2 急募、魔術の心得がほんの少しでもある者
記号の変更をしました
王都の主な通りからは一本奥にある食事処兼宿屋は宿泊施設は数部屋しかない小規模さだが、食事が美味しいと評判だ。今、昼食時を終え、夕食や酒を嗜むにはまだ早く、ひとときの休息を迎えていた。
扉に付けられたベルがカランカランといい音をたてると、一服していた老女将はお茶のカップを手にしたまま振り向きもせずに断った。
「ごめんなさいね。宿は今日は満室で。夕食はまだなんだよ」
扉の脇にいる男は少し背が高い。大きな荷を背負っているのかマントが盛り上がり、いかにも旅装だ。マントのフードについた金具を止めて顔の下半分も隠している。ゆっくりと近づき、その金具に手をかける男に老女将は僅かに身構えた。
「あの――」
ビクリと震えたが、フードを少し持ち上げ、顔を見せるようにした男の目を見て、女将の顔がぱあっと笑顔になる。夕陽のような赤っぽい橙色の瞳。ちょっと垂れ目の人好きする温和な面立ち。忘れもしない、かつて息子同然と可愛がった男だ。
「サラド! あんたサラドかい?」
サラドと呼ばれた男はゆっくりと頷いた。
老女将は嬉々として厨房で仕込みをする旦那を呼んだ。
「お久しぶりです。お元気そうで何より」
「ほんっとに…何年ぶりだろう。生きているってあんたの弟さんからは聞いてはいたけれど。良かった。本当に」
サラドは目を細め、宿屋の主人と女将との再会を喜び、抱擁を交わした。
「それにしてもその黒髪はどうしたんだい?」
「これは、変装っていうか…まあ、そんな感じ」
フードを外して露わになった黒髪は、窓から射し込む日の光を透かして、その毛先が赤っぽい。それが元の髪色なのが窺える。
「そうか、そうよね。あんなことがあってはね…。弟さんに似せたんだね」
女将が申し訳なさそうに眉を下げる。
サラドがこの宿に、王都に何年も来られなかったのは女将のせいではない。それでもここに住まう者として責任を感じてくれている。むしろ逃げる際に迷惑をかけたくらいなのに…。
しんみりした雰囲気を払拭するようにサラドが笑顔を向けた。笑うと左にちらっと八重歯が見え、年齢に見合わず少年ぽい。
「今日はね。ちょっといい物が手に入ったから。あの時のお詫びとお礼がずっとしたいと思ってて…」
サラドの手には表面に七色の艶を帯びる白っぽい石がある。
「親父さんも腰が痛くて水仕事キツイって言ってたろ。これを水瓶の底に――」
その石を両手で包み僅かに口を開く、声は発せられることはなかったが仄かに発光した。それを静かに水瓶の底に沈める。
水瓶の底には食用の貝の殻屑が沈められており、そこに混じると石は目立たない。静かに水面を揺らし、波紋を絶えず広げていく。
じっと見ていると減っていた水位が少し上がっていた。
「水を生む魔法石だよ。石を乾かさなければ器から溢れる少し手前まで水を半恒久的に生んでくれる。勿論、それを上回る早さで水を使ってしまったら溜まるのに時間はかかるけど」
「こんないい物を! 貰えないよ。国宝ものだろう」
「そこまでじゃないと思うよ。石自体は珍しくもないかな。魔術を刻める者は少ないだろうけど。手頃な大きさのを見つけたから、頼んでやってもらったんだ。オレは水筒に付けたこのちっちゃいので十分だから。是非使って」
サラドはニコニコと微笑んだ。石に魔術を刻む…そんなすごい技術を施したものを、サラドはなんでもないことのように言うが、その価値を思って主人と女将は息を飲んだ。
「ところでサラドは幾つになった? そろそろ腰を据えようとは思わないのかい? 嫁さんとかは?」
「いっ、いないよ。年は…うん…三十四、五かな? 確かに根なし草でいるのもね、最近ちょっとキツイかな、とは思ってる」
サラドは慌てて両手を振った。嫁、という言葉に何か思い出したのか顔が赤くなり、ばつが悪そうだ。
「…ここに住む気はないかい?」
「オレは…王都には住めないよ。ほとぼり…はさめないだろうし。いつばれるかわからないし…ね」
言い出しにくそうな提案にサラドも気まずそうに答えた。
「実はね…私らももう年だしね。ここを閉めて、郊外に終の住処を探そうかと思っているんだよ」
宿屋の主人と女将が目を合わせて頷き合う。
この宿は二人の人柄を頼って近くの住民から様々な相談事が寄せられている。隣町までの護衛といったものから代わりに薪割りをして欲しいまで、多種多様に及ぶ。それを宿に泊まっているサラドのような浮草稼業の者に斡旋していた。この宿がなくなったら困る者も出てくるだろう。
「完全に閉めちゃうの? 後継ぎは?」
「サラドみたいな子がいればねぇ。生半可な者には渡したくなくて。ここは潔く仕舞うのがいいと思っているんだよ」
「そっか。寂しがる人も沢山いるだろうね。美味しいご飯の方もさ。あ、引っ越す時には、石を水から上げないようにして小さな器に移して持って行くといいよ。そうすれば効力がきれないはずだから」
「そうそう、この水を綺麗にするのに貝が使えるのも教えて貰ったものね。この宿は水が美味いって評判になったんだよ」
女将が穏やかに笑う。
「サラドが王都に来た時はここを常宿にしてくれていて、手が空いている時には洗濯や料理まで手伝ってくれて―――あの頃は楽しかったな」
