172 鎮まる
導師の幻影を纏ったサラドと三人それぞれの間を風が八の字に繋ぐ。風の精霊の力を借りた他を遮断する会話術だ。
*彼らの嘆きは…*
悔しげなサラドの声が頭の中に聞こえる。口にするのが憚れるのか、一呼吸の後、意を決するように息を吐き、代弁した。
*彼らは
『騙したな』
『魔術との融和を望むというから協力したのに』
『ありったけの魔力を絞り取り、果てに殺した…』
と言って呪っている*
*うわっ。最悪*
口で喋るように明確に会話文を頭に浮かべるのが苦手なディネウは「あー…」と声を出したきり、口を閉じて頭をガシガシと掻いた。
*許せない。何をされたのかはその言葉だけで想像がつく。彼らを里に帰してあげたい。サラド、何とか…頼む*
ノアラは無口だが、心の中はそうとも限らず、こちらの方が会話が円滑なくらいだ。
差し伸べたサラドの手を拒むようにローブ姿の幽霊は副神殿長らと距離を詰め、『許さない』『許さない』とその衣の裾を揺らす。
ぐるぐると取り巻く呪詛に阻まれ、サラドの声は届かない。
杖を掴んだ左手に右の手の平を添え、シルエは暫し思案した。ノアラも望むように、サラドは何とかしてこの場に集結した魂を救済したいと願っているだろう。
シルエの見立てでは怨霊化した彼らの行き着く先に救いはなく、せめてできるのは苦しみを長引かせないこと。
不死者をこの世に留めさせる念と力を強制的に断ち切る術をいつでも発動できるようにして、チラと導師の姿をしたサラドを窺う。
*待って。シルエ、お願いだ。もう一回だけ。このままだと彼らは永遠に消滅してしまう*
シルエは少し前までの己の姿と向き合い、ソワっとする気恥ずかしさを感じた。シルエが意図して作り上げた不健康で険しい導師の姿をしていながらそこから漂う雰囲気は優しさ。無慈悲な光を放つ者のそれではない。
構えは解かず、頷いた。
*なるべく弱く、長く術を継続してみる。それがサラドの歌に乗って、彼らに届くと良いんだけど*
*ありがとう。シルエ*
導師の顔がへにゃと笑んだ。こんな表情を導師はしないのに。
シルエが構えた杖にサラドが手を添える。ノアラも顔前に指先でクルッと円を描き、手指の動きで図や文字を足し、音の効果と範囲を拡げる術を練った。
再び歌われる鎮魂歌。厳かでいて、切なくも優しく。死者を敬い悼む。
王配の前にズラリとできた列が乱れ、灰色の幽霊が重い足を引きずってサラドに向かい出した。その道なりにべちゃべちゃと黒い水が溜まっていく。
ローブ姿の幽霊も呪詛を吐くのを止め、ゆら、ゆらと揺れだした。張っていた肩から力が抜け、暗い色の布がはためいているだけにも見える。
再びぽつぽつと小さな光の粒が現れ、惑う幽霊の周囲をふわふわと舞う。「一緒に行こうよ」と誘っているかのように。
その導きによって、昏きを破って内から光が弾け泡沫と消えていく幽霊たち。
残るは少数。
絶対に放さないとでもいうように神官の足に腕をからめる子供。王配に執着し、足元に平伏したり、指輪に口づけたまま動かない重傷の特殊部隊員。千切れたローブの胸の部分に開いた風穴から血を流し続ける魔術師…。
怨恨を捨てられず、この世にしがみつくモノ。
突然、ギャンとジャンの間のような不協和音が響き渡り、とてつもない重圧が場を制した。ミシリと石の壁と柱が軋む。
残っていた昏い色に染まった幽霊が地の底に引き摺り込まれていく。今の今まで無言だったのに耳をつんざく断末魔を上げていた。
――約束通り、これらは連れて行く。なに、これだけ抵抗する胆力があるからには、良い働きをしてくれるだろう
サラドには聞こえる悪魔の声。「待って」と引き留めかけて、俯き、唇を噛んだ。悪魔の声はそれきりで、耳が痛む程の圧もすぐに解かれた。
忠誠を誓う幽霊から解放された王配はドサリとその場に尻を着く。両耳を塞いだせいで引き攣った片顔が露わになった。紳士らしさの欠片もない歪んだ顔は外交用の笑みをつくるのは難しいだろう。
これで、礼拝堂に残る幽霊は二体。
一体だけ残ったローブ姿の幽霊は顔があるはずの場所に開いた昏い二つの穴から血の涙を流している。
――みんなを巻き添えにしてしまった。里に帰って賛同者を募らなければ…。里にはない信仰を尊ぶ神殿が魔術を異端としているのは聞いていたのに。総本山の聖都ではその偏見を取り払い、手を取り合うことを望んでいると、暮らしを豊かにする研究をしたいという話を信じてしまった。騙されているとも知らず、みんなを…
