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192 故郷の村

 シルエが転移で降り立ったのは王国の東端にある村の外れ、そのまた奥。

門や神殿、記念碑などの目印でもなく、片田舎の小さな村で、ましてや村の中でもない地点に転移が可能なのは、ここがシルエにとって奇蹟の力を習練した特別な場所であるからだ。


 森の浅い所、枝張りの良い木の上に作った床と雨が凌げる程度の屋根がある見張り台はサラドたち四人兄弟の秘密基地。彼らの住処、村外れに建つ養父ジルの荒ら家が望める位置にあった。

手摺や階段は失われている箇所があり、枝に置かれた足を一歩でも出せば踏み抜くのではないかというくらい床板は朽ちかけている。もともと端材や拾った木を組み合わせて使っていたし、子供だけで作ったので不格好だった。不完全ながらまだ存在していることに喜びがじわりと胸に広がる。周囲の木にはディネウが鍛錬のためにぶら下げた丸木もまだ幾つか残っていて、風に揺れてカタンコトンと侘しい音を立てていた。


「…懐かしいな。こんなに狭かったっけ。よくここに四人も上がれたなぁ」


 この木はサラドのお気に入りで、高い枝まで登ってはぼんやりと過ごしていた。特に村で辛いことがあった際や村祭りの期間中など居場所がない時には決まってここにいたように思う。

この木に逃げ込んだサラドを見つけられずに泣いて探し回ったシルエのためにも、見張り台は作られた。村の者には内緒の――ジルやマーサは知っていただろうが――四人の憩いの場所だ。思い返してみれば、この木は精霊が集まりやすいのだろう。だから、兄弟の秘密でいられた。


「あの頃は…サラドを守ってくれてありがとう」


 幹に触れて礼を言うと、風に揺れた梢がザワザワと鳴る。まるで返事のようだとシルエは口端を緩めた。


枝に手をかけ、シルエにも行ける範囲まで木を登ってみた。サラドだったら天辺近くまで登り、村を一望できるだろう。村は終末の世と謂われた当時より、復興するどころか寂れて見える。村の様子などさして興味がないシルエは目を留めることなく逆側まで首を巡らせた。葉を落とした枝の隙間から、山の稜線が見える。赤茶色い土が剥き出しだった山にはいくらか緑が戻ってきていた。子供の頃に飽きるほど目にしていた崖山とは違う景観を感慨深く眺めている時間はない。


 それそのものが国を守る壁のように連なる山々が東の国境であり、嶺の最も高い辺りが風の神殿の墜ちた場所。


「…いた」


 目的は案外早くに見つかった。まだ木々が育ちきらず低木や草しかない麓、しかも落葉も進んだ冬の時期に彷徨(うろつ)いている不審者は目立つ。

迷っているのか怯えているのか横移動を繰り返し、なかなか山に近付こうとしない人影。


 シルエは木を降りると、不審者の元へ向かう前に墓地に立ち寄った。外れに並ぶ二つの墓碑、養父ジルとその妹マーサの名に頭を下げる。


「不義理ですみません」


〝夜明けの日〟を迎えたら一度、ジルに会いに四人で帰ろうと約束していたのに、神殿に軟禁されたシルエはそれを違えてしまった。ジルとマーサが既に他界していることはディネウから聞いている。詳しくは話してもらえていないが、サラドも村には(ヽヽヽ)一度も帰っていないらしい。ジルの葬儀でもサラドは死人送りに関わらせてもらえなかったのだろう。人目を忍んで夜中に一人、ここで鎮魂歌を歌うサラドの姿が目に浮かぶようだ。


「ねぇ、出身地ってそんなに大事? ジルとマーサなら別の町や村でも暮らせたでしょ。それでも、やっぱりこの村に帰って、ここに骨を埋めるのが最良の選択だったの? 故郷ってそんなに良いものなの? 僕にはわからない…」


 シルエの問いに応えはもちろん返らない。

村の人々はジルの神官見習いの資格に頼り、魔術で魔物を追い払うのも『村の英雄』だなんて言葉で当たり前にしていた。マーサの調薬だって、遠方から求めて来る者が時折いるほどの腕前で、何人もがそれで助かったはずだ。

しかし、お互い以外、身寄りのないジルとマーサの兄妹は長く村を空けていたこともあって、発言権は大きくなかった。マーサの薬小屋は匂いが迷惑だという理由で、ジルの家は墓地にも近い点と魔物にいち早く対処できるようにと森に接する外れにある。


二人は「村とは協同体、それぞれに役割がある」と納得していたようだし、「悪くない暮らしだ」とジルは笑っていたけれど、シルエには『故郷を想う心』を良いように使われているようにしか見えなかった。


「厳しく躾もしてもらったけど…、二人とも、根本的にお人好しだよ。サラドは二人に似ちゃったんだね」


丸木を削った部分に名を刻まれただけの簡素な墓碑に祈りを捧げたシルエは、他には何の思い入れもないというように村を後にした。



 この東の地も、ジルが子供の頃はもう少し緑が多かったと語っていた。更にジルのじさまのまたそのじさまから伝え聞いた話では青々とした山が連なっていたと。

東の山は芽吹きをもたらす風が生まれる神域だという伝承も残されている。そしてあの村は風の神を祀る巫の一族の末裔なのだという。


「村長は自慢にしてたけど、笑わせる。もう誰も風の神を信じてもいなかった癖に」


 相次ぐ災害や魔物の跋扈で見る影もなくなった禿山からは乾いた風が吹き下ろし、麓の畑もどんどん枯れゆく。その風をこの地域の者は厭い、ピーピー吹く音を不気味がっていた。そしてジルが腰に負った傷が元で戦えなくなり帰村した頃には一番端の村となっていた。



