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187 喉から手が出る程に

 昔、魔物や災害を追って旅をしていた頃もシルエは己の治癒の力を具現化した薬を作っていた。主には別行動の際やシルエの手が回らない場合に備えてで、気を許した三人にしか渡していない。シルエの奇蹟の腕が上がるにつれ、出来上がる薬の効能も徐々に高まり、最終的には万能薬ともいえる域にまで達している。但し、不味さは改善しようとしない。


その頃、シルエが必要以上に薬を作ろうとしないことにディネウは疑問を抱いていた。流行り病や風土病に合わせた調薬を配ることには異議を示していない。寧ろサラドと協力して真剣に取り組む。

ならば、この薬も多めに用意していればいいのに、と。


その後に起こった薬を巡る醜い争いを見るまでは、確かにそう思っていた。


 一度、ディネウが他人に薬を与えてしまったことで混乱を招いたことがある。

短慮で迷惑をかけたことは反省するが、そのこと自体は後悔していない。目の前で消えかけた命を見捨てることなどできなかったし、自分と同じ思いをする者を一人でも減らしたいと願ったからだ。心のどこかに「この薬があれば、親父とお袋も一命を取り留めていたのかも」と思うところがある。


 だからこそ、シルエが自ら傭兵たちのためにこの薬を作ったのは意外だった。同時に近いうちに世間を騒がせることになるだろうとも予想した。注意はしたが、完全に隠し通すことなど不可能だ。


「…まぁ、想定内ではあるだろ? 薬の管理については…考えねぇとな」


ディネウは腕を組んで「うーん」と悩む素振りをする。


「例えば、衛生兵を各地に配置して、そいつに一任するとか」

「重傷者が出るかもしれない場所、要は前線にも出て、それなりに戦えて、しかも医術や薬の知識もある。かなり有能な人材だね。人数揃う? 働き分、俸給も報酬も上げないと」

「それで、場合によっては一般人にも融通…」

「ダーメだよ。売るつもりはないって言ったでしょ。そんなことしたら、担当者の負担が大きすぎる。欲しい人が殺到したら? 優先順位の判断は? 必要とする者かどうかの見極めは?」


問題点の指摘に頷き、ディネウは天を仰いで前髪をわしゃっと掻き乱した。


「あー…。疾病者の調査をしてから…」

「そのための人手の確保は? 偽証の見破り方は? 確実に許可されそうな重病人を保護して、薬さえ手に入れたら、看護しないでポイってなことを平気でする輩が出てくるだろうねぇ。その対策は?」

「う…、往診みたいに薬を使うところまで見守るか? そうすりゃ経過もわかるだろ」

「もう、そこまでするなら僕が直接行った方が早いね?」


ディネウは「うぐっ」と喉を詰まらせた後「なら…」と次案を口にする。


「こっそり施療院に置かしてもらうとか」

「僕にまた神殿と関われっていうの? 鬼畜?」

「もぐりの店を開くとか? 適正価格よりちょっと上乗せするくらいで」

「別に僕の薬は後ろ暗い代物じゃないんだけど?」

「市場を大混乱させるくらいにはヤバい品だろ」

「…言い方。何でそうまでして売りたいのさ」

「ここまで特効薬だって騒がれたんだ。収拾は…無理だろ。それなら内密にするのとは別の対策を考えねぇと」


シルエは「ふんっ」と鼻を鳴らした。軽口で交わされる遣り取りを傭兵たちはハラハラと見守る。


「手に入るってんなら話も違ってくるだろうから」

「あの…、薬を作るのがものすごく手間で大変だというのでしたら…あれ、なんですけど…。やっぱり売ったり譲ったりするのは問題があるんですか?」


おずおずと質問した傭兵を援護するように他の者も勢いよく首を縦に振る。

良く効く薬があるというのは希望になる。それは命を賭して戦う場で身を以て知った。この度の対応で喉から手が出るほど切望する声がたくさんあることも。それを自分たちだけが享受して良いのかともどかしく思う。


