183 奇蹟と魔術の談義
王子は目の端でセアラを観察した。王子と歳の差がさしてなさそうに見える。普段は自信なさげで庇護欲がそそられるような頼りなささえある。たった一人でこの地で祈り続け、祝福をもたらしたとは信じがたい。土地の祝福の儀など本来は経験豊かな神官が複数名で臨むものなのに。
「ときに、ビショフ嬢、防御壁と結界についてはどれほどの知見がある?」
セアラはショノアがさり気なく返答を促すまで王子の質問が自分に向けられたものと気付かなかった。田舎から王都に連れてこられ、わけもわからぬまま神官見習いになると同時に、書面だけで縁組された養子先の家名など頭からすっかり抜け落ちている。
「は、はひっ、あのっ、申し訳ありません…。勉強不足で、防御壁もまだ…です」
「そんなに畏まらずともよい。防御壁の祈りは難しいのか? そういえば…神官がそれを発現させている場面を目にしたことはないな」
「祈りの文言は覚えました。けれど…形にならないのです。まして襲撃の場で咄嗟に出せるまでになるにはそれなりの習練が必要なのだと思います」
田舎でもなければ神官が魔物との戦いの場に加わることなどほぼない。セアラは他の見習いと交流もないまま任務を命ぜられたので、防御壁を使える者がいるのかどうかさえわからない。ただ、かなりの奇蹟を許された神官でも人ひとり分の防護がやっとで、しかも時間をかけて作り上げることになるだろうとは想像がつく。
「こうして新しく村を興す機会に、町村を丸ごと囲うような防衛手段があれば導入したいと考えたのだが、やはり遺跡の魔道具でもなければ無理難題か」
結界の秘密に繋がる情報を引きだそうとする王子の思惑とは裏腹にセアラはパッと顔を輝かせた。
「町や村を守る技術ですか…素晴らしいお考えです! あっ、でもそれだけの力が足りないのですよね…。魔道具で守られている町があるのですか? それを作ることって可能なのでしょうか」
セアラが首を傾げる動作は誤魔化すものではなく無邪気そのもの。本当に知らないのだとわかる。
「いや、聖都はどうなのかと思ったのだよ。此度の一件で結界にも穴があるのかもしれないと疑問になってな。ゴーストだけでなく、門外では骸骨まで現れたと聞く。しかし、結界に阻まれたのか襲って来なかっただろう? 例えば実体のあるなしなのか、害意を検出したかどうかなのか」
ショノアとセアラは顔を見合わせた。骸骨が裏手の廃棄場から正門を目指して壁沿いを進んでいたのは事実だ。内に到らずに済んだのは結界のお陰ではない。しかし、サラドは宮廷と関わらないと決め、ショノアたちにも迷惑がかからないようにと接触も控えている。心遣いを無にする答えをしないようにと考えあぐねた。
セアラが唾を飲み込んだ理由を王子は勘違いしたようだった。
「聖都の不手際についての話ではない。もちろん聖都勤めではなく、見習いであるビショフ嬢に責はない。警戒しないでくれ」
普通は生者に悪意を持つ不死者が神殿に易々と侵入するなど考えられない。貴賓を危険な目に遭わせたのは神殿の落ち度である。しかし、それを責めるつもりはないと王家の態度を明らかにした。
「この先にある遺跡を発掘するにはどうしても結界は避けて通れぬ問題。如何にすれば越えられるかと考えておったのだ」
「そうなのですね」
言葉では納得を示すが、セアラはあまり事の重要さを理解できていない顔をしている。
「ふむ。其方は…宮廷魔術師のマルスェイだったか。魔術師からはどう見る?」
「恐れながら申し上げます。私めは聖都に閃光が落ちた夜、結界の術式が崩壊する様を視認しました」
「…では、聖都の結界は失われていると?」
「はい。街門及び外周に張られていたものについては間違いないかと。最内側の、神殿周りはわかりかねますが」
「術式が崩壊と言ったか? 王都の火事は何者かが張った防御壁が延焼を防ぎ、その鎮火後には消滅しただろう。あれとは違うのか」
「ああ、あの防御壁は本当に素晴らしいものでした! あの規模! あの精度! 柔らかな光の美しさ! おそらくは治癒士殿ですよね」
魔力が蘇る気配のなさに意気消沈していたマルスェイも術の話となるや、俄に活気が戻ってきた。少々早口で饒舌になる。
「防御壁を形作る力は永続的なものではなく、効果が切れたためか、術者が解いたことで消えたものと存じます。聖都の外壁付近は調べたのですが、魔道具や魔石といったものは見当たりませんでした。ですので、術者に何かあったために急激に壊れたのではないか、と」
「それはつまり…導師の死によって消失したと?」
「そう、推測しております」
「なるほど。導師は聖都を丸々覆うくらいの結界ないし防御が可能であったのか…。術式と言っていたが、結界や防御は奇蹟の分野ではないのか」
マルスェイの目が捉えることができたのは術の片鱗。巨大で複雑で緻密な術式がバラバラと零れ、瞬く間に消失した。本質を掴んだり核心を突く隙などなく、ただ戦慄したのを覚えている。
「そう理解しております。これはあくまで私個人の推論ですが、魔術も奇蹟も根幹は同じではないかと。魔力を源とするという共通点もあります」
