189 土塊が及ぼす被害
硬貨型の土塊に含まれた砂粒が陽の光にキラキラと輝く。魔物を生むとは思えない見た目だ。
シルエは杖の先端で偽騎士と偽魔術師の額を軽く小突いた。ポワっとした淡い光が額を中心に広がって体を包み、吸い込まれていく。次いでなるべく杖の端を掴み、水平に構えてディネウに差し向けた。
「それ、頂戴」
ディネウは僅かに眉間の皺を深くしたが、土塊を憎々しげに睨み、袋の中に戻すと杖の先に引っ掛けた。なるべく体から離すように構えられた様を見れば、中身が危険な物であることは明白だった。
「これをどうした?」
ディネウの前に並ばされた三人組の目の前に巾着袋がぶら下げられる。偽騎士と偽魔術師は落ち着かない様子で、プラプラと揺れる巾着袋を目で追った。魔物の変化を見ていた偽聖女はできる限り顔を背けている。理解不能な出来事の連続に三人組は全く思考が追いつかない。尻の下の土がまだ蠢いているように感じ、気味が悪くて立ち上がりたいのに、体の麻痺は解けていない。
「ど、ど、どうって?」
「手に入れた経緯から、ここで、これを、どうしたのか簡潔に話せ」
ディネウの怒気に気圧され、涙目で互いに「お前が話せ」と目で訴え、なすりつけ合う。
苛ついたディネウが肩に担いでいた大剣を勢いよく下ろすと、そこそこ大きな石が砕けた。破片が散り、顔にも当たって「ヒッ」と三人組の悲鳴が重なる。
要領を得ない話し方ではあったが、概要は伝わった。
依頼主の外見等は山間の村の少年の供述とほぼ同じ。
三人組は、はじめは真面目に湖の外周を歩き、大体等間隔で土塊を落としていったが、面倒くさくなって残りを湖に捨てたのだという。
ボチャボチャと水中に沈みゆく土塊の一つが魚の口にスポっと吸い込まれた。その途端、魚影がどんどん大きくなり、水面から跳ね上がって、飛び立つ水鳥を丸呑みにした。水中に戻ることなく、空中でクルリと回って浮遊しているのは、人と同じくらいの体長がある魚。その口先が嘴に変わり、背鰭のあたりに羽が生える。
その下では、土塊を捨てた水面がボコボコと煮立つ湯のようになっていた。
三人組は怖くなって逃げ出した。
だが、その途中で偽騎士と偽魔術師の様子がおかしくなり、偽聖女に殴りかかったという。その鼻血を鰭が拭い、魚と鳥が混じったような体に擦り付けると、そこに人間の体型が加わった。
グワァグワァ鳴く魔物に魅せられたように偽騎士と偽魔術師は惚けている。鱗に覆われている体をスリスリと擦り付けて二人の間を魔物が行き来すると、上半身が徐々にヒトの肌に近付いていった。
魔物が二人に気を取られている隙に逃げ出した偽聖女はショノアを見つけて助けを求めた。
偽聖女を殴ったことも含め、その間のことを覚えているのか偽騎士と偽魔術師は気まずそうに俯いている。
それをショノアたちは少し離れた位置から見聞きしているしかなかった。四人それぞれが光の槍でできた檻に閉じ込められたままでいるためだ。痛いというほどではないがジビジビとした痺れもあり、指先ひとつ、体の自由が利かない。
ショノアも自分の意識とは無関係に、セアラを排し、あの魔物の役に立とう、そして己を糧にしてほしい、と願う思いが芽生えたのを覚えている。体も操られたように別の動きをした。それでいて完全に乗っ取られたのではなく、客観視している別の自分がいるような感覚。止めたくてもできない。
術者である魔物が倒されたことで影響は薄くなったが、不快感は残っていた。動きを封じられたことで仲間を害する心配がなくなり安堵すらしている。
「ふーん。なんでコレ、三枚残したの?」
「えっ…。だって、なんか清める良い物だっていうから、お守りになるかなって。アタイたちの分」
