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167 鈴の音に惹かれて

 近付き過ぎたアンデッドに剣を向けて牽制しつつ、真面目にも鈴を転がし続けているディネウの姿は滑稽ともいえる。緊迫感の欠片もなくシルエはくすくすと笑った。ドスの利いた声で「てめぇ!」と叫ばれ、ノアラに裾をクイッと引かれて、シルエは「はー…」と長く息を吐いて呼吸を整えた。


「はー。おかし…。ディネウ、ちょっと音、止めてみて」

「あ?」


イラッとした濁声を漏らすも、ディネウは素直に左手を握り込み鈴の音を止める。

アンデッドは余韻が消えるまで体を左右に揺らしていたが、ディネウが持つ剣を避けて、徐々にそれぞれ目に付いたものへと動き出した。


「鳴らしてー」

「ちっ」


舌打ちしつつも左手を開いて鈴を転がす。ボロンボロンと優しい低音が響く。

アンデッドは再び、ディネウを取り囲んだ。


「ふむ。思っていたのと違う効能になっているけど…、これはこれで…。とにかく歌の力を記憶させることが可能なのはわかった。よし、じゃあ…」


 今まで鈴の効果にやや興奮気味だったシルエはふと冷静になり、周囲を見回した。

鈴に記憶させた鎮魂歌に群がり、死出の旅への導きと弔いを待つ死者たち。

ディネウに群がるアンデッドは酷く元気のない者くらいにも見え、生者と区別がつきにくい。左右にゆっくり揺れる様は何かに焦れているみたいで哀愁さえある。

手を出さないよう指示を受けたのか、距離を保ち固唾を呑んで見守る傭兵たち。それでも何時でも飛びかかれるように構えてはいる。死者を弔おうとする神官の姿は見当たらない。


「…らしくないけど」


 ボロンと、哀惜と郷愁と優しさを持ち合わせる音が、感傷的な気分にさせる。

いつもであれば、死者や遺族のことなど考えず、二度と甦らないこと――再び死霊術に利用されないことを念頭に、一瞬で灰になる無慈悲なまでの光をお見舞いするところ。それを鈴の音が思い止まらせた。目を伏せると、鎮魂歌を歌うサラドが思い浮かぶ。

弱めにトンと杖を突き、死人(しびと)送りの祈りを省略せず紡ぐ。シルエは神官見習いの資格すら持っていないが、奇蹟の力の発露となる祈りの言葉は全て頭に入っている。

言葉は淀みなく、鈴の音、町に流れる水音、海の波音、それらと折り重なっていく。

やがて、シルエが天に向けた手の平をすっと上げると、柔らかな光が慈雨の如く降りそそぎ、甦りし者は静かに亡骸へ戻った。一度不死者となったものは屍で留められず、灰へと変じていく。


終いの言葉を結んだシルエにディネウは鈴を投げ渡した。顔の近くに飛んできた鈴をシルエは難なく掴む。ボロンとした音はどこか切ない。


「ごくろーさん」

「ん」


ぐりっと頭に置かれた手をシルエはペシッと払い除ける。言葉こそ軽いがディネウは常と違うシルエをからかうことはしなかった。



 アンデッドが消滅したことで恐る恐る兵たちが輪を縮めてきた。


「あの…もう、」


念のために索敵をし終えたシルエが悠然と頷く。


「死者を冒涜する邪なる気は祓われました」


 安堵と歓喜にわっと場が沸く。シルエは再び周囲を見回し、この場に神官も見習いも一人としていないのを改めて確認した。

私兵は雇われ先である持ち場を、土地勘のある衛兵は町中を守ることに注力し、この場に居合わせているのは主にアンデッドを追って来た傭兵たちと少数の衛兵、元より図書館等、公園奥の施設を守る数名の私兵。


「何故、弔いの祈りで死者を宥めようとしなかった? 神殿に報告はしていないのか?」


そんな訳はない。一例目は墓地での埋葬中、神官も立ち合っていたと聞いていて尚、態と尋ねる。

シルエの威厳とディネウの威嚇に気圧されて誰も口を開けない。沈黙に耐えかねて衛兵の一人がおずおずと一歩前に出た。


「あの…。我が町の神殿の責任者たる神官様は聖都の儀式に出席されるとのことで不在でして…。留守を預かる神官様はそのぅ…奇蹟はお持ちでなく…。神殿にはあと見習いの方と小間使いしかおらず…。ですから、そのぅ…協力はできかねると…」


