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20 捕り物

 衛兵の詰所にて軽く着替えをしてから事情聴取に応じた後、母娘からお礼を是非にと誘われたショノアは「仲間が待っているので」と辞退したものの、「襲われた恐怖がまだあり使用人も今は頼れず男手がなくて不安なので、少しの間一緒にいて欲しい」と請われ、確かに女性だけでは心許ないだろうと思い食事を共にした。

使用人は無事に医者に診てもらい、サラドが代って宿を手配し彼を寝台に運ぶまで請け負い、その後セアラとニナの待つ宿屋へと移動して行った。ショノアはサラドが食事の臨席を断ったのかと思っていたが母娘はサラドのことは引き留めていなかった。


 ショノアが言付けを受けた宿屋に到着したのはもう暗くなってからだった。

セアラはもともとの習慣と夜明けの祈りのために就寝が早くもう休んでいた。ニナは基本、宿に着けば部屋に引きこもる。


「もうこの部屋しか残っていなかったそうで、一人部屋は二人に譲りました」

「ああ、もちろん、それで構わない」


ショノアが部屋に着いてすぐ、珍しく疲れた様子のサラドは寝台に横になった。掛けられたサラドの灰色のマントからはまだピチョン、ピチョンと水滴が落ちている。それでも中の上着などは殆ど濡れておらず、雨にも強い素材のようだ。装飾の一切無い地味でやや無骨な作りだが機能的には良い物なのだろう、つい触ってみてしまう。この先のことを考えるとこういったものを揃えておくことも大事だ、明日商店を覗いてみようかなどと考えていた時、サラドが急に体を起こした。


「あっ、すまん。勝手に触ったりして」

「……」サラドは耳を澄ますように手を顔の脇に添えた。

「どうした?」

「いえ、少し気になることが…」


 サラドは思い詰めた表情で部屋を出て廊下を進んだ。彼らの泊室と一人用の客室とは離れている。後を追ってきたショノアに足音を忍ばせるよう注意を促した。

ひとつの扉の前に来ると耳を着けて中の音を探る。すぐにサラドの表情が厳しくなった。普段の彼からは想像できない粗さでノックし「セアラ!」と呼ばわる。

「いやっ」とかすれた悲鳴が聞こえ、扉のノブがガタガタと鳴る。焦って鍵を回せていないらしい。


「セアラ、扉から離れて!」


サラドがノブを両手で包んでから瞬きほどの間でカチリと解錠音がし、体当たりをする勢いで部屋になだれ込んだ。

扉脇にいたセアラをさっと背に庇う。


「誰だ、テメェ」

「やべえよ、ずらかろうぜ」


開け放たれた鎧戸の窓辺に二人の男がおり、うち一人は窓の外にぶら下がったロープに手を伸ばし窓枠に足を掛けている。


サラドが唇を薄く開き、すうっと息を深く吸い込む。唇がとある言葉を紡ぐ形を成そうとした時、するっと横を通り抜けたショノアは数歩で的確な間合いを詰めて剣の柄で男の鳩尾を殴った。その勢いのままロープに縋る男も床に引きずり落とし、同じように意識を奪う。


