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175 手を握って

 ショノアは伸ばした手の先を虚しく見つめた。すぐにマルスェイに追い付いたニナと比較し、己の反応はこんなにも遅いのかと自省する。それ以上に、即座に距離を詰め、かつ、あの重そうな大剣を鞘ごと振るったディネウと、見えない位置から目前に迫ったサラドに舌を巻く。


マルスェイの突飛な行動に取り残された面々は、ぽつんぽつんとある小石や岩を積んだように見えたものが骨であるのに気付き、声を失った。籠に入れられたいくつもの布包み、そして作業途中のものを見れば、何をしていたのかは自ずと察せられる。


喉が痛そうに唾を飲み込んだセアラは膝をつき、まだハッハと切れる息で鎮魂の祈りを口にする。声は小さく嗄れていた。


 マルスェイに蹴られて転がった髑髏をニナが拾い土を払う。崩れた山を軽く直してその上にそっと乗せる。


「てめぇ、なにしやがる。死者を冒涜する気か?」


 怒気を露わにするディネウはいつでもマルスェイを打ち据えられるよう鞘に収まった剣を体の前に置いた。抜き身でなくとも存在感も威圧感も半端ない。

瞬時に奥へ下がったノアラの冷淡で鋭い眼差しが遠くからでもひしひしと肌を射す。強い拒絶は隙のなさからも感じられる。

サラドの失望の表情は怒られるよりも怖い。

マルスェイはまるで迷子のように所在無さ気に首を巡らせた。


「そんなつもりは…。ちょっと当たっただけで。その…」


ディネウがマルスェイの胸ぐらを片手で掴んで立たせ、そのままショノアらの元へと連れていく。得物である大剣は片手で水平に持ち、少しも地に着くことはないが、マルスェイはズルズルと引きずられている。


「…うぐっ…」

「おい、お前、こいつの仲間だろう? 責任持て」

「あっ、はい。その、申し訳ありませんでした」


ショノアは躊躇わずに頭を深々と下げた。それに対してもディネウは不快感を表す。


「仲間に謝罪させておいて、恥ずかしくないのか?」

「お願いです。ちょっと、ちょっとでいいんです。ちょっと手を握っていただけるだけで…」

「手ェ? なんだ、そりゃ?」


ねじり掴まれた衣類で首が締まりかけマルスェイは「かはっ」と空咳をした。放してもらおうとディネウの手に縋る。


「このままでは…魔力を…奇蹟も…」


プルプルと震えてマルスェイは涙目で訴えた。憐れな姿にもディネウの手は緩まない。


「マルスェイ様、約束を違えるのは感心いたしません。それに、手を触れたところで」

「手を握ってもらえば、魔力の感知ができて、自分の能力が底上げされるとでも思ったの? 馬鹿だね~。あんな器用な真似、誰にでもできるわけないじゃん」


サラドの言葉を遮るようにして、ディネウの背後から淡い灰色のマントがひらりと出て、ハッと息を呑む。シルエがいつの間にここまで来ていたのか、ショノアらの誰も気付けなかった。


「治癒士殿! お願いですっ。御慈悲を…」


シルエに向けて伸ばされた小刻みに震える両手は杖先で軽く払われた。


「聞こえなかったの? 僕が手を握ったところで無意味なんだって」


ディネウの腕に更に力が加わり、首の締め付けがきつくなる。「ぐ…」と喉を詰まらせたマルスェイの様子にサラドが心配そうに手を出しかけた。それを妨げるようにシルエが杖でディネウの二の腕をポンポンと叩く。ノアラの方を顎で指し示されたディネウは、不服そうに「あ?」と顔を顰めた。隣でサラドも頷いているため、舌打ちをしてパッと手を開く。解放されたマルスェイはよろっと一歩後退った。