シルエが吐いた大仰な溜め息に、責任感から伝えた衛兵は哀れにも体を震わせた。


「愚かな…。奇蹟の力を持たぬ者の祈りは無効だとでも言うのか。祈りとは心からの願いと誠意。覚悟もなく、この状況を捨て置き逃げるならば、神官職など辞してしまえ。…罪なき死者たちに安らかなる眠りを」

「お前らはよくやったよ。お陰で、最後は死者として葬ることができた」


兵たちは互いに顔を見合わせた。シルエの詰りが自分たちに向けてではないこと、ディネウの労いの言葉にほっと胸を撫で下ろす。


「まあ、灯台の町が無事で良かったぜ。大した損害もないみたいだしな。…憎たらしいがこの町が潰れると塩が出回らなくなる。そうしたら混乱は必至だからな」


 ディネウが御隠居の顔でも思い出したのか、苛立たしげに頭をバリバリと掻く。

灯台の町の塩産業は王国内の供給の大半を占める。この町の製塩が停止し、それが長引けば、必需品である塩の高騰や独占などに繋がるのは目に見えている。


「これを期に、他の製塩所の増設、増産を計画すべきだろうな」


商会の私兵はただ苦笑を浮かべた。


「悪いが俺たちは急ぐ。上にまだ話がついていなければ、傭兵たちに働きに見合った報酬を払うよう伝えてくれ。頼んだぞ」

「あっ、待って! アニキ」


呼び止めようとした傭兵がいたが、その時にはディネウとシルエはヴァンに跨り、走り出していた。


(あれ…?)


 首を傾けるように振り返ったシルエはアンデッドが残した灰がなくなっているような気がしたが、ヴァンの一足で風景は一瞬にして流れ去り、再確認することはなかった。


呆気にとられていた兵たちが正気を取り戻す前にそっと公園を離れ、人目のつかない場所に移動していたノアラと合流して、三人は聖都へ取って返した。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 


 後日談として。

アンデッドが襲った灯台の町を賑わした事柄が幾つかある。


 ひとつ。

アンデッドが町を徘徊中、戸の隙間から外の様子を覗っていた者たちの間で、「鞍はつけているが無人のやたら大きい、波打つたてがみをした馬を見た」とか、「いや、闇色の衣を纏った死神が乗っていた」とか、様々な目撃談がでたこと。


 ふたつ。

「五区の水路は祝福されている」と実しやかな噂が流布された。この水路から水を汲みたい人が別の区域からも殺到し、行列をつくる騒ぎに。富裕層が一番家賃の安かった五区の土地を望み、一時的に地価が崩れた。


 みっつ。

灯台の町一の財力を誇る商会は相当な吝嗇家で、町の有事にも出し渋ると悪評が出回った。

というのも、商会から傭兵へ寸志が配られたものの、かなりしょぼかったのだ。それは酒席の笑い話となってあちこちの傭兵仲間に広まった。報酬の払いが悪いのは信用問題にも繋がる。


あの時、御隠居と現商会長は要人が集まる聖都に商談の機会を見込み、外出中であった。そのため三代目が独断で傭兵への謝礼金を決めた。

謝礼はあくまで商会が雇用した私兵への助力に対して。

灯台の町は国の直轄地。防衛の責は商会にはないと示す必要がある。むしろ、町の危機に私兵を動員したことで国から褒賞が出て然るべきと。

金の使い所を見極めるように、祖父と父から口を酸っぱくして指導されていた三代目。早々に屋敷の奥に避難していた彼は、アンデッドの実体すら目にしていない。物的損害も人的被害も少なかった結果から、傭兵への謝礼はあの額が妥当だと判断したのだ。

しかし、他の有力者にアンデッド化の憂き目にあった遺族がおり、傭兵に金一封を渡していたのを知ったのは後のこと。そこにある差がまた笑い話を大袈裟にしたのだろう。

三代目は帰宅した祖父から大目玉を食らい、父からは「よい勉強になっただろう」と肩を叩かれたという。


不名誉な噂に加えて、塩の供給に対する懸念の話が衛兵から代官に上がり、国に買い上げられる塩の割合が見直されることになった。商会にとってはそれも大きな痛手だろう。


確かな治癒の力を持つ者の存在と、アンデッドを消滅させた光の話を耳にした御隠居はその人物の情報を求めたが、しばらくはおとなしくするしかなくなった。


 その話を聞いたサラドは

「大商会に成長した分、たくさんの従業員をはじめ、守るものが増えたんだろうね。付き合いのある人も見える景色も変わって…、手放したくないものもいっぱいで、必死なんだろうね」

と少し寂しそうに言い、

「どこにそんないい話風の要素があった?」とディネウが呆れたのであった。



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ありがとうございます!


٩(ˊᗜˋ*)و”


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