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180 別れを告げる者と残された者

「地の力を吸い、精霊を狂わせ、魔物を生み、穢れをまく…それを実現する術式…。うーん、魔術陣か詠唱文かどちらかだけでも残されていればなぁ」

「重要な部分を口伝にして継承者を絞るのは仕方がない」


 写した脇に、サラドが読み上げた文章を書き加えたノアラは不備や書き漏らしがないか精査中。術の専門的な話になればなるほど役に立てないディネウは気を揉み、腕を組み替えた。


 発見した書の裏面についてはまたゆっくりと里の者が研究していくことだろう。


 里を切り拓いた理由が魔力なしと呼ばれた者への迫害なのは伝えられている。

魔力の強さが優劣を決めていた古代。強大な魔力を持つ都の魔術師に蹂躙され、道具のように扱われることをよしとせず、人らしく生きるために隠れて暮らすことを選んだ者の末裔が彼らだ。


古代後期、生まれ持った魔力以外の力を得る技術が禁じられた。その事実はこの里でも伝えられていない。


精霊との契約が禁止されたこと、それが同族と袂を分かつことになったきっかけであることは秘されたのだろう。力を欲して、禁を破る者が出ないように。

だからこそ、この記述も正式に残されていないに違いない。


それでも、精霊の契約者が行っていた風習を独自の形に変え残したのは、故人を想う気持ちはもちろんのこと、精霊へ感謝を伝える方法だからであろう。里には精霊信仰が色濃く残っている。


 サラドは不謹慎ながら少し嬉しく思っていた。

この草稿は、精霊との契約が力を求めるためだけの手段ではなかったことを証明している。

少なくともこの里の先祖は、死別により契約から解かれた精霊にこれまで共生してくれた感謝の印として、己の魔力を返す方法を編み出していた。死してなお、精霊とひとつでありたい、また生まれ変わっても出逢いたいと願って。

その事実を知れたことが何よりサラドの心を温めた。


 おそらく、里の先祖の故郷では、魔術師も聞くような非人道的な扱いはしていなかったのだろう。逃れないように囲うことなど簡単なはずだ。それどころか、力を得る(すべ)を断たれ、年齢を追い越していく人の行く末を案じ、ひっそりと暮らせるように手を尽くした。

強力な魔道具や書物や知識が残されていることが、それを雄弁に語っている。今もなお里の外縁に埋め込まれた守護の術式がしっかりと働いているのも、強い強い魔術と想いの証。


その考えを伝えると長老は皺だらけの目元を更に下げ、「ふぉっふぉっ」と相好を崩した。目尻が潤んで光を弾いた。


「きっと、この発見を導くためにあの子らは貴男方を連れて来てくれたんじゃろうのぉ」


 長老に感謝を告げ、里を後にする頃には夜も明けかけていた。

骨になって帰ってきた者を偲び供養を願う酒席はまだ続いており、少数の者が思い出話に花を咲かせながら守っている。終夜の灯りは寂しくも温かく灯っていた。



 ノアラの屋敷に帰るとテオが玄関近くの床で眠っていた。枕を持ち出し、ノアラが着古したぼろぼろの魔導着に包まっている。テオは今でもベッドにこの藍色の衣を置き、不安を紛らわせている時があった。


「連絡も無く、誰も帰らないものだから心配させちゃったな」


眠っているテオを抱き上げて「ごめんね」と囁く。サラドの腕の中でテオは身動いだが目は覚まさない。顰め面で寝ている。


「かなり夜更かしして頑張ったけど、眠気に負けたみたいだね」


 テーブルの上には損傷の激しい古書が広げられている。描きかけの図は複雑な魔術陣だがテオの目には美しい柄として映っているのかもしれない。幾度となく繰り返す文様に古代語より更に古い文字も組み合わされている。細分化して寸分違わず写すのは根気がいる作業だ。染みや汚れと彩色を区別し、必要な線を見極めていくのも技能がいる。テオは何冊も模写する内に劣化による退色についても規則性をみつけたらしい。


「うっわ。こんなえげつないの、頼んだの?」


シルエの批難めいた視線を受けノアラが慌てて首を振った後、一瞬の間をおいて、しゅんと項垂れた。あわよくばまだ分析のできていない陣を再現できたら、と考えて貸し与えたことは否めなかった。


「うっわ。こっちも。テオは絵ならなんでもいいのかな」


乾燥中の絵を目にしたシルエが「うげっ」と呟いた。今度はサラドが苦笑する。

すっかり模写の虜になったテオは次々に求め、医術に関わるような本にまで手を出していた。ちょうどサラドもあちこちに注釈を書き加えた本を改訂したいと考えていたので、「やりたい」と言ったテオに任せてみている。

しかし、テオは字を覚えるのはやはり苦手らしく、図のみを写してあとは空白の紙が溜まっていた。図の中に含まれる字は絵の一部として捉えているからか問題なく書けている。


「文章も写せて、内容が全て頭に入ったら、テオは貴重な人材になっちゃうところだね」


テオが写本した内容は扱いに気を付けなければならないものも含まれている。今のところ文章には興味を示していないし、敷地外へ持ち出して誰かの手に渡す心配もないから、望むままにできている。