 巾着袋を提げて、うろうろする男に追い付くと、シルエは声も掛けずにその背を杖で突いた。


「痛って、何すんだ、てめぇ」


顔から地面についた男は恨めしそうな顔を上げた。その時、山から吹き下りた風が背をグイッと押し、再び額づくような姿勢になる。


「うぶっ」


見上げた目に、はためくマントが翼の幻と重なって見える。淡い灰色は冬の陽射しを受けて白銀のよう。脱げたフードからほわほわの麦わら色の髪が靡き、罪を問う明るい緑色の目が睥睨している。突風によろめきもせず泰然と立つ姿を目にして思わず息を呑む。

視線を縫い付けられたようにじっと見詰めていた男は、雰囲気こそ違え、見覚えのある面影に、緊張していた筋肉を弛緩させた。


「あれ…、お前、まさかシルエか? あの、泣き虫おんぶっ子の」


 シルエは村人を気にかけていなかったため顔も殆ど記憶していないが、向こうは覚えていたらしい。そう言われて見れば、知っている顔の気もする。


(うん、確かにこの辺りで、こんな風に…)


シルエが首を傾げたのをとぼけていると感じ取った男は急に激高した。


「人のこと突き飛ばしやがって、何様だ!」

「ここで、何をしていた? 『神のおわす山にみだりに近付いてはならぬ』村の掟ではないのか?」

「お前がそれを言うのか! 村のはみ出し者、災厄の弟風情が」


ブォンと空を切る音を響かせて杖が振られ、男の首を突く寸でピタと止められた。


「ヒッ、…な、なにす…」

「口に気を付けろ」

「ハッ、何度だって言ってやるよ! お前の兄は忌み子、だから捨てられたんだろう? あの変わり者の爺さんが拾ったせいで、忌み子の呪いが村に災厄を――ッ」


杖先がぐいっと喉を潰す。なんとか杖を掴んで防ぐ男の手がプルプルと震え、提げていた巾着の中身がガサガサと音を立てた。


「うぐっ、やめ…ろ」

「…面倒だ。お前が何故ここにいて、何をしていたのか当ててやる。肯定さえしてくれればそれで確定だ。いいな?」

「…な…にを」

「お前はボロを着た年齢性別不詳の者に金貨一枚を渡され、その巾着の中身、硬貨型の土を固めたような物を山に撒いてくるように依頼された。成功報酬で十倍払うと約束され、それに目が眩んだ。これは山を清めるものだと説明され、禁を犯す罪悪感を正当化した。違うか?」

「な…な…んのことだか? そうか、お前も同じなんだな。で、金貨を横取りしようという魂胆だろう」

「…痴れ者め」


シルエが杖を引いたことでひっくり返った男は仰向けに寝そべり、カハカハと咳をした。


「ソレが清める物だと信じるのなら、まず村に撒いたらどうだ? 収穫高が思わしくないのだろう?」


漸く上半身を起こした男にシルエは威厳に満ちた態度を一転させ、意地の悪い笑みを向けた。


「請け負ったものの、山に足を踏み入れる根性もない、違う? 二十年前のことを覚えていれば尚更怖いだろうね。良いじゃないか、まずは村で実証し、それから山を清める。正しい順序だよ。村が清められたら、お前は英雄視されるだろうなぁ」

「カハッ…、お前、何を企んでるんだ? …まさか、これも…」

「ふーん、疑うんだ? 流石にそこまで脳ミソ空じゃないのか。でも、僕が知っている『正しい事実』を話したってどうせ信じないでしょ? 自分が受けたことなんだから、自分で確かめるといい。最初に認めてくれれば、手加減もできたけど」

 

追い立てるように杖で小突き、男を村へ帰らせる。「やめろ」と不満を漏らし、シルエに従うことに反抗しながらも、雲行きが怪しくなってきたこともあり、男は家路に急いだ。


「…ごめん。ジル、マーサ、…僕はあの村を…」


 シルエは男がこちらに引き返して来ないことを確認の後、付近を浄化して廻った。子供時代には無理だったけれど、この山一帯を守護する術もかける。光の波は村にも達した。


「間違っても、巫の一族だなんて嘯く者が近付かないように」


 一番嶺の高い崖山の中腹には穴がひとつ空いている。そこからはピューピューと笛のような音が常に鳴っている。それは、つまり風が吹き抜けているということ。

シルエは脆い山肌に注意しつつ風穴まで登った。穴は小さくて子供ですらも潜れないほど。


「入口を。お目通りを願います」


小さかった穴が突如として大きく口を開く。足裏を支える地が消え、浮遊感と、一気に抜ける風を全身に受ける。ピューという笛のような高音はゴウという低音に変わった。シルエはもんどりを打ちつつも底に着地した。痺れる足が古傷の記憶を呼び覚ます。

シルエはかつて、同じく急に広がった穴に身構える間もなく落ちた。



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