166 治癒する者の矜持
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集会所の扉が開かれると、新たに来た人物を確認しようと一斉に人々が振り仰ぐ。その怯えた表情。兵士だとわかると安心したようにまた俯いた。アンデッドの唸り声はここまで届かないが、耳を塞いでいる者もいる。
シルエはまず建物内を一周見て廻った。長椅子に腰掛けているのは、転んだ際の打ち身や捻挫、擦り傷を負った者。またはその付き添いの者。重傷者は見当たらない。
広間の角、衝立の向こうに設置された即席の寝台で横たわる者を覗くと片眉が僅かに跳ね上がった。ディネウが危惧した通りに毒の影響で額に玉の汗を浮かべ魘されている。
「怪我人はこれで全部? …一日半って言ってたっけ。この程度の被害によく抑えたね」
想定外の事態に不安を押し殺していた衛兵も私兵も、褒められたことで張り詰めていたものが弛緩した。目に見えて肩の力や顔の強張りが抜けて行く。
「は、ハイッ! ありがとうございます! 本当にこのままではどうなることかと…」
「案内、ご苦労さま。町の警護に戻ってくれて構わない」
「えっ、ですが…」
「見たところ、ここは一人で問題ない。力仕事も今は必要なさそうだし」
シルエは言外に「出て行け」と伝えた。シルエの名を口にしなかったディネウの意図を汲めば、この二人に付きまとわれた状態で高度な奇蹟の行使は避けたい。
扉まで押し返され「市民を守れ」と強めに言われて衛兵と私兵は渋々外に出て行った。
真っ先に衝立で区切られた場所に向かい「失礼する」とひと声掛ける。
「貴方はこの人の身内?」
枕元に座し、額の脂汗を丁寧に拭っていた人が頷く。その人も顔色が悪く疲れ切っている。
「悪いが場所を代わってくれるだろうか。治癒を行う。桶の水を替えて来てもらえると助かる。汗が酷いので用意できるなら着替えも」
「はい…」
治癒という言葉に少しだけ期待のこもった目を上げると、シルエに場所を明け渡し、ふらふらと衝立の向こうへ消えていった。
シルエはその背中を見送り、患者と向き合った。アンデッドを止めようとして倒れた人は遺族だと聞く。ということは、先程の人も親族だろう。その心労は幾許か。
人払いができたところで、シルエは解毒と軽い治癒を施した。土気色だった顔色は戻り、呼吸も安定する。解毒ができるくらいの奇蹟を扱える神官は少ないが、患者は目覚めてもまだ意識は混濁しているし、シルエの手によるものか、治癒と自然回復によるものか判別できる者はいないであろう。
傷は浅い。毒の後遺症はもう心配ないため放っておいても直に治りそうだが、治癒で体の回復機能を高めたので、経過が良くなり、痕も残りにくくなったはず。
桶に水を張ってきた身内に「あとは安静に。貴方も、それが済んだら休みなさい」と伝えた。まだ快方に気付いていない身内は力なく頷いた。
他の怪我人も同様に、数日の療養で済むように治癒していく。ほわっとした光は目眩か何かと錯覚するくらいに一瞬の閃き。初めて治癒の光を経験した人も多く、一様に感激していた。感謝の言葉と共に受けた「どちらの神官様でしょうか」という質問にシルエはただ慈愛の笑みを返した。
このまま即、戦闘に戻るような立場でなければ、快癒させずとも回復しようとする体を補助するので充分。「根治させる力があるのに」と疑問を抱かれても、シルエはこの持論を改めるつもりはない。
一刻も早く痛みから解放されて楽になりたい気持ちは理解できる。だが、それは無責任な言い分だ。
何度となくシルエの術を受けて、ある意味で鍛えられた体にでもなっていない限り、過ぎた治癒は危険。普通は時間をかけて治っていくのを無理に早めるのだから、治癒される側の体にも相応の負担がかかる行為だということを知らない者が多すぎる。
まるで何もなかったかのように治してしまうことは、却って人の感覚を狂わす。正常な機能回復のためにも、怪我や病の自認はあった方がいい。だからこそ余程の非常事態でない限り、状態を確認して必要な治癒を見極めるのを基本とする。小さな傷や不調は治癒するまでもないと拒否することだってある。
故郷の村にいた頃、薬師のマーサからは、『医師や薬師は病や傷を前にして、貴賤や善悪に関わらず、等しく命の尊厳を守る』のが理念だと教わった。
「サラドに嫌なことを言うヤツや、悪いことをして自業自得の場合も?」と納得できない顔をしたシルエにマーサはちょっと気難しい顔をしただけだった。
マーサは結局、村から旅立つことになるまで、シルエには扱いの難しい薬草や毒については教授してくれなかった。「まだ早い。もう少し成長してから」と言っていたが、サラドはシルエと同じ歳の頃にはマーサの助手をしていたように記憶している。
