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195 シルエの思い出 旅のはじまり ③風穴の奥へ

 風穴のある山腹へ続いている足跡。ごちゃついていているが、まだ新しいのは間違いない。更なる被害を誘発しないよう、ディネウは慎重に歩を進めていた。その背に名を呼ぶ声が近付く。


「ディネウ! シルエはっ」

「サラド! 来たか! すまん。まだ無事の確認は取れていない」

「下までは四人分の足跡があった。登りは二人分に減って、そのうち…この足跡はシルエの。下りは一人だけ。しかもかなり慌てたのか足を縺れさせている。因みにシルエのじゃない」

「…おう…、流石だな」


駆け足で来たのに息も乱れていないサラドは、村に寄って話を聞いてきたのかと疑うほどの分析を披露した。知っている限りの情報をディネウが伝えると、「彼らが…」と悲しい顔をする。


 風穴の側まで来るとサラドは上空を見上げた。そこにはギュンギュンとむちゃくちゃに飛び回る風の精霊の姿が複数ある。


――出られた!


最も多く聞こえる声はそんな喜びの声。

サラドにはずっと以前から助けを呼ぶ悲痛な声として聞こえていた風穴の音。今は泣き止んでいて、ただ緩やかな風が髪を揺らす。ぽっかりと空いた穴を覗いても暗くて底が知れない。


「シルエ! シルエ! 聞こえるか?」


 返事の返ってこない穴にじっと耳を澄ます。己の声の反響が次第に消えていく中、微かな呻き声を聞き取り、ほっとしたのも一瞬のこと。


――助けてあげてほしい でも行っちゃだめ

――だめ 危ない

――帰って来られなくなる だめ


口々に『だめ』を連呼し、穴に顔を突っ込むサラドを押し返そうと風が横切る。土もじわりと動き出した。


「でも、行かなきゃ!」


サラドは腰鞄からロープを出して一端をディネウに渡し、もう片方を穴の中に垂らすなり、身を投げた。


「うおっ、待てってっ!」


ズルリと体を引き摺られそうになったディネウは慌ててロープを腰に回し、端を肩に掛けて足を踏ん張る。一度大きな衝撃があった後、ロープに掛かる負荷はすぐに失せ、サラドが底に着いたのがわかった。


「おーい! 無事か?」

「シルエは怪我をしている。応急処置をするから少し待ってて。合図をしたら引き上げてくれ」

「了解」


ロープは底まで達するには長さが足りず、その端はサラドの頭くらいの位置でプラプラと揺れていた。

光の精霊に呼びかけたが淡い光は洞窟内を照らすだけの光源を保てず、スウッと闇に消えかかる。


――すまない 力が出せない

「ううん。こちらこそごめん。逃げて」


弱々しい光の精霊の声にサラドは首を振り、頭上を指し示した。光の精霊が気遣わしげにサラドの周りをクルッと回り、穴から射す光に溶けていく。洞窟内には精霊の狂気が異様なほど満ちていて、下位の精霊ではのまれてしまう。

小さなランタンに火を灯し、その頼りない光でシルエの怪我を診る。〝治癒を願う詩句〟を唱えるが、サラドの力では骨の位置を正し、除痛するのが精々だ。革製の胸当てを外して切り刻み、シルエの足と右手に副木の代わりに括る。

処置の痛みでシルエが呻き、目を開けた。


「ごめん…ごめん、シルエ。オレでは治せない」

「…?! サラド!」


シルエはサラドに抱きついて、泣きじゃくった。一頻り泣いたシルエを脱いだ上着に包んで、垂れ下がるロープに吊るす。クン、クンと二回、強めに引いて声を張り上げた。


「ディネウ! 引き上げて!」


そろり、そろりとロープがたくし上げられる。

外では追い付いたノアラが術で岩を作り、そこにロープを結んで解けないように守っていた。本来は突き出す岩の槍で刺し捕える攻撃術。


 揺らさないように包まれた上着の中で大人しくしていたシルエはサラドを見ようと少しだけ布を引いた。


「…シルエ。元気で。村に戻ったら、療養して」

「なんで、そんな別れみたいなこと言うの?」


小さな声だったが、シルエは聞き漏らさなかった。声に出していないつもりだったのか、サラドはシルエの反応に一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。一歩、洞窟の奥に進めば、闇がその身を半分覆い隠す。


「ディネウ、シルエを連れて、直ぐにここを離れて! オレのことは追わないで!」

「あ? 何だって?」


あと少しでロープと上着の結び目にディネウの手が届くという所で、サラドの叫びを聞いたシルエが暴れた。


「やだやだやだ。僕もサラドと一緒にいる! サラドの行く所に一緒に!」

「おわっ、止めろっ、バカッ、揺らすなっ。落ちる!」

「ダメ、シルエ――」


ディネウは無理にでもシルエを引き上げようと片手を結び目に伸ばす。その時、ズンッと地震が起きた。突き上げるような揺れに、腰が浮き、あとちょっとで地上というところまで来ていたシルエの体はグンッと急降下する。意地でも放すまいと握り手に力を込めても、勢い付いて重みを増したロープはズルズルと抜け、ディネウの体は引き倒された。手の皮が剥け、摩擦で焦げた臭いする。


「やばっ――くっ」


ズモモモ…と震動は続き、風穴の口がバラバラと崩れディネウをも呑み込む。引き留める力を失い落ちるシルエをサラドは抱き止め、背を打って倒れた身を素早く翻して覆い被さった。その上に落ちたディネウが伸し掛かる。


