203 望まぬ帰郷
ザワザワと鳴る梢に目を開ければ、そこは兄弟の秘密基地であった大木の根元だった。耳に残るはキャーキャッキャと囃し立てるような笑い声。旋風がくるくると舞い、シルエをもみくちゃにしながら抜け去ると、それがただの風の音となった。賑やかに枝葉を打ち鳴らしていた木もしんと静まり返る。
風が止んだことで、プスプスと燃える音、それから焦げ臭さに混じる微かな腐臭が漂って来た。
「まさか。本当にアレ、撒いちゃったとか? 馬っ鹿だなぁ…」
見上げた木々の隙間から黒々とした煙が見えたが、続く勢いはない。もう、火は消し止められたようだ。
「ふーん…。鎮火ってことはさしたる被害もな…ん?」
いつもはリンリンと小さく控えめな音で入るノアラからの報せが、慌てふためいた様を表すかのように乱暴に鳴る。「諾」と応えを返す間もなく、薄紫の光が下から上へと流れ、空間が歪んだ。
「シルエ! 大変だっ」
大声で呼ばわると同時、クンッとマントの裾が引かれた。二重の内、上側の、腰まである丈の方が不自然に広がる。
如才なく不可視の術を纏ったノアラの姿は目には映らないが、魔力を探ればどの辺りにいるのかはなんとなくわかる。共にいた時間が長いせいもあって、ノアラが気配を消そうとしても、その魔力の特質はすぐに判断がつく。
「何? 考えにくいけど、土の神殿の方、何かあったの?」
「そちらは概ね問題ない。あるのは、こっち。村が…」
グイッと強く引かれるマントをシルエも引き戻し、応じない。
「えー…、行く必要ある? 僕、風の最高位精霊と会えたし、結界も張ったから、サラドの所に急ぎたいんだけど」
『最高位精霊と会った』という語を聞いてノアラの動きが鈍る。が、すぐに「後で詳しく聞かせてくれ」とボソボソと呟き、欲を追い出すように、首を横に振った。
「シルエは浄化ができるからな。『依頼を受けた者』の捕縛を後回しにしたのか。僕はとりあえず、そちらの排除を優先して、ここに転移で来たんだが、例の土塊による異変と思われる事象が…」
シルエの行動を良いように推察したノアラが早口で述べ、尚も急かすようにクイクイとマントの裾を引く。
「あの土塊を村内に撒いたらしい。怪我人もいる。水も濁っていてこのままでは病に倒れる人が出る」
「んー…、その瞬間をノアラは見た? それとも事後?」
「来たときには既に火の手が上がっていた」
「そっか。じゃあ、あの金貨に施された術の発動条件は不確定のままか。湖で見た感じから推測するに、同時に渡された土塊の全てが魔力に触れた時点か…、そんな単純ではないのか…」
土塊を村内で撒くよう挑発したのがシルエだなんて考えもしないノアラは首を捻る。
「その辺を確認したいし…まあ、いいか。じゃあ、ノアラも姿を晒して。もう、それ標準装備なの? 僕、ディネウみたいに独り言が多い不審人物になりたくないんだけど」
ノアラはシルエの要求に逡巡したが、もともと顔を知られている村であれば…、と不可視の術を解いた。
「んー、ソレがそう、なの?」
シルエが顎で指し示すものを見て、ノアラがこくりと頷く。その足元には、縛り上げるだけでは飽き足らず、目隠しと猿轡もした男が転がされている。
「迷っていて、奥には進めずにいた。早くに見つけられたから事なきを得ている筈」
「ふぅん。森の中なら、不可侵区域でしょ。どうするの?」
その男は隣国の軍服を着ている。王国への不法侵入で捕らえるには微妙な場所。扱いを間違えれば、逆にこちらが不当に身柄を拘束したとされ、国家間の火種に発展しかねない。
「王都の兵に引き渡そうと思ったが…、隣国の方にするべき?」
「うぅ~ん。説明するの、面倒臭いなぁ。早く火山島に行きたいし。いっそ始末しちゃう?」
「え?」
シルエの声は冗談というには平坦で、ノアラも思わず聞き返した。耳は塞がれていない男がビクッと体を震わせ、グネグネと身を捩る。
「ッ! うー、ううーう、うー」
動けば動くほど、縄は体に食い込む、そういう縛り方をしてある。酷薄な目で地から杖を浮かせたシルエに、ノアラは慌てて行き先を示した。
「とりあえず、村を先に」
「…逃げられそうにないし。いいけど」
ぐずぐずに腐った土の道。燃え落ちた、というより激しい水撃を当てられ崩れた家。不快な異臭を放つ、元は畑だったらしきドロついた沼。
その被害が最も酷い箇所が、ジルの住まいだった辺り。兄弟が暮らしていた頃の面影は一つとして残っていないので、シルエには別段感傷もない。秘密基地の見張り台から村を見渡した際に、ジルの荒ら家もマーサの薬小屋も、薬草畑も何もかもなくなっていることは確認済みだった。
「ふぅ~ん。人の生息域に撒かれた際の現象はこう…か。薬草畑だった辺りだからサラドの魔力ないし、土の精霊の影響が残っていて、その分被害が甚大だとしても…。うん、魔人はなぜ直接、都や町を狙わないんだ?」
被害状況を観察しながら考察に耽るシルエを先に促したくてノアラはソワソワとしている。
「ノアラはどう思う?」
「あ…、より濃い『穢れにより転換させた魔力』を集めるのには神域が望ましいから?」