仲間以外に情を傾けても馬鹿を見るだけ。まだ子供だと侮られ、下心満載で擦り寄られ…。
あまりに横柄な態度をとられ診断を投げ出したくなった時も、
不承不承に全体にまとめて治癒をかけた時も、
サラドに対して容認できない言動をとる者を無視した時も、
あったことは否めない。
思えばマーサはシルエの性格を見抜き、時に危うくなる倫理観に不安を抱いていたのかもしれない。
神官もまた罪人だろうと祈る者には手を差し伸べる。「やはり自分には無理だな」とシルエは己の心の矮小さに心中で溜め息を吐いた。そのどちらにもなれはしない、なろうとも思わない。
その昔、神官ではないと否定したことから治癒士と呼ばれるようになったが、それだってシルエが自ら名乗ったわけではない。
(僕はサラドの弟。その補助をする者…それだけ。邪魔になる肩書きなんかいらない)
一通り治癒を終えたシルエは集会所を出た。扉の前を警備している兵に連絡役の衛兵と私兵も加わっている。随行を申し出られたが、シルエは断って迷いのない足取りでスタスタと歩き出した。追尾を撒くのはわけない。
水路を遡り、例の取水口に腕を突っ込み、手探りで貝を取り出す。水から上げるとポワリと灯っていた光が失せ、せせらぎが小さくなった。
白地に緑の斑模様の石と緑色の結晶の破片、二種類が嵌め込まれた扇形の白い貝。欠けなど損傷はなく問題なく稼働しているのを確認すると、シルエは再びそれに魔力を流して、奥にしっかりと設置した。
「水の恵みに感謝を。光が人々の暮らしを優しく照らしますように」
冬を迎え、水路を流れる水は取水口の勢いもあってかなり冷たい。ジンと痺れた指先を振って水気を切っていると、ヴァンに跨がったノアラが迎えに来た。
「アンデッドを一箇所に引き付けた」
「へぇ、早かったね。ディネウは?」
「鈴を持って囮に」
「ん? 囮って、どういうこと?」
ノアラはヴァンに乗り、鈴を鳴らしながら路地を駈け回った。町の外周から公園の開けた場所へ、アンデッドを徐々に引き付けていく。手綱を繰り、音の術を保ち、アンデッドの動向を観察する。それらに集中するためには不可視を解かざるを得ない。ヴァンの足は速いし、馬上はかなり高くなるため、ノアラの姿に注目が集まることはなかったが、ディネウは町中に散らばった兵士たちの目を引き付けて誘導し、ノアラが移動し易いように補助した。
「アンデッドは鈴の音で一旦、動きを止める」
「ふんふん。それで?」
「立ち往生の状態が暫く続いたが、また動き出したので、やはり明確な効果はないのかと思ったが…」
「が?」
シルエは鈴の効果の有無について早く知りたくてノアラに次の言葉を急かす。
「ディネウや他の兵には目もくれず追って来るので、もしや、と…」
「うん。で?」
アンデッド化したのは弔いが終わっていない遺体。つまり、死を迎えて間もない、肉体から魂魄が離れきっていない亡骸。その魂が鈴の音――記憶されたサラドの鎮魂歌に導かれているとノアラは推測した。
「公園にディネウを立たせ、そこで鈴を鳴らし続けてもらった」
「ああ、それで囮…」
「迷わずディネウに集まったのを見て、間違いないと、シルエを迎えに来た」
「えっ、じゃあ、今頃アンデッドに取り囲まれていたり?」
ノアラがこくりと頷く。
シルエは「うわぁ…」と声を漏らし、ディネウに少しだけ同情した。
「僕らが聞いても何も感じられなかったけど、やっぱり、効果あるんだね。ノアラが先に付与をしていた石だから、偶発的に? 何かこう、吸収したとか? すごいな。もう一回、再現できるかな。最終目標は旋律…んー…できればサラドの歌声が再生できたら最高なんだけど!」
シルエがわくわくと顔を輝かす。
「よし、じゃあ、早速、実験場所に行って効果の確認…あ、いや、そうじゃないね。さくっと成仏してもらおう」
鞍に座る位置をずらすように促すとノアラはヴァンの背から降りた。
「ちょっとの間なんだからさー、我慢してよ! 僕が前に座る。ノアラが僕を掴む分にはいいでしょ?」
ノアラは渋々承知し、二人乗りをしたが前に座るシルエには極力触れないようにしている。
「ディネウの元へ」と指示を出せば、ヴァンは跳ねるように駈け出す。公園に着くのはあっという間だった。
兵たちが遠巻きに作った人垣をぴょんっと跳躍し、ヴァンは着地した。
輪になった中心にいるのはディネウ。左の手の平の上で鈴を転がし、普段は両手で扱う大剣を右手のみで剣舞のように振るう。アンデッドへの攻撃ではなく、近寄らせないためだ。シルエが一時的に与えた力を纏う剣から逃れるように、アンデッドはじりじりと迫っては後退する、それを繰り返し。
「うわぁ…。ちょっと見物な絵面だね。ふーん、確かにアンデッドは僕らには見向きもしないな…」
「おいっ、早くこれ、どうにかしろ!」
シルエとノアラの到着に気が付いたディネウが叫んだ。