174 弔う心
「ニナ、もうひとつ聞きたいんだけど、神殿にやってきた幽霊に心当たりはある? 王配殿下に挨拶をしようとしていて…」
灰色の幽霊がしていた胸に手を当てる仕草は、癖ではないやや不自然な指の角度で揃えられていた。見る者が見ればわかる、そんな些細であり、手指に負担があるそれを再現して見せたサラドにニナが顔を顰める。その忠誠の示し方は王配もしくは上官と特殊部隊員との間でしか行われない。絶対的な服従の精神と共に徹底して教え込まれたもの。
「特殊部隊員だ。間違いない。服も…訓練生と同じだった」
「…そうか。やっぱり」
サラドが眉を下げて目を伏せる。口の中で何事かを呟いた。
「彼らの体がどこにあるかは…知らない?」
「…訓練後に大きくて重くて血生臭い麻袋を運ばされたことがある。王都の裏手の林、その奥にある沼に捨ててこい、と」
「沼に…。急がないと…」
王都がある方角を見るサラドの目が俄に厳しくなる。責められた訳でもないのにニナは心が落ち着かなくなった。
「…沼には雑食…死肉を好んで食べる小魚が住んでいるんだ。屠畜の残骸だと説明されていたが、そうじゃないのなんて気付いていた。でも、命令通りにするしかなかった…」
サラドの手が優しく背を撫でる。いつもなら体の接触からすぐ逃げるニナも、この時はしばしその手に甘えた。ニナに比べて大きくて骨張った手は男性特有のものだが、恐怖も嫌悪もまるでなく、むしろ温かい。
魔人に目を付けられなければ特殊部隊に連れて行かれることもなかっただろうが、その力なくしてはニナ自身が早い段階で麻袋の中身に成り果てていただろう。そう思うと自分のことでいっぱいいっぱいで仲間意識もなかった者に複雑な思いが浮かんだ。
もう、不気味な存在感を放って立つ骸骨はいない。ノアラは小さな欠片ひとつ見落とさないように骨を一人分ずつまとめ、そうしてできた山をディネウが布で包んでいっている。
「骨が出てきたのはこれより先か?」
「ハイッ、裏にある廃棄場です」
命令に慣れた声音にニナは反射的に上官に対するように姿勢を正した。シルエは鷹揚に頷き、すたすたと奥地に向かう。サラドもニナに目配せをしてその後を追った。
大きな背中を丸めて屈み、作業にあたるディネウをそろりと見て、ニナはまとめられた骨の山のひとつに近付いた。軽く頭を下げてから布の上に移していく。
小さな骨を持ち上げた際にコロリと指輪が転がり出た。目立つ宝石もないため捨て置かれたのだろうか。その指輪もそっと髑髏の前に置く。指輪には変わった文様が彫られている。これが縁となり個人を特定できると良い、とこっそり願った。そうすれば悲しい結果であれ、帰りを告げることができるから。
ひとつ包み終えたディネウがそれを籠に入れるついでにニナの背をバシリと叩いていった。必要以上の強い力に「ぐえっ」と訓練でのされた時のような呻き声が漏れる。ディネウは無言だが、ここで作業に加わることを認められたように感じてニナは安堵した。
移動して布を広げ、髑髏にぺこっと頭を下げた時、ニナは近付く人の気配に振り返った。やれやれといった調子で立ち上がりかけたディネウよりも早く動き、走り出す。ディネウはその背中を黙って見送り、作業を再開したのでニナは任されたと判断した。
聖都の裏側で光の柱が立った。
壁が落とす陰の中、肩を並べて走っていたショノアとジャックと宿場町に雇われていた傭兵の一人は、瞬間的な明るさで目眩に似た錯覚を起こし、足を止めた。セアラとマルスェイは少し後方を懸命に走っている。
「今のは…」
息を整えて顔を見合わせる。もう何度か目にしている奇蹟の光。あの強さで発せられたということはそこで浄化が行われたと考えて間違いないだろう。
「導師様…」
ジャックは光った方角を見上げて知らず手を組んだ。護衛として側にいたが心は許されていなかった。導師にとってジャックは聖騎士の護衛同様に監視役と思われていたのだろう。寄り添える存在になり得なかった自身を悔やむ。
「導師様以外にあれ程の奇蹟を持つ方がいるとは…」
礼拝堂内を満たした波のような光は柔らかく温かだった。今の光の柱は少々荒々しさも感じられた。
「おい」
ショノアの行く手を阻むようにニナが立ち塞がった。
「ニナ! 追い付いて良かった。動き出した骨というのはこの先か?」
「それはあの人たちが止めてくれた。邪魔はしない方がいい。引き返せ」
「何故だ? 俺たちが邪魔などするわけがないだろう」
ショノアは自分たちがその場に行くこと自体が妨害になるなど露程も思っていないらしい。
「それならば、下がろう。アニキたちなら問題ないはずだ。おれたちは人々の混乱と不安を解く方に注力しよう」