「お見事です」


出かかった言葉を取り消し、サラドがその華麗な手際を称賛した。対人で打ち合いなどの鍛錬に明け暮れてきたショノアはその強さを存分に発揮した。


「こんなならず者に負けるべくもない。半日ほどの間に二件も捕り物騒ぎとはこの町の治安はどうなっているんだ?」


サラドの背後でセアラは歯の根が合わずガチガチと音を鳴らしている。


「…サラはセアラの側にいてやってくれ。こやつらは俺が衛兵のところへ連れて行くとしよう」

「申し訳ありません。よろしくお願いします」


つい数時間前にも世話になったばかりだが、騎士の身分のショノアの方が話の通りも良い。


「セアラ、とりあえず移動しようか。ここにはいたくないだろう?」


セアラの荷物をササッとまとめて持ち、サラドは手を引こうとして逡巡した。沈痛な面持ちで行こうと促すだけに留めた腕をセアラが両手でしっかと掴んだ。

部屋を出る頃、ショノアが宿の従業員を連れロープを手にして戻ってきた。震えて手を引かれる薄着の姿が人目に晒されてしまった。従業員も起きた出来事を察し押し黙る。

ガクガクと覚束ない足取りのセアラを二人部屋まで誘導し、寝台に腰掛けさせる。扉は少し開けたままにしておいた。

もっとはっきり注意を促していれば――つい後悔の言葉が頭を過ぎるが、膝の上でぎゅっと拳を握り俯いたままのセアラをただ見守るしかない。

温かい飲み物を用意し手渡す。受け取ったセアラはカップを両手で包むがその水面がゆらゆらと波打つ。震えはまだ治まっていない。


『気をつけて』

『舐められないように堂々と』

『警戒感が薄すぎ』

 セアラの頭の中を占める言葉がぐるぐるしていた。

窓の鎧戸だってちゃんと鍵をかけていた。物音に目が覚めたら窓枠に座るような体勢のガタイの良い輪郭があり、一瞬思考が固まった。悲鳴も出ない。耳鳴りが激しく音もうまく拾えない。体が熱いのか寒いのかもわからない。恐慌状態。

たまたま入ったのがセアラの部屋だったのか、目を付けられて狙われたのか、後者の可能性を考えると体に怖気が走る。


「狙われたのはセアラのせいじゃない。責めなくていい」


サラドのゆっくりとした落ち着いた声にほんの少しの怒気が混じっている。

じわりと目尻に露が溜まっていく。

見習いであっても意匠のついたペンダントや杖、服は街門を通る際など身分の証となるため盗難にはくれぐれも注意するよう言い含められていた。詐称に使われた際は罰もあり得ると。

慌ててサラドが纏めてくれた荷物を確認するとどれも欠けずに揃っていた。


「わ、私…盗られなくて…良かった」


ペンダントに触れてほっとするセアラに「いや、狙いを付けたのはそれじゃなくて…、それもあるかもだけど」とサラドが口籠もった。


「…何もされなかった?」


セアラはこくこくと頷いた。動揺して扉に駆け寄ってすぐに名を呼ぶサラドの声がした。


「あー、一度オレが横になったベッドで悪いけど落ち着いてきたら眠るといいよ。解決にはならないかもしれないけれど、一旦嫌なことは忘れていい」

「サラさんも、休んでください」


セアラが滲んだ涙を拭いながら言うとサラドは困ったように微笑みかけた。

横になっても体の強張りは依然として解けなかった。無意識に歯を食い縛ってしまう。

眠れない。

ゆったりとした静かで潜めた歌声が耳を撫でた。顔を巡らしてサラドを見ると目が合い照れたように目を細める。負ぶって貰った時に聞いた子守唄だ、とセアラはすぐに思い出した。宥めるように優しく眠りに(いざな)う、なのに少し切ない旋律。


「おやすみ」

「おやすみなさい…」



 衛兵の詰所から戻ったショノアは開いたままの扉に一瞬怯んだ。

剣に手をかけ、そっと扉を押し開け中に一歩入る。寝台で眠るセアラとその傍らに書き物机の椅子を寄せて座るサラドを見てほっと胸を撫で下ろした。


「お帰りなさいませ。すみません。大変な役回りをしていただいて。わたくしがあの部屋に移るのでショノアさまはこちらでお休みを」

「いや、俺が移ろう。その方がセアラも安心するだろう」


ちら、とショノアが視線を向けた先にはサラドの服の裾を掴むセアラの手がある。


「ずいぶん慕われているな」

「…彼女にとっては父親みたいなものでしょうか」


結局、ショノアは紳士として未婚の女性と二人きりの部屋になるのは避けるべきという考えと、サラドも無理にセアラの手を振り解けず、もうひとつの寝台では予定通りにショノアが休み、サラドは椅子に掛けたまま朝を迎えることになった。

