173 故郷に帰したい
行く手を阻む人集りに、ディネウが舌打ちをした。
見物人が消えた代わりに、壁を越えて本神殿の大きな扉の前は祈りの姿勢をとる旅装の者で溢れている。彼らは聖都の外で雨雲から落ちてきた灰色の幽霊を鎮めようと祈りに加わった、他国の神官や巡礼者を中心とした熱心な信徒だ。
律儀にも屋内へは侵入しない彼らをどう処遇していいかわからず守衛の兵士はまごついている。
扉脇に控えていた聖騎士は倒れたまま。外傷は見当たらないので、ゴーストに瞬間的に生気を奪われた衝撃で気を失ったのだろう。命に別状はない。そう視診したシルエは何の手も施さなかった。
「道、空けてくれ」
数段しかない階段に足を降ろし、ディネウが手を軽く振って人垣を割る。シルエの放った光の奔流にあてられ、膝をつき胸前で手を組んだまま陶然としていた信徒は、のろのろとしてなかなか動けない。足の置き場を確保しようと苦心しているうちに、ざわめきが広がっていく。
人垣の中心部にはセアラと、彼女を守るように半歩後方に背中を向けて立つショノアとマルスェイもいる。ショノアは振り返って三人の姿を見て取ると軽く目礼をした。はっと息を呑んだマルスェイの肩を掴んで制することも忘れない。ディネウもショノアに気付いたが当然のように無視した。
「待ってください!」
「あ?」
呼び止める声にディネウが憮然とした声を漏らすと、息急き切ったジャックが「あ…」と小さく呟いた。
「何だ? 用があるんじゃないのか?」
ディネウの視線を真っ直ぐに受けたジャックは急激に頭が冷えてきて、突き出した手をそろそろと下げた。護衛対象であった導師の霊の出現にも天に帰る様にも驚倒した。そればかりでなく、シルエの佇まいや歩き方の小さな癖が別人とは思えないほど導師と重なり、頭が混乱していた。無我夢中で追いかけてきてしまったが何と声をかけてよいかわからない。
「あの…、その、すみません」
ジャックはディネウの威圧に堪えかねて一歩後退った。そろりとシルエの顔を覗う。まるで無関心なのか、ジャックに顔も向けない。
目深に被ったフードと、光の反射でその表情はおろか顔立ちもよく見えない。
「用がねぇなら、行くぞ」
ジャックと遣り取りしている間に、我に返り立ち上がった信徒は道を譲るどころか距離を詰めていた。扇状に並んでいた人垣は崩れ、押しあい圧しあい状態になり、不躾な視線が集中する。
「あ…貴方はもしや治癒士殿…? では導師殿は…」
最前列にいた者には扉から真っ直ぐ奥にある祭壇前で繰り広げられていた事態が覗き見えた。そこでシルエと導師の霊が向かい合っていた姿も目にしている。導師と治癒士が同一人物であると思っていた者は多いため、動揺が隠せない。
シルエは誰何をしてきた者を一瞥しただけで、応えは返さなかった。魔人の痕跡を術で探っているノアラも人前で不可視の術を発動するわけにもいかず、居心地が悪そうにしている。
「ちっ」
一向に前に進めないことに苛立ってディネウが再び舌打ちした。目の前の信徒がその不機嫌さにビクリと体を震わす。
「あの、アンタに…」
人垣の向こうで、自警団員に腕を取られたニナが普段では考えられないくらいの声を張った。ぎゅうぎゅうと詰める人からセアラを守って抜け出そうと身を捩っていたショノアも驚いた顔をした。
「なんだ?」
「…」
先程の声が嘘のようにニナは俯いた。
「おれが代わりに答えます。彼が聖都の裏で動く骨を見たとのことです。人々は避難させました。この方々は祈りながらゴーストを追ってここまで」
「ああ、さっきの気はそれか…」
自警団員の説明にシルエがコツリと杖の先端で額を突いて思案した。
「それが彼らの骨なら一部であっても里に帰してやりたい」
「そうだね。残っていたら、だけど。最終的な浄化は故郷でできると…いいよね」
*シルエ…ありがとう*
珍しくもはっきりと望みを口にしたノアラにシルエは同意を示した。脳裏にサラドの嬉しそうな声が届く。
「そうか。案内しろ」
ディネウの指示にニナが頷き、自警団員の手を振り払って門外へ小走りで向かう。
それまでも凄みのある口調ではあったが今度は怒気もはらんだ声で「道、空けろ」とディネウが言えば、信徒たちはそそっと身を退いた。
「あっ、おれも同行します」
「いや、お前は引き続き警護を頼む。まだまだ落ち着かねぇだろうからな」
「えっ、ですが…」