ここまでショノアたちと一緒に来た傭兵は退くよう促す。一度、骸骨の進軍を偵察に来た傭兵はその現場に向かおうとするショノアらを止めきれず、見張りも兼ねて同行したのだった。
ニナが蠢く骨の目撃証言をした時、ショノアは傭兵や自警団員に避難誘導を急ぐよう頼んだ。万が一のことを想定すればセアラの側を離れるつもりはなく、土地勘もある彼らに委ねることが最良だと思えた。
顔を半分隠すという怪しい雰囲気があり、周囲の人とは違う行動をしていたニナを疑う者もいた。ただでさえゴーストの出現で大騒ぎなのに、さらなる混乱を招こうとしている、と。
ニナの言を信用するべきと声を上げたのは傭兵だ。
どちらにしても人々を安全に避難させねばならない状況ではある。徒に不安を仰ぐ物言いはせず、ニナが示す方面に人が流れないように指示を飛ばした。
走り去ったニナをショノアたちも追うとしたが、興奮気味の熱心な信徒らに囲まれ、なかなか抜け出せなくなっていた。それはジャックも同じだった。礼拝堂で何が起きていたのか根掘り葉掘り質問攻めにあう。動けないこともあるが、興味もあってショノアはついその話に耳を傾けた。
ジャックが導師の護衛であったことを知ると、生前の様子、為人、奇蹟の実力の程度、英雄の治癒士とは別人なのか、と四方八方からますます熱を帯びた質問が飛ぶ。
そのためにすっかり遅れをとってしまったのだった。
「ニ…ナは、ぜぇ、いつから…ハァ、ハァ、英雄たち…と知り…合い…に?」
漸く追い付いたマルスェイに問われ、ニナは心底面倒くさそうに目を眇めた。修行体験後、食事も満足に摂らず、睡眠は不規則、昼はやさぐれてゴロゴロしていたマルスェイは息も絶え絶えだった。
「知り合いなわけではない。ただ案内を頼まれただけだ」
ニナは舌打ちをして嫌そうに返事をした。
「英雄…?」
疑問を返すジャックにマルスェイは目を丸くする。
「ふぅ…ハァ…。まさか、英雄を知らないと? 導師殿が英雄の治癒士であるという噂は聖都では禁句だったか」
「確かに神殿はその関係性を否定しています。ですが、巷で噂されていたのは存じております」
ジャックは〝夜明けの日〟後、聖都に保護された遺児だった。その中でも年長の方だが、あの日のことはうっすらとしか覚えていない。
聖都の養護院では読み書きや計算をはじめ、裁縫や剣術など様々な基礎が学べた。子供たちはその能力や得意分野を判じられて養子先や徒弟先が決められていく。運動神経に長けた子の多くは王都で兵士になる訓練と試験を受けるよう斡旋される中で、ジャックは聖都を守る兵士になるように薦められたのだった。
吟遊詩人が訪れることもあまりなく、ここで歌われるのは信心に基づく伝承など。英雄譚を歌うことは憚られる雰囲気がある。町に流れる音楽と言えば聖歌くらいで、道楽の少ない聖都は子供にとっては刺激の少ない町だ。
保護されてからほぼ聖都を出たことのないジャックが世事や流行り物に疎いのは否めない。
先程礼拝堂に乱入しゴーストを見事撃退した、黒い毛皮を腰に巻いた剣士と藍色の長衣姿の魔術師、そして導師と所作が似ていた淡い灰色のマントを着た治癒士をジャックは思い浮かべた。
「…あの方々が英雄? もっと年上なのかと思っていました」
何故かマルスェイが得意気に首肯する。
「最強の傭兵と偉大な魔術師と稀代の治癒士。間違いなかろう」
「おい、やめないか」
傭兵がマルスェイの肩を乱暴に掴んだ。揺すられてふらついたマルスェイはニナの肩越しに藍色の衣が見えると驚くべき瞬発力をみせた。それまでのよろよろ具合が嘘のように力強く地を蹴る。
制止するために横に伸ばした腕を払われニナが舌打ちをした。如何に鍛えて体幹がしっかりしていてもニナの体重は軽く、男性の腕力や体格差を前にしたら分が悪い。
「待て! マルスェイ」
マルスェイが遠目に見据えたノアラに大して近付きもしないうちに、ディネウに鞘ごとの剣で遮られたのと、ニナに引き倒す勢いで後方から服を掴まれたのと、サラドが空から降るように目の前に立ったのは同時だった。
よろけたマルスェイの足がまとめられた骨を蹴飛ばして崩し、髑髏がコロリと転がった。その眼窩はマルスェイを睨むかのように上を向いて止まった。
「あ…」
「マルスェイ様、約束したでしょう? 今後、彼に迫るような真似はしない、と」
これまで煽っても機嫌を損ねることのなかったサラドの強く咎めるような声にマルスェイは薄い青色の瞳を小刻みに揺らした。
「あ…、私は、その」
鞘で打たれジンジンと痛む腕をさすり、二、三歩退く。その背後からニナがサッと身を引いたため、マルスェイはそのまま尻もちをついた。