19 雨宿り
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朝早くから出発した一行はまだ陽の高いうちに次の宿場へ到着した。宿場と宿場の距離も把握しているのかサラドは次まで進むことを提案した。お祈りだけ済まし、先へと急ぐ。
次は宿場というよりも道の脇に一件の家屋と祈りの台があるだけだった。その向かいには緩やかに山を下っていく岐路があり、こちらの道の方が幅広く整備されている。
「このまま続く山を登る細い道が巡礼路、ここから先はいわゆる修行のための道、更に険しくなります。こちらの道は町に繋がっていて、町を通り抜けた先に街道があります。大抵の巡礼者は町で一度体を休めます。そのまま街道から乗合い馬車に変更も可能です」
ひとつ前の宿場から朝出発すれば、夕刻には町に着けるくらいの距離のため、この宿には従業員はおらず、泊まる者の責任で自由に利用して良いのだという。町には寄らない巡礼者を慮って設置されている。
「では、ここに一晩世話になるとしよう」
セアラはいつものように夕べのお祈りを始めた。
その間にサラドはサッと掃除を済まし、水を汲みに出て行った。掃除や修繕は利用者の互助で成り立っている。ここは利用する者が少ないのか祈りの台に供花もなく少し汚れもあった。枯れ枝を集めて戻って来たニナが近くで摘んだ花をそっと供えているところに水桶と布巾を持って家屋から出て来たサラドと出くわし、逃げるように消える影を残した。
「この先の道はそんなに険しいのか?」
「そうですね。徒歩でしか入れず、這って進むという表現をした方がいい箇所もありますよ。このような山小屋が三箇所、修行の道を越えた先に宿場が二箇所あります。かなりせっせと歩かないと野宿もあり得ます」
「そうか…ではセアラには厳しいかもしれないな」
ショノアの目は気遣わし気だが、当のセアラは足手まといと感じたようで俯き口を引き縛った。
「サラはその道も通ったことがあるのか? 修行道なのに?」
「そう…ですね。地を荒らす魔物を倒しに行きました。景色は素晴らしいものでしたよ」
「魔物…」
「今はそういった話は殆ど聞きません。すべての魔物が人を襲うわけではありませんので、人の気配がすれば、存在していても姿を現さないことも多いのです。体は大きくても臆病な魔物もいます」
「それは…逆にいつ襲われてもおかしくないとも言えるのか。やはり街道に切り替えるべきか」
「判断は町で情報収集をしてからでも良いかと。その道を通った巡礼者からも話を伺えるかもしれません」
昨日煮た豆を残しておいたものと穀物で作った粥は甘みがあって疲れた体に染み入る。小川で捕らえた小魚を焼いたものも骨ごと食べられて滋味が強いものだった。
鍵などはないが屋根と壁のある空間は野宿に比べるとはるかに安心する。
「今晩はサラさんもゆっくり休んでくださいね。昨夜は一睡もしていないのでしょう?」
「うん、まあ。でもここでも警戒は必要だよ。今夜はオレたちしか泊まらないようだけど、セアラは…その…普段から気をつけた方がいい」
「? はい。わかりました」
セアラは首をちょっと傾げた。そのやり取りをニナがじとりとした横目で見た。その目元にはやや嫌悪感が浮かんでいる。
「…警戒心が薄すぎだ」
ニナがぽつりと呟いた。
ショノアがニナを男性だと勘違いしていたのも不思議はない。ぱっと見は少年か小柄な男性そのものだ。肩幅が張って見える工夫のされた殆ど露出のない服装。髪も短く、低めに落とした声で話す。顔を隠しているという不審な姿でも見咎められないのは、気配を消しているか目立たぬようにしているからだ。
翌朝も良い天気だった。一晩お世話になった家屋を軽く掃除して出る。祈りの台もピカピカに磨かれていた。
サラドもニナも熟眠はせず何かあればすぐに動ける状態であったのだが、幸いにもその夜は何事もなかった。
「少し、急ぎましょうか」
「どうした? 急に」
「雨が降ります」
「雨? そんな様子はないぞ。雲も多くない」
町へと向かう道を下っている途中でサラドは急に足を速め、もう少しで街門が見えるというところで道脇へ入った。岩が重なり合って屋根が形成された場所に身を寄せる。
間もなく雨が降り出した。雨脚はたちまち強くなり、半信半疑のままついてきた三人は雨で霞む視界に唖然とした。
「なかなか降り止まないな」
「山の天気は変わりやすいですからね。濡れると体力が削がれます。もう少し様子をみましょう」
雨宿りの間、岩の下に入り込んだ枯れ葉を集め小さな焚き火をおこした。雨が降り出すと気温も急激に下がった。身を寄せ合わさないと吹き込む雨で濡れてしまう。
サラドは干した芋を焚き火で炙って配った。芋はムッチリとした食感でよく噛むと感じる甘さ。それと薄切りにして蜂蜜に漬けられたピリリと辛みのあるものも一枚。こちらはほんの少しで体を温める効果がある。