「奇蹟の力は神に許されたから使えるのではないのか? 魔力を必要とすると?」
「はい」
王子に疑問の目を向けられ、セアラはマルスェイの言を首肯した。サラドから教わり、魔力切れについて何度も注意を受けている。セアラはサラドの言葉を疑いもしないが、神官に同じことを言えばきっと否定されるだろう。神の力を魔力と呼ぶな、冒涜だと憤慨されるかもしれない。
マルスェイも一瞬不安そうな顔をしたが、見当違いでないとほっと表情を緩めた。
「ですが、研究してみないことには何とも。〝治癒を願う詩句〟と防御壁を形成するための言葉を並べ、それを魔術の詠唱文と見立てて比較すると、発動の鍵など共通する文言があると分析はしているのですが…」
「ほう。其方は魔術師なのに奇蹟にも造詣が深いのだな」
「いいえ、あ、はい…。奇蹟の力は魔術以上に民を守る力になり得ると考え、勉強させていただいているところでございます。しかしながら私は魔術師ですので、祈りにより発現する奇蹟の力の成り立ちは体感できませんので…」
王都の結界復活のためにも古代技術の解明と研究に宮廷魔術師を就かせたいと考える王子は、目の前のマルスェイを吟味するように見つめる。秘密を共有できるほど信用がおけるのかどうか、そこは慎重に見極めなければならない。
有力者とあれば積極的に自分を売り込んでいたマルスェイも、今は居心地が悪そうに目線を下げた。
「では、結界以外に町を守るような魔術はあるのか」
「守るとはまた違った形になるかとは思いますが、まず侵入させないために阻害する、攻撃の力を吸収して撥ね返す、などといった術が古代には存在したという記述を読んだことはございます。遺跡には往々にしてこういった罠のような術が掛けられているかと」
「なるほど。では堕ちた都にもそれがあると考えてよいのだな」
「とても、とても強い力が遺っていると言ってよろしいかと存じます」
「うむ。実に参考になった。流石は最年少で宮廷魔術師団入りを果たしただけはあるな。これからもその知識をもって国に尽くすよう、期待している」
「は…はい」
マルスェイは王子の目から逃げるようにまた顔を伏せた。
山間の地域に向かう馬車の中でマルスェイは愚痴をこぼした。
「殿下は『知識をもって』と仰った。はなから魔術師の技には期待をされていないのかもしれない。まあ…大魔術師が繰り出す術を見た後では我々の力などお遊びと揶揄されても当然か…」
「マルスェイ、その考えは良くない。殿下は、その、そういうつもりではない筈だ」
「そもそも魔力を失ったなど知られたら、宮廷魔術師を罷免されるだろうな。知識だけあったところで…」
「らしくないぞ。諦めてしまうのか」
「…これ以上、恥の上塗りをするくらいならば、モンアントに帰った方がいいだろうな。穴があったら入りたいよ」
深く溜め息を吐いたマルスェイは、そう言いながらも杖を手放さず、無意識に玉に触れていた。
山間の村のひとつに到着したショノアたちに投げつけられた第一声は「お前らもたかりに来たのか」だった。
『聖女一行の偽物がいる』
移住地を出発する前に支援者から忠告は受けていた。女性一人と男性二人の三人組でギリギリ詐欺にならない行為を繰り返す小悪党らしい。聖女を騙っているわけではない。ただ思わせぶりな態度をとり、「聖女様ですか」と聞かれれば否定もせず微笑む。懇意にしたいと近付いた者に宿代を肩代わりさせたり、単純に気の良い者から美酒を振る舞われたりと、その程度の被害だそうだ。
朝の祈りを目にした者はなく、「周囲を騒がせたくないから」と夕べの祈りも神殿の祈祷室に籠もってか、町外れに移動して騎士と魔術師に守られた状態で人は遠ざけていた。聖女の祈りの声は心が洗われるようだと噂なのに聞けずに残念がっても、「ごめんなさい」としおらしく謝られる。大変な人気で、どこかの町では人に取り囲まれてあわや惨事となりかけたというから、然もありなんと理解を示すしかない。
疑惑の目が向く頃には、いつの間にか姿をくらませている。小さな町や村では日が暮れてから訪れ、昼前には発つという。「祈ってすらもらっていない」と少ない蓄えからもてなした村からは不満が噴出している。
偽物だったと悔しがるか、聖女一行は噂と違ってとんだ俗物だと思うかはそれぞれ。
「だから、気分を害する目に遭うかもしれない。気を付けて」と親切にも教えてくれていたのだ。
勝手に聖女だと祭り上げて噂され、好奇の目で見られ、今度は偽物の行動で知らぬ間に評判が悪くなっているなど傍迷惑な話だった。
「王子殿下の訪問の騒ぎにかこつけて来たんだろうが、儂らは騙されんぞ。去れ」
「あの…、お言葉ですが、確かに彼女は各地に祈りを届けていますが、代金はもっての外、寄付も受け取っておりません。食も野営の準備をしておりますのでお世話になるつもりもありません」
村人は目を細めて「信用ならん」と吐き捨てた。
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