181 王子と移住地
聖都も宿場町も神殿ありきの町だ。国外にも信者の多い神殿の尊厳を損ねるようなことを住民は避ける。ゴーストを見て蜘蛛の子を散らすように逃げた先、家屋に隠れて大人しく様子を窺っていた。
寧ろ黙っていられなかったのは熱心な信者や他国からの巡礼者らだった。神殿の門前まで祈りながらゴーストを追って行った彼らは、穏便にではあるが、兵士によって聖都外に出されてしまった。そこでもまだ祈りを口にしたり、先程見聞きしたことを興奮さめやらぬ様で語り合っている。
そんな信者らを自警団員が炊き出しを行っている草地まで案内した。救急用のテントも張られており、逃げる際に転倒や打撲を負った者が手当てを受けている。
見物に訪れて宿が取れなかった者や即帰宅できない者が、そこでひと息ついていた。振る舞われた茶は色も薄く、味もぼんやりしていたが、体がじんわりと温まり、興奮していた心が凪いでいくようだった。連続で祈りを唱えて、カラカラに渇いた喉の痛みも和らぐ。
即座に聖都全域の浄化をすることが決定され、急ではあるが神殿に泊まっていた賓客も客間を退室することになった。それでも、ケントニス伯爵をはじめとした有力者が、出立や帰国の準備が整うまで領主館や近隣町の一等宿で過ごすようにと申し出てくれたお陰で、それほど大きな混乱は起きずに済んでいる。
順次、神官から祓い清められ、送り出されていく。今回の事態に来賓の多くは神官らの祈りと導師の魂に救いを求めたゴーストが集結したとしても不思議はないと概ね理解を示した。表向きにはであるが。そもそも斟酌できる者でなければ招かれてもいない。
来賓を迎えて行われた導師の鎮魂の儀にゴーストが襲来するという異常事態。葬儀の際も魔物が襲ったことで様々な憶測が囁かれ、各方面から問い合わせが来たというのに。聖都の信頼を大きく揺らがす醜態に神官長の頭痛の種が増えた。
ただでさえ導師を喪った夜から忙殺されていた神殿長はこの一日で一気に老けてしまったかのような顔色をしている。それでも総責任者として凜と立ち、去りゆく賓客を見送った。
女王陛下の名代として式典への出席を務めた第一王子も、例外なく翌朝に聖都を発つことを促された。いくつかの会談の予定が潰れてしまったが致し方がない。
信仰と政治は切り離され、神殿と王家は適切な距離を保ってきた。しかし、王子は多少の衝突は覚悟してでも正さねばならないことがあるのではと、今回の件で美談にしてはならないものを感じている。神殿関連は繊細な問題でもあるため、陛下ともよくよく相談して慎重に事を運ばねばならない。
それにしても、と王子は思う。
礼拝堂から逃げる際に見た、ゴーストの攻撃を打ち消していた男達の戦い振りは素晴らしかった。彼らを王都に招くことができれば、防衛が優位になるだろう。
あの三人が誰であるか知っているかと文官に問うてもはっきりと答えない。これは自分には知らせたくない事があるときの反応である。王子はおくびにも出さないがつまらない気持ちになった。
ふと、彼らの強さや雄姿はまるで詩の中の英雄のようだと思った。そういえば、子供の頃は母と共に吟遊詩人の英雄譚をよく聞いていたなと思い出す。稚心に憧れを抱き、英雄のようになりたいと剣術にも勉学にも勤しんだ。いつしかその努力は、周囲の期待に応えるためへと変わっていたが。
王子が乗る馬車には王配も同乗している。向かう先は堕ちた都の奥に位置する移住地。
当初の予定では聖都の滞在日程を終えたら王都へ帰途につくつもりでいた。魔物の脅威に瀕している都が心配だし、女王を補佐せねばならない。なのに、侍従たちは西へ視察に向かうように進言した。「王配殿下につき見聞を深めて来るよう」陛下のお言葉であると言って。
各地の領主や有力者との繋ぎも大事ではある。だが、如何に陛下の名前を出されようとも、王都を放っておけないと王子も譲らなかった。
そのため、侍従も王子が「ここだけは寄る」と意欲を示していた移住地を再訪問中に説得を試みようとしている。実害はなく危機は去ったが、王都でもゴーストが目撃され、骸骨が差し迫った件は王子には伏せられていた。
約束通りショノアたちの馬車も王子の行列に後続している。それを伝えた時、ニナは返事もなく諦めたように手綱を握った。充分な準備も整わないうちの出発となり、物資の補充に多少の不安もある。
聖都の混乱をそのままに去るのは気が引けたが、ショノアたちは部外者でしかない。現に、言伝を請け負った経緯を伝えると「調査が終わるまでは他言無用で。故人のためにもお願いします」と圧を掛けられた。まだまだ掘り出される小さな骨に後ろ髪を引かれつつも、ショノアとセアラは神官に送られて門外へ。ジャックが申し訳なさそうに目礼していた。
