179 奪う、独占する、穢す
シルエとノアラは一縷の望みをかけて里の長老に協力を願い出た。彼らの魔力・魔術に対する真摯な態度と実力を認めている長老は、弔いの宴を中座して書庫に通してくれた。
「こんな時に申し訳ない。お世話かけます」
供物菓子に模様をつけるための型も見せてもらえた。ノアラの推測は当たっており、彼が食べた菓子に押されていたのは六角形の文様で、作り手は土の術を受け継いでいた。
型は幾つもあり、それぞれが継承する魔力に応じた精霊の力を表している。材料は特段変わったものはない。ごく普通の穀物粉や木の実や豆など。各家でほんのちょっと隠し味の違いはあるそうだ。基本はそのまま、美味しくしようと工夫した結果、焼きあがりの模様が不明瞭になってしまったらしい。
「こういった日常の習慣は書き残していないものが殆どで」
「まぁ、そうですよね」
「可能性があるとすれば…。逃げ延びる日々を綴った手記が遺されているので、もしかしたら」
長老が大事そうに木箱を引っ張り出し、古い古い書物をひもとく。
片側を紐綴じしただけの表紙もない簡素な書。両脇から書面を覗く二人が読み終えたかを確認しながら長老はゆっくりと頁を捲っていく。
内容は感情を排した紀行文、とでも表現すべきか、定住地を見つけるまでに辿った道筋でのことが書かれている。景勝よりも風土から得る災害の予測や住み良さの分析、生活の基盤を整えていく過程が主軸。他には各地で支払った通行税や調達した食糧の物価など覚え書きの数々。当時を知る、これ以上ない資料に成り得るものだった。
残念なのは元住んでいた都についての記述が一切ないことだろう。迫害されて移住という経緯から、そこは敢えて、なのかもしれない。
「…すまないが、やはり供物に関しては書かれていないようじゃ」
長老が書を木箱に戻しかけると、ノアラが遠慮がちに指さした。
「あの、前の頁に」
「んー? ノアラ、何か気になったの?」
「文字列と関係がなく、色の違うインクの染みが複数箇所あった。おそらく裏側から」
「ん? 裏があるってこと?」
ノアラがこくりと頷く。
頁を捲る際にできる僅かな浮きをノアラが指す。厚めの紙に見えた頁は二つ折にした紙だった。
長老に頼んで、特別に紐を解き、ノアラが指摘した紙を確認してもらう。長年ぴったりとくっついていた面は繊維が絡んで一枚のようになっている。破れたりしないように留意するあまり、長老の手は微かに震えた。
「何と…」
すぐに長老の手の震えは緊張から高揚に変わる。
そこにあったのは魔術の考察の書きかけ、というよりは書き損じの紙を再利用したものらしい。前後の頁も確認してみるとやはり草稿らしく、内容に関連性はみられなかった。
「えー、本当にあるとか…。ノアラ、よく気付いたね。表から見ても、紙のシミと区別つかない」
「テオが」
「ん? テオ?」
「テオが描いた素描を見せてもらった際、似た特徴があった。紙の裏を使っていて、僕にも不要になった紙があれば欲しい、と」
「ああ、なるほど…」
紙の無駄を出している自覚があったシルエは「ははっ、ノアラの観察眼は流石だねー」と乾いた笑い声をあげ、感情の乗らない調子でぼそぼそと呟く。責めるつもりなど毛頭ないノアラはそんな様子もお構いなしで発見に夢中だった。
長老はその他の頁もそっとそっと剥がした。紙を傷めないように布を敷いた長机は、順番に開いて並べた頁で埋め尽くされていく。
その内の一枚に菓子の型と同じ象徴紋が描かれていた。これもまた予定した全てを書く前に止めてしまったようだ。外枠の丸のみ描いたものや不自然な空白が何箇所もある。
長老もこの頁を清書したであろう書物には覚えがないらしい。この文様は里の魔術師が師から弟子に継いでいく意匠にも繋がる。
「古語? ちょっと違うのかな? しかも途中から殴り書きみたくなっていて簡単には読み解けないな…。この語って『契約』だよね?」
紙面に唾が飛ばないように口元を袖で塞いで顔を近付け、解説文と思われる範囲を凝視する。書き文字の癖が単に強いのか、それとも地域による相違なのか、区別がつかない難解さ。
ノアラはシルエが示した単語に頷き、懐から紙と硬筆のチョークを出して模写を始めた。真剣なあまり顔つきが怖い。サラサラと落ちる前髪をうっとうしそうに後ろへ掻き、一つに束ねた。
「遅くなってすまん。どうだ? 何か見つかったか?」
「サラド! いいところに。早くこっち来て!」
ガタと戸を開け、顔を出したディネウを無視してサラドを手招く。そんなシルエの態度に「おい、お前…」と文句を垂れつつ、ディネウは書庫の雰囲気に畏縮したのか、戸口に立ったまま、入って来ようとしない。
すでに大人が三人いる書庫内はぎゅうぎゅう感がある。移動中に棚にぶつかって貴重な書物をばら撒いたりしないようにサラドは灰色のマントを体に引き付けた。