ディネウは苛立ちを紛らわすように頭をバリバリと掻きつつ、骨を包む作業に戻っていった。


諦めきれないマルスェイはサラドとシルエ、そして後方で黙々と骨を集めるノアラとの間で希う視線を彷徨わせた。


「…でも、まぁ、兄さんとの約束はあるから…」


シルエは不承不承でマルスェイの額を人差し指でピシリと打った。

「…精神の問題把握、自己を取り巻く状況の整理、恐怖の払拭、…克服」ぼそぼそと小声で囁かれる度、ポワポワと淡い光が額を中心に広がってマルスェイの体を包み、吸い込まれていく。

力が抜けたマルスェイはその場にしゃがみ込み、急に重くなった目蓋を瞬いた。倒れないようにとショノアが慌てて支える。


滞った気を断ち切るようにブンッと杖が振られ、マルスェイは一度、バチリと目を見開いたが、またグラリと体を傾かせた。


「…で、そこまでしたい理由が何かあるのか、それともただ厚かましいのか、どっち?」

「その…、神殿の修行を仮体験し、そこで『声』を聞いたそうなんです。その時、魔力を失ったらしく、それで焦って…、なんだと。失礼なことをして誠に申し訳ありません」


「あ」の形で開いた口のまま、言葉を発せられずにいるマルスェイに代わってショノアが説明した。如何せんショノアには魔力のなんたるかも、修行中に得られる『声』の重要性もピンときていない。

「啓示を、ねぇ…」とシルエが探るような目でマルスェイを見下ろした。


「彼、魔術師なんでしょ? 魔術と奇蹟が併用不可だって定説を知らないわけもないだろうに。準備や予防策もないまま臨んだんだ?」


耳はしっかり聞こえているらしく、マルスェイは焦点の定まっていないぼんやりとした目をシルエに向けている。


「あはっ、でも感謝してもいいかもね。実例が一件確認できたんだし。失うリスクが高いのに試す人、なかなかいないからねぇ。ある意味、勇気あるね、君。僕には無理」


シルエがおどけたように肩を竦める。マルスェイが首を傾げ、視点をサラドに移した。


「何? ()にできるなら自分にもできるって思っちゃった? 何の確証もなく?」


シルエの追及にマルスェイが項垂れる。


「…マルスェイ様は水と風の資質をお持ちでした。求めるものと違い、不満だったのですか?

モンアント領は国境の大きな川に接していますよね。海風を防ぐ、良く手の入れられた豊かな林もあります。牧場で育てた駿馬や軍馬も自慢でしょう? 風を切って走る馬は美しいですよね。

その土地柄がマルスェイ様の得た資質に大いに関係していたと思うのです。

今一度、力を貸してくれていた存在と共生する意味を考えてみてください。そして、どんな力を望むのか、どう在りたいのかも」


サラドの声にマルスェイはトロリと微睡むように目を伏せた。故郷を思い浮かべたのかうっとりと口元をほころばせている。だが話の流れで今の身の上に思い至ったのか、表情が陰った。


「マルスェイ様に助力していた存在は決して貴方を見捨てた訳ではありません。けれど、その心の在り様と行動によっては、彼ら(ヽヽ)だって力を貸すこともできなくなります」


力なく地についていたマルスェイの手をサラドが下から掬うように掴んだ。マルスェイはビクッと体を震わし、しっかり握ろうと指に力を込めようとするも、その前に手は放された。するりと抜けて行く手を追いかけようとしてジャリッと土を掴む。


「もう約束を破らないようにお願いしますね」


「待って」と追い縋るようにサラドを見上げたが、無情にもマルスェイを置いてサラドはセアラの方へと向き直る。


「…兄さんは甘すぎるよ」


サラドはシルエに向かってバツが悪そうに微笑んだ。



 ジャックは混乱していた。

人相は正確に思い出せないが、導師の葬儀を前に声を掛けた白髪の男性を忘れたわけではない。誰とも馴れ合うことはせず、常に硬い表情をしていた導師の心を溶かした兄の存在は印象に残っている。サラドと目が合った際に軽く目礼されたことで「間違いない」と確信に至った。