「お守り…ねぇ…」
シルエは杖を下げて巾着袋を三人組の前に滑り落とすと、その先端を使って袋の口を開き、三枚の土塊を露わにした。
「もう、気付いていると思うけど」
シルエが首を斜め後ろに向けて顎をしゃくると、彼は一切力を加えていないのに杖の先端がクンッと下がり土塊に触れた。横から「ふう」と小さな吐息が漏れる。
「キミらがしたことが何なのか、コレが何をするためのものか、見せてあげるよ」
シルエはニヤリと笑い、クルッと杖を回転させた。杖を通じて土塊にノアラの魔力が僅かに流し込まれただけで、瞬く間にズブズブと音をたてて巨大な土人形が顕現する。
視界の全てを覆い、振り下ろされたらひとたまりもないという拳が三人組に迫った時、紫雷が土人形に落ちた。ビリッとした衝撃と轟音の振動が尻に伝う。カクッと落ちそうになった顎を杖が留めた。
「ああ、ダメだよ。これくらいで失神しちゃ。ちゃんと見て? キミらがしたのはこの何倍もの被害を生むことだよ。それこそ国を滅ぼすことだってあるくらいの」
白目を剥いていた三人組に軽い治癒がかけられ、直ぐに覚醒する。目の前には土砂の山があった。
「あ…あわ…わ…」
「そうそう、金貨だっけ? それ、どこにある?」
偽聖女が身に着けた小物入れから、ディネウが金貨を抜き取った。
「イヤぁ、それはアタイの…」
「返してほしければ返すよ? いいの?」
ディネウの手にあるのは半分ほど金貨、だった物。半分は焦げてプスプスと黒煙を上げている。ポイッと投げ捨てられた先でゴオッと火柱が立った。熱風が肌を焼き、濡れた髪や服から湯気が昇る。
「ひ…ひいぃ」
「はじめから口封じするために渡された物だね。大事に持っていたら骨も残らなかったかもね」
火柱はすぐに消えたがその迫力は凄まじいものだった。霧が壁のように火を囲い、火傷や延焼を防いでいたことに気付く余裕など三人組にあるはずもない。
「おい、答えろ。小屋の側にある湧き水に何をした?」
「…な、何を? って? あ、あの…水を飲んだだけ…あ…と…こいつがソレを落とし…」
「なによぅ。あんたが水を汚したから清めようとしたのに」
「汚れたのは、お前のせいでもあるだろう? 足を突っ込んだくせに」
「あんたが」「お前が」と口汚く罵り合う声はチンと静かな金属音でピタと止んだ。
恐る恐る目を上げると大剣は鞘に納められている。ほっとしたのも束の間、偽騎士の腰に差した剣の柄に手が伸び、スラリと抜かれ、ヒタと首に当てられる。この剣は騎士に扮するため体裁を整えようと購入した物で、見た目は良いが刃はほぼ潰れている。それでも、怖い。
「俺はな、食べるための獲物や迷い込んだ魔物に関してはなるべく苦しませないように一刀のもとで屠ることを心掛けている。それが俺なりの命へのけじめだ。…だが、我欲のために他人を嵌める人間にはそのルールは適用しないんだ」
ピタピタと剣身の腹で首を叩かれ、仰け反るとビリビリと体に痺れが走る。この剣で首をギコギコされることを想像すると冷や汗が止まらない。
「う…うあぁ…」
「ダメだ。殺してはいけない」
「ちっ」
首から剣がどけられ振り上げられたかと思えば、胡座をかいた状態の隙間にザクッと突き立てられた。あとほんの少しずれていたら足の付根を、そこにある大事な部分を失うところ。
偽騎士は顔面蒼白で、ハッハッハッと短く息を吸い続けた。
「ここを血で穢してはダメだ。それに、然るべき裁きを受けて罪を償わせるべきだろ」
「…わかってる」
「助かっ…た?」
ディネウはサラドの言葉で二三歩退いた。腕を組んで険しい目を直と向ける。