三人は暫し思い出話に花を咲かせた。
窓から射し込む陽は橙色に染まりだしている。
急に扉がバタリと開いた。カランカランという音が後に続く。
「主人、先日頼んだ件はどうなっている? その後はどうだ?」
入って来るなり声を荒げた。慌てた様子はその姿に似つかわしくない。宮廷魔術師のローブ、その位を示すブローチが輝く。初老の男性は息を切らしてカウンターに詰め寄った。
サラドはフードを被り、そっと二人から離れた。
「困ります。先日も急に宿泊者を無理矢理に検めたではないですか。大事なお客さまなんですよ。いくらなんでも横暴です」
「新たに泊まっている者の中に魔術の心得のある者はいないのか。もう期限が…」
「いません!」
女将の抵抗にも構わず、宮廷魔術師は要望を通そうとする。
サラドはちらっと主人に目配せして扉に向かった。
「そ、そこの者はどうだ! 魔術は使えぬか?」
「彼は違います! そんなに簡単に魔術を使える人なんていな…あっ」
宮廷魔術師は女将の制止も聞かず、サラドに近寄り、捧げ持った水晶のような玉を彼の手に押しつけた。その玉が光ったのを見て、宮廷魔術師の目も輝く。
「おおっ! 見つけた! 間に合った!」
「サラ…」
主人がサラドの名を口にしようとして慌てて口を噤んだ。
「なんだ、おぬしサラというのか。おなごのような名前だな。いいから、ちょっと一緒に来い。勿論断ったりはせんだろう?」
宮廷魔術師は胸の紋章入りのブローチを指さす。逆らうな、と暗に示している。
サラドは主人と女将に「大丈夫」と伝わるように微笑んだ。
「わかりました。お話は伺います」
「よし、宮廷まで行くぞ。馬車を待たせている」
口を両手で塞ぎ震える女将と顔を青くしている主人にサラドはもう一度頷いて見せ、宮廷魔術師とともに宿を後にした。
(まあ、うん。なんとかなるかな…)
サラドはフードの縁をぎゅっと引き寄せ嘆息した。
他の宿を回っていた、同じようにそれなりの年齢の宮廷魔術師と合流し馬車に乗り込む。
「そういえばさっきの丸っこいのは何を見ていたのですか」
サラドの問いに宮廷魔術師は柔らかい布に大事に包んだ水晶のような玉を取り出した。
「素晴らしい品だろう。古代の遺物で王宮の宝物庫にあったものだ。本来の使用方法はわからないが魔力に反応を示すので今回役に立った!」
宮廷魔術師は学者然とした者が多いようで魔術のことになると饒舌になるようだ。
どうやって魔術に反応することに気付いたかだの、こうして宝物庫にある用途不明の魔道具を調べるのも我々の仕事だのと自慢げに話し続けている。
(わかんないのかー。ノアラなら喜んで調べるだろうな)
仲間であり弟の魔術師の顔を思い浮かべたサラドはほんわかした気持ちになった。彼もまた遺跡を見つけた際などは静かに興奮し、多少周りが見えなくなるくらいに没頭する。その研究に巻き込まれたことも数知れない。
「それで、わたくしは何をするために連れていかれるのでしょうか」
「それについては明日、然るべき者から説明がある。今日は我が団の宿舎に泊めてやるから喜ぶがよい」
宮廷内に泊まるなんて経験、お前のような者には一生できないぞ、嬉しかろうなどと言いつつ、せっかく見つけたのに逃げられては困る、と漏らした本音まで丸聞こえだ。サラドは苦笑した。
宮廷魔術師団は正式に結成されてまだ五年も経っていないと聞く。
その興りは魔物の脅威や相次ぐ災害を受け、魔術の力を見直し、育てていこうという女王陛下のお考えのもとによるそうだ。〝夜明けの日〟後、人材の確保などの準備期間を経て漸くここまで辿り着けたらしい。成果が出るのはこれからなのだろう。
魔術を扱える者は少ない。また師弟で受け継がれるため魔術師同士での情報の共有はなく衰退の一途だった。傭兵団にも少数いるが若くして志した者は魔物との戦いにおいて、焦ることにより正確さを欠いて暴発し自傷、詠唱や発動に時間がかかり危険を回避し損ねるなど、残念なことに生き残れないことも多い。
そうして宮廷魔術師団に入れる一定の実力と知識を持った者は、彼らのような学者肌の年配者ばかりとなったのだろう。自ら戦いの一線で活躍する者とでは折り合いも悪そうな気がする。
(多分、自分の研究第一で後継者の育成なんて進んでいないのだろうな…。それが悪いことではないけれど…。得手不得手の問題でもあるし。オレも指導とかは苦手だしな)
すっかり安心した顔の宮廷魔術師に念のためサラドは釘を刺した。
「わたくしはほんの、ほんのちょっとしか魔術は使えませんよ?」
「使えるならそれで構わん。とりあえず一時凌ぎでいい。金髪で紫の瞳なら言うこと無しなのだが、そこまでは贅沢は言わないだろう」
(ん? なんで金髪に紫の瞳? うーん、いくらなんでも宮廷内では顔を隠したままではいられないよなぁ…)
そうこうしているうちに馬車はジグザクに配された緩やかな傾斜を登り続け王宮の門へと近づく。
(九年か…。もう忘れられているといいんだけど…。いざとなったら逃げよう。うん)
かつて糾弾され暗殺者まで差し向けられた王宮へ、その門を再び潜ることになろうとは思っても見なかった。