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197 シルエの思い出 旅のはじまり ⑤閉じ込められた風

「ノアラ、あの天辺にある岩を、こうして立てたいんだ。それを保てるように術で岩盤を強化できないかな」


 サラドは手首をクイッと曲げて、真っ直ぐに指を揃えた手で垂直に立てる動作を表現した。ノアラは精一杯、隙間から目を凝らすが、暗くてどこが天井だかもわからない。ただ風の精霊だというものの軌道が高くまで到達しているのは察せられた。


「僕の…術はあそこまで届かない…と思う。正確な位置も掴めない」

「オレが矢を射ってノアラの術を誘導する。到達点で発動。どう、かな」


説明しながらサラドは弓の準備を始めている。ギリッギッと弦が鳴った。

ノアラは自信がなさそうに俯いた。そんなことやったこともない。ノアラが使えるのは土と水の術。ここは風の精霊の影響が極端に強く、その反動で土の力が弱い環境なのはサラドも承知の上だ。しかも狂わされて術が正常に発動できるかどうかも怪しい。


「やってみろよ、ノアラ。っうか、やるしかないだろ」


発破をかけるように肩を叩こうとしたディネウの手をノアラは身を捩って避けた。けれど、その意図はちゃんと汲んで、ゴクリと唾を呑み、きつく杖を握る。


「で、俺は何をすればいい?」

「ノアラが魔力を練りだしたら精霊がそれに引き付けられると思う。襲いかかってくる精霊からノアラを(ヽヽヽヽ)守ってほしい。倒さなくていいから…、防ぐだけで」

「おうっ、任せろ」


ディネウは形見の大剣をしっかと両手で構える。自在に操れるようになったばかりの剣が活躍する初の場だ。何度も豆ができては潰れた手の平が柄の形も重さも記憶している。


 シルエは一人岩陰に身を隠す己の立場に歯噛みし、会話を聞き逃すまいと耳をそばだてた。


「あ…、それで僕も力が抜けたのか」


自身に治癒をかけようとした時の脱力感、あれは精霊に集られたせいのようだ。


 ノアラが詠唱を開始する。サラドも矢羽をスルリと撫で付け、調整に入った。鏃は素材と形が違うものが数種ある。鉄製の鏃はなかなか融通してもらえず、サラドにとっては贅沢品。調達しやすい獣の骨や歯を主に用いて自作している。これもマーサに教わった技術だ。その中から、ノアラの術との相性を考え、石で作ったものを選んだ。

サラドが呟いているのは聞き慣れない言語で、それに対する興味と歌うような韻に、ついノアラは引っ張られそうになった。慌てて首を振り、自身の詠唱文と陣の構築に集中する。矢と術が重なって高く飛ぶ様をひたすら頭に思い描いた。

ノアラの術の進捗を見計らって、サラドがディネウに目配せする。


「よし、じゃあ、一、二、三で突入するぞ」


ディネウが号令をかけ、扉岩の向こうへ身を躍らせた。サラドも続き、すかさず弓を構える。ノアラは術の完成に重きを置いたため、隙間を抜けるのにもたついた。指の関節や頬に擦り傷がつく。


 火熊が放つ炎で照らされた剃刀のような風が一斉にディネウ、その背後にいるノアラ目掛けて飛んで来る。ディネウはとにかく必死に剣を振るった。ひとつとして、ノアラに近付けさせないという意気込みで。

ディネウの剣に触れた風刃がヒャンと小さな断末魔のような音を立てて散る。この風刃がそれぞれ風の精霊だとして、それを弾き返すだけで済んでいるのか考える余裕はない。このヒュンヒュン、ブォンブォン唸る音がサラドみたいに声として聞こえないことが今は良かったと思える。でなければ、相対する敵と見なせず迷いが生じる。


 ノアラが締め括りの語を発するのにぴったり合わせ、サラドが引き絞った矢を放った。風の中を突き進むのにかなりの反発を感じ、ノアラはそれを上回るように魔力を注ぐ。貪るように魔力が消費され、恐怖に手を引きそうになる。


 カツン、と小さな衝撃に手応えを覚え、力任せに魔力を捩じ込む。ガンッゴンッと石の打つかり合う音が響き、山が震えた。跳ね起こされた重い岩は強固な岩盤で固められ、天井に貫かれた穴から陽の光が射し込む。


「成功…?」


まだ足りないとばかりに魔力が絞り取られる感覚が去ったことで、ノアラは汗で染みる目を瞬かせた。


 時が止まったかのような一瞬の静寂。


 次の瞬間、ヒュルルと凄まじい勢いで風の向きが変わった。

力の奔流をもろに受け、ディネウもノアラも風に押し飛ばされる。バンッと轟音を立てて倒れた扉岩の上に仰向けに倒れ伏した。


「サラド! サラド!」


 ザーザーゴゥゴゥ鳴る風にシルエが悲鳴のようにサラドを呼ぶ声が微かに混じる。

あまりの暴風に目蓋も開けられないし、息もできない。腹這いなって顔も伏せていなければ、煽られてゴロゴロと転がり、もと来た通路へ押し出されそうになる。ディネウは体を回転させて、何とか岩の出っ張りを掴んだ。