「痛ってぇ。ぐえっ」

「ッ!!」


更にノアラがそこにドサリと折り重なった。慌てて飛び退いたノアラの側にロープがパサリと落ちた。


「えっ、」

「おい、ロープが! ちくしょっ、どうやって上がるんだ」


ディネウに睨まれたノアラは呆然と「何で? ちゃんと結んでいたのに」とロープを見つめた。攻撃を終えたらすぐに土中に引く岩の槍だが、檻に変じさせる術もかけたはず。解除するまで留められるだけの魔力も注いでいた。


 グラグラとした揺れが収まると、穴の周辺の土も動きを止めた。射し込む光はか細い一筋。穴の大きさは元の手の平大に戻っているように見える。


「あー、閉じ込められたな…こりゃ。でも、まあ…、ジルも来てくれているから、そのうち助けも来るか」


 ノアラと一緒に山まで来たジルは腰痛持ちのため下で見守ってくれている。ディネウとノアラが穴に落ちたのは見えているだろう。

ロープを拾い上げたノアラは顔を伏せ、可哀相なくらいに震えている。


「ノアラに非はないよ。ロープも使うだろうからって、精霊が渡してくれただけ。…ごめん。オレがみんなを巻き込んだ…」


ノアラは涙の滲む目をぎゅっと瞑り、首を横に振る。

サラドはディネウとノアラにも順番に〝治癒を願う詩句〟を唱えた。ノアラは緊張で痛みを感じにくくなっていたのか、思い出したように腕を擦る。ディネウは手首をパタパタと振った後、手の平にフーフーと息をかけた。


「違和感がある? もう一回、傷を見せて」

「あ、いや。もう痛くはねぇよ。こう、皮膚がつっぱるような、なんかくすぐったいだけで」

「…急激に治すのも弊害があるのか」

「そんなんじゃねぇよ。これで、剣が握れる。ありがとよ」


 ノアラの手からロープを受け取ると、サラドはクルリクルリと編むように結び目を作って背負い紐にした。上着に包んだシルエの足と脇を支えて「喰い込んで痛くない?」と聞く。シルエは首を横にブンブン振り、嬉々としてサラドの首に抱きついた。


「ごめんね。サラド。僕のせいで。来る予定のなかった、ここに」

「ううん、いいんだ。本当はずっと来たかったんだよ。でも麓にいる精霊に『危なすぎるからダメ』だと言われていて。だから力をつけてから再訪するつもりでいたんだ」


サラドは緩く首を横に振った。ピタリと背中にくっついていたシルエの頬に、赤っぽい色の跳ねた癖毛がサワサワと触れる。


「そういや、さっきのはどういうつもりだ? 追うな、とか言ってたろ」

「…この先は危険だ。おそらく自我を失った精霊に襲われる。でも、オレは行かないと。二人は…ここに残って、助けを待って」

「あ? 俺らは足手まといにでもなるっていうのか」


ディネウの声音はわかりやすく怒気を含んでいる。


「違うよ。本当に…、生きて帰れるかわからないんだ、だから」

「やだね。ここで待つなんざ、性に合わねぇ。来るなっつっても、俺は俺で奥に行く。いいな?」


ディネウが「なぁ?」とノアラに目を遣ると、彼も力強くこくりと頷いた。


「サラド。俺たちは兄弟なんだろ? それなら連れて行け。そもそもお前がこっそり旅立とうとしなければ、起きなかったことだ」

「…ごめん。でも本当に、オレはみんなの命をみすみす危険に晒すような…」


首に回されていたシルエの腕にぎゅっと力が籠もる。軽く首が絞まってサラドは言葉を詰まらせた。


「サラド。一緒に行こう。僕もサラドの役にきっと立ってみせるから。サラドのいない村に残るなんてイヤだ。…置いてかないで」


サラドは三人に見つめられ、覚悟を決めたように頷いた。


「…うん。とても危ないけれど、みんな一緒に来てくれる?」


ノアラがこくりと頷く。ディネウも晴れやかに笑った。


「おうっ。そうこなくちゃな。四人なら不可能はないぜ」

「…だけど、準備が足りない。装備も不安だし。なるべく慎重に行こう」


 サラドは助燃剤として持っていた灰を均し、渦を巻くように溝を入れ、そこに葉の絨毛を精製したものを詰めた。様々な薬効があるため腰鞄の中に常備していた薬草。端に火を付けチリっと赤く照るのを確認したら、なるべくゆっくりと燻るよう少しだけずらして蓋をした。煙の流れる先を確認し、進んでいく。灰の容器はノアラが「自分が」と申し出て、傾けないように、煙が見やすいように、丁寧に掲げ持つ。


「奥に着くまで煙が持つといいんだけど」


長く燃焼が続くように加工したものなら、背負い鞄に入っている。虫除け効果の草と木の粉を混ぜて固形にしたものだ。それなら安定もあるのだが、手元にないものは仕方がない。


青臭い煙は、ジルが腰の古傷に度々使用していたので馴染みがある。皮膚の上で直接燃やす温熱療法で、子供には罰のように見えた。だが、ジルは気持ちよさそうな顔をし、それを思い出すだけでも、未知に挑む心を冷静にさせる。


「サラド、大丈夫? 僕、重くない?」


 背負われているシルエはサラドの上着も防具も自分に使われていることにやっと気付いた。胸部を守る弓用の防具は切断されているので、もう戻しようがない。


「寒くない? せめて、上着(これ)は」


ぐいぐいと上着を引き抜こうとするが、片手ではうまくいかない。


「背中があったかいから寒くないよ」


後手でポスポスと宥められて、シルエは起こしていた頭をサラドの背に預けて甘えることにした。



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