セアラは供養に一生を捧げる決意を固めそうなくらいに思い詰めた表情をしている。任務を理由に考える猶予を与えなかったことは否めない。それでもショノアはセアラが聖都と死者に縛られないことを望んでしまった。
自嘲に小さく嘆息する。ガラガラという車輪の音と重苦しい空気にそれは溶け込んでいく。
セアラは胸前で手を組み、目を瞑って集中している。声が嗄れてしまったので無言だが、心中ではずっと祈りを繰り返しているのだろう。あの胸を痛める光景はそう簡単に頭から離れない。疲れも癒えていないのに、揺れる馬車の中でも姿勢良くしていては体にかかる負担も大きいに違いない。
マルスェイは座面の半分を使って上半身を横たえている。足は降ろしていて、こちらも休まる体勢ではない。時々、ビクリと体を震わすが、してやれることはなく、大きく体調を崩すことがないか見守るしかなかった。
移住地の雰囲気は様変わりしていた。
たくさんの救恤があり、住民の心に余裕が生まれたのもあるだろう。それは、責任者の高官も同じだった。とんでもない左遷だと臍を曲げていたのが、次々に訪れる支援者にこの地の重要さを説かれ、難題を任された身を賛辞され、すっかり機嫌を良くしていた。
また、どこから漏れ伝わったのか、避難民を孤立させるような配置構成は是正するよう王都から指示があった。渋々、再編成をしたところ、無気力になりかけていた住民も明るくなり、やる気も目に見えて向上した。
支援者からも「避難時の混乱で家族や知り合いと離れ離れになった人々の再会に腐心されるとは素晴らしい」と煽てられ、高官はますます気を良くしている。
技術者の派遣により、滞りがちだった作業も進んでいる。最初の方で掘削した井戸は枠の石もしっかり組まれ、屋根も釣瓶も掛けられていた。清水はこんこんと湧いて出ている。
炊事場と、食事場の環境も改善されていた。まだ簡易的で、壁がなく高床と屋根を掛けただけの舞台のような建物だが、テーブルと椅子が並び、地べたで食べなくてもよくなった。厚手の布を垂らせば、風もある程度は防げる。
知識がない、正しく導く者がいなかっただけで、避難民の多くが怠けていたわけではなかったことが明らかとなった。
支援者の目もあるし、責任者の高官が避難民への当たりを軟化させたこともあって、住民を軽視していた兵士も大人しくしている。
「…なるほど。祝福が与えられたというのは真実のようだ」
王子を前にして平伏していたことを差し引いても、鬱々としていた前回とは違う雰囲気に満足げに頷く。
揉み手でいた高官も誇らしげに胸を張る。ショノアたちをもニコニコと愛想良く歓迎する様はまるで別人のようだった。
「うむ。これまでの報告から察するに、ここはもっと良くなるな。そろそろ移動から携わってくれた兵たちも王都へ帰りたい頃だろう。交代員はあとどれくらいで到着する?」
「数日中には」
「総入替えが可能な人員は確保できたか」
「はい。魔物との戦闘で軽症を負っている者が殆どですが、こちらでの任務に支障はないかと」
淀みなく答える文官に鷹揚に頷くと、王子がチラとショノアに目を遣った。既に手を回してある事を知り、ショノアは恭しく頭を下げた。
その場に居合わせた兵は風向きが怪しいことを感じ取った。顔色を悪くしたのは高官だ。
「殿下、私は…その、」
「ああ、其方もご苦労だった。長年の経験を持つ者ならばよく運営してくれるだろうと期待して選んだが、これから本格的に冬を迎えるという時季に、老体に無理を強いるところだったな。人生の先達に配慮が足りなかった。王都に戻ったらゆるりと休まれよ」
暇を告げられた高官は震え出す手をぎゅっと握り、完璧な笑顔の王子に頭を下げ、何とか「有り難きお言葉」とだけ口にした。
この移住の成功に王子は心血を注いでいる。視察先でも報告書を取り寄せて進捗を確認していた。兵士による一部避難民を拉致監禁した犯罪も上がっている。その他にも不正の密告を受けた王子は秘密裏に監察官を派遣した。
「祝福に井戸の選定、ご苦労だった。祝福を完遂した折の光景は美しかったと聞く」
「お役に立てたこと、恐悦至極に存じます」
笑顔で労う王子にセアラは深く頭を垂れ、これで合っているのかと不安そうな目でショノアを見上げた。
「…差し出がましいことを致しました。王子殿下のご慧眼には感服いたしました」
「いいや。其方の書簡は調査内容を裏付ける一助となった。届けてくれたこと、感謝する。其方のような臣下は得難い。また今後も恐れずに意見を聞かせてくれ」
「勿体無いお言葉です」
決意に漲る王子は不意に年相応な笑顔を覗かせた。
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