「あれぇ? もしかして命が助かったと安心してる? 自分たちが何をやらかしたかまだわかってないの? きっと、ここでひと思いに殺されていた方が良かったって思えるよ。尋問と監獄生活、楽しんでね」
「え…?」
シルエはひらひらと手を振った。
「自分で歩けるように足だけは麻痺をとってあげるね」と笑顔で言うと、三人組の足を次々に杖の先でツンッと突いた。
「さて、」体ごとショノアの方へ向き直ったシルエはゆっくりと歩み寄る。
杖先でその額を軽く小突く。どこかモヤッとしていた思考は明快になり、体から離れて自分を見下ろしていたような感覚がスッと治まる。
「目と耳はちゃんと働いていた筈だから、全部、聞いていただろう? 君がするべきことはわかっているか? 速やかに此奴等を王都まで送り届け、罪を償わせるように」
ショノアはまだ解かれていない光の槍の間から、その人物を見上げた。飾りのない杖に淡い灰色のマントは治癒士と同じ。表情はおろか顔の特徴もわからない。
聖都のゴースト騒乱時に続いて、三人組への対応は辛辣でどこか嗜虐的な雰囲気がある。王都で見かけた治癒士とは声音も印象もかけ離れていて別人かと思う程。
しかし、ショノアに命じる声は泰然として威厳に満ち、やはりその人に違いない。自然と従う気になる。
「こちらの余計な詮索は無用。いいな?」
「…はい」
ショノアの返事に鷹揚に頷くとマルスェイの額も突き、光の檻が消えた。同時に痺れも治まっている。
ディネウに蹴飛ばされて立ち上がった三人組は項垂れてとぼとぼと歩いて来る。ショノアはロープで三人を繋ぐと、シルエに頭を下げた。
シルエに顎で指し示され、ディネウが「ケッ」と不平を露わにしつつも「着いてこい」と大股で歩き出した。ショノアが「え?」と疑問を顔に出すとシルエはフーと鼻息を漏らす。
「そこのコは気付いているみたいだけど、」指されたニナは体を硬直させた。
「この周辺も迷いやすい。途中まで彼が送るから従うように。行き倒れたいのであれば断ってくれて構わない」
「い、いえっ。どうぞよろしくお願いいたします」
ショノアは腰を直角に折ってディネウに頭を下げた。「不用意に神域に近付くな」は行方不明者を出さないための警告も兼ねていたのだと悟る。
「あ、あの…。神域で祈りを奉納するようにといわれていたのですが…。少しだけお時間をいただけないでしょうか」
「祈りだ? 見てただろう? 今はそれどころじゃない。一刻も早く浄化して廻らなきゃならん。邪魔するな」
「あっ、はい…。すみません」
勇気を出して自身に課せられた責務を全うしようと声を出したセアラはしょぼんと顔を俯けた。その横ではマルスェイがボロボロと落涙している。
「どうした? マルスェイ?」
「わからない。泣きたいわけではないんだ。なのに止まらない」
ヒックヒックと息を詰まらせるマルスェイを見てシルエは大仰に嘆息した。
「…そこまで干渉してもらっていたのに、みすみす魔力を手放すような真似をするなど、本当に…」
「え? それは、どういう…」
「自分で気付けなければ意味がない。何のために頭がある?」
「うっ…」
「いい加減、行くぞ。こいつらをこれ以上ここに留めておくのはガマンがならねぇ。頭と体をくっつけといてやれなくなる」
「ひぇっ」
ズカズカと木立を抜けて行くディネウを追う三人組を繋いだロープに引かれる形でショノアも後に続く。セアラは一度後ろを振り返ったがサラドは背を向けていてその顔も見ることができなかった。マルスェイを促し、殿にニナが就いた。
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