「まず薬や店の情報を得る力、代金を支払えるだけの財力、購入のための移動手段、それらがある人しか救われないってことだけど?」


シルエが指折り条件を挙げる。需要と供給の観点からも価格だって安くはできない。つまり、それなりの地位にある者に限られるということだ。救助者のいない独り身は言わずもがな、一般市民、どちらかと言えば貧しい者はそれだけで篩から落とされる。知らなければまだしも、夢のような薬があるとだけ知り、手に入れられないというのは悔しいだろう。


 傭兵たちが情に訴えられて根負けし、薬を渡してしまったのはまさにそういった先。医者に診てもらうこともできなかったような人だ。治療の難しい病、というより単純に栄養不足や衛生面の悪さが原因のひとつの患者もいた。


「売買という取引となれば、代金の用意があり条件を揃えた相手なら、どんな悪人でも横柄な態度でも拒めなくなる。だから、公に売るのは嫌だ。助けられる命はあまねく平等に…なんて僕は崇高じゃないからね」


シルエの表情は無になっている。傭兵たちはますます顔を俯けた。


「例えばさ、今すぐに薬を使えば助かるって人が二件同時に来たとする。でも薬は一服しかない。しばらく入荷しない。…じゃあ、そのどちらに売るのか。命の選別を担わなきゃならなくなるんだよ。それを誰かに押し付けることになる」


その負担、苦悩を想像もしていなかった傭兵たちは息を呑んだ。


「そう…だよな。じゃあさ、あの劇薬みたいのじゃなくて、もっとゆるい効き目のでいいから作れるように指導できないもんか?」


 シルエの手に掛かれば、多少体に負担をかけても治癒を優先した薬、極力体に配慮をして緩やかに回復させる薬、複数種用意することも造作ない。

今、傭兵団に卸している薬はシルエが作り得る最高の効能に比べたら抑えた調合だ。治癒に慣れきった三人と違い、一般的な者でもギリギリ副反応がなく、効能はなるべく高く、その均衡を微調整している。そういった意味合いでは昔と比較しても腕前は格段に上がった。

使用時に体の回復機能を高める反動で強い痛みを伴うが効果も申し分ない物の方が作るのは楽だ。しかし、それだと著しく体力が衰えた状態であったり免疫力が低下している場合、心臓に負荷がかかりすぎて止まることだってありえる。それではディネウの言う通り劇薬だといえる。


「んー…。素質がありそうなコを見つけて扱けば、あの『ちょっと元気になる水の素』くらいならいける…かも…だけど」


何気に水を浄化するのは難しい。その作業を省くには(彼女の(ヽヽヽ)湧き水を汲むことになるけどいいの?)とシルエは口にしかけて止めた。


「そういう部門を作るとしたら立候補するヤツはいるかな?」


ディネウが小さくなっている傭兵たちに顔を向けると、彼らは互いに顔を見合わせた。


「細かいことは得意なヤツに詰めてもらうことにして。薬の件は色々と…どれか…実現できないかシルエも考えておいくれ」

「うわっ、丸投げ?」

「俺は、頑張れって言うくらいしかできねぇし」


シルエに横目で見られ、ディネウはバリバリと頭を掻いた。



 ディネウが考えることを放棄した頃、サラドとノアラは戻って来た。


「ちゃんと捕まえて身柄を引き渡したよ」


 足がつかないよう遠くを目指すであろう詐欺師が選ぶ方角、偽物を売り付けてからの時間で行ける範囲をサラドが予測、そこへノアラの転移があれば距離は無いに等しい。その行先で風の精霊の助力も得て、無事に捕捉した。