 今度は通路へ抜けた風が返ってきたかのように逆風となり、そして、漸く暴風は収まった。


「痛ってぇ…」


バサバサに乱れた髪を掻き上げながらディネウは膝を立てて上体を起こした。


 その視界を埋めるのは一面の赤。


ディネウはその赤が炎なのか血なのか一瞬、判断が出来なかった。そよそよとした風がまだ空洞へと吹いており、焦げ臭さと鉄錆のような匂いがむわっと鼻を刺激した。


「嘘…だろ…」


火熊がサラドの右肩に噛み付き、のし掛かっている。扉岩が倒れたのは火熊の巨体が、襲いかかっていた風も引き連れて突っ込んだためらしい。


「あっち行け!」


 岩の陰からシルエが這いずって出てきた。かなり後方まで吹き飛ばされたらしいノアラもよろよろと駆け寄ってくる。

シルエの剣幕に押されたわけではないのだろうが、火熊はそっと牙を抜き、ソロソロと後退る。それと同時に体躯は縮まり、象る姿も山犬へと変じていく。


「サラドに触るなっ」


己がつけた傷を気遣うように鼻先を寄せようとする山犬姿の火に怒鳴り、サラドを守るようにシルエが覆い被さった。〝治癒を願う詩句〟を唱える声は喉がつかえ、時々しゃくり上げている。

山犬姿の火は更に体を縮め、サラドの傍で前足を彷徨かせた。


「なんでっ、なんでっ、やだ! サラド! 目を開けてよっ」


 シルエの治癒の光はサラドの体をすり抜けて大地に沁み渡っていく。何度試しても同じ。左胸を裂いた爪痕も右肩に空いた牙の穴も塞がらない。


「僕の…僕のせいだ。僕が短気を起こしたから…。僕のせいでサラドが…」


サラドの胸部の防具はシルエの右手と足の副木代わりになっている。シルエが守護の術をかけていなければ、その体は引き裂かれ、燃えてしまっていただろうが、それでも防具を着けていれば、傷だってもう少し浅かったはずだと後悔に苛まれる。


 ピクリとも動かない、呼吸さえも感じないサラドにディネウもノアラも茫然とするばかりだったが、強者の気配にハッとなり、振り返った。


 背後では、火熊が蹲っていた空洞の中央から空に向けて竜巻が昇っていた。つい先程まで風刃となり暴れ回っていた小さな風を漏らさず抱き込んで、天に空いた穴へ導くように。

グルグルと回る勢いは次第に緩やかになり、渦巻く柱が幻のように消えかかると、大いなる存在が降りて来た。空洞の中では狭苦しそうだが、器用に体を回し、こちらに顔を向ける。


 全身が玻璃でできているように光を透かし、角度によっては見えなくなる。翅脈と薄い膜で構成された長い四枚の翅は色とりどりの光を照り返す。頭部に目立つのは大きな眼。よく磨かれた鏡面のようで明るいが、よく見るとこの世にある色という色を秘めた小さな点が集まってできており、深淵を覗いているよう。首から胸は軽やかなふさふさの綿毛。鋏のように二股に分かれた長い尾は見た目に反して柔らかそうな動きをしている。


 狐であろう姿になった火がすごすごと端に寄り、伏せをした。


「あ…れは…」


――最高位の、風の御方だ 人の子よ 直れ


頭に直接響く声に、ディネウとノアラはギョッとした。


「最高位…精霊…?」


――構いません。その子と親しい者のようですし。助けたいという意思を感じました

火の高位精霊(あなた)もありがとう。助力を求む我の声に応え、遣わされた貴方まで狂わせる結果になり、長くここに留め置いてしまったこと、詫びます。どうぞ精霊界に戻ったらゆるりと休んで。火の最高位精霊(あの方)にもよろしく伝えてくださいな


 無機質にも見える透明な目の底に柔らかな色が膨らみ、微笑んだように感じる。火は頭を垂れて恭順を示し、横たわったままのサラドの周囲を一周してから、陽炎のように消えた。


「ねぇ! どうして…。精霊を助けようとしたサラドをどうして! 友達じゃなかったの!」

「おい、シルエ」


神にも等しい存在を相手に、詰るシルエをディネウは窘めようとしたが、色を失くしていくサラドを見るとそれ以上何も言えなくなった。


――その子、サラドの魂は今、精霊の声もあなたたちの声も届かない場所に旅立っています

普段から親しくしていた精霊がついていっている様ですし、戻ってくることを信じるしかありません


「やだ…やだ…サラド…」


シルエは風の最高位精霊が何もしてくれないと悟ると、サラドに向き直った。なおも治癒を繰り返すが、やはり光は零れ落ちていくだけ。


――その子は自分に攻撃が向くのを知っていた。でも、それはあなたたちを守ろうとしてのこと。狂っていても精霊は本能的に、言葉の通じる者に助けを求めて群がるだろうから


「コイツがわざと自分を襲うようにしてたってぇのか」


――そう。正気に戻れるよう、ずっと呼びかけてくれていた。サラドの魂は我らが同胞と近しい。一度、死にかけ、精霊が死から呼び戻した影響でしょうね


「一度死にかけた? 何でだ? いつ?」


――古い習わしです。まだ魔力の強い人間が地上に住んでいた頃の。加護や契約を望み、無垢な赤児が捧げられることがあったのです

誤解しないで。我らがそうしろと望んだわけではない


「生贄ってこと…?」


――下級精霊(小さきものたち)は印の付けられた子を友達だと思い話し掛ける。その声を聞き、応える魂を持った人間がたまにいるのです


「応えられなかった子は?」


――何も出来ぬ赤児が乳も与えられぬままであれば、人はどうなる?


「…じゃあ、応えられた子は?」


――小さきものたちがどこぞで拾われるよう導きました。人との共生を好む精霊も多いので


「…サラドもそうだったってぇのか」


――そう。小さきものたちからしたら、珍しいくらいに心を通わせやすい子。心地よい魔力を持っている


「ねぇ! それなら、手を貸してよ! 何とかして! だって、この傷は精霊にやられたんだよっ。ただ黙って死ぬのを見てろって言うの! それが精霊が望むことなの! 何が最高位さ、精霊なんて――」


必死に治癒をかける側で暢気に会話をしていることに苛立ったシルエが我慢できずに声を荒げた。



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