その幽霊がサラドの前で揺らめきながら吐き出すのは呪詛ではなく、深い深い悔恨だった。
それに返す言葉をサラドは持っていない。ただゆるりと手を広げ、中身のなさそうなローブの肩を軽く抱き込む。
幽霊はサラドの腕の中で小さく小さく萎んでいき、弱い弱い光が一瞬だけ閃いて消えた。
最後に残った幽霊、導師の目から涙が一筋落ちた。その姿はぐらぐらと形が歪み出している。涙を拭おうとシルエが手を頬に伸ばした時、柔らかな光が天井に抜け、導師の姿はフッと消え失せた。
*ありがとう。ノアラ。幻影を保つのも限界に近かったから助かった*
サラドに不可視をかけたノアラがこくりと頷く。
*ねぇ、シルエ。この罰は…止められるんだろう?*
*できるけど…。そもそもちゃんと己の罪と向き合っていれば治まっているはずだからね。僕が意図して長引かせているんじゃないよ*
サラドが何を言いたいのか察したシルエが「ふんっ」と鼻息を出す。
*彼らがしたことは許されざること。でも…長く続く苦しみは感覚を麻痺させる。その因果関係も忘れ、自分の都合の良い方へ記憶を改竄し、憎悪を向ける。さっきの導師を見る目は…そういうことだった。
シルエは導師と同一視されるのは納得できないかもしれないけど、オレはやっぱり…導師が嫌われたり悪く言われたり憎まれたりするのはイヤだな。だって導師の言動の核なる部分はシルエで、頑張っていたのを知っているから*
*僕はサラドがそう言ってくれるだけで充分だよ。副神殿長が作り上げた導師が悪者と見られたって別に構わない*
シルエが照れながらもプイッと顔を背けた。
*なんだ、ほれ、あー…。自分の非を認めない…っていうか自分が悪いって思ってないヤツらが罰を受けた所で、その、その後どんな行動を取ったか、前にも見てきただろ? いっそ、解いて現実を突き付けた方が良いんじゃねぇの*
ディネウが苦手ながらも言葉を繋ぐ。罰を受けているために、それ以上の追求はされず、安全な場所で厚遇されていることにディネウも思うところはあるらしい。
*あそこにいる者たちは導師と志を同じくして罪を被り他を守ったと神聖視されている。事実とは真逆だ。悪霊が易々と入り込んだなど、確たる結界に守られた聖地であるとの評判にも傷が付く。今回の騒動も醜聞を避けるために、また同じような逸話にされかねない。鎮魂を、救われるべき迷える霊を呼び寄せたのは自分たちで、その高潔さに導師の魂も応じてこの地に降り、浄化した、とかなんとか、だ。
永遠に彼らの悪事が表沙汰になることはない。
もし情報統制が上手くいかなかった場合、今度は導師に全ての罪を被せるだろう。死人に口なし、だからな。シルエはそれでいいのか*
*ノアラまで~。なにさ、みんなして…。いいよ、もう…。どっちにしろ、こんだけのゴーストが集結した場所を浄化しないままなんて気持ち悪いからね。やるよ、やればいいんでしょ*
シルエは余り派手にはしないように弱めの力でコツッと床を杖で突いた。浄化の光が波のように広がっていき、礼拝堂内を満たしていく。
ゴーストの出現による闇は光に押し出され礼拝堂から払われた。その眩しさに目を細め、いまだ祈りを唱えていた者も「おおっ」と感嘆の声を漏らし、膝を折って黙祷する。
波は更に広がり続け、本神殿を囲む壁を越え、神殿の施設類を囲む壁も越え、聖都の牆壁さえも越えて、街道までを包む。かつて、導師が結界を張っていた範囲だ。
外縁で何やら引っかかりを感じたが、シルエは術を収めた。
*はいっ、お終い。もう行こ*
シルエは杖を降ろして、軽く肩を竦めた。一寸でも聖都に留まりたくないというように踵を返す。
去り際にディネウが神殿長にヅカヅカと詰め寄った。
「あの導師サマの幽霊が現れた意味を履き違えるなよ? これ以上、誤った判断を重ねるな。それじゃ、邪魔したな」
副神殿長らを顎で指し示し、ドスの利いた声で言いたいことだけを言って、ディネウは後ろ手をはたはたと振った。緊張状態からの解放と、理解がついて行かない事態の連続に茫然としている群衆を残して、三人と不可視状態のサラドは堂々と後にする。威圧をかけるディネウに呼び止める者もいない。
背後から「痛みが消えた」と歓喜する声が聞こえてきたが、四人とも振り返りもしなかった。
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