大金を手にし、馬車に乗って町から離れられた詐欺師は気も緩んでいた筈だ。なぜ呼び止められたのか、その理由を知ってさぞ焦ったことだろう。それでも相手は一人だと高を括った。しかし、実力を覚らせないサラドと見えないノアラに挟まれては逃げるのはほぼ不可能。


「あとは被害者である当人から申し立てるように言っておいた。元は名士みたいだし、検察にも顔が利くらしい」

「腕の一本くらいは折ってやったか?」


ノアラがふるっと首を横に振った。「なんだ」とディネウがつまらなそうに言う。サラドとノアラの二人であれば捕らえた犯人をわざと痛め付けることなどしないだろう。追跡から拘束、移動まで謎の現象が続き、精神的にはかなり追い詰められたかもしれないが。


「偽薬被害を防ぐためにもこの事件が大きく報じられるといいんだがな」


 治癒を施した時、被害者はまだ怒りも収まっていない状態だったが、サラドとノアラが犯人を連れて戻った時には、逆に病人から背をさすられて泣いていた。

そこで改めて説明と、目の前で軽い尋問をして、犯人の口から傭兵とは無関係であること、全く効能などない偽物であったことを吐かせた。少し前まで相好を崩し嬉し涙を流していた被害者は、事態を把握するにつれ、それまでの恨みも集約させたかのような目つきに変貌していった。

良い治療法があると囁いて家に上がり込んできた者、病気に効くと謎の食べ物や品を売り付けてきた者、散々鴨にされたのだと悟る。


家族を救うため奔走し、落ちぶれていくうち、離れていった知り合いは多い。そんな中でも縁が切れなかった良識ある知人の存在は大きい。


「一部使っちゃったみたいで全額は取り戻せなかったけどお金も返せたから、当面の生活はなんとかできそうだったよ。今までも援助してくれていた人がいるみたいだから、大丈夫だと思う」

「その辺は気にしてないっていうか、心配してないっていうか」

「あ、体力の回復はまだかかるけど、確実に快方に向かってる。意識もしっかりしていたし、上半身も起こせていた。数日中には歩く練習も始められるんじゃないかな」

「いや、それも別に…」

「…そうだよな。シルエが治したんだし、一番わかっているよな。ごめん」

「うん。まあ、そうじゃなくて…。傭兵への誤解は解けたんだよね?」


サラドはへにゃっと笑った。

謝意も言わせぬうちにシルエは被害者宅から去った。家族を想うが故とはいえ身勝手に憎んできた者に何も言われたくなどなかったから。


「治癒を受けたこと、とても感謝していた。みんなにも酷い言いがかりをつけて申し訳ないって、謝りたいって言ってたけど、取り次ぐ?」


サラドに視線を向けられて傭兵たちが苦笑し、ディネウの顔色を覗う。


「あんだけ人がいる所で騒がれたんだ。傭兵への態度を謝罪させて、濡れ衣だって、和解したって姿は周りに見せといた方がいいだろうな」

「病人からも頭を下げられたよ。家族が無理を言ったんじゃないか、迷惑を掛けたんじゃないかって、気にしていた。病に罹ったことはどうしようもないけど…家族に負担をかけたことも…ずっと気に病んでいたみたいだ」

「僕は謝辞、受け取らないよ」

「…うん。わかった」

「ん」


サラドはシルエの気持ちを尊重して、話を切り上げた。


「にしてもよ。ん?」


 ディネウが何かを言いかけた時、急に体をブルリと震わせた。鼻の下を指で擦り、出そうで出ないくしゃみに顔を歪ませる。


「何だ? 気持ち悪ィ…」


サラドもこめかみを押えて顔を顰めていた。その仕草は耳を澄ましているようにも見える。サラドの髪だけが不自然に風にそよぐ。


「…たくさんの、叫び声がして…あ…消えた…」


悲痛な表情でサラドは唇を震わせた。風の精霊が伝えてくれた情報を共有しようとディネウの手を掴む。


「くっそ。誰か湖を汚しやがった!」



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