 その朝セアラは初めて寝坊した。その慌てぶりと落ち込みようは可哀相なくらいだった。


 昨夜のことを半ば忘れていられたのならそのままにしてあげたい気持ちもあるが、伝えなければならないこともある。窓の鎧戸には引っ掛ける形の簡易な鍵しかついていない。戸に隙間があれば薄い刃のナイフなどを差し込んで上に跳ね上げさせると簡単に外せてしまう。それを実演して見せ、こういった形状の場合の予防法をセアラに伝授すると、彼女は悄然と俯いた。二階であろうと油断はできない。むしろその隙を突いてくる昨夜のような者がいる。


 朝食を済ますと、昨夜の件でショノアとセアラは再び衛兵の詰所に向かうことになり、ニナは情報収集へ、サラドも別口からの情報を集めに出掛けることにした。セアラはサラドと一緒に行きたそうにしたが、二人はこの町を訪れている巡礼者と各所に配備された衛兵からの話を主に聞いてくる役割分担となる。

今まではショノアとは二、三歩の距離を置いていたセアラだが、昨夜の恐怖があるのかすぐ側を歩いている。

 途中で昨日の母娘と会い、「どうせ目的地は同じなのだし同行しませんか」もしくは「金子も包むので護衛としてでも…」とショノアの半歩後ろに控えているセアラにチラチラと視線をやりながら持ちかけて来た。セアラは視線を避けるようにショノアの背に隠れじっと俯いていた。


「まだ山道を行くか、馬車に変えるか仲間とも相談中ゆえに、すまないが同伴はしかねる」


眉尻を下げ申し訳なさそうに微笑むショノアに、はじめからこの町で馬車に乗る予定の母娘は落胆の色を隠さず、長い握手を交わして去って行った。



 衛兵の不用意な発言でセアラは自分が何をされそうになったのか知ってしまった。

気弱そうだから、という言葉が余計に追い込み、両手で顔を覆い蹲り、しばらく動くことが出来なかった。気遣う言葉も、憐れむ目線もただ辛くて逃げ出してしまいたい。


「まったく淫らなことをしようとつけ回し宿の部屋に押し入るなどと…」


それでも侵入以外は未遂で傷害も窃盗被害もなかったため、おそらくは罰金ないし数日の拘留で出されてしまうだろう。

ショノアは歯噛みした。護衛対象ではなく同じ任務を受けた仲間とはいえ、近くにいる婦人が襲われるなど騎士の名折れだ。 


 配備中の衛兵を訪ね、最近の犯罪の特色や傾向を聞き、それとなく魔物や『魔王』についても探る。どこも同じような話しか出てこない。巡礼者にも声をかけてみたが色好い反応は返ってこず、そそくさと去られてしまう。俯き無言のままのセアラの様子が主な原因だろうが、濡れた革鎧は手入れのため装備しておらず、シャツにズボンという軽装だが帯剣はしているショノアと薄汚れた神官見習い姿の彼女の関係を訝しんでいるようだ。

顔色をなくしぴったりとついて回るセアラは確かに痛々しく休ませてやりたいのだが、ひとりにさせるのも躊躇う。

彼女が落ち着き、心が慰むにはどうしたら良いかを慮り、街道側にある神殿に行こうと提案するとセアラは力なく小さく頷いた。


 町の中央付近にある広場にさしかかると楽器をつま弾く音が流れてきた。

吟遊詩人が歌っている。内容は終末の世の頃、聖都とこの町の間に現れた魔物との戦いだった。集まりかけた聴衆の中から地元の者らしい人物が離脱していく。吟遊詩人を取り囲むのは観光客ばかりになった。

まだ詩のさわりだというのに広場に構える商店から出てきた少し身形の良い中年の男性が吟遊詩人に近付き、硬貨を渡した。


「他の詩が聞きたいな。そうだ、夜明けの詩がいい」


一曲分にしては破格の金額。不安気に辺りに目を配る様子の男性。すぐに詩を切り替えた吟遊詩人。

先程の詩は都合が悪いというのがありありだった。


「あの吟遊詩人わかってやってるよ。(こす)いことするなぁ」

「それはどういう意味だ?」


ぽつりとこぼした言葉にショノアが問うと、ぎょっとした様子の見物人は「いえ、何でもねぇです…」と逃げてしまった。



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