「ふん…。じゃあ、街道は? 初期段階で手法がバレれば、依頼を受ける者がいなくなるっていうのは、そうだろうけど。混乱に陥れ、人々の生活を壊したいのなら、こっちの方が手っ取り早いのに」
「あの、シルエ、怪我人を…」
村人たちは前触れもなく発生した異常事態の連発に慌てふためき、わあわあと騒ぐばかり。空に光の柱が立ち、閃き、吉兆とされる彩雲が見られたこと。それに、山から春のような温かな風が吹いてきたのと、暴発した火が水に包まれたのがほぼ同時だったため、「災厄が来た」いや「神の掬い手だ」と悲喜交々だ。
「誰か! 誰か、助けて!」
倒れているのは、シルエが思った通りの人物。片腕を中心に重症で、焼けた空気と煙を吸ったためか呼吸もままならない。洗い清められ剥き出しになった患部を目にし、「こりゃ、助からん」と零した者がいて、妻が悲鳴を上げた。「夫を助けて」と周囲に集まった者に縋っても、誰もが顔を逸らす。その目には手の施しようがないと諦念が滲んでいる。
「シルエ、早く治癒を」
苦しむ患者を前に眉間に深く皺を寄せるノアラをシルエはチラと横目で見た。
清めの術に加えて、冷却も施したのであろう。霜のようなものが見える。ノアラの処置がなければ、今頃、事切れていたに違いない。そのことに村人たちは気付いてもいなさそうだが。
「えー、治すの? 彼はこのままで…いいかもよ? 自業自得なんだし」
「は?」
「まあ、聴取のためなら…、しょうがないかー」
シルエがつまらなそうに手をかざす。強い光が怪我人の体を抜けた。火傷で爛れた皮膚がみるみる再生していくが、患者を慮ることのない力加減の治癒に呻き声が上がる。反応が戻ったことに、わっと妻と子らしき者が怪我人に寄った。
回復具合には目もくれず、汚泥と化した畑に向き合い、これまた不承不承といった態でトンッと杖で地を突く。その接触点から光が広がり、臭気と穢れに満ちた水気が消えていく。こちらは明らかに手を抜いているようで、その光も広がりも弱い。畑の土はすっかり乾いてひび割れ、作付けなど難しそう。
「これは…神官様の、奇蹟の光か?」
「奇蹟?」
「奇蹟だって」
治癒と浄化の光を目にした村人はあんぐりと口を開けて呆けている。
「もしかして…、お前ら、シルエとノアラか? いつ、帰って来ていたんだ? それに、今の光は、まさか」
奇蹟の光によって、ある意味、正気を取り戻した幾人かが、毛色の違う者がいることに漸く気付いた。
火事や異臭に怯える声、奇蹟に驚く声、雑多なざわめきに二人の名前が加わる。
「ノアラだって? おい、お前が作った用水路は壊れている。直せ」
人垣を分けて、場違いな発言をした男が前に出てくる。シルエはサッとノアラの前に立ちはだかった。
この村で暮らしていた頃、日照りや乾いた風により収穫が乏しくなっていた村では水が小競り合いの種になっていた。そんな頃、ノアラの頭の中では、ジルが所有していた書物にあった図や、奴隷として仕えた屋敷の庭にあった噴水、その時の主人が嗜んでいた飲み物を淹れる容器の構造などが、ぼんやりと繋がって形を作り出していた。だがノアラは人と話すことを苦手としたため、相談もなく、勝手をした。土の術を応用して川との中継点の地中を掘り、固めていく。最終的に表面に現われる部分は入念な準備を終えた夜中に行ったため、一夜にして完成したように見えたかもしれない。
造り上げたのは、入れ子になった円と堀を備えた溜め池。水が流れる力と圧力を利用して、そこから四方へ延びる水路に水が分配される。それにより、いずれかの方面にだけ多く供給されるということがなくなった。
ジルを通してだが、新しく水路を延ばす際の注意点や補修について伝えてある。だが、守られている様子はない。〝夜明けの日〟以降に、魔物との緩衝地帯にしていた場所を畑として開墾した為、新しく水路を設けたようだが、そこは川と溜め池の間だ。また、掘が埋められたり、堰を取り払われているのも見受けられた。
自然の降水だけでも作物が育つには十分なはずだが、畑を増やしても収穫高は増産できていないらしく、不満は積もり、水を巡る争いが再発しているようだ。
「壊れた? 壊した、の間違いでしょ。元に戻せば良いだけじゃない?」
傍目には無表情でも、困惑を浮かべているノアラに代わってシルエが辛辣に言い放つ。
「戻す? 元がどうとか知らん。作った者の責任で直せ!」
「は…、自分が何を言っているかわかってる?」
相手をするのも億劫になったシルエは緩く首を横に振ってハァと盛大に嘆息を吐き、無視を決めた。急激な治癒の反動で痛みに悶える男を冷たく見下ろし、指示をする。
「彼を縛って。さっさと突き出しに行こう」
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年末年始は頭痛と目眩にダウンしていたところに
フィッシング詐欺と思われるメールが山盛り来ていまして
ちょっとやさぐれました
メンドウクサイ…
皆様も詐欺にはお気をつけて
お体ご自愛くださいませ