「…疑っていたのかもしれねぇが、あのちっこいのは全く知らないヤツじゃない。おかしな気配はコイツも感じ取ってる。心配すんな」
ディネウに肩をポンポンと叩かれ、自警団員はグッと言葉を呑み込んだ。
各門と広場を繋ぐ主な道には脱げた靴や落ちた荷が散乱し、商店の軒先は壊れ、家の前を飾っていた植木鉢は無惨に割れていた。避難場所となった宿泊施設からは怯える声が漏れ聞こえる。
町中にいるのは人の誘導を終え、警戒にあたっている兵士や自警団のみ。聖都の中で自警団が幅を利かせていることに聖騎士らは面白くなさそうにしているが、混迷する人の流れで大惨事にならなかったのは彼らの助力があったからで、強い態度に出られない。
沿道に詰めかけていた見物人は宿場町まで下がり、固唾を呑んでこちらの様子を窺っている。渋滞していた馬車も後方から順に迂回路へ逃げさせてあった。どちらにも傭兵や自警団員がついて守っている。
ニナは牆壁沿いに裏手へと急ぐ。振り返らずとも威圧的なディネウや自分如きでは敵いようのない強者の気配が背後に感じ取れる。
それに、彼らならば案内などせずとも問題なく場所を特定できるであろうことをニナは知っている。だとすれば、証言に疑惑を持たれていたニナをディネウは擁護してくれたのか。そう考えてニナは小さく首を振った。
ずんずんと進む。喧騒は遠離り、高い壁が落とす陰が濃くなった辺りでニナはピタと足を止めた。
その先で立ち尽くすモノと無言で睨み合う。何本かは抜けがあるかもしれないが、ほぼ人の姿をした骸骨の軍。古戦場から出て来た寄せ集めの集合体とは違い、髑髏の形や身長に個体差があるのがわかる。
「さっきの術で動きが封じられてるね」
トンッと杖を突いてシルエがニナの横に並ぶ。
魔人に唆されゴーストとなった魂は強い呪詛を吐いていたが、死霊術で仮初めの力を得た骸骨に自らを動かし続ける怨念はない。ただ使い捨ての戦力として利用されている。
「人を傷付けることも、傷付けられることもなくて良かった。ニナ、ありがとう」
シルエとは逆側を今の今まで感じ取れなかった気配に挟まれ、ギョッとしたのも束の間、労うように肩に手を置いた人物を見上げ、ニナはほっと息を漏らした。
「あんた…いつの間に」
サラドがにこっと微笑んだ。
「ニナ、闇の精霊との仲は良好みたいだね。魔力の巡りも上手になっている。今回は魔人にも見つからなかったろ? いい調子だ」
「そうか…。ちゃんと隠れられたんだ…」
ニナがちょっと照れくさそうに頷いた。サラドも「うん」と肯定する。
「それでね、ニナ、頼まれてくれないかな。これくらいの大きさの布を集めて来てほしいんだ」
サラドは荷物から出した布を広げて見せた。先頭にいる骸骨に静かに近付き、握手をするようにその手を取る。骨と骨を繋いでいた力を失ったようにガシャンと崩れ、地に散らばった骸骨を丁寧に集め、その布に包む。
使い道を理解したニナはざっと骸骨が何体いるか確認すると、宿場町へ取って返した。
ニナが求められた布を調達して戻って来た時には丁寧にまとめた骨の山が幾つもできあがっていた。手分けしてサラドとシルエが死霊術から解き放ち、物言わぬ骸に戻った骨をディネウとノアラが個々で束ねている。
髑髏の眼窩がじっとこちらを見ているような錯覚を覚えた。
「ありがとう。早かったね。助かるよ。しかも真新しい布だ」
「…きれいな方がいいかと」
「うん。きっと彼らも喜ぶ」
ニナは宿場町の土産屋で売られている型抜き染めの比較的安価な荷包み用の木綿を持ってきた。なんとなく神殿やその意匠が描かれている商品は避け、蔦や花、山の風景、幾何学模様といった一般的な柄を選んだ。荷運び用にと大きめの背負い籠を渡すと、「ニナは本当に目端が利くね」と褒められ、むずがゆくなる。
「そうだ、お金、渡してなかったけど、幾らだった?」
「必要ない」
懐や腰提げ鞄をゴソゴソと弄って硬貨を探すサラドにニナはばつが悪そうにフイッと顔を背けた。
「え…、でも。ん? まさか」
「違う!」
宿場町でも宿や家屋に逃げ込むか、聖都の街門前を観察できる場所に人々は群がっていた。商店主が留守の所からニナは持ってきたのだった。正確な代金はわからないが、小銭を隠れる場所に置いてきている。但し、土産物なら同類商品の市価より上乗せされた額だろうから、足りていないという後ろめたさはあった。
「なら、ちゃんと受け取って」
ニナの片手をサラドが両手で包み、硬貨を握らせる。手の中がズシリと重くなり、チャリという音がした。