背格好も動きの小さな癖も導師と見紛う治癒士と呼ばれる人物は今、どこか不遜な口調で、雰囲気も違う。時に尊大な態度をとることもあるが威厳に満ちていた導師とはまるで別人。

そのため、あの違和感は勘違いかと自分を疑った。導師の死を発見したのはジャックだ。他人の空似だとする方が普通だろう。

だが、導師が兄と呼んだ人物を「兄さん」と呼んでおり、端々にとてもよく似ていると感じる節があらわれる。

つい、じっと見つめてしまうが、当の治癒士はそんなジャックを気にも掛けない様子だった。



 目線を合わせるようにサラドがセアラの脇に膝をつく。


「セアラ」

「ぁ…い」


セアラは跪いたまま、事の成り行きを見守っていた。鎮魂の祈りは最後まで唱え切れていない。マルスェイの修行体験にはセアラもほんの少し責任を感じていたため、気になって集中が途切れてしまった。セアラにしては珍しい。


「セアラ、一つ頼まれてほしいんだけど」


 セアラはこくこくと頷いた。

喉はもうガラガラで声を出すのも辛い。次第に熱を帯びていった周囲の祈り声につられてセアラも知らぬ間に声量が大きくなった。それを何度となく繰り返したために、すっかり喉を痛めたらしい。


 サラドは子供たちの幽霊が出てきた場所に遺されているであろう骨を丁重に埋葬するように神官へ言伝を頼んだ。セアラには見習いの身分があるので鼻であしらわれることもないだろうと期待して。

サラドも祈りは捧げたが、捨てられたも同然のあんな場所に放置はしたくない。

セアラはサラドの依頼にぎゅっと眉を八の字に下げて、力強くこくんと頷く。


「それならば、私も口添えをいたします」


名乗りを上げたジャックにサラドはにこりと笑んで「お願いします」と頭を下げた。


「それで、そこの、その骨は一体…」


 そろそろ全ての骨を包み終えるノアラとディネウと作業に加わっているニナにジャックは目を向けた。


「君も見ただろう? 副神殿長らに呪いをぶつけに来た暗い色の霊たちを。その体さ。裏の廃棄場から甦った。彼らは魔術師。魔術を異端とみなす神殿とは関係なさそうな魔術師がなぜここで非業の最期を迎えたのか。今頃、礼拝堂では騒がれているかな? それともまた有耶無耶にする気かな?」


皮肉っぽく答えたのはシルエだ。これまでのどこかマルスェイを揶揄するような軽い態度は鳴りを潜めた。声もぐっと低い。


「あの…、それでしたら白い子供たちの霊は…」


ジャックの顔見知りもたくさんいた子供姿の幽霊。その答えを知る覚悟があるのか、聞いてからジャックは急に怖くなった。


「…彼らもなぜ短い人生を終えねばならなかったのか。悍ましい事実を僕がここで明らかにしても意味がない。信賞必罰を望むよ。…これも然るべき立場にある神官に伝わるようにしてくれ。いち兵士である君には荷が勝つかもしれないが、頼む」


自嘲めいた声音は深い後悔が滲んでる。導師の声を最後に聞いた儀式の場が思い出されて、ジャックは寒気立った。


「ジャックよ、あらましを知った後、一度聖都を出ることを勧める。聖都は狭く、特殊な町だ。まだ若いし、君がここに縛られるのは勿体ない。今までは聖都から離れるという選択肢がなかったのだろうが、外の世界を見てみるべきだ。その経験を以て聖都に戻ることを選ぶとしたら、それもいいだろう」


壁の陰の中、木々の枝から差す光と影が交互に視界をチラチラして、治癒士の顔立ちも表情も殆ど見えない。その声に導師が語りかける姿が脳裏に補完され、ジャックは「はい」と返事をしていた。



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