「ごめんね。思いのほか、オレ、外でのんびりしてたみたいだ」
「いいの、いいの。それよりこれちょっと読んでみて」
「ここ、ここ」と急かされ、サラドは今ひとつ状況が飲み込めないながらも紙面と向き合った。彼の目の動きで光がスッと視線の先を照らす。
「えっと…。『精霊と契約せし者が…永逝し…力の一端を』ここ、『捧げ』と『返す』で言葉を迷っているみたいだ」
文字のすぐ上に書かれた語を、紙に触れない位置で指し示し、サラドがちょっと首を捻る。
「この箇所は消し潰されて読めない。某かを『作り』…
後で書き入れるつもりだったのかな。一行分くらいの空白。ここから先は途切れ途切れで
『支えとなる存在に喜びと感謝を』
『ひとつになることを望み』
『環を巡りて』
『再会を約し』
『故郷に戻りて分け合う』…かな」
ノアラと目を合わせシルエは「ふむ」と頷いた。
「…うん。供物菓子を作る時のおまじないと関連があると考えるのが自然だよね」
「供物菓子?」
シルエはサラドにこれまでに知り得た情報を掻い摘んで伝えた。一度聞いただけのおまじないを諳んじてみれば、微々たる量だが、ほわりと体から力が放出されるのを感じる。
長老も目を瞠っている。謂れなど誰も知らないくらい昔からある伝統菓子の根源に触れようとしているのだから興奮もするだろう。
「精霊との契約者か…。菓子の大元にあたる品は精霊への供物ってことだよね。ということは、魔術師が精霊と契約しなくなったことで、現在の、術者と故郷の地や縁ある人々とを繋ぐ形へと転じたのかな」
シルエはサラドに問うような視線を送った。精霊がこの世界で人と同じように食べ物を欲すとは聞いたことがない。
「そうだね、直接口にすることはないけど…。大気や水や土に岩…それに植物から得られる魔力は好むよ。お気に入りの木や草だってあるし」
模写に勤しむノアラに正面の場所を譲り、サラドは他の頁にも何か手がかりとなる文章がないか目を走らせる。
「…聖都でもさ。振る舞い菓子があるんだよ。葬儀の時じゃなかったけど。花びら形っていうけど楕円で、模様はなくて、もっと単純なの。生地を混ぜる際に奇蹟の力を込めろって、僕も作業の一部を手伝わされた」
大まかな形、作る際に力を込める、分配する、共通項がある菓子の記憶がよぎる。
菓子の存在と同時に怒りも思い出したのか、シルエは顔を歪めた。話が逸れてでも「小麦粉を水で溶いたのを焼くだけみたいな…なんでか、美味しくしようって気が全くなくてさ。清貧ってそういうことじゃなくない?」と不満が口を衝いて出る。
「それって歴史の古いものなのか?」
腕を組んで書庫の入口に寄りかかっていたディネウが身を乗り出した。
「うーん、災害などが立て続くようになってから中止していたらしくて。〝夜明けの日〟の祈念式典で復活させた経緯も、それより前はどんな時に作っていたのかも、僕は知らないんだよね。でもさ、本来、窮している時こそ、施しって必要なんじゃない?」
またもシルエは愚痴をこぼす。ディネウの返事は「まぁ、なぁ」と気のない様子だった。
会話にちょくちょく出てくる『精霊との契約』について、長老の求めに応じて説明をしていたサラドの袖口をノアラがくいっと引いた。
「ここは? 図の脇」
ノアラが示した箇所は一見ぼやけた面にしか見えなかった。細かい文字のうえ、下図の上に書かれ、経年劣化のせいか掠れている。紋図にも薄い下描きの線があり、一言、二言の語が添えられていた。
再び、手元に光を呼ぶ。サラドは目を細め、紙面と顔の距離を少しずつ測った。
「うん…と。『術者の魔力を凝り固めた物、もしくは適した媒体に魔力を注入した物に精霊の象徴と術者個人を表す式を組み合わせた紋を刻む』
『術の構築、陣、詠唱文については、個人の資質が大きく関わること、また術者を守る観点から記載せず』
『急逝し、生前の用意がない場合、遺族が故人の骨を焼いた灰を原料にした例もあるが、推奨しない』
あとは、精霊の象徴と個人の式の組み合わせ例の説明だね」
紙面から顔を上げたサラドは「灰…?」と呟いた。術の詳細を知る望みが断たれたことに残念そうにしつつも、有益な情報にノアラは小さく頷く。シルエも「そうだ、アンデッドの灰が消えたって…」とハッとした。
「ここにあるように、もし遺灰を使って表面に紋をつけやすいように丸く固めたら」
「…あれの紋はもっと単純化された図だったが、似てる」
戸口を振り返り、ノアラが確認するようにこくりと頷けばディネウも「おう」と返した。
「しかも、紋の重なりが逆。術式をいじって目的、効果を反転させたら『奪う、独占する』ってところ? そこに『穢す』を加えたとしたら…」
「灰は自然に還るための素材か…。更にあの金色の抽出物を使う、と」
現物が見つからず、推測の域を出なかった魔物発生の原因と思しき土塊の解明に一歩近付いた。




