164 隠し部屋 次いで 灯台の町へ
床を調べ終えたサラドは首を横に振った。
「足跡は…ないね」
魔人は実体ではなく影を送り込んだであろう推測を基に、サラドとノアラの二人がかりで魔術の残滓を探しにかかる。
「あー、でも確かに罠に触れた跡はある。ちょっと確認してすぐに無駄だって諦めたのかなぁ」
シルエが杖でトンッと地を突く。小石に埋もれジャリッと音がした。神経を研ぎ澄まし、邪なるものの気配を探る。網の目状に広く、広く、門前も含めた聖都の全域に広げていく。
「…うーん。特に引っかかる気配はないなぁ。善からぬことを考えていそうな輩はいっぱいいそうだけどね!」
「石柱に魔力が触れた気配…それ以外は何も」
「こっちも。術を使った痕跡はなさそうだ」
「聖都で戦闘にならなかったのをよしとするか。じゃ、ついでに観光でもして行くか? 上はまるでお祭り騒ぎだったし」
またも間に合わず無駄足かと、しょげるノアラを気遣うようにディネウがふざけた調子で言う。手慰みに手首を回して杖を振るシルエは「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「そんなに導師が死んだのが嬉しいのかね?」
「…違うよ。聞こえなかった?」
「何が?」
「町の外で人々は導師を褒め称えていた。別れを惜しむ声だよ」
耳を澄ますようにサラドは耳の裏に手をあて目を薄く閉じる。
「いや。それ、常人には聞こえねぇよ…」
直接その耳で聞くのとは違うことを知りつつ、ディネウは突っ込まずにいられない。
「えー? 導師って権力に阿る金の亡者だって評判だったんだよ? 神官になろうともしない、嫌われ者のはず。鎮魂の儀なんてやるのも怨霊にでもなられたら困るからでしょ」
不貞腐れたように口を尖らせてシルエは杖を振る速度を速めた。ブンブンと空気を震わす音がする。
「とか言って。なんだかんだとこっそり治癒してたんだろ? 悪ぶろうったって、導師の噂がそれだけじゃねぇのは知ってんぞ。誤魔化しきれてなかったんじゃねぇの」
「違うよ、別に。そんなんじゃなくて。言いなりになるのは癪だったし。僕はただ、兄さんならこうしただろうなって選択をなるべくしただけ…だし」
シルエが気不味そうにごにょごにょと口籠る。
「そういうことにしておいてやらぁ」
背を叩こうとするディネウの手を払い、シルエはまた「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「じゃあ、今度こそ次に行くか」
「…待って」
より音に集中しようとサラドが耳をふわりと手で覆った。
「どうした?」
「うん、何だかおかしな音が混じってて…」
「ん? 精霊が何かを?」
サラドが首を横に振る。
鎮魂の祈り、鐘の音、足音、喧噪、ヒソヒソ話す声、物売りの呼び込み、梢を揺らす風、馬の蹄、それらの雑多な音に巧妙にまぎれている何か。
「足裏がザワザワしている感じで…。ああっ、くそっ、うまく聞き取れない…」
「一旦、外に出てみたらどうだ? 聞こえるもんも変わるかも、だろ?」
「…うん」
本神殿を出て、その正体を追い敷地内を一歩一歩移動する。サラドが感じ取っている音が何かはっきりしないため今のところノアラの術は役に立たない。音の術は魔人を追うためにまず怨嗟の特徴を掴むことに心血を注いできた。他の音がそれぞれ持つ特徴的な固有の紋の調査と研究は後回しになっている。
そうしている間に祈りの列は外の沿道と内の広場前を一巡し、本神殿へと戻って来ていた。チリンチリンと鐘の音が近付き、遠ざかる。
「ダメだ…。どこから聞こえるのか、内容も、そこにある感情も全く伝わってこない。鎮魂の祈りに誘引されているみたいではあるんだけど…。ごめん。みんなを待たせたのに」
「構わねぇよ。だが、わかんないままってぇのは気持ち悪ぃな」
「サラドが気になるってことは何かあるんだよ。気が済むまで探そ」
こくりと頷き、同意を示すノアラ。
体を取り巻く気が揺らいだのを感じてノアラが「そろそろ不可視が解ける。またかける」と申告した。
ブワっと魔力が膨れた瞬間、サラドが「あっ!」と声を上げた。
「聞こえた! 魔力に反応して…? 多分『開け』『帰れ』『渡れ』って。ああっ、また聞こえなくなった…」
足裏のザワザワが、割れ鐘を叩くような耳障りで不確かな音に変わった際の情報に、サラドは人の言葉を当てはめる。
「『渡れ』って…。それ、歪みで裂け目を開こうってことじゃない?」
まずい事態なのを理解した時、まるで狙ったかのようにパンッという破裂音にピリリリ…と警戒音が耳に届いた。
「ちっ、救援信号か! どこだ?」
魔力で調整ができないディネウは爆音で痛む耳を押えている。救援信号を送る魔道具は四人が受信するように設定し直されたため、示し合わせたように全員が空を見上げた。青くたなびく煙は見えないが、ノアラは魔術視でそこに組み込んだ情報を読み出す。
「灯台の町」
「まだ被害のなかった所だな。…サラドはここに残ってその謎の音を追え」
「えっ、でも」