「…看板が読めて、名前が書けて、支払いで騙されない程度に計算ができるようにしてあげたいんだけど」


魔人の件が片付くまではつきっきりで見てあげる時間は取れそうにない。サラドはそっと息を吐いた。


「焦んなくても大丈夫でしょ。文字も図みたいなものだから、コツを掴めばすぐだよ」

「うん。まぁ、今は楽しい、好きって気持ちを持てることが大事だと思ってるから」

「テオの正確に写す眼は一種の才能だ」


里で自身が模写してきた書を見て、ノアラが称賛した。急いで書き写したのと、酔いが残っていたせいか線がぐにゃぐにゃしている。充分に伝わるので、支障のない範囲だがノアラはちょっと恥ずかしそうだ。


「魔人の件が片付いたら…」


 ふと先程頭に浮かんだ言葉を口にした。


「魔人の件が片付いたら、テオにもっといろんな景色を見せてあげたいな」


 厳しい状況が立て続いている時にも、先を見据えることができるようになったのはディネウのお陰だった。村を出てから、どんな苦境下でも、ディネウは「終わったら、宿り木亭の煮込みが食いたい」などささやかな望みを口にしていた。生きて戻ることを疑わない言葉。それを聞くとサラドも不思議と心が軽くなった。

ディネウは子供の頃から常に、傭兵になるという大きな目標も、先の小さな楽しみも表に出していた。それが彼の性質であり、深く考えての言動ではないとしても、何度となく救われている。


「いいね! 皆で遺跡探索に行こうよ。昔みたいに何日もそこで野営したりして」

ノアラがこくりと頷く。

「いいな。テオなら壁画を写すのも完璧に熟すだろうな。俺に回ってくる心配がない」

「えー、ディネウってば。人にはこき使うなとか言っといて」


すぐに三人からも反応がある。サラドも「うん」と返した。ほわりと胸が温かくなる。

 遺跡は人の手が入っていないので珍しい植生も残っているし、テオも楽しめるだろう。

テオは特に植物を描くのを好み、熱意に負けてサラドが独自に書き留めていた図集も与えた。薬草に限らず、マーサから習ったものから、その後の旅先で知り得たものまで多岐にわたる。

本当は実物を見ながら教えたいのだが、めぼしい草は春の芽吹きを待つ状態だし、現地に連れて行くのも今は難しい。


「そういや、今回の発見もあって里の魔術師が受け継ぐ意匠や菓子の型を資料として残したいって長老が言っていたんだよね。…継げる者がいなくなった紋もあるらしくて。なまじ魔力のある者よりも、テオは適任かもよ」


ノアラがこくり、こくりと頷いた。里の魔術師の紋に似通った記述を屋敷の書架でみつけたら知らせる約束をしている。


「聖都の振る舞い菓子も神官の記憶だけじゃなくて、文献があるから再開させたと思うんだよね。術式は…んー、望み薄いけど」

「お前、また忍び込むつもりか」

「大丈夫だよ。ノアラと一緒だし」

「そうやって、油断するから」


顔を顰めたディネウに「へーき、へーき」とシルエはパタパタと手を振った。


「あの後どうしたかもさ。気になるじゃん? もういっそ神殿長の夢枕にでも立っちゃう? そういうのサラドの幻術でできそうだよね?」

「えっ? あー、うん、どうだろ…。でも…」

「サラドも真剣に相手するな。もうすぐ日の出だが、テオを寝かしつけろ。お前も休め! 俺は一旦帰る」


明らかに魔力を使い過ぎているサラドを一喝し、気分の高揚が治まりきっていないシルエとノアラは放っておいて、ディネウは転移装置の扉を潜って行った。



 翌朝、昼にも近い時間になって起きてきたテオは裏庭にいたサラドに駆け寄り、体当たりをする勢いで抱きついた。

因みに、ディネウとシルエとノアラは灯台の町と宿場町の傭兵の元に事後の始末と援助の必要性を確認に出掛けて不在。サラドは「もう回復したから平気」と主張したが「無理するな」と置いて行かれた。


「ごめん、テオ。昨夜は心配かけたね」


テオはサラドの腹にぎゅっと顔を埋めたまま首を横に振る。


「どうしたの? 怖い夢でも見た?」


テオはやはり首を横に振った。ぐすっと洟を啜った音がする。

異変を感じたのか脚を投げ出して寝そべっていたヴァンも体を起こして鼻先をサラドの背に擦り付けた。


「…昨日、いっぱいの子がバイバイって言いに来たの」

「うん。そっか。前にもお喋りしたり、知っている子?」

「ううん。細い糸で繋がっていただけ…。連れて来られた時、一緒だったのかも」

「…その子たちに何か言われたりしたの?」


腰に回された手から怯えか緊張を感じ取ったサラドは落ち着いた調子で聞いた。テオは顔をバッと上げた。


「違う。バイバイって。またねって言ってただけ」

「そっか。お別れを言いに来てくれたんだね」

「うん。どこかに行っちゃうんだって。悲しいのか嬉しいのかわかんない。でも…苦しかった」

「うん」


ヴァンが慰めるように鼻息でテオの髪を揺らした。



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