「これは美味いな。辛みが癖になりそうだ。酒とも合いそうだな」
「お気に召したようで何よりです。たくさん召し上がるのはお勧めしかねますが」
「何故だ? 美味いのに」
「摂り過ぎると胃腸を痛めますね」
「それは残念だな」
ショノアは気に入ったようだが、セアラはちょっぴり舌先を出して渋い顔をしている。もうひとかけ炙った芋を渡すと喜んでいた。ニナは相変わらず壁と睨めっこ状態で、芋も少しずつ千切って口に運んでいる。食べ終わる頃には燃やせるものがなくなり火も消えてしまった。
長引く雨で、山の生き物は静かだが雨音が騒がしい中に微かな人の声をサラドが聞き取った。
フードを被り、留め金もしっかり閉め、雨の中に躍り出る。
「誰か襲われているようです。ちょっと見てきますのでそこにいてください」
「?! 待て! 俺も行こう」
ショノアも慌てて飛び出しサラドを追った。雨音以外何も聞こえずオドオドするセアラの上着をニナが引き留めた。
「任せておいた方がいい。荷物番をしとけ」
セアラは降りしきる雨で悪い視界に目を凝らし、顔色を悪くした。
ショノアがサラドに追いつくと、道の真ん中でずぶ濡れになりながら身を縮込ませている二人の人影と男を取り押さえているサラドの姿が目に入った。男の背後から膝を付かせた脹脛に足をのせ、捻った両腕を片手で押さえ込み、もう片手で顎を掴んでいる。一瞬のことだったのだろう。胸を反らされ「ひいっ」と喉を恐怖に震わしている。
ショノアは男が落としたダガーを一旦遠くへやった。
「大丈夫ですか?」
「ひっ! あ、だ、大丈夫です…」
「何か、ロープのようなものは持ち合わせていませんか」
身を丸めるようにしていた二人は走って逃げたのだろう、雨泥で盛大に汚れている。おずおずと荷から出した縄を受け取り、サラドが押さえている男を縛り上げた。
「た、助かりました。ありがとうございます」
「いいえ、ご無事でなによりです」
ショノアがにこりと綺麗に微笑み手を差し出すと、二人はほうっと見惚れた。
二人は母娘で、道脇に設置された庇と椅子がある休憩所で雨宿りをしていたところ、連れていた男性の使用人がこの男にいきなり昏倒させられ金品を要求されたのだという。急に現れたサラドに賊がもう一人出てきたと恐怖で混乱して逃げ出したそうだ。
「すみません。怯えさせて。まあ、この身形では賊と勘違いされても致し方ありません」
「申し訳ありません。助けに来ていただいたのに」
サラドは母娘に頭を下げると木の脇にいる使用人に寄り、その怪我を確認した。幸い大した外傷ではなく、腰の鞄から裂傷に効く薬を出して軽く手当てを行う。
まだガクガクと震え軽く混乱中の母娘と、その二人を宥めるショノアはサラドの背中に隠されて淡い光が――傷を覆うように当てられたサラドの指の隙間から光の粒が漏れたのには気付かなかった。
「頭を殴られていますので、お医者さまに必ず診てもらってください。頭痛や吐き気を訴えたら要注意です」
「雨が上がったら待たせている俺たちの仲間と一緒に町へ向かいましょう」
雨脚が弱くなる頃には使用人も意識を取り戻した。サラドが肩を貸し、ショノアが賊を取り押さえながらセアラとニナが待つ場所へ戻った。
ハラハラした様子でセアラは待っていた。ニナは投擲用の杭のような武器を手の平に隠していたがそっとしまった。
町の街門で衛兵に賊を引き渡し、事情聴取に母娘と使用人、ショノアが残った。ショノアが剣の紋章を見せると衛兵がピシリと姿勢を正す。
雨が長引いたのもあり夕刻も近い。サラドは医者を迎えに行き、セアラとニナには先に宿の確保を頼んだ。巡礼路側の街門近くの宿屋は値段も質も中程度から比較的安い。町の反対側、街道近くには高品質の宿があるという。
宿屋は数件並んでいた。どこも外からは同じような造りに見える。一件目の宿で聞くと一人部屋がふたつと二人部屋がひとつ空いているという。他の宿を探しに行ってもいいが「早くしないとすぐに埋まるよ」との言葉に、そこに決めることにした。ショノアとサラドには後で了承をとればいいだろう、と。
荷物を置いてセアラはお祈りに、ニナは少しでも噂を調査に町へ出た。
神殿は宿を探す道の途中にあったので迷うことはなかった。小さな神殿で神官もいないが供花で華やかだ。宿と同じく町の反対側にもう少し立派な神殿があるらしく、そちらには神官もいるらしい。
セアラはいつものように膝をつき姿勢を正して胸の前で手を組む。祈りに集中していた彼女はその背中に注がれる好意的な視線は勿論のこと、卑しい目が混じっていることに気付きもしなかった。
祈りの言葉を結んだ時、一瞬チリッとした痛みを首筋に感じたのも気のせいだとしか思わなかった。