「それ、放っておけないヤツだろ。場合によってはノアラかシルエをすぐに寄越す。それまで持ち堪えてくれ」
「あっ、じゃあ僕はサラドと一緒に――ぐえっ」
サラドに一歩近寄ろうとしたシルエの首根っこをディネウが掴んだ。
「ノアラ、行くぞ!」
「えっ、やだぁ…」
薄紫色の転移陣が発動し、シルエの声が残響した。
「何があった? 状況を説明しろ!」
魔道具に組み込んだ誘導地点に降り立つなり、ディネウが叫んだ。
そこにいた傭兵が体ごと声のした方に向き直るも姿が見えず、きょろきょろと視線を移す。
「あー…そうだった。ノアラ、不可視の術、解いてくれ」
蜃気楼のように空気が揺らぎ、黒い毛皮を肩に掛けた男に襟を掴まれた淡い灰色のマントを纏った男、二人の姿が露わになる。勿論、ノアラ自身の分は解かない。
「アニキ!」
険しい表情から一転、傭兵は喜色を浮かべ、ディネウに駆け寄る。隣にいた武装の男たちは突然のことにあんぐりと口を開いたまま取り残された。
「何だ? お前、なんでここにいるんだ? 村の衛兵業務はどうした?」
「辞めて来ました! 傭兵として出直すつもりで港町を目指しています」
あっけらかんと話す傭兵に、ディネウは頭が痛いというようにこめかみを押えた。それでもすぐに「まあ、しゃーないか」と気を取り直す。
「道中のこの町で、たまたま今回の惨事に出会して。おれも微力ながら加勢を。でも足が、悪いんで…連絡役を担いました」
弓を手にし、片足に重心が傾いている傭兵は、西の外れ、難民が興した村で衛兵に就いていた男だ。一瞬悔しそうな顔をしたが、「村を出る時、馬は村の財産だからやれないって言われてしまって、乗合い馬車や徒歩で移動して来たものだから、まだ到着できなくて…」とへらっと笑う。その顔は色々と吹っ切れたのかスッキリとしていた。
「今日は兄さんは一緒じゃないんですか?」
きょろっと周囲を確認する傭兵の「兄さん」呼びにシルエがムッと口を歪める。
「ああ、別…。って、そんなことは後回しだっ」
遅まきながら符牒を示すディネウと律儀に答える傭兵に「それ、今更必要?」とシルエが苦笑した。
やれやれと杖でディネウの腕をコツコツと叩く。
「ねぇ、そろそろ放してくんない?」
「お? おう、悪ぃ」
襟を直しながらシルエが泰然とした声で「それで? 救援要請の内容は?」と問うと傭兵がパッと姿勢を正した。
「埋葬途中の死者が急に動き出したそうなんです。今は救助に来た近隣の傭兵たちと、この町の衛兵、商会が抱える私兵で手分けして、住民に被害が出ないように見廻りをしています」
ディネウとシルエ、そしてノアラがチラと視線を交わす。
傭兵が振り返って目配せをすると、武装の男が前に進み出て報告を引き継いだ。彼らは町の衛兵と、この町で実質の支配者といえる商会に雇われている私兵、それぞれの連絡係としてここにいる。
衛兵と私兵がそれぞれ把握している事柄を互いに確認し合いながら説明した。
墓地で棺を土中に沈めるのを前に最後の別れをしていた遺体が動き出したのは一日半ほど前。
神官が祈りを捧げている最中での出来事だ。奇蹟が起きて死から逃れて来たのかと喜びかけて、その期待はすぐに打ち消された。
遺族が名前を呼んでも話し掛けても、返ってくるのは怨めしそうな「ヴアアァ」と低く唸る声。瞳孔の開ききった昏く光を宿さない目。とても縁ある人を慕ってとは思えない動き。
アンデッドと化した遺体は這い上がり迫る。その場に居合わせた者は逃げ出した。結果、アンデッドを墓地から町中に連れて来てしまった。
悲鳴を上げて逃げる者達とそれを追う死装束の人がぎこちなく歩く姿。それを目にした町の人が第一に感じたのは、不快であり恐怖ではなかった。「何をふざけているのだろう。不謹慎なことを」と不審な目を向けた。
しかし、アンデッドは誰彼構わず追いかけ出した。ぞっとするような低い唸り声、常人にない動き。だんだんとその異様さが伝わり、人々は蜘蛛の子を散らすように家の中に逃げ、固く戸を閉ざした。
いつ戸が破られるか。いつまでこうして閉じこもっていればいいのか。水や食料の底が突いてしまわないか。不安と恐怖が心を蝕む。
しかも、町を彷徨うアンデッドは他の死者をも呼び覚ましていった。
報せを受けて現場に向かった衛兵は、生者と変わらぬ姿に躊躇し、遺族の手前、遠慮もしてしまった。そうも言っていられない状況になり、仕方なく剣を向けたが攻撃しても倒れず、腕がもげても、足を失っても歩みを止めない。
衛兵はもともと町の治安維持、私兵も商会の警護が主な役割。どう対処していいかわからない相手に、終わりが見えない戦いに、ただただ恐怖した。
そんな時、偶然にもこの町に到着する予定の馬車に傭兵は乗車していた。非常事態が起き町を封鎖していると報されて馬車は馬首を巡らす。傭兵は馬車を降り、町に駆けつけた。その有り様に、一刻を争うと判断し、狼狽える衛兵を捕まえて、近隣の傭兵たちに助けを求める提案をした。衛兵も私兵も受け入れる選択しかない。弓を鳴らし、助力を請うた。
駆けつけた傭兵らはアンデットを確認してすぐに魔道具を使って救援を求めた。