちは知らない。知ろうとしない。不安を煽るようだった風穴の音の訳も、今も精霊がいることも。

精霊との縁を辛うじて繋げ、狂った精霊が知らずに与える悪影響から村を守っていたのは、間違いなくサラドだ。


 サラドは一人、季節を移ろわす風への感謝を捧げていた。人の都合ではなく、風に合わせた日取りで。それは春の大風の前、夏の雨嵐の前、冬の木枯らしの前。前述した祭りとは時期が少しずれる。

都度、見張り台に即席の祭壇を設け、供物は森で収穫した木の実や種子や花などささやかな物。それに、風散布される翼果を真似て作った、薄く削った木の翼をくくり付ける。兆しの大風にそれらが運ばれる様は、なかなかの見物だった。うまく風に乗らなかったものも、感謝と願いをこめて、手に載せて差し出すと、そこからふわりと浮かんでいく。用意した全ての供物が風に攫われると、サラドは相好を崩していた。


 遠い昔、元はごく普通に供物が祭壇に捧げられていた。ある年に強風で祭壇ごと吹き飛んでしまった際、人々の慌てぶりを見た精霊たちが面白がった。その年がたまたま例年にない豊作になったことで、人は供物が風に受け取られたからだと解釈した。それから風に乗りやすいように工夫をしたのだ。風が受け取りやすいように、高く遠く飛ぶようにと。

風の精霊たちもそれに興味を示し、供物が飛べば人が喜ぶため、より調子に乗った。そうして確立された翅付きの捧げ物の風習は長く精霊と人の縁を結び続けた。

だが、災いが続くと余裕もなくなり、神事も捧げ物も規模を縮小せざるをえなくなる。やがて、祈りだけとなり、生活が立ち行かなくなればそれさえも途絶えた。

そうした事態が何年も続けば、どの時季に、どんな形で行われていたか伝えるのも難しくなり、人々の記憶からは消えてしまった。


 しかし、精霊たちは忘れていなかった。大風の日、ゴウゴウと吹く音の中に、何の気なしに交わされている精霊のお喋りが混じっていた。それに耳を傾けていたサラドは供物のことを知り、精霊を喜ばせようと再現することにした。曖昧な語を拾い、あとは想像で補ったので果たして合っているのかはわからない。次の季節が訪れる大風に合わせて実行に移すと、概ね精霊から好評を得た。サラドも大風を迎えるのが楽しみになり、繰り返す内に、実りや潤いまで全てを攫っていくようだった大風は徐々に変化していった。

兄弟ができてからは協力して。四人が村を発った後もジルとマーサがひっそりと引き継いでくれていた。


(ナイフの扱い方はあの木の翼作りで覚えたな。何年も続けていたのに、村の誰も気付かなかったのか、見て見ぬ振りをしていたのか…)


 折角取り戻した縁を失わせまいと、ジルは村長にそれとなく、風の神に感謝を捧げる古い習わしがある旨を告げていた。結果を言えば、村の神事として復活には至らなかった。ジルはサラドに申し訳ないと思いながらも、それも定めと観念した。信心を無理強いしたところで意味はない。


 シルエと村長、両者とも次の言葉を継がない。膠着状態が続き、緊張が場を占める。村長は苦い物が喉に迫り上がってくるのを感じた。


 村長は後悔した記憶を思い起こしていた。

ジルが伝えたいという神事の件は前村長の独断ではなく、次代を担う息子に意見を求めていた。巫である先祖の志を継ぎたい思いはあるが、村の利を一番に考えようと話し合い「やっと平和になると希望が見えた頃合で、神殿に睨まれるようなことは避けるべき。それで救済措置を得られなくなるのは良くない」という結論に達した。

長としての決定、その心の裡ではつまらない自尊心が頭をもたげていた。神事の方法を他家の、由緒もない者から伝授されるのは面白くない、頼りたくない、と。

だが、内容を聞くだけはしておいて、ジルの死後にでもどうするか考慮しても良かったのでは、と悔いたのだ。


〝夜明けの日〟以降、周囲の村が順調に復興していくのに、この村は足踏み状態。現状維持すらできなくなった境はいつ頃で、何か原因となる出来事はないのかと考え、ジルを喪ったことに思い至った。その時、もし神事の件にその手蔓があるとしたらと頭を掠めた。しかし、村人の誰もジルからそんな話は聞いていない。マーサも既に他界している。


折を見計らってシルエのマントの端をノアラがそっと摘まんだ。


「なぁ、シルエ…」


呼びかけるノアラの声は小さくて、ザッと吹き抜けた風に掻き消されてしまった。



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